もしも入江くんが幼稚園教諭だったら




園も卒園の時期である。
仲良しになった園児との別れは寂しい。
半人前だが心優しい琴子先生は、そんな園児たちとの別れの日を指折り数えて目を潤ませている。
有能だがいまいち愛想はない超絶イケメン先生と言われる直樹先生は、そんな琴子先生にため息をつきながらお祝いの飾りを早く作るように促している。
園児の胸に付ける飾りは、こればかりは先生の手作りだった。
正直誰が卒業させて資格を取らせたんだと呆れるばかりの不器用さを発揮する琴子先生は、飾りを一つ作るのも時間がかかり、しかも完璧な直樹先生と比べるとどこか崩れている感じが否めない。それもご愛嬌と言うべきか。
どうやっても直樹先生のスピードには着いていけないので、とりあえず何となく崩れた感じでもいいと言ってくれる園児の分だけ琴子先生の手作りだ。それは主にいつも遊んでくれる男児たちの分だ。
こうして二人で作業することもこれでようやく一年だ。
何故か同い年の直樹先生と琴子先生だが、就職した年はかなり違う。
どうやら大学を留年したらしいとの噂に、就職戦線にも負け続けという噂だ。
そして、これほど頭のいい直樹先生が、幼稚園に就職しているのも不思議な話だ。
それにはふか〜い訳があったのだが、とりあえずここでは割愛する。

「…できた」

ようやく頬を染めてすべての飾りを作り終え、感慨深い琴子先生には構うことなく直樹先生は回収して収めてしまった。
「ああ、まだ名前つけてない」
「大丈夫です。どう見てもあなたの手作りは見間違えようありません」

言葉はいつも丁寧だが、結構辛辣な直樹先生だった。

「そ、そりゃちょっとばかり歪んで…」
「ちょっと?!」

これぞ嫌味、という見本とばかりに直樹先生は飾りを収納した扉をぱたんと閉めた。

「そんなこと言っても、あれが精一杯で」

そんな言い訳は聞かないとばかりに直樹先生は「掃除して帰りますよ」と促した。
琴子先生は教室を掃除しながらしみじみと思っていた。
一年前に緊張しながらここに来たことを。
担任の先生があまりにもイケメン過ぎて目を奪われたのもつかの間、女児たちの争奪戦に巻き込まれ、男児たちの意地悪にもまれ、幼稚園児と言えど侮れないと思ったことを。

「どうでもいいですが、さっさと掃除」

そんな思い出も、直樹先生にあっさりと阻止されたのだった。

 * * *

「ううっ、ぐすっ、げ、元気でね」
「…いい加減泣くなよ、琴子先生。化粧が崩れるぜ」
「み、皆と別れるのがさみしくて」
「これもちょっと不格好だけど、もらっておいてやるぜ」

そう言って胸に付けたお祝いの飾りを一人の男児が示した。
横を見れば、園児に園児の母に二重三重の輪ができている直樹先生。
琴子先生の周りにもそこそこ園児はいるのだが、あまりにも派手に琴子先生が泣いているので、どうしたらいいのかわからない状態だ。
やることなすこと裏目に出るのだが、これでも園児には好かれている琴子先生だ。
園児の父にも大人気で、かわいらしく装った袴姿の琴子先生とのツーショットの写真や琴子先生単独の写真を求める列が直樹先生同様できていた。

「俺たち隣の斗南小学校に行くんだから、すぐ会えるじゃねーかよ」
「でも、幼稚園と小学校は違うわよ。そのうち忙しくなってあたしのことなんて忘れちゃうから。あたしだって幼稚園の先生の顔なんて覚えてな…」
「忘れねーよ!」
「…そ、そう?でもいいの。忘れても、皆が楽しかったなって思い出してくれたら、それでいいのよ」
「…俺が大きくなったら、嫁さんにしてやるから」
「え?」
「どうせ琴子先生みたいなドジな女、なかなかもらってくれる奴いねーだろ」
「…そうかな」
「どうせ直樹先生にもふられたんだろ」
「ど、どうしてそれを…!」
「…琴子先生が惚れてるのはみんな知ってるぜ。俺たちの母さんたちはくっつくかどうか賭けてたし」
「何それ…!いやーーー、恥ずかしーーーー!」
「いや、もうバレバレだし」

琴子先生は顔を真っ赤にさせてすっかり涙が引いている。

「とにかく、十年たっても一人だったら、嫁にもらってやるから」
「でも、十年たってもジョウ君は十六歳だから結婚できないよ?男は十八歳なの」
「女は十六だろ。何で男だけ不公平なんだよ」
「…さあ?」
「もう、いいよ。十年はそれくらい待つってことだよ。もし他の奴と結婚するとしても俺よりいい男じゃないと許さないからな」
「ふふ、わかった」
「直樹先生くらいのヤツな」
「直樹先生くらいのね」

その二人の会話の名前を聞きとがめたのか、直樹先生がこちらを見ている。

「うわー、相変わらず地獄耳だな、直樹先生」
「地獄耳なの?」
「そうだよ、知らねーの?はじめに琴子先生いじめる相談してた時なんて、どこで相談しても絶対聞きつけて阻止されたもんな」
「そうなんだ」
「あー、また惚れ直したって顔してる」
「そ、そう?」
「ちっ、仕方ねーな」

そう言って、かわいい園児たちは卒園していった。

 * * *

「あー、つっかれた」

園児を全員見送って、教室でそう言って伸びをした琴子先生を見て、直樹先生は困ったようにポケットからごっそりと何かを取り出している。
いつの間にか忍ばされた手紙の数々だった。

「うわぁ、すごいですね。これ、全部返事しないんですか」
「しません」
「そうなんですか…」

相変わらず徹底してる、と琴子先生は直樹先生を見た。
今日の直樹先生は普段着ないスーツを着てびしっと決めている。こんな姿を見たらそりゃ誰もが目がハートになるのも無理はない。

「あたしもプロポーズされちゃった」
「…ああ、園児にですか」
「聞いてたんですか」
「そんなの聞いてるわけありませんよ。後でわざわざ言いに来たんですよ、あの子たちが」
「な、何を?」

そこで直樹先生は口を開いたが、次の言葉は言わずに黙り込んだ。
あえて言うのもバカらしいと思い直したのだ。

『琴子先生泣かしたら、直樹先生と言えど許さねーからな。
俺が嫁にもらう日まで、せいぜい虫除けしておいてくれよ。
あ、直樹先生が嫁にもらうって言うんなら、考えてやらないこともねーけどな』

くそ生意気な言い草だったと直樹先生は思い返していた。
急に黙り込んだ直樹先生には構わず、園児たちからの手紙をあれこれ勝手に物色している。
そもそもいったいどこのどんな奇特な奴がこんな女を嫁にもらうんだ、と琴子先生を見返した。

「あ、これとか、すごーい。携帯電話の番号書いてある〜」
「勝手に見るな」
「えー、でも結局返事しないんでしょ」
「うるさい」
「一所懸命書いたでしょうに」

あれこれと言ってくるすべてがうっとおしい、と直樹先生は琴子先生を睨む。

「いちちうるせーんだよ。俺に構うな」

思わず発した声に、直樹先生自体が驚いた。
同僚だと思って比較的丁寧な言葉で接していたが、もう我慢の限界だった。
どうしてこうもこの女は図々しくも…と思ったところでぷつりときれた、らしい。

「うわー、そう言う言葉遣いもするんだぁ」

何故かめげてない。
それなら好都合とばかりに直樹先生は宣言した。

「もう金輪際お前に気を使うのはやめだ」
「へ?」
「俺にこれ以上迷惑をかけたら、容赦しねーからな!」

そのまま直樹先生は教室を出ていった。

何かが変わった瞬間、だったかもしれない。
あとに残された琴子先生は目を見開くばかり。
直樹先生の知られざる一面を見ることになり、ただただぽーっと頬を染めているだけだった。

(2015/04/09)