ドクターNと美の秘宝5
消えると思ったんだけどなー、桔梗君の噂。
僕と桔梗君の妖しい噂はあっさり消えたんだけど、逆に怪しい噂に変わった。
なんだよ若返りの秘訣って。
そんなの皆いろいろやってるだろうに。
で、桔梗君と親しい人はもれなく同じ目にあっている。
一番被害に遭いそうな琴子ちゃんは産休中。
次に親しいのは、多分品川君。
品川君は嫌そうにエステ行って、どこそこの化粧品を使って、と一応答えたらしい。誰もそんなこと聞いてるんじゃないって怒られたそうだ。
じゃあ、何なのよ!と切れたら寄ってこなくなったそうだ。
そばにストーカー並みの魔王の同期がいたせい、とも言う。
小倉君はにっこり笑うだけでそれ以上誰も近寄らず、鴨狩君は俺に聞くなと一蹴したらしい。
そして、同じく飲み友達と知れ渡った僕のところにまで人は押しかけてきたのだった。
いや、僕も医者なんだけども。
魔王と同じく恐れ多い存在じゃないわけ?
結構忙しそうに見えない?
僕に聞いてどうするわけ?
いや、それよりも僕からなら聞き出せると思ってるその根拠と自信はなぜ?
ちなみに後輩魔王はそんな目にあっていない。
なぜって魔王だからだ。
そりゃ魔王にそんなこと聞くやつはいない。
そんなわけで、僕は今日も回診に訪れた病室で老いも若きも年齢問わず、時には男女の区別なく若返りの〜とか、美しさを保つ方法とやらを聞かれるのだった。
桔梗君に聞けばいいと思うでしょ。
こんなタイミングで桔梗君はいないんだよ。
例の人と本当は南国旅行に行くつもりだったとかで、傷心旅行に切り替えて遠慮なく行ってしまったのだ。
残された僕は、何か怪しい宗教にでも通っているかのように皆に問い詰められ、ぜひその秘訣をとか、ちょっとくらい教えてくれてもとケチ呼ばわりされている。
だーかーらー、僕はそんなものには関わってない。
というより、それをやったからってみんな同じ効果が出るなんて思うわけ?
というようなことをつい口走ってしまったものだから…。
それ以降、僕が酷い、と噂が立つことになった。
いや、なんでそうなるの?
誰も口をきかないオペ室は、思ったよりも快適だった。
オペ室ナースの皆さんは、冷たいながらもちゃんと仕事はしてくれるしね。
後輩たちはもとよりそんな噂なんて気にも留めないやつらだし。
カチャカチャと器具の音と僕の指示する声だけが響くオペ室。
これこそ本来の医療のあり方だよ、うん。
つつがなくオペも終わって、「いやあ、お疲れさま」と声をかけたけど、誰からもねぎらいの声はない。
黙って頭は下げてくれるけど、いつものように「見事な腕前でした」とか、「今日は早かったですね」とか、軽口すらもない。
…いや、ほんと、なんで?
ねぎらってくれよ〜〜。
患者を迎えに来た品川君はあきれた顔で言った。
「つまり、かまってほしいわけですね」
「そんなつもりで言ったわけでは」
「本当に素晴らしいオペなら、きっとみんな感嘆してねぎらわずにいられなくなりますよ。ほら、あんなふうに」
そう言って示した先には、ちょうど同じくオペが終わったばかりの後輩魔王の姿があった。
「素晴らしかったです。あんなに早く正確なオペ、初めてです…」
「三輪さんの手技もさすがでした。ありがとうございました」
「そんな…」
なんと、ベテランオペナースの三輪さんが、僕のオペじゃなくて後輩魔王のオペについていた挙句(難しいオペほどベテランが付くことが多いんだよ…)、なんだか最大限の賛辞を送っていた。
僕、三輪さんに今までそんなに褒められたことないんだけどな。
「ほらね。あの評価の厳しい毒舌三輪さんですら、あれですもん」
品川君、君の三輪さんに対する評価も相当厳しいけどね。
「つまり、思わず褒めてしまうほどのオペをすれば、誰でもつい先生が酷い、なんていう評価なんて吹き飛ぶわけでしょ」
そりゃそうかもしれないけどさ。
そもそもその酷い、という評価すら僕には当てはまらないはずなんだけど。
そもそも若返りの秘訣なんて知らないわけだし。
君だってそうでしょ?
「知りませんよ。いつでもへらへらと誰にでもいい顔しようとするからそうなるんですよ」
「だいたい医学的に若返りなんてあるわけないんだから、常識的に考えてもわかるでしょ」
本当に、この科学的な塊の病院に入院してるんだからさ、気が付いてもよさそうなもんだけど。物理的に整形するならともかく。
若返りは無理でもアンチエイジングくらいでやめておけばいいのに。
あ、でも、琴子ちゃんって、あれでウン十ウン歳…(詳細は彼女のために控える)。
絶対彼女のほうが物理的に何かアンチエイジングやってそうだけど。
あの御母堂も異様な若さ保ってるし。
あの一族、怪しい…。
それとも、やっぱり魔王のせい?
その数日後、今度は桔梗君が整形した疑惑がもちあがった。
「ちょっと、誰のせい?」
常夏の国から帰ってきた桔梗君は、とうとう女の身体になって帰ってきたと噂が広がった。
いや、そんなこと一言も言ってないし。
そんな数日の旅行でちょん切れるわけないだろ。
というのがどうも一般常識ではわからないらしい。
なぜならみんなちょん切ったことなどない人ばかりだからだ。
しかも二重整形程度ならしたことある人も、それなら一週間もあればとかなんとか言いだしたものだから、すっかり桔梗君は心だけでなく、ついでにとある南国で身体まで整形してきたと勘違いされたままだ。
どんなに否定しても信じてくれず、おまけに証拠と言ってもまさか見せて回るわけにはいかず、桔梗君は随分と苦労しているようだ。
とうとうぶちぎれた桔梗君は吠えた。
「いったい誰がそんな噂を!」
何人かが誰それから聞いた、と矢印は徐々に狭まり、最終的に行き着いたのは、なんと僕だった!
「え、言ってないし!」
まさか、あの、ひとりごと…?
真偽はともかく、桔梗君は僕を冷たい目で見た挙句、買ってきてくれたはずの南国土産は目の前で取り上げられ、さらに「旅行前に迷惑かけたみたいだから、せっかく入江先生に琴子の赤ちゃんの件でとりなしてあげようと思ったのに」というありがたい言葉は当然のことながら「永遠に却下」とされたのだった。
「いや、そんな、整形なんて、桔梗君がするわけないなんてこと、僕はよおく知ってるし」
「ええ、ええ、そうでしょうけど、それでも、噂の出どころはどうやら先生のようですし?」
「誤解だって!長い付き合いなんだからわかるでしょ?」
「またそういう誤解されそうなセリフを」
「付き合ってないし!」
僕は周囲の人間に急いでアピールする。
いったい何人の人間が誤解したのか、真実を理解しているのか定かではない。
その結果。
僕は桔梗君に若さの秘訣を知るために付き合いを持ち掛けてふった酷い男で、傷心の桔梗君は身も心も女になろうと健気な女心で南国に行き某手術を済ましたのに、またもや僕にもてあそばれた、というありえない噂が病院中を駆け巡ったのだった。
絶対、誰も信じてないだろ?
面白おかしく噂してるんだろ?
そして、さらに。
魔王の周りでひそひそと噂される。
直接魔王にはいかない。
なぜって、魔王だから!
魔王の秘術で琴子ちゃんは若さを保っているという噂。
魔王の何がいいのか、それはわからない。
何かのエキス…いや、ごほん、ちょっとこれ以上はやめておこう。
そしてこれは、入江家最大のタブー事項となるのだった。
美の秘宝とは…愛だよ、愛!
…多分ね。
(2021/08/13)
Fin