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あれから志乃さんの迅速なる指示により、水木さんちにじじばば撲滅隊…ではなく、えーとなんだっけ、とにかくチームご老人方は集合した。
「ふまひ、ほれはらおはねをふへほひふるんでふね」
「何言ってるかわかんないよ」
一人のご老人が口をもごもごさせて言った言葉は通訳がないとわからなかった。
「つまり、これからお金を受け取りに来るんですね、と」
先ほど志乃さんちに呼びに来たご老人(仮にはっつあんとしよう)がすっきりと通訳してくれた。何でわかるんだろう。
「もうしわへはい。ひへばはどほはへひっへしまっへ」
「申し訳ない、入れ歯がどこかへ行ってしまって、だそうです。たまにあるな」
「はあ、入れ歯が…」
というか、入れ歯ってそんなにどこかへ行ってしまうものだろうか。それにたまにあるってはっつあんも言ってるし。
さあ、犯人が指定した時間は30分もない。
「ねえ、志乃さん、警察に電話は?」
「えーっと、しましたっけ?」
「志乃さん?」
うーん、と考えた志乃さんはにっこりして言った。
「忘れてました」
「何言っちゃってんの。最初に電話すべきでしょ、こんなご老人方に電話する前に」
僕がそう言ったので、こんなと言われたご老人方はぶーぶーと抗議の声を上げる。
ちなみにご老人は全部で五人だ。それに加えて僕と桔梗君で合わせて七人。
「ただいまぁ」
そして銀行へ行ってきたという水木さんの奥さんを合わせて八人か。決して少ない人数ではない。
「では今から電話しますか」
「この詐欺が本当かどうかもわからないから、後でいいのでは」
「忙しい警察のお手を煩わせるのは」
「いいや、我々だけで十分。捕まえてからでよかろう」
「わひひまはへろ」
「わしに任せろ、だそうです」
いや、甚だしく不安だけども。
「いったい何のお話しですか」
のん気そうに水木さんの奥さんがお茶を持ってきて話に加わった。
「どうやらお金が必要、との息子さんからの電話は詐欺かもしれないんですよ」
「ああ、でしょうね」
水木さんの奥さんはあっさり言った。
「ええっ、知ってたんですか」
僕と桔梗君が驚いてそう言うと、今気が付いたというように水木さんの奥さんがこちらを見た。
「あら、こちらは斗南病院の…」
「あ、ええ、はい、そうです」
桔梗君が戸惑いながらうなずく。
「なんて言ったかしらねぇ。ああ、そう、桔梗さん。で、こちらの方は」
明らかに僕を見て水木さんの奥さんは言った。
ああ、そうだよね、僕は主治医じゃないし。そう、主治医じゃないのに何でこんなところにいるんだろう。
「こちらは私のお友だちで斗南病院で同じく外科医をしている先生ですよ」
「まあ、そうだったんですか。どうりで見た顔だと…あら失礼。白衣着ていないとわからないものですわね」
ま、そりゃそうでしょうね。
そしてそうだった、僕は志乃さんの飲み友達で相談されてこっちに来たんだった。決して、水木さんの主治医がいないから代わりに来たわけじゃなくて、プライベートで来たんだよ。
「話を戻すと、水木さんの奥さんは、詐欺電話だってことわかっていて銀行にお金を下ろしに行ったんですか」
「あら、嫌だ。そんなの関係なしに銀行に用事があったんですよ」
「そうだったんですか」
あれほど慌てたのはいったい何だったんだ。
そうだ、水木さんが何もかもすっ飛ばして慌てるからそれに引きずられて。
「また何かやらかしたのかしら、この人」
水木さんの奥さんはじろりと水木さんを見た。
「まだ退院する予定でもないのに退院すると電話でわめいてきたり、息子が大変だと一人で騒いで」
あー、そうでした、そうでした。
「でも、最初は奥さんから息子さんの危機を電話でお知らせしたのでは?」
「そう言う電話があったわよ、と話しただけでこの人慌てちゃって」
「普通慌てるだろ」
不機嫌な顔で水木さんがそう答えた。
「私の話を最後まで聞かずに切るから!それですっ飛んで帰ってきちゃって」
「先ほど息子さんの会社に電話してみたんですよ」
「…なんて迷惑な」
「何言ってるんだ、もし本当だったらどうするんだ」
「あの子はそんな無計画な子ではありません!私が育てた子ですから!」
決して私たちが育てたと言わない辺り、この夫婦の子育てぶりが目に浮かぶ。
そこでようやくじじばば団は間に入って仲裁する。
「でも三十分後にはお金を取りに来るんですよね」
「え、そんな返事しちゃったの?」
「………」
水木さんが無言のまま前をただ見ている。目も合わせようとしない。
「ちょっと、何とか言いなさいよ」
「…返事はしていない。返事をしようかどうしようか迷っているうちに取りに来る、と」
「そう言っている間にもう五分もないです」
はっつあんが時計を見て言った。
「わひはふはへへひんへほう」
入れ歯を忘れた老人…もうこの際熊さんでいいや。はっつあんと熊さんでいいコンビだろう。
「わしが迎えて進ぜよう、だそうです」
いや、熊さん、あんたじゃなダメでしょ。
「水木さん、ほら、この束持って外に出て」
いつの間に用意したのか、今まで黙っていた老人(仮に弥次さんとしよう)が何かの束を風呂敷で包んで水木さんに手渡した。
「何、それ」
僕の問いに「もしかしたら役に立つかも、と作りました」と新聞紙に目を向けた。
うん、水木さんよりずっと現実的。
「今のうちに各自散らばりましょう」
「え?散らばるって、何?」
「では裏口から失礼」
そう言って、老人たちはなぜか移動を始めた。
しばらくすると、もう一人いた老人(面倒なのでこっちは喜多さんでいいや)からの声が突然響いた。
『こちら煙草屋角、スタンバイ』
多分弥次さん。
『こちら電話ボックス近く、スタンバイ』
こっちは喜多さんか。ま、どっちでもいいや。
志乃さんが持っているトランシーバーから声が響いてくる。
なんでそんなもの持ってるの。
「こんなこともあろうかと用意いたしました」
はあ、なるほど。
『へんはんはえ、ふはんはい。あ、こちら玄関前、スタンバイ、です』
はっつあん、熊さんは一緒にいることにしたらしい。正直助かる。
水木さんはいかにも大事なもののように風呂敷包みを抱えて恐る恐る玄関から外に向かった。
その時だった。
玄関の外にバイクの音がした。
バイク!
そうか、今どき徒歩で取りに来るってバカか考え無しか。
「志乃さん、どうする、バイクだよ」
「大丈夫です」
玄関先の声がトランシーバーから響いてくる。
『バイク便でっす。こちらから小包を引き受けるように言われたんですが』
『本当にバイク便かどうか、確かめさせてもらおうか』
『身分証明でいいすか』
『ふーっむ、本当にバイク便の社員なんだね』
『正しくはバイトっすけど』
『依頼人は?』
『え、それはこちらに連絡があったかと』
『なぜ自分で取りに来ない!』
『いやー、そう言われても、こっちは依頼されただけだから』
なんか、水木さん、また興奮しだしたよ。
『確保!確保だ!』
『え、ちょっと、待って、どういうこと?ええ?うわあぁ』
僕は慌てて玄関の外へと急いだ。
玄関に出た僕が見たのは、ふがふが入れ歯のない熊さんが見事な逮捕術だったりしたのだった。
「ほうはー!」
「どうだ、だそうです」
そんなとこまで通訳いらない…。
* * *
僕たちは警察でこってり絞られたものの、一応詐欺の糸口をつかんだということでお咎めなしで済んだ。
さっさと警察に知らせていればよかったのに。僕までとばっちりだ。
ちなみにバイク便の彼は、本当にバイク便で、依頼人から電話で指定された家に行って封筒を受け取って、また指定された住所まで届けてほしいということだったらしい。
なので、確保されたバイク便の彼は、まあ、気の毒に、というやつだ。
もちろん共犯じゃないかとバイク便の彼も警察にはしっかり調べられたらしい。共犯者が全く知らないふりしてターゲットの家をうかがいながらお金を奪うというのもないわけではないからね。
バイク便の会社に入った電話を分析して、指定された住所にもちろん警察が行ってみたけど、そこには誰もいなかったらしい。
実際に詐欺だったのかどうかすら疑わしかったけど、バイク便が来た時には僕たちはマジか!と震えたのだ。
でもって、熊さんは昔警察官だったらしい。
はっつあんはその熊さんの部下。
それならなおさら警察に連絡すればよかったのに。
水木さんはというと、その後ほどなくして息子さんから連絡があった。
しかも誰も出なくて、息子さんは本当に焦ったらしい。
何せ全員が警察にしょっ引かれ…いやいや、協力しに行っていたんだからね。
何かあったに違いないと外国路線を廻っている最中の豪華客船の中で一瞬取り乱して下ろしてくれと無茶を言ったらしい。なんとなく水木さんの息子さんらしいというか…。
やっとのことで連絡が付き…というか、警察から水木さんの息子さんに緊急連絡ということで連絡がいけばそりゃ何を置いても連絡つくだろう。
自宅には誰もいない、警察から連絡があったとなりゃ多少は仕方がないだろう。
とにかく、そんなこんなで水木さんの息子さんは今回の件にやっぱり全く関係はなかった。
詐欺確定、というわけ。
「えー、やっぱりあたしも行きたかった!」
後日談を聞いた琴子ちゃんが口をとがらせて言ったけど、もちろんあの泣く子も黙る後輩がひとにらみしたらそのまま黙って回れ右をして行ってしまった。
「結局、なんだったのかな、あの騒動って」
既に数日前になる解決した詐欺騒動を振り返ると、何であそこまであたふたとしたのかと思うのだ。
ポンとエンターキーを押すと、これで薬の処方は終わり。
…のはずだったのだが、薬の選択が一つずれていた!
急いでオーダー取り消さなきゃならないし、僕はうわああと頭を抱える。
これもろくでもないことを考えていたせいか。
桔梗君はほら見たことかという顔をして僕を冷たくあしらう。
もし今度何かあっても桔梗君は呼んでも来てくれないだろうな、なんて寂しく思う。
「今度は行きませんよ、金輪際」
「そこまで言わなくても」
「何言ってるんですか。アタシなんて警察に根掘り葉掘り聞かれたうえに、あの入れ歯のじい様たちに仲間に思われて連絡先を教えろとしつこく付きまとわれたんですからね。それもこれも先生があの義歯団に入ったせいですから」
「義歯団って…じじばば撲滅隊じゃないのか」
「もう、そんなの何でもいいですよ!」
桔梗君はぷりぷりと珍しく怒って行ってしまった。
そんな桔梗君を横目に見ながらポンとエンターキーを…。
「うわあああ、また間違えた―――!」
「先生!!」
病棟中に響き渡るような叱責を清水主任から受けると、何故か琴子ちゃんがうれしそうに僕を見て笑った。
叱られ仲間だとか思ってる?
そして、それを見てろくでもない独占欲の塊の後輩が…。
「若年性アルツハイマーの疑い、調べてみましょうか?」
低く冷たい地の底から地獄の死者のような声で僕にささやいたのだ。
こいつだけは絶対に殺しても死なねぇな、うん。魔王だもんな。
「あー、ずるい、先生、何を言われたんですか」
そして、こいつにかかればどんな詐欺でも成功しそうだよ。
琴子ちゃん、君は一生騙されて生きていくんだね…。
それが一番の幸福か不幸かは、誰にもわからない。
(2018/12/31)-Fin-