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ほら、ちょっと前に飲み友達になった志乃さんという老女がいたでしょ。
(参考:『イタkiss期間2015・ドクターNと明日か!板の住人』)
あの老女とは時々会うんだけどさ、なんだかまた厄介なことを持ち込んだみたいで。
「ちょっとご相談したいことがあって」
そんなくだりで始まった相談事が、まさかあんな事件になるなんて。
最近オレオレ詐欺だか振り込め詐欺だかが横行している、と志乃さんは言った。
それはまるでテレビのニュースのような語り口調で、どこか上の空だった僕は、まさか身近なところでそんな事件が起きるなんて思っていなかったのだ。
志乃さんいわく、角のパン屋に不穏な電話がかかってきたが、息子は一緒に働いているのでオレオレは通じなかったらしい。
かと思えばお向かいの家ではしばらく音信不通だった息子から連絡があったとか。
それのどこが問題なのと問えば、音信不通だったので、お向かいの家では息子の声がわからない。今何の仕事をしているか知らないので、急に連絡をもらっても本当にそれが息子かどうかわからないのだという。
詐欺の電話はまだかかっていない。
急に思い立って連絡してみた、らしい。
それが詐欺の前触れじゃないかと皆は心配しているという。
いざ詐欺電話がかかって来たら、どうしたらいいのかと。
「そんなの警察に電話するしかないでしょ」
もしも本当の息子だったらとためらいがあるのだという。
そもそもまだ詐欺電話かかっていないなら心配しようもないじゃないか。
「ねえ、そう思わない?」
もう一人の飲み友達でもある桔梗君にそう言うと、桔梗君は浮かない顔で「そうですねぇ」と答えた。
「なんだか桔梗君も元気がないね」
「ああ、そう見えます?実は最近ちょっと気になる人とお近づきになったんですけど、今度旅行に誘われて」
「へー、それで、その人、男?女?」
桔梗君はむっとして「男ですけど」と答えた。
ああ、そりゃ失敬。
「そりゃ入江先生は憧れであり、大好きですけど、琴子の旦那さまですしね。何だかんだと琴子しか見えていない人とはどうにもなりませんし。これでもあたしもてるんですよ」
「行けばいいじゃない、旅行」
「そうなんですけど、その一線を越えるか超えないかって微妙なところが難しいんですよ」
「へー、桔梗君でもそんなことで悩むんだね」
「まあ、あたしはこんなナリですし、こういう嗜好の人間ですからね」
「で、行くの?」
「まだ返事していないんですよね」
「志乃さんの話もよかったら聞いてやってよ」
「あ、はい、わかりました」
のしのしと歩く音が近づいてきた。
琴子ちゃんはお腹がますます出てきて、つわりもすっかり良くなったせいか、日に日に貫禄が増している。
琴子ちゃんはどう思う?と聞こうとしてやめた。
また変なことに巻き込むと、後ろの大魔神がうるさいし、なんと言ってもいつもの琴子ちゃんじゃなくて身重だしね。
その身重でいつもようにトラブルに突っ込んでいったらと思うと、ああ、怖い。
「やあ琴子ちゃん、最近調子はどうだい?」
「絶好調ですよ!つわりがほとんどなくなって、もうご飯がおいしくておいしくて」
「あの食べられなかったときから比べると…うん、よかったね」
一時期食べられなくてやせ細っていた体形は見事に元に戻っている、どころかちょっとふっくらして妊婦って感じになった。
「まあ、食べすぎは初産でもあるしリスクがあるから程々に」
「任せてくださいよ!これでもあたしは看護師ですし、家には栄養士並みのお義母さんがいますし、なんと言っても優秀なお医者様がいますから!」
あー、はいはい。
「さ、回診に行こうかな」
「あ、ちょっと聞いてくださいよ〜、入江くんたら…」
「あー、聞こえない聞こえない」
あいつに対するノロケを聞くぐらいなら、回診で愚痴でも何でも聞く方がマシだね。
回診に行くと、先日入院した田中さんが僕を待ちかねたように手招きした。
「先生、私、早く退院することはできないでしょうか」
「いやー、まだ入院して三日ですよ?検査もこれからだし、下手をすると手術になるかもという話でしたよね」
「ええ。でも、主人一人残しておくのはやはり心配で」
「子どもじゃないんだから何とかなるんじゃないですか」
「でもねぇ、あの人何にもできないんですよ」
うん、よくある話だ。
僕は何でもできるけどね。
だから独身でも大丈夫、というわけじゃあないんだが、そこはそれ、いろいろと事情が。
「取り合えず検査だけでも進めていきましょう。このまま家に帰ってもすぐに入院する羽目になるかもしれません。もしもそれで状態が悪化すれば入院も長引くことになりますし、今のうちに治してしまう方が結果的に早く家に帰れるはずです」
「そうですかぁ?」
その不審そうな顔は何なんだ。結構真面目に話したはずなんだが。
「後で入江先生に聞いてみましょ」
…って、おい。
主治医は僕だし!
さり気なく言ったつもりだろうけど、聞こえてるから!
全くもう、どいつもこいつも入江入江入江とバカの一つ覚えみたいに…。
それでも僕はそのまま病室を出た。
次の患者が待ってるしね。怒っても仕方がないし。
あー、なんて心が広い僕。
気を取り直して次の患者の所に行こうとした時だった。
僕の患者じゃないんだが、いつも病棟内をうろうろとしている年輩の男性患者が公衆電話の前で「それは大変だ!すぐにお金を用意します!」と青ざめていた。
何だか不穏な話だし、できれば関わり合いたくないな〜なんて思っていたら、電話を切ったその男性患者は、僕の顔を見るなり言った。
「先生!一生のお願いです。お金を貸してください!」
はいー?!
なんで僕が貸さなきゃいけないのかな?
「お願いです、たくさん持ってるんでしょ、医者なんだから!」
「い、いや、あの」
「生きるか死ぬかの瀬戸際なんです!どうせ女の人に貢ぐくらいお金余ってるんでしょ、貸してくださいよ。いえ、いっそ寄付してください!」
白衣をがっしりとつかまれて、清水主任が通りかからなければ、僕はそのままずっと揺さぶり続けられるところだった。
(2017/10/30)
To be continued.