ビリー編その2




入江直樹は、テレビ自体をあまり見ない。
もとい、見る暇がない。
だから、妻や母が見ているテレビの内容はあまり知らない。
時々付き合ってみることもあるが、くだらないと思ってしまう人間だった。
ゆえに見るものといったらニュースと天気予報。
当然ドラマの話もさっぱりわからない。
ましてや夜中にやっているテレビショッピングなんてみたこともない。
ちなみに母はテレビショッピングが大好きだった。
たいして欲しくもなさそうなものを買い求めているのにはあきれていた。
そしてここ数日、出張と当直続きで家にはあまり帰っていなかったので、その間に届いたDVDなんてもちろん知らなかった。

出張から帰ってきた彼が見たのは、病院内のスタッフが、皆おかしな格好で歩いていたことだった。
それはどうかするとロボットのような動き。
いつもははつらつと歩いている者でさえ、どこかおかしい。
それを見た西垣医師は、「全く嘆かわしい」と首を振った。
理由を尋ねようと思ったが、どうにも癪なので黙っていると、「だいたい日頃の鍛錬が足りないんだよ」と笑った。

「この僕のように常にジムで…」

途中までしか聞いていなかったので、やはりよくわからなかった。
病院内で何かスポーツ大会があったのかもしれない。
あまり興味がないので頼まれなければ進んで参加することもないので、彼はそういう行事にも疎かった。

目の前を妻が通っていったが、こちらには気づかなかった。
というより、気づく余裕もなさそうだった。
声をかけようか迷っている間に、彼女の同僚が彼女に声をかけた。

「琴子、あんたもやっぱりやられてるわねぇ」
「だって、ビリーが!」
「あー、あたしあれ以来ビリーに会っていないのよねぇ」
「だって、いきなり激しすぎる…」
「でもアメとムチでつい…でしょ?まるで入江さんみたいねぇ」

ビリー?
外人が入院したのかと最初は思った。

「だいたいこのあたしが無理することないのよね」
「え、でもモトちゃんだって最近この辺がって…」
「あ、あら、そんなこと言ったかしら」
「そんなことより、お義母さんもはまっちゃって…」
「入江さんは知ってるの?」
「う…、黙っていようかと思ったんだけど」
「そうねぇ…」

…タレントか何かだろうか。
そんなことを思いながら、彼は声をかけた。

「琴子」
「あ、入江くん!!」

彼女は駆け寄ろうとして、やめた。
彼はそれに少しもの足りなさと同時に、先ほどのビリーがにわかに気になりだした。
しかし、盗み聞きしていたとあからさまに知られるのもなんなので、後で誰かに聞くことにした。
少し不機嫌そうにしながら彼女が一方的に話す言葉を聞いて、その場は離れた。

誰に聞くか、それは問題だった。
どんな風に聞いたらよいかも少しだけ悩んだ。
皆が知っていて自分だけが知らないこと。
しかも何かの一大プロジェクトのように皆が知っている。
それをするとどうやら何か身体に支障をきたすことらしい。
それが広まったのはウイルスのように速やかに、だ。
それも彼が出張をしているわずかな間に。
しかし、結局聞く暇もないほど忙しく、彼はそのまま帰宅した。


「ただいま」

家に帰り着いても、反応がない。
いつもなら誰かしら出てくるものだが、今日はリビングの方でにぎやかな音楽が聞こえてくる。
それに合わせて誰かが暴れているような音が…。
リビングのドアを開けるとそこには、メタボリックなんちゃらが気になる父と、張り切って動いている汗だくの母が、テレビの外人の動きに合わせて奇妙な動きをしていた。
動きを止めた父母に構わず、テレビの中の外人はなにやら妙な紐を引っ張りながら動き続ける。
妻は帰ってきた彼を見て顔を引きつらせた。

「い、入江くん、もう帰ったの」
「あら、お兄ちゃんもやってみなさいよ」
「わしは真似だけしてみたがダメだ」

察しのいい彼は瞬時に理解した。

…ビリーか…。

つまり、病院内で大流行だったのはこのダイエットであり、このために筋肉痛になった者がロボットのような動きをしていた、と。
何も一大プロジェクトでもなんでもない(当たり前だ)。

『脂肪を燃やせ!』
『あきらめるな!』

ビリーは叱咤する。

『君なら最後まで出来る!』

ビリーは激励する。

彼は疲労感とともにテレビを眺めた後、父に向かって一言だけ言った。

「…おやじ、死ぬぞ…」

『ヴィクトリーーー!』

いったい誰が勝利したのか、彼の知るところではない。


(2007/06/30)→up(2007/07/13)


To be continued.