貧乏子爵令嬢は王太子殿下の婚約者に選ばれました



14


ガーリー卿の内なる願いもむなしく顔を合わせた侯爵令嬢と貧乏子爵令嬢であるコトリンは、イズミー侯爵令嬢のあいさつによって初顔合わせとなったのでした。
声をかけられたコトリンは、ただ黙って頭を下げます。うかつに自分から声をかけてよいとは言われていなかったからです。

「初めまして、ですよね?私、イズミー侯爵が娘、サホーコ・オオ・イズミーと申します」

コトリンはびっくりして思わず顔を上げました。
うっかり目を合わせてしまい慌ててしまいましたが、イズミー侯爵令嬢は無作法さに気を悪くすることもなくコトリンに微笑んだのでした。

「は、初めてお目にかかります。アイハラ子爵が娘、コトリン・フグ・アイハラでございます」

まさか声をかけられると思っていなかったコトリンは、しどろもどろになりながら名乗りました。
隣で静かに頭を下げている侍女のモトはこういう可能性も想定はしていましたが、コトリンの自己紹介がまずはうまくいったことにほっとし、この次の会話に神経を傾けておりました。

「王妃様のお声がけで王城に滞在なされているとか」
「は、はい、僭越ながらその通りでございます。手本となるべき母もおらず、あまりにも礼儀作法がなっていないため、慈悲を賜った次第です」
「そうでしたの。皆様があまりにも噂をされていたものだから、一度お目にかかりたいと思っておりましたの」
「う、噂…そ、そんな…。お、お気にかけていただけるような身分でもございませんし…」
「お会いできてよかったわ。また新年のお祝いで顔を合わせるかもしれませんね」

コトリンは内心新年の頃にはお城をお暇したいと申し出ているのにとふと首を傾げ、微笑んで去っていくイズミー侯爵令嬢をただただ見送ったのでした。

通りすがりの城内の人たちは、先程のモート伯爵令嬢に続いての噂の令嬢顔合わせに固唾をのんで見守っていたため、誰も言葉を発せずにいたせいか、ようやく盛大なため息がそれぞれから出されたのでした。
もちろんコトリンも…と言いたいところでしたが、それよりも隣にいたモトを見て言いました。

「あの、私、新年会には参加しませんよね?」
「…さあ…私にはわかりかねます」
「父と一緒に帰ろうかなって、思っていたんですが」
「行儀見習いが終わっていれば、可能かもしれませんね」
「終わらないと帰れませんか」
「そのように理解しております」

ど、どうしよう、とコトリンは頭を抱えました。

「コトリン様、ここではちょっと」
「え、あ、そ、そうですよね」

こほん、と平静を装い、とりあえず目的地に向かって歩き出すことにしました。
しかし、動揺が激しく、目的地がどこだったのか、コトリンにはわからなくなりました。

「えーと、どこへ行こうとしてたんでしたっけ」
「今一度、お部屋にお戻りいたしましょうか」
「…お願いします…」

後ろでガーリー卿はぼそりと「だから出歩くな、と」などとぼやいておりましたが、幸いコトリンには聞こえておりませんでした。
ただ、侍女のモトには聞こえていたため、ぎろりと睨まれ、思わず首をすくめたのでした。

 * * *

王太子殿下の執務室では、書類を抱えた文官から少々気になる報告が上がりました。

「へえ、子爵令嬢がね」

宰相補佐であるナーベ侯爵子息がそれを聞いて面白そうにつぶやきました。
文官が出て行った後、どうやって王太子殿下に報告すべきかとナーベ侯爵令息は思案しました。
普通に言っただけでは意地を張ってわざと気にしないふりをするだろう、と。
しかし、報告しないのもまた後で嫌味を言われるに違いない、と。
王族というのは報告されて当たり前、それでいて報告した内容をどうするのかも勝手、対処しなくても文句が出ても後処理をするのは側近の役目、と思っているふしがあるのです。
もちろんパンダイ王国の王族全員がそうではないのは百も承知で、問題に際して真摯に向き合ってくれることの方が多い一族であることは、宰相にとってはとても僥倖なことなのです。
しかし、こと子爵令嬢が絡むと素直にはいかない御方がいるのも本当で、最近の問題はほとんど子爵令嬢とのあれこれだったりするのです。
何がいけないと言えば、出会いからして問題でありました。
普通にデビュタントを済ますはずだった子爵令嬢に横やりを入れたのは王妃様です。
そして不審者のごとく王太子殿下の休憩所に忍び込ませた送り込んだことから始まり、城に滞在させたことといい、予定外の出来事だったのは確かです。
もっと自然に再会できていればもう少し素直に己の正体を明かすことができていたかもしれません。
幼少期に敵の目を欺くために病弱なふりをして別地にて療養と称して過ごすことなどよくあることです。
もちろんその時の格好がやや王太子殿下にとって屈辱的だった、というのは後に判明することで、あの時点では致し方がないことだったのです。
今やそれは触れてはいけないような過去のように扱われていますが、一部の上位貴族の間では知れわたっていることです。
下位貴族の地方領地で過ごした子爵令嬢にとって『知らない』ことであり、その噂にまさか自分が関わっていることなど思いもしないのでしょう。

どかどかと音がして、やや乱暴に執務室の扉が開きました。
王太子殿下です。
執務室の椅子にどさっと音を立てて座り、ため息を一つつきました。

「お早い御戻りで」
「何か報告があるとか」
「報告と言えるほどのものは」
「あいつのことか」
「察しが良くて助かります」
「またくだらない話だったらこのまま書類をおまえに全部渡すぞ」
「…くだらないかどうか判断するのは殿下次第です」

こほんと一つ咳払いをして人を遠ざけることにしました。
護衛騎士は扉の外へ。侍女はしばらく部屋の中には入れません。

「そんな内密の話か」
「面白おかしく噂されても困るので」
「…まあ、あいつの話ならそんなことばかりだろう」
「モート伯爵令嬢と裏庭散策から帰室途中、イズミー侯爵令嬢とは図書館へ向かう廊下で対峙したようです」
「モート伯爵令嬢の話は少し聞いた。それゆえ戻ってきたのだ」
「おや、そうでしたか。控えめにやり過ごしたようですが、見るからにあたりがきつくて、お付きの者たち一同が冷や汗いっぱいだったそうですよ」
「そうか」
「イズミー侯爵令嬢とは、思ったより和やかに対面したそうです」
「…そうだろうな」
「少しは安心しましたか。それと、新年会に本当に出るのかと聞いてきたそうですよ」
「…誰が」
「子爵令嬢本人でございます」

微動だにしませんでしたが、王太子殿下の胸中としては今更それか、というところでしょう。
そんな様子を見て、宰相補佐は一つ提案をしました。

「ここはひとつ、殿下が新年会にお誘いになるのがよろしいかと」
「母が誘うだろう」
「では、新年会にご着用されるドレスでも送りますか?」

王太子殿下は黙り込んだ。
どちらも承諾しかねる、といった感じです。

「そんなことでは、新年会の意図すら気づきもしませんよ」

宰相補佐はため息をつく。

「殿下。こう言っては何ですが、どうされるおつもりですか。
お妃選びは既に始まっているのです。国を継ぐつもりなら、今のままずっと独身でいることも不可能なら、王弟殿下が結婚するまで待つおつもりですか」

耳に痛いことを言われたのか、少し眉間にしわを寄せて宰相候補を見た。

「気づくと思うか、あれが」
「気づかせるのですよ」
「気づかなければ」
「国のためを思うならば、伯爵令嬢でも侯爵令嬢でも、何なら今は国外においでの公爵令嬢でもよろしいかと」

無言のまま王太子殿下は執務室を出て行きました。

「やれやれ…。いつまで意地を張っていらっしゃるのか」

思わずそうこぼしてしまったのは仕方がないことでしょう。
成人するこの時までお妃選びを避けていたのは、幼きときに出会った令嬢に会ってみたかった、という一点に過ぎないということをお認めにならないのです。
周囲にしてみればさっさと会えばよかったじゃないかと思うのですが、幼きときの出会いも問題で。
そして、あの時のままの令嬢に会えるかどうかなど誰にも予想できないことです。
おそらく、城下に領地の特産品を売りに来ていたことなど把握済みなはずです。
王太子殿下があまりにも目立つので、滅多にお忍びで城下に降りることなど敵いませんが、その売り子をしていた姿なども目にしたことでしょう。
何故かアイハラ子爵家では、王太子殿下が預けられていたことなどなかったことのように話題に上がらなかったようで、そう言えばそんな子いたかも程度な記憶しかないと侍女から聞き及んでいます。
まさか子爵令嬢も世間に評判の麗しの王太子殿下が自分のことを気にしているなどとは思っていないので、いまだ侍女見習い(まったく活動しておりませんが)兼行儀見習いで王妃様の慈悲で王宮に滞在させていただいているという謙虚な面持ちでいらっしゃるのです。
まさか侯爵令嬢一家と伯爵令嬢一家が子爵令嬢を敵に回しているなどと思いもしないのでしょう。
そろそろ領地に帰らないと、という報告まで受けているのです。
さっさと告白しないからこんなことになっているともどかしく思っている王妃様からの突き上げも厳しく、侍女たちからの冷たい視線を宰相補佐が一身に受けているのです。まさか王太子殿下を非難するわけにもいかず、といったところでしょう。
もっと図々しく王妃様のお気に入りとしてふるまうかと思えば、さっさと帰りたいと言われるなど、謙虚どころか王太子殿下が全く相手にされていないのが丸わかりで、あまりにも不憫です。
ですが、会えば嫌味を言う冷たい態度で、どうやって好意を持たれていると思えるのか、子爵令嬢に代わって糾弾したい気分なのは宰相補佐の自分も側にいる侍女としても当然の思いです。
先は長い、とため息をつきたいところですが、そうも言ってられません。
貴族一同が集う新年最初の王宮舞踏会まで残りひと月あまりです。
新年会には決着をつけねば議会からの突き上げもあることでしょう。

「…どこまで手を回すべきか」

有能な宰相補佐はこの先の行く末に一計を案じるのでした。

 * * *

話がある、と…?
いったい何の?
誰に?あたしに?

なんと王太子殿下の訪いを告げられ、断ることもできずに一人右往左往するコトリンは、侍女たちの為すがままに準備をされるのでした。

「いや、なんで着替える必要が」

そんなつぶやきをしながらおとなしく座って待っていると、程なく本当に王太子殿下がやってきました。
教えられたとおりにあいさつを交わし、王太子殿下がコトリンの目の前に座ると侍女のモトが恭しくお茶を差し出しました。
頭だけ下げ、すっと後ろに下がります。
いや、そばにいてほしいんだけども!というコトリンの願いもむなしく、侍女たちはモトを残して護衛騎士も残らず部屋の外で待機です。
かろうじて嫁入り前の娘と二人きりにはできないという令嬢の名誉のために侍女が一人残されたようなものです。いや、その侍女も性別は男でしたが。
王太子殿下はお茶をじっと眺めるだけで飲もうとしません。
ようやくはっと気づいてコトリンは自らお茶を口にしました。
そうです。面倒なことに王族というものは招いた(招いていないけど!)相手側の者が口に付けたのを見てからでないと物を口にすることができない御約束なのです。
コトリンがお茶を口にしたのを見て、王太子殿下はようやく一息入れた感じです。
こちらから切り出してよいものか王太子殿下の手元をじっと見ていると、一つため息をつかれました。

来たのはそっちだし!

本来なら王太子殿下が私のお部屋に…!と喜ぶところですが、先程の対峙の件もあって素直に喜べません。

「新年会のことだが」

ずばり本題から始まり、コトリンはようやく王太子殿下を見ました。
前置きもあいさつもなくいきなりです。
さっさと会話を終わらせようというのが見え見えです。

「そんなに気を遣っていただかなくても大丈夫です」
「気を遣う、とは」
「お招きいただかなくとも、それくらいの分はわきまえております」
「気を遣うというならば、この城に滞在している以上招きには素直に応じるのが正しい気の遣い方だ」
「…えーと、大変失礼ですが、もしかして、私もお招きいただいているのでしょうか」
「………そうだと言ったら」

そのためらいは何…?

コトリンは息をのんで答えました。

「…あの…お招きいただけるのは大変ありがたいのですが、新年会に出るためのドレスも落ち合わせておりませんし、随伴してくださる方もおりません。父は領地に帰っていることでしょうし」
「城に滞在しながら招待しないなどありえないだろう」
「それはそうでしょうけれど」
「行儀見習いの成果を見せるにはちょうどいいだろ」
「…ああ!」

コトリンはようやく納得しました。

そうだった、そうだった。
そのために習っているんだった。

「今頃気づくとは」
「いえ、あまりにも縁遠いことだったので」
「着るものなど心配する必要はないだろ」
「そうは言っても先立つものも…」
「成果を見せろと言っているんだ。こちらが用意する」
「え、そんな、ご迷惑を」
「用意しなければ理由をつけて出るのをやめるだろう」

そこまで見抜かれては返す言葉もありません。

「で、では、お借りします、ね」
「何でもいいから、出ろ」
「め、命令ですか」
「そうとってもらっても構わない」
「しょ…承知いたしました」

コトリンが承諾の意を示すと、王太子殿下は立ち上がって颯爽と部屋を出て行きました。
コトリンはそれを見届け、部屋の扉が閉まると同時に椅子から崩れ落ちそうになりました。

「で、出ることになっちゃった」

人払いしていた侍女たちが淡々とお茶の後片付けをしていきました。
まさか裏で王太子殿下の言葉選びはともかく、コトリンをうまく誘い出したことに盛り上がっていたとは露知らず。

「早速新年会用の仕立て屋を呼びましょう」
「こちらを王妃様に」
「では今後の予定はこちらに変更を」
「…え?え?」

あっという間にコトリンの周囲は動き始め、コトリンが目を白黒させている間に全てが決定したのでした。

(2023/12/27)

To be continued.