家政夫のイリエ




あれこれ検討した挙句、相原が家主の母と会うのは、家主の母が滞在している数時間に絞ってもらい、外では会わずに家主とともに家で待つことになった。

「でも、大丈夫でしょうか」
「もちろん迷惑をかける分、迷惑料として上乗せして支払いさせてもらうよ」
「ええ、それはうれしいんですが」

相原は助けを求めるように家政夫のイリエを見た。
家政夫のイリエは行け!というように顎を振っている。

「わかりました!どんとお任せください」

そう言って相原は胸を張ったが、いまいち不安が残る。
ともかく、もう一度設定を確認してから臨んだ方がよさそうだ。

 * * *

聞いてない、と相原は顔に笑顔を必死で張り付けた。
目の前には上品そうな女性。
これがおそらく家主の母と思われる。

「それで、相原さん、うちの東馬とはいつからのお付き合いでしょうか」
「そういうのはこの間話したと思うけど?」

家主は慌てて自分の母を遮ろうとしているが、家主の母はひるまない。
相原はそこまで根掘り葉掘り聞かれると思っておらず、実は家主の話の半分も覚えていなかった。若干自分にあまり関係がないと思われることには記憶力が発揮されないところが、相原の残念なところだ。学校の勉強もそんな感じだった。

「はい、い、一年前からです」

そう答えた相原は、解答の答え合わせのように家主をちらりと見た。
家主はうなずいた。
どうやら一問目は正解のようだ。

「それで、お勤めは斗南商事、でしたか?」

どこだ、それは、と相原は思わず首を傾げかけた。…が、家主の咳払いによりハッと思い出した。

「そ、そうでした」
「そうでした?」

家主の母がその返答に目を細める。

「いえ、そう、です!」

おそらく家主の母の理想とする上品そうなどこかのお嬢様とは程遠いが、この際元気で明るい娘風を装うことに路線変更した。
返事はハキハキと。笑顔で。
まるでかつて苦しんだ面接のようだと相原は内心冷や汗だらけだ。
それ以上に地雷原を進むがのごとく緊張している家主の様子がうかがえる。

「失礼いたします」

そう言って緊張に満ちた部屋に家政夫のイリエは入ってきた。手にはお決まりのお茶の類だ。

「あら、この方は?」

家主の母は見上げた女性(?)が見慣れないので、家主に聞いた。

「ほ、ほら、電話でも話したと思うけど、僕の家があまりにも散らかっていて、婚約者の琴子さんにさえ恥ずかしくって、臨時できてもらっている家政婦さんだよ」
「まあ、そうだったの」
「家政夫のイリエです」

家主の母に対して軽く頭を下げ手膝まづくと、紅茶、コーヒーとそれぞれの好みに合わせてテーブルの上に置いていく。

「でも、そういうところをこれから結婚するという人に隠していてはだめよ」
「ほ、ほら、結局ばれちゃったしさ。それはいいんだ。とにかく今回は母さんが来ると言うから急いで片付けなくっちゃいけなくてさ」
「相原さんは家事はお得意で?」
「はいっ!」

これには元気よく答えた。
その瞬間、お茶類を配り終えた家政夫のイリエの方から「ぷっ」という音がした。
相原にはわかっていた。
家政婦紹介所から来てるのだから、それくらい大見得を切ってもいいだろうと答えたのだが、同じように派遣されている家政夫のイリエには相原の所業は全てばれているからだ。
あの程度で得意とはちゃんちゃらおかしい、といったところの噴き出しだろう。
家主の母は一瞬眉をひそめたが、家政夫のイリエの持ってきた紅茶を一口飲んで「あら、おいしい」と思わず声を出した。

「これほどおいしい紅茶は最近飲んでないわ。どんな茶葉を使っているのかしら」
「キッチンにあったごく普通のメーカーのものでございます」
「そうなの。それなら淹れ方が上手なのね」
「いたみいります」

家政夫のイリエはそう言って軽く頭を下げると「では失礼いたします」と立ち上がった。
その瞬間、家政夫のイリエのそばに落ちた何か。

「あら、何か落としましたよ」
「あ…失礼いたしました」

家主の母が拾って家政夫のイリエに手渡す前に、その写真に目が釘付けになったようだ。
他人様の写真を見るなど上品なことではないが、その写真には家主と他の誰かが写っていたのだから仕方がないだろう。

「これは…どなた?なぜあなたが?東馬?」

写真を握ったままの矢継ぎ早の質問に、家主も相原も首を傾げている。

「何を言って…あ…!」

家主は慌てた。
なぜ今その写真が!といったところだろう。
相原は気づいた。

「あ、その写真、物置にあった…?」

つい口が滑った。
家主は相原を見た。

「あ…」

しまったと相原が思った時には遅かった。
家主の母が冷たい目で家主と相原を見ている。

「申し訳ありません、その写真は私がまだ整理中でございまして」

家政夫のイリエがさりげなくそのほかの写真もばらまいて、いかにもばらまいてしまったというような仕草でしゃがみ込んだ。

「イリエさん、そのお写真もちょっと見せてもらえるかしら」
「でも、これは家主様の大事なお写真ですので」

そう言いながら、肝心の写真は家主の母に見えるようにして拾い上げている。

「そ、そうだよ、今は関係ない写真だから片付けてもらってるんだよ」

床に散らばったのは、家主と様々な女性のツーショット写真だ。

「うわあ、すごい」

相原は思わず足元に落ちていた写真をいくつか拾ってみた。
よりによってほとんどの写真の女性が違っている。

「そ、それは僕が仕事上で知り合った女性で、べ、別に全部と付き合っていたわけでは」
「でもこれなんかラブラブですよねー」

相原が手に取った写真は、手に腰を回していてとても取引先の女性とは言えないほど親密だ。

「琴子さん」
「あ…でも、あの」

つい家主の婚約者設定を忘れてしまう相原だ。
この場合、婚約者としては怒るべきだろうか、呆れるべきだろうか、茶化すべきだろうか。
悩んだ挙句、怒る、を選択してみた。

「ひどい!えーと、と、とんまさん」

隣から家政夫のイリエが「とうま」とツッコミが入った。
間違えにしてもひどいが、相原は必死で、家主にしてもここで茶々を入れるわけにいかない。

「ま、待ってくれ。今は全く関係ない人たちだよ」

相原はさらに考えた。
怒ってはみたものの、この先をどうすればいいのだろうと。

「ちょっと待ちなさい」

そこでようやく家主の母の采配が入った。

「東馬、それらは全部おつきあしていた方たちではないの?」
「ち、違う。いくらなんでもこんなに大勢ととっかえひっかえ」
「相原さん、あなた、本当に東馬と一年お付き合いしているの?」
「えーと、あのー、そのー、も、もちろんです」
「当然だよ」

家主と相原の様子に疑わしい視線を向けてから、家主の母はふうっとため息をついた。

「どちらにしてもそんないい加減なお付き合いを続けるつもりなら、さっさと結婚してしまいなさい」
「ええっ」
「うっ」

さすがの家主と相原もこれには声を上げた。

「あら、すぐに結婚してはまずい事情でも?」

反対されるならともかく、まさかすぐの結婚を勧めてくるとは思わず、家主と相原の二人は顔を見合わせた。

「いや、婚約したとはいえ、彼女の方にもいろいろ準備があって」
「ええ、その、ブ、ブラ…チェックを受けないと」
相原が焦った末に大いに間違った。これには家主も飲みかけたコーヒーをブッと噴き出した。

「…ブライダル」

噴き出されたコーヒーを素早く拭きながら、家政夫のイリエは眉一つ動かさずに訂正を入れた。

「ええ、そのブライダルです」
「まあ、相原さんも跡取りを産んでもらうとなれば、そういうのも必要かもしれませんが」
「そ、そうですよねー」

相原は愛想笑いをして息を吐いた。
やばい、非常にやばいと目一杯顔でSOSを送ったが、家政夫のイリエは涼しい顔でコーヒーを拭き終えるとさっと立ち上がった。
え、行っちゃうの?という相原のすがるような目線も意に介さず、「それでは、失礼いたします」と無情にも出ていってしまったのだった。

「では、相原さん、どちらにしてもいい式場は早く押さえないといい日は取れませんのよ」
「は、はあ」

なんとなくうなずいてから、はっとする。

「い、いえ、まだ、その、式場予約までは、は、早いかなーとか」
「まあ、ではうちの東馬では不満だと?」

相原は黙って家主を見た。
家主は満面の笑みでうなずく。
相原はがっくりとうなだれながら「いえ、そういうわけでは」と答えると、家主の母は眼光鋭く相原を見た。

「いえ、光栄です!」

相原は叫ぶようにして答えざるを得なかったのだった。
一体相原のどこを気に入ったのか、もしくは何か策略があるのか、あっさりと結婚承諾をした家主の母。
家主は全くこの芝居をやめる気がない様子だ。
相原は、このままでは本当に結婚させられてしまうのではないかと危機感を募らせることになった。

(2017/01/07)

To be continued.