もしも入江くんが幼稚園教諭だったら



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午後七時の待ち合わせに間に合うように、琴子先生はマキ先生に連れられて駅前へと歩いて行った。
いきなり合コンなので、皆はおしゃれな格好だが、琴子先生はいたって普通の通勤着だ。
「もう少しおしゃれしてくればよかったかな」
思わず独り言を言うと、マキ先生は笑って振り向いた。
「大丈夫。それほど気取った場所でもないし、会う人たちも皆会社帰りとかであまり変わらないわよ」
琴子先生は「それならいいんですけど」と少しだけ安堵した。

ところが、実際に待ち合わせてみると、会社帰りというマキ先生の知り合いたちは、皆背広姿のなかなかのイケメン揃いだった。いや、背広という恰好がそう見えるのかもしれない。
何せ琴子先生の職場という環境は、稀に男の人がいても背広を着るような場所ではなく、どちらかと言うと汚れてもいいような恰好が多いからだ。
もちろん直樹先生も例外ではなく、いまだ直樹先生の背広姿など見たことはない。
それぞれ自己紹介から好き勝手に話し出したが、合コン初めての琴子先生にも優しく話しかけてくれるので、琴子先生も戸惑いながら少しずつ雰囲気に慣れていくことができた。
ここでアルコールが飲めないということにして、ちびちびと飲んでいたウーロン茶がなくなった。
もう一杯同じものを頼むことにして、琴子先生は親切に頼んでくれた飲み物を受け取った。
これまた当たり障りのない会話を何とかこなしながら、琴子先生は料理をせっせと食べ、飲み物をごくりと飲んだ。
あれ?こんなに苦かったっけ?と首を傾げた。
琴子先生のちょっとした違和感をこの時追及していたら、この後の騒動を起こすこともなかったかもしれない。
それまで控えめに話していた琴子先生は、途端に舌が回るような気がしてきて、調子よく話し出した。
幼稚園教諭という肩書は、案外会社勤めには受けがいいことも知った。子ども好きで世話好きと思われているからだ。
そんなわけで、乗せられて話しているうちにどんどん調子よくなってきた。
「わたしのウーロンハイは〜?」
琴子先生の隣で注文を確認する声が聞こえたが、ウーロン茶とウーロンハイの区別がすでについていない琴子先生には全くその声は届いていない。
「そうなんれすよー、いっつもしかめっつらでぇー、こーんな顔してるんれす」
誰の物まねなのか、琴子先生は眉間にしわを寄せている。
マキ先生は隣で「似てる似てる!」と大はしゃぎだ。
「頭悪いのはあたしのせいなんれすかねー」
その通りだと誰もが心の中で突っ込んだが、あえて声を出さない。
「あらしらって、努力はしてるんれすよー」
琴子先生の口が回っていないがしゃべりは軽快で、マキ先生はウーロン茶を飲んでいるとばかり思っていた琴子先生が間違ってウーロンハイを飲んだことに気が付いた。気が付いたがすでにどうすることもできないくらいますます絡み酒に近くなってきたため、ここでいったんお開きということになった。
琴子先生は「いっつもひろいころばかり言うんれすー」とさめざめと泣きだした。さすがにマキ先生もお酒を飲ませるとまずいという話が理解できたようだ。
ここで放り出して家に帰れるのかどうか。
テーブルに突っ伏してさめざめと泣くはた迷惑な酔っぱらいをどうやって連れて帰るのか。
かわいく酔ってくれれば、誰かがお持ち帰りも可能だというのに、これでは誰も寄り付くどころか誰かが引き取るのを固唾をのんで駆け引き状態である。
ところが、なんとそこにしかめっ面をした救世主が現れた。
そりゃもう偶然も偶然、先ほどの物まねした顔のように眉間にしわを寄せてこちらを凝視していた。
そのそばには年配の女性、よく似た顔でぎょっとしたように見ている少年、恰幅の良い男性だ。
「あっら〜、琴子ちゃん!どうしてこんなところに!」
琴子先生をどうしようかと持て余し気味だった一行は、その救世主に縋りつくどころか丸投げすることにした。
「直樹先生!いいところに!」
「…こんばんは」
一応社会常識として知り合いのマキ先生に言われれば、挨拶くらいはする。たとえその顔が盛大に嫌そうなしかめっ面だとしても。
マキ先生はざっと見て直樹先生の家族であり、理事の一家であることはわかったが、こんな姿の職員を見せて琴子先生は首にならないだろうかという心配もよぎった。しかし、直樹先生の母である女性が親しそうに琴子先生の名を呼んだので、これ幸いとばかりに押し付けることにした。
「琴子先生酔ってしまって」
その言葉を聞いた瞬間、直樹先生の目がカッと見開いたように見えた。
「こっわ〜。顔はいいのに噂通り…」
先ほどの酔ってかました愚痴を聞いていた面々は、小声でそう言い合った。
「いえ、飲ませるつもりではなかったんです。ウーロン茶とウーロンハイを間違えて口にしてしまったみたいで。こんなにお酒に弱いとは思っていなかったんです」
言い訳をしていると、直樹先生の母が「あら、もう大丈夫よ。琴子ちゃんは私が責任を持って連れて帰りますから」とにっこり笑った。
マキ先生は心底ほっとして「ありがとうございます。お任せします。琴子先生の家もわからなくて困っていたんです」とそそくさと逃げるようにして皆帰っていったのだった。
テーブルには一人、突っ伏して眠っている琴子先生が残された状態だ。
「あら、まあ、酔いつぶされちゃったのねぇ」
事実は若干違うが、誰も否定する人はいないので直樹先生の母、紀子の言葉だけが響く。
「だれかがかわいい琴子ちゃんをお持ち帰りしようとやりすぎちゃったのね」
「こんな悪酔い女、誰が好き好んで持ち帰るんだ」
直樹先生のつぶやきはまるっと無視されて、「ほら、直樹、早く」と琴子先生を抱えるように促した。
やっぱり俺か!と直樹先生は怒りを込めて、琴子先生が何かの荷物であるかのような持ち方をした。
実は直樹先生、ここで合コンがあることなど本当に知らなかった。
あの話を聞いてしまった直後はちょっと考えたが、自分には全く関係がないことに落ち着いて、忘れていたのだ。
偶然家族で同じ店でちょっとした食事をした後、困っている面々が開け放した個室の扉から中がつい見えてしまったというわけだ。
その前に聞き慣れた酔っ払い口調に嫌な予感しかしなかった直樹先生だったが、同じくその口調に聞き覚えのあった直樹先生の母が野次馬根性でのぞいて見つけた、というわけだ。
内心、なんなんだこの偶然、と盛大にため息をつく。
「最悪だな、この酔っ払い」
直樹先生の弟、裕樹は生意気盛りの少年だ。直樹先生をお手本にするように口が悪い。
「良かったわね、車で来ていて」
二人の母、紀子は全く気にもせず、抱えられた琴子先生を入江家の車に乗せ、堂々と入江家へ連れ帰ったのだった。

(2018/09/12)