b もしも入江くんが幼稚園教諭だったら1;雪月野原



もしも入江くんが幼稚園教諭だったら




斗南幼稚園には名物先生がいる。
一人はイケメン直樹先生。
数多くの保護者の心をわしづかみ。もちろん幼児であれ同じ。
シングルマザーにいたっては我がものにせんと熾烈な争い。
顔だけでなく、その技術も超一流。
その噂が流れるにいたって、ここ数年斗南幼稚園の人気はうなぎのぼりで、入園試験も過熱気味。
そして、もう一人…。

「あ〜〜〜〜〜!」

園児の大きな声に振り向けば、そこにはばらばらに壊されたブロックの山。

「もう、ことこせんせい、またこわした〜」
「ご、ごめん、りょうたくん。
また一緒に作るから許して?ね?」
「ちっ、しかたがないなー。
ことこせんせいのたのみだからきいてやるけどさ、ふつうのえんじならおおなきだぜ」
「そ、そうだよね。いつもごめんね」

軽くため息をついた直樹先生。
とりあえず解決しそうなので知らない振りをして他の園児の相手をする。
もう一人の名物先生が、破壊の女神とまで言われる琴子先生だ。
いろいろしでかす割には人気があり、何とか雇用続行中というところだ。

「なおきせんせ〜い、これ、おてがみ。うちにかえってからひとりでよんでね」
「……ありがとう」

エプロンのポケットに忍ばされる園児からの手紙は、毎日何通かある。
園児からなので一応目を通す。
…が、返事は書かない。
誰某ちゃんには何字書いたのに、わたしのほうが少ない、だとか争いが絶えないからだ。
この幼稚園に就職した当時、約1週間で手紙騒動に音を上げた。
今では園児からの手紙は受け取るだけ受け取るが、保護者からの手紙はその場で返すことにしている。
連絡の類は園長を通して受け取ることにしている。
もちろん直樹先生個人宛てが紛れ込む手紙はあるが、丁寧にお返しする。
まかり間違っても園児の保護者だからだ。

「ことこせんせい、そとでドッヂボールしようぜ」
「いいわよ〜」

外で園児同様に同じレベルで遊べるのは、琴子先生の得意とするところだ。
園児たちを引き連れて外へ出て行く光景を横目で見ながら、直樹先生は先日の光景を思い出していた。
外で遊ぶことに張り切りすぎて、園の定めるカリキュラムを逸脱してしまったのだ。
さすがにそれでは保護者からの苦情もくるだろうし、けじめのない行動は園児のためにもよくない。
こっそり(園児の前では叱れない)園長に叱られていたところ、園児たちが乗り込んできたこともあった。
別に琴子先生を叱るな、というわけではなく、琴子先生が園長先生に叱られて泣くか泣かないか、という園児たちの興味の対象となっていたというだけの話だが、琴子先生は「あたしのために…」と一人勘違いして感激していたのだった。
もちろん(面倒なので)誰も否定はしないが、あえて真実を話すこともないので、琴子先生はいまだに勘違いしたままだ。まあ、別に園児たちに嫌われているわけではないし、好かれているのも本当なので、直樹先生としてはどうでもよいのだ。

 * * *

「いった〜い」

直樹先生は手当てをしながら軽くため息をついていた。
一体何度目だろう、こいつの手当てをするのは、と。
正直言って園児よりも手当てをする回数が多いような気がしてならない。
しかも何故自分で手当てせずに俺にやらせるのだろう、と。

「だって、直樹先生上手なんですもの」

心の内を読み取ったかのような返答に直樹先生はガーゼのテープをぴしゃりとつけてやった。

「いたっ。そんなに乱暴しなくても」
「…いい加減にしてください」
「あたしがやると全部無駄に使う羽目になるし…」

どうやら最初の頃は自分で手当てをしていたらしいが、かなり不器用なので(幼稚園の先生にあるまじき不器用さだ)ガーゼなどを無駄にしてしまったらしい。
言われて見れば、工作の類はかなり不器用だった。
一体誰が学校を卒業させたんだ、とまで思ってしまうのも無理はない。
園長も何故雇用したのか、何か強力なコネでもあるのではないかと思っている。
しかし担任は持っていない。直樹先生の組の副担任だ。
さすがに担任は任せられないというわけだ。
副担任についてから数日で、直樹先生は多くを期待するのをやめた。
一人でやっているほうが何度ましかと思ったが、子どもの前でそれを悟らせることなく続ける芸当くらいわけはないと開き直ることにした。
直樹先生は自他ともに認める優秀なる保育士なのだ。
じっとそのままの姿勢で前を見つめていたせいか、直樹先生の前で琴子先生はぼうっとこちらを見つめている。

「何か?」
「あ、い、いえ」
「困ったことがあるなら、今すぐに、隠さず全部話してください」
「え、ええっ、そんなっ、無理ですっ」
「何故ですか。後で困ったことになるのは俺です」
「あの、でも、その」
「言い訳する前にちゃんと話してください」

それでももじもじと言い淀んでいる琴子先生に半分切れながら「話さないんなら金輪際あなたのフォローはしませんよ」と言い放って立ち上がった。
慌てたように琴子先生は立ち上がり、立ち去ろうとする直樹先生のエプロンをつかんだ。
ちなみに直樹先生のエプロンは、ごくシンプルなものだ。期待に添えなくて申し訳ない。
本当は就職した際にうさぎ柄のものすごく手の込んだかわいいエプロンを就職祝いとしてもらったのだが、その場で突き返して自分で用意したエプロンをつけている。

「あの、直樹先生が好きですっ」

直樹先生はこれと言って表情を全く変えることなく「…は?」と思わず聞き返した。

「それが何か」
「それが何かって、そういうことなんです…」

顔を真っ赤にして直樹先生のエプロンをつかんだまま琴子先生はそう言った。
直樹先生は自分の聞いたセリフをもう一度反芻した。

「申し訳ないですが、俺は好きも嫌いもないです。仕事ですから、フォローはします。だいたい好き嫌いで仕事をどうにかできるほど甘くはないと思いますが」
「え…」
「それともこうやってごまをすっておかないといけない何か他の困りごとがあるんですか」
「そ、そういうことじゃなくて」

どうやら直樹先生は大きく誤解しているようだとこの辺りで琴子先生もわかってきた。

「あの、大丈夫です。これ以上の隠し事はありませんし、困りごとがあったらまた相談しますから」
「そうですか。では、戻りましょう」

そう言って、直樹先生はいたって今まで通りに教室に戻っていく。
そろそろ帰り支度も終わる頃だ。
後に残された琴子先生は真っ赤な顔をしたままつぶやいていた。

「…そんなぁ。今の、ふられたってこと?」

直樹先生は後までこの出来事を、琴子先生が手当てしてもらって喜ぶ園児と一緒に見えていたと記憶している。好き嫌いの話も園児が頻繁に「直樹先生好き〜」と口にすることと一緒だと思っていた。この時点で琴子先生は直樹先生の中では園児と同等。
つまり、結局はふったと言えるのかもしれない。
この価値観をひっくり返すのには、まだ歳月が必要だった。

(2015/03/15)