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全くもって理不尽なことだよね。
医者ってだけで大儲けできると思ったら大間違いだ。
何だかんだと言いつつ僕は勤務医なわけで、あんな左団扇になってる医者なんて、院長クラスじゃないと恩恵なんてないんだよ。
そりゃ数々訪れる薬会社の接待なんてものも…ごにょごにょ…。
ま、そこはそれ。
勤務医なんてものはこき使われてなんぼ。
それでいて給料はたいしたことないときてる。基準が大学病院としての職員クラスだからね。やっぱりもうけるには自分で病院経営しないと。
「長々と話したその真意は」
桔梗君は僕の話を一応一通り聞いてくれた上で仕方なくそう言った。
「貸す金などない!」
「あー、はいはい」
先ほどつかみかからん勢いで担当患者でもなんでもない患者にいきなり借金だの寄付だのを申し込まれた僕。
家に電話をしてみたら、どこぞの弁護士から電話があって、息子が事故を起こしたとかなんとか。
息子が事故を起こしたのはともかく、そんなにすぐにお金っているものかな。
そもそも肝心の息子はどうなってんだ。
興奮しまくりの患者から聞き出したのは、止めてくれた清水外科主任と担当ナースの琴子ちゃんだった。
さほど問題なく手術して退院していくはずだったから、琴子ちゃんに割り振られたわけだけど、退院を目の前にしてこんな厄介ごとを起こしてくれるとは、さすがの清水主任も予測できなかっただろう。
さすが琴子ちゃんの患者というべきか。
「それで、すぐに用意しないといけないお金はどうなったんです?」
「清水主任はさすがだよね。興奮して今すぐにと鼻息荒い患者の話を一つ一つ聞きながら、まずは一度息子に連絡を取ってみたらとアドバイスしていたよ。いわゆるオレオレ詐欺じゃないの、これ」
「つまり、電話を取ったのは奥さんで、奥さんも慌てていたから確認しないまま、たまたま退院の相談で家に連絡を取った水木さんに話したと?」
「そういうことらしいんだけど、なんだか電話詐欺の話…続くよね」
「あーそう言えば、志乃さんからの相談事でありましたね」
「ぜーんぶ同じ奴なら話は早いんだろうけど、きっと全国にそんな電話かけてる奴いるよね」
「世知辛い世の中ですよねぇ」
「じいさんばあさんからお金取るなんていう発想が、もう貧しいよね」
「そうは言っても、若者の方が貧乏とは言いますけどね」
「桔梗君、そんなの年寄りがとか、若者が、なんて比べたって仕方がないよ。若かろうが年寄りだろうが金持ちは金持ち。貧乏は貧乏なんだからさ」
「わー、久々にいいこと言ったって感じですね」
「久々は余計だよ」
ともかく、患者の水木さんの話はこれでお終い。
…と思っていたんだけどな。
「先生、先生!」
大慌てでやってきたのは、水木さんの担当である琴子ちゃんだった。
「琴子ちゃん、そんなに慌てたりして転んだりしたらどうするの。僕は責任持てないからね!あいつににらまれるのはごめんだよ!」
僕の言葉にようやくハッとしておとなしく早歩き程度に速度を落として近づいてきた琴子ちゃんが言ったのは、「水木さんがいなくなりました」とのことだった。
「…あー、はい。いや、どうしてそれを僕に報告するの。担当医は誰だっけ」
「あー、そうでしたっけ?えっと、誰だったかな」
てっきり先生かと思ってとか言いながらカルテを見ている。
「…高瀬先生、でしたね」
カルテには確かに高瀬先生の名前があった。
でも待てよ、確か高瀬先生は…。
「琴子、高瀬先生は今学会で出張中よ。水木さんが退院の日に帰ってくる予定だったわ」
記憶力も確かな桔梗君が言う通り、担当医の高瀬先生は肝臓なんちゃら学会に出席するために昨日手近な先生方に託して出かけたはずだ。
…ということは?
「期間中の対処は…先生、お願いします」
琴子ちゃんがあっさりそう言った。
「嘘だろ?」
「本当ですってば。ほら、ここ、読んでください」
何かあった場合の連絡先とともに戻るまで僕に一任すると付箋が貼ってあった。
「し、知らなかったなぁ…」
うーんと僕はうなりながら忌々しき付箋を睨みつける。
「というわけで、水木さんがいなくなりました」
琴子ちゃんは改めて僕に向き直るとそう言った。
「いなくなったって言っても、まだ夕方だし、その辺プラプラしてるんじゃないの」
「同室の患者さんが着替えて慌てて出ていったとおっしゃってます」
「外出届け出てたっけ?もしくは外泊届けとか」
「あたしは見てません!」
そりゃそうだ。担当ナースの琴子ちゃんが見落としていない限り、黙って出ていったと見るのが正解だろう。
「もうさ、退院間近なんだから、帰ってくるまで様子見るとか、家に帰った頃を見計らって電話してみるとかがいいんじゃないかな」
「そうですね、それしかないですよね」と一度はうなうずきかけた琴子ちゃんだったが、急にきっと顔をあげて「やっぱりだめですよ!だって、いなくなる前にお金の話していたじゃないですか!お金の工面が出来なくてそれを苦にしてもしも…自、自殺なんかしていたりしたら…」と僕の白衣をこれでもかと引っ張った。
「いや、それはないんじゃないかな」
だって、お金の話は確かめてみる、で決着ついたんじゃないの。
「無断外出も無断外泊も確かに病院としては問題だけどね、首に縄つけておけるような病人でもないし、結構術後経過良好で、ほら、三日後には退院だし、いっそ水木さんから電話があったら早めの退院ってことにしたってそうは困らないとは思うけどね」
そんなことを言ってみると、琴子ちゃんは「あたし捜しに行ってきます」といきなり駆け出そうとした。
や、やめてくれ!
「ちょぉっと待ったぁ!」
寸でのところで琴子ちゃんを止めることができた。それも最大限に配慮して、セクハラと言われないように触ったのは肩だけだ。
「何ですか、止めないでください!」
いや、琴子ちゃん、止めたくはないけど、止めないと暴走するし、大魔神が怖いし、ほら、身重だし!
「き、桔梗く〜ん!」
僕は声の限りに琴子ちゃんの同僚でなおかつトラブルシューターでもある桔梗君を呼ぶ羽目になった。
桔梗君はものすごく不機嫌そうな顔でナースステーションから出てきた。
「何でしょうか」
「琴子ちゃんを止めてくれよ。水木さんの所に行くって言うんだ」
「水木さんのところ?もしかしてさっき騒いでいた無断外出の件ですか?」
「そう、それ」
さすが桔梗君、話が早い。
「…琴子、水木さんから電話があったわ。つい先ほどね。それで清水主任に確認して、主治医に確認をと言われたところ」
桔梗君は僕を見た。
「…もしかして主治医がいないから僕に許可をってこと?」
「そうです」
「あー、許可する、する」
僕の言葉に桔梗君は「ですよねー」とうなずいた。
「ところで、あたしを琴子の世話係のように呼ばないでください」
…いや、実際世話係みたいなものじゃないか。
「琴子ももっと自覚して、おとなしく、つつがなく過ごしてちょうだい」
「は、はぁい」
「入江先生との大事な赤ちゃんに何かあったら、病院中の女たちから非難轟々よ」
「そうだよ、女たちが、というより入江ににらまれるのはごめんだからね」
僕も便乗してひとこと言うのを忘れない。
「き、気をつけます」
ようやく冷静になったのか、琴子ちゃんはお腹をさすりながらとぼとぼとナースステーションへと戻っていった。
やれやれ、だよ。
どちらにしても担当医の高瀬先生が帰ってくるまで、ほかの患者も皆何事もなくつつがなく過ごせますようにと僕は心底願ったのだった。
(2017/11/11)
To be continued.