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ピンポーン。
『はい』
「斗南家政婦紹介所から来ました、家政婦の相原です!」
「…イリエです」
ガチャリとその家の扉が開いた。
「あ、ああ、どうぞ」
その家の住人は、思わず二人の家政婦を見た。
一人は髪の長いかわいらしい感じだったが、もう一人はやけに背の高い、それでいて凄味のある美女だった。
* * *
「うわあ、すごいおうちですねぇ」
「あ、ああ、まあ、一人では何かとこの家を維持するのも大変でね、おまけに僕は仕事で忙しくて、手が回らないんだ」
「大丈夫ですよ、私たちがきちんとおうちをきれいにさせていただきますから」
「うん、頼むよ」
その家の住人は、陽気でおしゃべりな相原の隣でひっそりと観察している様子の家政夫のイリエを見た。
…でかい。
本当に女か?
いや、でも、やけに美人だ。
これが男なら、世の中の女がかわいそうなくらいに。
「と、ところで、イリエさんは何かスポーツでも?」
「いえ。どうしてですか」
チラリと家政夫のイリエが家主を見た。
「あ、すみません、その」
「ああ、イリエさんはテニスをしていたんだそうですよ。それはものすごく活躍したそうで」
「へ、へ〜、テニスですか。意外だな」
「意外でしたでしょうか」
「あ、そんな、すみません。背が高いのでモデルさんか何かしていたのかと」
「…ご想像にお任せいたします」
家政夫のイリエはしれっとそう答えた。
* * *
「それにしても、それほど汚れていませんね」
部屋の中を見渡して相原が言った。
「それはどうかしら」
そう言ってクローゼットを開けると、中からどっさりと出てきた洗濯物。
「わぁ!」
相原は目を丸くした。
「これ全部洗うの大変ですね〜」
そう言って洗濯物を運ぶと、洗濯機に洗剤を入れた。
「あ、柔軟剤が切れてますよ」
「そういうときは」
家政夫のイリエが台所からとあるものを取り出した。
「重曹を大さじ一杯入れるだけで汚れ落ちを良くして柔軟剤の代わりになります」
「でもそれクッキング用では?それに、こっちのベーキングパウダーも重曹の代わりになりませんか?期限切れてますけど」
「重曹のクッキング用と掃除用では、きめの粗さと食用にできるような過程で作られたかどうかで、中身に違いはございません。ベーキングパウダーにはコーンスターチなどが入っているため、掃除には向いていませんが、こうして膨らまなくなったベーキングパウダーは臭い消しとして、もしくは入浴剤の代わりとして使用することができます」
「はぁ…そうなんですか」
どちらにしても普通の独身男性の家に重曹なるものは普通置いていないと思われるが。
そこへ洗濯物を隠していたことにばつが悪くなったのか、様子を見に来た家主が、家政夫のイリエが持っている重曹を見て言った。
「ああ、それね。おふくろが来た時に置いていったなぁ。掃除にも使えるからって。掃除なら洗剤もあるのにさ」
家政夫のイリエの目が怪しく光った。
「お母さまは、さぞかし古風な掃除好きな方なのでございましょうね」
ひくっと家主はひるんだ。
「あ、ええ、まあ」
* * *
「でも洗濯って案外時間かかりますよね」
「今日は天気がいいので、脱水は短めの三分で十分です。それにしわの防止にもなります」
「でも脱水短いと水分が多くて、洗濯物がたくさんあると重いんですよね〜」
「心配には及びません」
そう言うと、あらかじめ洗濯機から取り出しながらおもむろにたたみ始めた。
「えー、今から干すのに?」
「こうしてあらかじめたたんでおいた方が、後の仕上がりがより一層きれいになります。でも、時間のない方にはやはり手の平で挟んでたたくのが効果的です。さらにたたんだ洗濯物は、一度上下をひっくり返せば洗濯物自身の重みでしわが伸びます」
「だから、重いんだってば」
そう言う相原の目の前で、家政夫のイリエが洗濯物が山ほど入ったカゴをぐっと力強く持ち上げた。
「さすが…」
相原が感心している間に、家政夫のイリエは黙々とベランダで洗濯物を干し始めた。
そこへ家主が。
「あっと、相原さん、もしよければこちらの方を手伝ってもらっていいかな」
「はい、かしこまりました」
ベランダに家政夫のイリエを残し、相原は家主の後をついて物置へ。
「これなんだけどね。どうやって片付けたらいいか」
確かに家主の言う通り、物置には雑多なものであふれている。
「それでは、あたしが片付けて、ついでに掃除もしておきます」
「助かるよ。何せ年末になるというのに、どこから手をつけたらいいかわからなくて」
「わかります、わかります。思い出の品なんか出てきてしまったら、ついつい見入ってしまって」
「あはは、まあ、そんなところだね。ところで、相原さんは誰か付き合っている人はいるのかな」
「え、あたしですか」
「そう…って」
その瞬間、家主はものすごい勢いで振り向いた。
「お洗濯、終わりました」
そこには、物置の入口から見張るようにして眼光鋭い家政夫のイリエが立っていたのだった。
「あ、ああ、ありがとう。えーと、それじゃあ…」
「こう見えて力持ちなので、力仕事もお任せください。それから、高いところの掃除もお任せください」
「あ、ああ、そうだろうね。じゃ、じゃあ頼むよ」
家主は何かわからない圧迫感を感じて、物置からそそくさと立ち去った。
「お任せくださいませ」
丁寧に頭を下げた家政夫のイリエの表情はよく読めない。
相原は気にせず物置の箱をどかそうと奮闘していたのだった。
「あ、これ見てくださいよ、イリエさん」
何かを見つけた相原が家政夫のイリエに声をかけた。
「これ、家主と…彼女?」
家政夫のイリエは相原が持っていた写真を横目でチラリと見てから、さも興味なさそうに片づけを続けている。
「結構女物があるんですよね〜。代々の彼女のものとか?」
フンと家政夫のイリエは鼻で笑った。
「男は前の彼女のものも保管しておく、というのはよく言われますが、果たしてどうでしょうか」
「あたしなら、捨てちゃうかな〜」
そう言いながら、相原は写真をそっと棚に置いた。
相原が後ろを向いたすきに、家政夫のイリエがその写真をすばやくエプロンのポケットに忍ばせた。相原はそれに全く気付く様子はない。
ひとしきり二人で片付けると、仕上げとばかりに家政夫のイリエは棚の撮影を始めた。
「何してるんですか、イリエさん」
「こうしておけば、荷物をひっくり返すことなく、どこに何をしまったかがわかります。いちいち物置に入らなくても置いてある場所と保管してあるものがわかるので、同じものを買ってしまうというリスクも防げます」
「なるほど〜」
そこへ家主が様子を見に現れた。
「あ、すごい、きれいになったね。うん、さすがだよ」
家政夫のイリエは頭を下げた。
「いたみいります」
しかし、家主は先ほどよりさらにそわそわとしている。
「他に用事がございますでしょうか」
「えーと」
家主は相原の方をちらりと見て言いにくそうにした。
「実は…」
「あたしにできることでしたら、何なりと」
相原は張り切ってそう答えた。
「それじゃあ、ちょっと妻の役をお願いしたいなと」
「ええ?!妻?!」
家政夫のイリエの目がきらりと光った。
「どういったご事情でしょうか」
「実は、家を掃除してもらうことになったのも、母が上京してくるんだけど、あまりにもうるさいからつい婚約したと勢いで言ってしまったんだ」
「はぁ…、なるほど」
しばらくうーんとうなった後、相原は「わかりました。一度だけなら」と承諾したのだった。
(2016/12/31)
To be continued.