第十四章 全ての終わり
選択肢2:気になるので立ち止まって靄の正体を確かめる。
1.城への帰還
ひっそりと城に帰り着いた。
最初は門番にすら気づいてもらえないくらいだったが、ナオーキが顔を見せるとすぐに城の内部に伝わった。
「まああぁぁ!コトリン、お帰りなさい!」
息子はそっちのけでコトリンに駆け寄るパンダイ王国の王妃。
「さあ、さあ、疲れたでしょう。こちらへいらっしゃいな」
コトリンは王妃と供の者に連れられるまま、ナオーキを振り返りしながら奥へと行ってしまった。
「お帰り、よく、帰ったね。本当に…」
こちらは感慨深げに息子であるナオーキを見てうなずく王。
「して、魔王は」
王の言葉にナオーキは少しだけ躊躇した。
「魔王とは、人々の心に巣くった幻でありながら、それを現実のものとした者のことのようです」
「つまり?」
「倒しても、倒しても、魔王は現れる。
今はひとたびの眠りについた、というところでしょう」
「そうか。
ホクエイの王女はどうなったのか」
「王女は…無の世界に捕らわれ、いつ戻るとは知れず…」
「無の世界…。
それは、淋しかろうな」
「恐らく、一人になりたいと思う心がそうさせたのではないかと」
「それは、王妃が喜んでいる理由に関係するのかね」
「母上の喜びはよくわかりませんが、少なくとも俺が王女を選ばなかったというのが理由ならば、そうであるかもしれません」
「ホクエイの王は、さぞかしお怒りであろうな」
「…ええ。父上にも、国民にも迷惑をかけるかもしれません」
ナオーキの言葉に王は首を振った。
「王子が、初めてのわがままを言うならば、ここにおいて他はないだろう。
自分の目で選んだ者を得るためならば、皆はわかってくれよう」
「その結果がホクエイとの戦になっても?」
「…そうだな。しかし、そうはならんだろう。
真実ホクエイの王がお怒りならば、既にこの国は滅ぼされていようよ」
「ええ、そうでしょうね。そうでなければこうやって帰り着きはしなかったでしょう。
とりあえず、また後で…」
「…ところで、その、本当にいいのかね」
「何が?」
「コトリン嬢との結婚式は明日だぞ」
「…は?」
ナオーキは自室へ下がろうとして、王の言葉に振り向いた。
「誰のですか」
「ナオーキ、おまえのだ」
「………いつ決まったんです」
「おまえたちがこの国に入った頃にだな」
ナオーキはしばし考えた。
確かにこの国に入ってからも、さほど騒がれることなく普通に城までたどり着いた。
既にこの国でも王子の存在など忘れ去られたのだろうかと少々不安になったくらいだった。
でも、もしそれが母である王妃の策略だとしたら?
騒げば騒ぐほど、城へ帰るのを止めて放浪しそうな息子に加え、やっと捕まえた嫁候補を逃してなるものかとなったのかもしれない。
「いや、王妃が、この機に一気に片をつけようと…」
「…それが一国の王妃のやることですか」
「そうは言っても…このままでは王子の嫁は見つからないだの、せっかく王子が気に入ったらしい娘さんを逃してしまったら一生孫は見られないだのと言われると…」
王がもごもごと言い訳した。
大事な場面ではちゃんと力を発揮する王ではあったが、王子の嫁取りの話にはめっぽう弱かったのだ。
「だからと言って…」
そう言ったままナオーキは口を閉じた。
もはや何を言っても状況は変わりそうになかった。
先ほどから城の中がとんでもなく騒がしいのは、明日の結婚式のせいだったのかとようやく悟った。
「…コトリンは…?」
「それは、王妃が明日のために更に磨きをかけるとか何とか…」
「母上のもとですね」
「いや、ちゃんとナオーキの意見も聞いたほうがよいと言ったんだがな」
ナオーキは、仏頂面をしたまま歩き去った。
「王妃を責めるのは程ほどにしてやってくれ…」
その背中に王は諦めたように声をかけたのだった。
2.求婚
まずは王妃の所に向かったが、王妃はどこか別の場所にいるらしかった。
仕方なく王妃付きの者に居場所を確認する。
「ただいま湯浴み場にいらっしゃいます」
さすがにそこに踏み込むわけには行かず、ナオーキはとりあえずその湯浴みが終わるのを待った。
イライラしながら控えの間で待っていると、王妃はナオーキを見るなり「あらまあ」と首をすくめ、「明日まで待てないの?」と顔をしかめた。
こういう表情をするとそっくりなところが親子かもしれない、と傍らにやってきたコトリンは思った。
「明日、結婚式とは、相談もなしにどういうことです」
「え、え…?」
コトリンはナオーキの言葉に驚いて王妃の顔を見た。
「相談も何も、あなたがこのお嬢さんを気に入ったことは知ってますよ」
「だからと言って」
「だから、です」
「は?」
「この先、あなたが興味を持ちそうな女の子が現れるとは限りませんからね。
先手必勝です」
コトリンは王妃とナオーキの会話をまだ飲み込めていなかった。
「あの、ナオーキさま、ご結婚なさるんですか」
コトリンの言葉に二人が振り向いた。
何故そんなに他人ごとのようにと思って見れば、コトリンは何か誤解をしているようで、今にも泣き出さんばかりだ。
「まあああああ、コトリン、結婚相手はあなたよ、決まってるでしょ」
「相手はともかく、明日なんて承諾してない!」
「あら、じゃあ、相手はコトリンでよろしいのでしょう。
大丈夫、お父様にも明日来てもらうことになっていますからね」
「あ、あの、あ、あたし?」
「何を今更」
ふんとばかりにナオーキが言った。
「えーーーーーーーー!」
驚きのあまり、コトリンを包んでいた布がするりと落ちた。
幸い素っ裸ではなかったものの、殿方の前に出るには非常に不都合な格好ではあった。
「い、やーーー」
コトリンは布をつかんで走って逃げた。
「待てっ」
走り出したコトリンを追って、ナオーキは走り出した。
どうがんばってもナオーキのほうが早いので、追いつかれるのは目に見えているのだが、コトリンは走らずにいられなかったのだ。
部屋をいくつか通り抜け、行き止まりになった部屋で、コトリンはしゃがみこんだ。
そこへ追いついたナオーキが「てめぇ、この俺をまた走らせやがって」と少々口も悪くつぶやいたので、てっきり怒っているのだと思い、しゃがみこんだまま「ごめんなさい」と震えた。
いつの間にか落としていた布を拾って、ナオーキはコトリンに近づいた。
「おまえの貧相な体くらい見慣れてる」
「な…」
思わずコトリンはナオーキを振り仰いだ。
拾った布を広げてコトリンにかぶせると、そのままコトリンを立ち上がらせた。
「セクシーマント」
「え?」
「暗くて自分の格好を見てなかっただろうが、あれは今の格好よりも凄かったぞ」
「ええっ」
「そんな格好、俺以外の誰に見せるんだ」
「あの…えーと…」
コトリンは顔を赤らめながらナオーキを見た。
いつの間にかすっぽりと布ごとナオーキに抱きしめられていた。
「そ、それは…」
「走らせるし、闇に引きずり込もうとするし、そんな女おまえだけだぞ」
「ごめんなさい」
「やっと捕まえたんだ。離すと思うか?」
「ごめんなさい、でもお父さんだけはどうか捕まえないで」
「…早とちりだし」
ナオーキは呆れたように笑った。
「明日になったらもう逃げられないぞ」
「ろ、牢屋ですか」
「…牢屋で暮らしたいのか?」
「ナオーキさまがそうおっしゃるなら仕方がありません」
「それじゃ俺が困る。王子の嫁が牢屋では笑いものだ」
「………あの…本当に…明日は結婚式なんですか」
「何度言わせる」
「……あの、まさかあたし、と…?」
「まさか?」
ナオーキは少しだけ眉根を寄せて天井を仰ぎ見た後、コトリンの顔を自分に仰向かせた。
「本当に覚えていないのか」
ナオーキはコトリンに口付けて耳元で言った。
「こうやって何度も口付けたのに」
そう言ってまた唇を落とした。
コトリンは何も言えず唇を受け止めた。
「覚えていないのなら、何度でもしてやる」
「じゃあ、本当に、あたし…」
「早すぎるとは思うが、仕方がない。
明日になったらおまえは俺の花嫁だ」
「…はい、ナオーキさま」
再び口付けをしている二人がいる部屋の扉の向こうでは、どうやって声をかけていいのかわからずに待ち続けるお供の者たちの姿があったという。
3.結婚式の前に
即席で用意したにもかかわらず、城の中は王妃の采配によって飾り付けられ、準備万端だった。
どうやらこのときを願って何年も前から実は計画され、相手が誰であろうと一晩で結婚式を上げられるくらいの準備がなされていたのではと思われた。
側近の者たちは次から次へと湧き上がる雑務に今にも倒れそうだったし、近衛の者たちはこの壮大なる計画に徹夜で配備され、料理人たちは寝る間も惜しんで料理を作り続けた。
来客は引きもきらず、王妃は始終笑顔で時には高笑いまで出るくらいだった。
一方、昨夜の城内逃走劇から一転、実は自分が花嫁になるのだと実感させられたコトリンは、奥の部屋に留まっていた。
「ど、どうしよう」
そうつぶやきながら外を見る。
「こ、こんなにたくさんのひ、人が…」
昨日はあれほどナオーキに言われて素直に結婚を承諾したにもかかわらず、自分がこの国の王子と結婚する意味をようやく悟ったのだった。
「あた、あたしが、王子様のよ、嫁に…ということは、ゆくゆくはこの国の王妃に?
そんな馬鹿な」
簡単に考えていたが、村娘の自分がこんなに簡単に王子の嫁になってよいものだろうかと今更ながら怯えていた。
「わかってる、王子様があたしでいいって言ったんだから、自信を持って。
そうよ、あたしでいいって王妃様も王様も言ったんだし」
そう鼓舞することもやってみたが、さすがに目の前の現実にはなかなか叶わなかったようだ。
「王子様とは結婚したいけど、王子様が笑いものになるのはいや〜」
「コトリンさま、そろそろお支度を…」
扉の向こうから新しくコトリンの側付きになった者たちが呼びかける。
「は、はい」
それに慣れていないコトリンは、自ら扉をあけて遠慮がちに顔を出した。
「さ、早くなさいませんと」
「え、ええ。あのぉ、本当に今日なんですよね」
「結婚式は今から数刻の後に始まりますよ。
急いでお支度をなさいませんと間に合いません」
一番年季の入った者がそう言って合図をすると、ささっと支度をするものたちが大勢現れ、あっという間にコトリンは囲まれた。
* * *
ナオーキは自ら警備について近衛隊長と話していた。
いつもは誰よりも頼りになる王子が主役では、さすがに頼ることもできず、綿密な打ち合わせが必要だった。
何よりも近隣の国々で一番人気の王子であり、嫁になりたい候補の者は大勢いたのだ。
逆恨みをする者の一人や二人いてもおかしくはない。
コトリンでなければ結婚など承諾しなかったという事実を城内の者以外誰も知りようがないのだから仕方がない。
城内の者には昨夜のあの逃走劇でこのいつも冷静で硬派な王子が、と驚きとともに知れ渡ったので、王子に憧れていたものは泣く泣くながら認めざるを得なかったようだ。
「コトリンには俺がいる。
他の者は王と王妃の警備に当たってくれ」
「しかし、さすがに王子一人では」
「あいつと旅をした時は、もっととんでもない目にあったんだ。
刺客の一人や二人くらいどうってことない。
それに忘れているかもしれないが、俺はいざとなれば魔法で移動もできよう」
「承知いたしました」
(…作者注:あっはっは、私が忘れていたよ)
近衛隊長は更なる警戒に念を入れるべく、去っていった。
王子といえどもそろそろ支度をしないと間に合わない時間になっていることは、側ではらはらしている側仕えの者の様子からもわかる。
正装は気に染まなかったが、さすがに一国の王子が普段着で着飾った花嫁の隣に立つことはできない。庶民にはきっと普段着だか正装だかわからないだろうが、コトリンが軽んじられるくらいなら正装を選ぶことにした。
コトリンがすんなりと国民に受け入れられるためならば、多少の無茶な要求でも承諾しようとナオーキは思ったのだ。
「ナオーキさま、お支度を急ぎませんと」
「…わかった」
ナオーキはため息をつきながら側仕えの者たちを部屋に呼び寄せた。
4.大団円
「お、お父さん、ごめんなさい、あたし…」
コトリンは急いで呼び出された父に向かってうつむいて言った。
あまりにも急すぎて、父は取るものもとりあえず駆けつけることになった。もちろん城からの早馬車のお陰だが。
「こんなに早く嫁にいっちまうとは思っていなかったが、それがあの王子だってんだから、反対する気も起きねぇや」
そう言って改めてため息をついてコトリンの父は言ったのだった。
もちろんコトリンの父はパンダイ王国の王とは顔見知りなので、全く見知らぬところに嫁に行くわけではないことを喜んでいた。
かつて自分が光の戦士であった頃、妻とともにパンダイ王国でもてなしを受けたことも、縁があってそれからも長い付き合いになったことを思い返していた。
「お父さん、ありがとう」
「簡単に逃げ帰ってくるんじゃねぇぞ」
「お母さんも喜んでくれるかな…」
「エツリンもきっと喜んでるさ」
そう言って、着飾ったコトリンに目をやって微笑むと、見慣れない姿に目を細めて涙ぐむのだった。
城の外では、国民が今か今かと待ち構えていた。
ずっと心を覆っていた魔王への恐怖心が払われただけでもうれしいことなのに、誉れ高い王子の結婚となれば、国民が一気に祝賀の空気に浮かれるのは無理もない。
式が終われば、特別に国民の前に姿を見せることになる。
普段も気安い国王一家ではあるが、ハレの日ともなればそれは素晴らしいものだろうと国民の期待は高い。
ただ、花嫁がどんな人物なのか、国民にはあまり伝わっていなかった。
密かに城入りしたという噂だけがあり、競争率の激しい王子のことなので、式前にお披露目すると何か障りがあるのかと国民は心配もしていた。
ところが、結婚式が近づくにつれて徐々にあの王子が自ら選んだのだという噂が城下に広がっていた。
王子とともに光の戦士として自らこの平和を勝ち取った勇気ある娘であり、王子とともに苦楽を共にし、これからも王子とこの国を支えるのにこれ以上にないという花嫁、であるらしかった。
その噂を流したのはもちろん王妃の策略の一つでもあったが、一般的にはどこかの王族と縁付くことが多いのをコトリンがやたらと気にしていたからでもあった。
王妃としてはどこの国の王族であろうとも、王子が選ばなければそれは意味のないことであり、コトリンがコトリンであるがゆえに気に入ったのだと納得させるのはなかなか難しかったのだ。
光の戦士であろうとなかろうと、王妃はコトリンが気に入ったのであり、結果的には王子自らがコトリンを選んだのだから、それ以外に何も理由はいらない。
いらないが、国民はそれだけではなかなか納得しないものなのだ。
恐らく、遠くないうちにコトリンの人柄が伝われば、国民にも納得がいくだろう。
だからこそ最初の一歩を不安なく歩ませることに王妃は心を砕いたのだった。
式だけならごく簡単に終わった。
花嫁姿のコトリンにさすがに目を奪われたらしいナオーキが、誓い終わったその場で周りが呆れるほどの熱烈な口づけを行い、倒れそうになったコトリンに気づいてようやく名残惜しそうに唇を離した。
おまけに片時もコトリンの側を離れずにいたために、その変わりように誰もが口を開けて驚いていた。
「もったいないが、皆におまえの姿を見せるか」
「も、もったいないだなんて、あ、あたし…じゃない、わたしのほうが…」
「無理に言葉など直さなくても、おまえはそのままでいいよ」
「でも、ナオーキさまの恥になるから」
「そんなことが恥になるのなら、おまえとは結婚していない」
「う、おっしゃるとおりです」
「さ、皆が待ちくたびれる」
「はい」
ナオーキはコトリンの手を取り、開け放たれた窓から外のバルコニーへと歩き出した。
転ばないように懸命に歩き出したコトリンだったが、バルコニーのはるか向こうまで見渡せる広場全体に集った国民の姿が見え、さすがに足が震えてきた。
手を取られているにもかかわらず「あっ」と言って転びかけた。
ナオーキは仕方がないというようにそのままコトリンを抱え上げ、国民に良く見えるようにそのままコトリンに口づけた。
バルコニーの下からわーっという歓声が上がる。
コトリンをそっと下ろし、耳元にささやく。
「大丈夫だ。足が立たなければそのまま俺につかまって軽く手でも振っておけ。
怒った顔でさえなければ国民は勝手に解釈する」
ナオーキは片手でしっかりとコトリンの腰を支え、見本を示すようにもう一方の手を振った。
「こ、こう?」
そうは言うものの、コトリンは精一杯の微笑みでもって手を大きく振った。
優雅さには欠けるが、国民には伝わったようだ。
更にわーっと歓声が上がっている。おめでとうという声も聞こえる。
下から見上げる国民は、コトリンのその眩しい笑顔と無邪気に振る手に加え、その花嫁を見つめる今までにない王子の優しげな顔を見て、天使がやってきたと誰ともなくつぶやいた。
王国はきっと長きにわたって繁栄するだろうと誰もが確信した。
平和をもたらす天使さまが国に舞い降りたのだから、と。
Fin