13
コトリンは朝からつかの間の休みを王城の庭で過ごしておりました。
以前王太子殿下に案内された中庭ではなく、どちらかと言うとあまり人の来ない裏庭。もちろんここも王族専用で、入口には門があり、許可された関係者以外は入れないのです。
そこを王妃様に勧められ歩いておりました。
しかし、この裏庭、歩けば歩くほど何か既視感が漂うのです。
「どことなく、私の実家の領地の感じに似てる気がする」
そうつぶやいたコトリンの言葉に侍女のモトはうなずきました。
王妃様からこっそりと聞かされた話では、この裏庭を造らせたのは王太子殿下ということでした。故にこの裏庭は実質王太子殿下のものとも言えるのだと。
細かく植木を指示し、起伏もつけられていて、これで雪が降ったら領地に帰ったような気分になることでしょう。
「でも最近造られた感じではないわよね」
「そのようです」
コトリンは庭を歩きながら、今は遠い領地に想いを馳せました。
「帰り…たいな」
そう言って、はっとしてモトを振り返りました。
「あ、あの、決してここが嫌だということではなくて」
「ええ、承知しております」
「その、ちょっと懐かしくなっちゃったの」
「はい、そうでございましょう」
「これもきっと王妃様のご配慮なのでしょうね」
この庭がどことなく似ているのを知っていて、コトリンに散策するように勧めたのでしょう。
コトリンは頭を切り替え、庭の散策を楽しむことにしました。
「でも、王太子殿下がこの庭を造らせたとしたなら、何を参考にしたのかしら」
まさか、うちの領地…?
まさか。
いや、でも、確か小さい頃に王家縁の女の子が一人、いた。素性は隠されていたけれど。
その子のため?
もしかしてうちの領地を懐かしく思って、王太子殿下に頼んだのかしら。
いつの間にか立ち止まり、考え込んだコトリンを黙ってモトは待ちました。
「王太子殿下は、庭を造る才能もあるんですねぇ」
思わず感心したように言うコトリンに、モトはちょっとだけがっくりと肩を落としました。もちろんコトリンには気づかれておりませんが。
裏庭の散策は終わり、王太子殿下が劇的に現れることもなく門を出ると、コトリンは言いました。
「また、ここを訪れてもいいでしょうか。あ、もちろん王妃様や王太子殿下の許可は取りますので」
「はい。またお申し付けくださいませ」
コトリンは勉強の良い息抜きができたと王城の廊下を進んで滞在させてもらっている部屋に戻ろうとしたとき、華やかな一団が歩いてくるのを見つけました。
どう見てもコトリンよりは身分も上のようです。
コトリンはさっと脇に避け通り過ぎるのを待つことにしました。
いったい王城のどこに用事があったのか定かではありませんが、華やかに笑いながら近づいてくる途中で、ようやくコトリンの存在に気づいたようでした。
「あまりに地味なのでうっかり通り過ぎるところでしたわ。ごきげんよう…」
そう言われても反論の余地もありません。
確かにそう言う令嬢に比べれば、コトリンはいたって地味な格好です。王城に滞在させてもらっている間に服は支給されているものの、決して通りすがりの令嬢よりも地味であることには間違いありませんから。
隣からモトがコトリンにだけ聞こえる声でささやきました。
「モート伯爵令嬢です」
コトリンはうなずきました。
王太子殿下の妃候補として常に名前が挙がる令嬢です。本人もそれを望んでいるのか、いつも王太子殿下に対して誘いをかけているようなのですが、色よい返事がもらえていないという話は聞いておりました。
「アイハラ子爵の娘、コトリン・フグ・アイハラでございます」
暗に名乗れと言われたのでお辞儀を返しましたが、当然のことながらモート伯爵令嬢はコトリンのことを知っているようです。
「今頃必死で妃教育を受けているとか?」
「妃教育がどんなものか知りませんが、確かに私には教養が足りておりませんでしたので、ついでに仕込んでいただいている次第です」
「…ついでに…?」
モート伯爵令嬢は首を傾げました。
いったい何を言っているのかしら、この田舎娘は、とさすがに口には出しませんでしたが、これ以上会話する価値もない、と話を切り上げることにしました。
「王妃様の慈悲にすがってせいぜい故郷での自慢話になるとよろしいですわね」
「ええ!本当に!」
きっぱりと嬉しそうにそう返事をしたコトリンを見て、さすがのモート伯爵令嬢も呆れたように扇を翻しました。
話をする価値もない、と思われたのか、コトリンはそのまま頭を下げているうちにモート伯爵令嬢は立ち去ったようでした。
「よかった、何事もなくて」
コトリンの独り言に、何事もなく…?と思ったモトを連れて、程なくコトリンは部屋に戻りました。
* * *
コトリンとモート伯爵令嬢の話はすぐさま王妃様にも王太子殿下にも伝えられたようでした。
「あの小娘…」
ギリギリと扇を握りしめた王妃様でしたが、思ったよりうまいことコトリンが素でかわした様子も伝えられたので、ここはやはり王太子殿下をたきつけるべきだと策を練ることにしたようでした。
一方何とはなしにその話を伝えられた王太子殿下の反応は、全く興味なさそうで何かそれに対しての感想もなく、伝えた間者のほうがいいのかそれでと心配してしまうくらいでした。
むしろ傍に立っていた宰相補佐が「いいのかな、それで」ともう一度念押ししたくらいです。
「は?この忙しいときにいちいちそんな些細なことに目くじら立てている場合ではないだろう」
「彼女なら気にせずいつも通りにしてるみたいだしね」
「気にしていないならそれでいいじゃないか」
「むしろ気にしなさすぎ?」
「鈍いからな。嫌味にも気が付かないんじゃないか」
「ははあ、あまりにも気にしてないことに怒ってるわけだ」
「何に怒るっていうんだ」
「だから、それだよ、それ。つまり君をめぐっての争いに参加したつもりも参加するつもりもありませんってことが気に入らないんだろ」
「誰も参加させたつもりもないけどな」
「昔からあんな庭まで造らせて懐かしんでいたくせに?」
「あれは実験の一つだ」
「へえ、どっかの領地そっくりな」
「実際にあるところを模したほうがわかりやすいだろ」
「細部まで凝ってるよね」
「…何が言いたい」
「さっさとあの時の…」
「うるさい」
「そりゃちょっとばかり恥ずかしいかもしれ…」
「この書類、今日中に全部見直しておけ」
そう言って宰相補佐に向かって山ほどの書類を積み重ねると、自らは執務室を出ていきました。
「…ちょっとからかっただけじゃないか」
やはり不機嫌だったに違いない、と宰相補佐はずり落ちた眼鏡を直しながら、出ていく王太子殿下の背中を見送ったのでした。
王太子殿下が向かったところ。
それは気になっていた居候子爵令嬢の元…ではなく、騎士団の鍛錬場でした。
着いた王太子殿下の表情を見れば、気づいた一部の騎士たちがそっとその場を離れます。
気づかずに打ち合っている者たちが気付いた時には、それはそれは不機嫌そうな王太子殿下が今こそ打ち合わんと相手を待ち構えている姿で、そっと自分たちのその日の運命を悟ったのでした。
…うん、無傷では帰れまい、と。
* * *
さて、モート伯爵令嬢はただ王城に来ただけではございません。
第一の目的は王太子殿下のお姿を拝見できれば、という乙女心。第二の目的はまさかの恋敵の子爵令嬢を偵察することでした。
王太子殿下には会えずとも、第二の目的であるすっとぼけた子爵令嬢には会うことができました。
素朴な、と言えば聞こえはいい田舎者令嬢。
それなのに、かの聞こえの高い王太子殿下の婚約者候補にまで名が挙がっているとはどうしたことでしょう。
幼い頃から有力な婚約者候補と噂され、それに耐え得る財力と身分を持ち、さらに己を磨くために美貌と頭脳を鍛え上げたモート伯爵令嬢は、いつの間にか出てきた子爵令嬢ごときに負けるわけにはいかないと奮い立たせて王城へやってきたのです。
なんと言ってもかのやり手な王妃様があの子爵令嬢を懇意にしているというのです。それに逆らう形になりはしないかと内心思いながら、屋敷の者たちの応援を受けての登城なのでした。
子爵令嬢がひいきされているからとやすやすと引き下がるわけにはまいりません。
国政を担う王太子妃は、情だけでは務まらないのです。
ただ一つ難があるとすれば、王太子殿下が露ほども他の令嬢たちに目を向けない、ということでした。
それが多分一番の難点で、他の事は些細なことでした。
他の令嬢に目を向けなくとも、政略結婚とはもともとそうしたもの。
ましてや国政、外交、跡継ぎ問題と高位貴族たるもの、政略結婚ごときでひるんではいられないのです。
モート伯爵令嬢とともに候補に挙がっているであろうイズミ−侯爵令嬢も同じ状況でしょう。
悔しいことですが、イズミ−侯爵令嬢のほうが身分も父の役職も上なのです。
そして、そんなもやもやとしたモート伯爵令嬢の前になんとイズミー侯爵令嬢が現れたのでした。
二人の令嬢は、王城入口付近で出くわしました。
この二大勢力婚約者候補とも言われる華麗なる令嬢たちに、王城の者たちもさすがにため息がこぼれます。
モート伯爵令嬢はそれを当然のこととして受け止め、イズミー侯爵令嬢は少し恥ずかしげにモート伯爵令嬢に会釈します。
モート伯爵令嬢としてはここでイズミー侯爵令嬢に会うとは予想外でしたが、おそらく目的はほぼ同じことだろうと予想ができました。
もちろんイズミー侯爵令嬢はさほど積極的に活動する質ではないため、おそらく積極的なのはもっぱら親である財務大臣のイズミー侯爵であり、王城にいたはずの王太子殿下と偶然会わせるために呼び出されたものと思われます。
王城にいたはずの王太子殿下ですが、歩き回ってみたものの全く会うこともできずに帰らなければならなくなり、冬の社交シーズンまでに少しでも顔を合わせておこうとしている令嬢たちにとっては大きな痛手です。
イズミー侯爵令嬢はおっとりとした令嬢で、気性の激しいと言われるモート伯爵令嬢とは派閥も違います。
接点もないため、いがみ合う要素もなく、今まではお互いに候補の一人として名を知っている程度でした。
「ごきげんよう、ユーコ様」
「…ごきげんよう、サホーコ様」
「今日はモート伯爵さまのご用事で?」
「ええ。滞りなく済みましたので、今から戻るところです」
「私も急にお父様からお話があると伺ったものですから、急ぎ登城致しましたの」
「そうでしたの」
「お互い忙しい父を持つとなかなか会うことも難しくなりますわね」
「…ええ、そうですわね」
「では、また」
そう言ってイズミー侯爵令嬢は去っていきましたが、モート伯爵令嬢としては逆に余裕たっぷりな様子が気に入りません。
急ぎの用とは言いつつ、全く急いでいない様子からも王城に関係する用事で呼び出されたわけではないだろうことはうかがえます。
優雅に去っていく姿を見ながら、モート伯爵令嬢は扇の下で顔をしかめます。
少なくともあの子爵令嬢よりも油断ならない相手がイズミー伯爵令嬢であり、自分より身分も上、財力も程々同じくらい。美貌も頭脳も引けを取らないと思っているのに、なんとなくモート伯爵令嬢が勝てない令嬢、それがイズミー伯爵令嬢なのでした。
* * *
自室から再度今度は図書室へ向かおうとしたコトリンでしたが、今は出歩かないほうが…というぼそりと言ったガーリー卿の言葉はまるっと無視されたようです。
あくまで護衛。
危ないとき以外は口を出さないガーリー卿は、自身の護衛としての任務をやや嘆きがちに同僚に語っておりました。
よく転ぶ…が、むやみやたらと抱え込んではいけないのです。
何故なら(本人にその自覚はないが)王太子殿下の不興を買うからでした。
そして助けられるコトリン本人にもその自覚はなく、いかにして事前に転ばさないようにするかを侍女のモトとともに細心の注意を払うしかないのです。
すれ違う数多の人がコトリンを見ていますが、中には質の悪そうな貴族も若干いて、モトが回避すべき道を示しますが、何かあればガーリー卿が前に立ちふさがらなければなりません。
中には騎士を下に見るものもいるのです。
そう、くだらない言いがかりをつける輩ほど。
そして、嘆きは一層集約されたのです。
女同士の戦いという、ガーリー卿にとっては一番苦手な分野に。
思わずあーと声を出したくなったのも仕方がないことでしょう。
「コトリン様、イズミー侯爵令嬢です」
モトの忠告に一同は廊下の端に寄りました。
何故今日に限ってパンダイ王国二大お嬢様とかち合わなければならないんだ、という内心の声をよそにコトリンはのん気です。
「わあ、美人」
この令嬢、肝が据わっているのかただの馬鹿なのか。
そこでただの馬鹿です、を選択できるほどガーリー卿も馬鹿ではありません。
気づくな、声をかけるな、こっちを見るな、いや、おまえは顔を上げるな!と山ほど言いたいセリフをのみ込み、通り過ぎるのを待ちます。
ところが。
「ごきげんよう」
だー!
ガーリー卿の願望はことごとく打ち砕かれ、神妙な顔で礼をして控えることに。
俺を今すぐどこかに異動させてくれーという願いもむなしく、ただただ何も起こりませんようにと祈るばかりなのでした。
(2023/08/21)
To be continued.