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パンダイ王国、とある地方の領地には、慎ましく領民とともに暮らしている子爵家がありました。
子爵夫人は残念ながら病で娘が幼いころに亡くなり、人の好い実直な子爵の下で育った娘は、領民に愛されながら少々お転婆な、それでいて愛嬌のある令嬢に育ったのでした。
そして、貧乏なゆえにちょっとした商売を始めた子爵は、領民たち協力のもと、領地からとれる作物を元手にした商売を始め、貧乏ながらもなんとか暮らせるようになったのでした。
さて、その子爵、名前をシゲーオ・フグ・アイハラと申しまして、春の頃に王都で開かれる祭りに合わせて久々に国王への謁見となり、社交デビューを間近に控えた娘とともに王都へと向かったのでした。
もちろん唯一持っている子爵家の古びた馬車で、本来なら三日ほどもかかるところを経費節減のために強行二日で王都にたどり着きました。
子爵家の城下での住まいは、商売のためにあつらえたこじんまりとした屋敷です。
おそらく商売繁盛している商家のほうが広いくらいの屋敷で、せいぜい屋敷を管理する男しかおりません。
それでも誰もいないよりはましです。
そして王城からより地位の高い方々の家を一等地とすれば、アイハラ子爵家は商業地域に一番近い地区にあるのです。
アイハラ子爵家としては願ってもない場所で、王都での謁見に備えて準備をする傍ら、商売にも精を出すのでした。
とはいっても店を持つほどの甲斐性はまだなく、身分を隠してひっそりと市場で店を出しているくらいです。
もちろん子爵自ら市場に立つというのは、知られれば顔をしかめられることでしょうが、かなり庶民的な顔立ちであったのも幸いしたのか、今のところとがめられたこともばれたこともありません。
おまけに娘である子爵令嬢も父の姿を見習い、自ら市場で商売を手伝っているという、非常に仲良し親子でもありました。
もちろん市場で顔を合わせる周りの者は、庶民的でありながらちょっとしたところに育ちの良さをうかがわせる何かを感じ取ったのか、薄々どこかの貴族かもしれないという考えはありましたが、何よりも二人の庶民的なところを気に入っていたので、誰も気にしなくなったのでした。
「シゲーオ様」
こっそりと執事がやってきて、シゲーオの耳に「そろそろお時間でございます」とささやいた。
もちろん執事も市場に来る以上いつもの姿ではなく、それなりの格好ですが、その姿勢の良さはどう頑張ってもその辺の使用人には見えません。
しかし、どこかの商店の代理店主風といえばそれなりの人物に見えます。
「わかった」
もちろん執事の立場では、いつまで子爵貴族の当主が市場で店番をと思わないでもなかったのですが、市場での手応えはそのまま商売につながることを思えば、頭ごなしに反対もできず、なかなかに苦悩している状態なのでした。
「それでは、店仕舞いを頼む」
そう言えば、執事は額にしわを寄せて「それが…」と言いよどんだ。
「お父さん、お待たせ。店番交代するわ」
庶民的に髪をひとくくりにした娘が現れ、シゲーオはちょっとだけため息をついた。
年頃の娘を(しかも一応貴族令嬢)を店番に出すなど、どうかとは思うが、後ろに控えた使用人の姿を見てあきらめた。
やる気満々の娘に「くれぐれもお釣りを間違えるなよ」という年頃の娘に忠告するには何か間違った言葉を告げ、シゲーオは使用人に頼むとうなずいて市場を後にしたのでした。
さて、娘である子爵令嬢が店番を交代して愛想よくしていると、案外娘目当ての客もちらほら寄ってきます。
田舎暮らしとは言え、愛嬌のあるかわいらしい子爵令嬢は、市場でも人気なのです。
「はい、いらっしゃいませ」
城下の農家にはとれたて野菜では勝負できず、苦肉の策で野菜を無駄にしないために作られた保存食が市場で評判になり、今となってはアイハラ子爵領のものに勝るものはないとまで言われるようになったのです。
とはいうものの、貧乏なのは相変わらずで、アイハラ子爵家は細々と地味に暮らしているのでした。
そこへお忍びで現れたのは、いかにも貴族の奥方風の女性。
女性はお付きの者とともに市場のあれこれを楽しそうに見て回っておりました。
「まあ、これはおいしそうね」
だとか、
「あら、これもう一袋いただける?」
などと買い物を楽しんでいる様子もあります。おまけに買い慣れた風で、何度か市場に訪れている様子もうかがえます。
そのうち、子爵令嬢のところにまでやってきました。
「産地直送ですよ〜」
もちろん子爵令嬢もここぞとばかりにアピールします。貴族の奥方様に認められれば、売り上げも伸びるというものです。
「これは?」
「ええ、これは野菜を保存するための知恵から生まれたわが領地の特産品ですわ、奥様」
「これが噂の」
「え?噂?」
「そうよ。最近ではこれを肉やパンに挟み込んでいただくのが健康でおしゃれと言われているのよ」
「まあ、そうなんですか。大変光栄なことです、奥方様」
「それに一緒にレシピも配っていたでしょう。とてもわかりやすくて、近頃では各家でオリジナルレシピが生まれるきっかけとなったわ」
「そうでしたか。おかげさまでいくつかの貴族様には御ひいきにしていただいております」
「でも、こんな風に簡単にレシピを教えても大丈夫なの?売り上げが落ちたりはしないの?」
「ええ。いいんです。それほど難しいレシピでもありませんし。それに、当家オリジナルの商品はどこにもまねできない味だと自信をもってお勧めできます。
よかったら試食してみますか?」
そういって子爵令嬢は瓶を開けかけたが、隣にいたお付きの者が顔をしかめたのを見てはっと気が付いた。
「あ、そうでした。毒見もなしに失礼いたしました」
お付きの者がうんうんとうなずく。
「では、わたくしが毒見を」
いや、そうじゃない、とお付きの者が子爵令嬢を見たが、やや空気を読むのが下手な子爵令嬢は瓶のふたを苦労して開け、中に入っていた食材を一つとってもぐもぐと食べて見せた。
「この通り、たくさん並んでいたうちの一つで、さらに瓶で密封されていたものですから、毒は入っておりません。よろしかったら、おひとついかがですか。お気に召しましたらどうぞお買い上げください」
差し出された奥方様は一瞬目を丸くした後、笑って子爵令嬢から受け取った。
そして、お付きの者が止める暇なく食したのでした。
「あら、本当においしい。うちの者も少しは見習えばいいのに」
「でしょう!本当にお父様の作るものは…」
と言ったところでお付きの者が今にも殺さんばかりに子爵令嬢をにらみつけているのに気が付きました。
「あわわわ、えっと、その、し、失礼いたしました!」
「失礼なことなんか何もないわよ」
「いえ、でも、その、そこの方が…」
奥方様は「まあ!」とちょっとそのお付きの者をにらみ返して言いました。
「いいのよ、これは気にしなくて」
「気にするな、と言われましても」
もしかしたらとんでもなく高貴なお方かもしれないと、子爵令嬢はようやく気付いたのです。
「ここにあるもの、全部いただこうかしら」
「はいっ、ありがとうございます!」
「これ、王城へお願いね」
「お、王城…?」
子爵令嬢は、言われた意味にようやく気が付きました。
「ひぃ、ま、まさか」
「いいのよ、気にしなくても」
そんなわけにはいくまい、と後ろの使用人ともども青ざめて、子爵令嬢は少々震えながら品物を渡すと、深々とお辞儀をして「お買い上げ、ありがとうございました。後ほど、お届けさせていただきます」とお礼を言ったのでした。
店の品物が一気に全部売れてしまったので、子爵令嬢は店を片付けることにしました。
品物は執事に任せればいいとして、店番としては店をこのままにしておくわけにはいきません。
まだ震えのおさまらない手で早々に店仕舞いを行っていると、ガッチャンガッチャンと少々周囲の店に迷惑ではなかろうかという不器用さです。
「どないしたんや、コトー」
「あ、あら、キーン。ちょっと、もう品物が売り切れてしまって」
そう言う子爵令嬢は、名をコトリン・フグ・アイハラと申しましたが、うっかり者の子爵令嬢はフルネームを名乗りかけ、コトー・リンと苦し紛れに自分の名を告げることになり、市場で粉もの食の店を構えているキーンは、ちょっと羽振りのいい商家の娘と思っておりました。
どちらにしても普段は子爵領に住んでおり、城下には滅多なことでは訪れないため、多少の誤解はさほど問題はないだろうと思っておりました。
それにしても、まだ品物が残っている状態で売り切れとはどういうことかとキーンは訊ねました。
とある高貴な方がまとめて買ってくれたとの話をすると、それは時々お忍びで現れる城の誰かだとキーンは言いました。
その誰か、が問題で、とコトリンは冷や汗を流しました。
少なくともお城に一度だけあいさつで見た、一番尊い席に座っていたお方ではなかろうかと気づいたのです。
よく覚えていた、と自分で自分をほめたコトリンでしたが、どちらかと言うとその隣に座っていたひどく不機嫌な顔をした王太子殿下の美しさに見とれていたせいでもありました。
王太子殿下に目をやると、その隣には皇后様。
美しい、というのは王太子殿下の描写として間違いではありません。
近隣国にまで響き渡る見目麗しい容姿を持ち、その頭脳は冴えわたる聡明さ。加えて武芸にも秀でていると言えば、これ以上にないほど完璧な王太子殿下なのです。
ただ、いつも機嫌がよろしくないのです。
舞踏会の会場で笑った顔を見た者は皆無、という噂です。
おまけに本来ならすでに王太子妃候補とされている公爵令嬢との噂もどうやらライバルの侯爵令嬢に邪魔をされたとかなんとか、女関係に関してはいい噂は聞こえてきません。
近隣諸国の姫が先を争って政略結婚の企みをしているとかいう噂もあり、一般庶民とほぼ変わらない子爵令嬢ごときには、王太子殿下の顔を拝めただけでもありがたいことだったのです。
とてもじゃないですが、その数多いるライバルたちを蹴散らかして妃の座に収まるのは並大抵のことではありません。
ただ、その肝心要の王太子殿下と言えば、妃になる者は自分で選ぶと牽制したため、いまだ婚約も済んでいない状態だったのでした。
どちらにしても、コトリンには全く関係のないこと、としてコトリンは城下で買った王太子殿下の絵姿だけを大事にしておりました。
本物の冴えわたる美しさを写し取るには少々物足りない絵姿ではありましたが、それがコトリンに買える精一杯のものでしたので仕方がありません。
いずれ訪れる社交シーズンには、いよいよデビューとなるのですが、顔を上げて間近でじっくり顔を見られるものかどうかすらもわからない貧乏子爵家にとって、王太子殿下は遠い夢のような存在でありました。
(2011/05/09)
To be continued.