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そこから何時間待っただろう。
つい転寝していたのでおよそ四時間は経過しただろうか。
既に夜中近くになっている。
気が付くと周りには同じように待ちくたびれたコピー君と琴子ちゃんのお父さんと福顔御尊父しかいなかった。
「…あれ?」
もちろんタクシー運転手もいなかった。
「もう生まれた?」
コピー君は本から目を上げて冷たく言った。
「まだ連絡はありませんよ」
というか、なんでお前はここにいる?という視線だ。
まあ身内でもないし、その視線は一応わかるつもりだ。
でもここまで待っちゃったら、もう帰っても一緒じゃない?
「まだか…」
「破水が早かったので、念のため早めに病院に行ったみたいですから」
コピー君の説明に僕はうなずいた。
いやー、産科は専門外だからさ。
ちなみに福顔の御尊父も寝ている。無理はよくない。
琴子ちゃんのお父さんは、定期的に立ってうろうろし、座ってイライラし、時には何かに向かって祈りだし、やっぱり落ち着きはないが、これをずっと四時間以上もしているんだろうかとちょっと心配になった。
でも病院に行かないと、あのすまし顔の後輩がうろたえるところや涙流すところ(予定)が見られないじゃないか。
「病院に行ってくるよ」
「えっ」
コピー君が驚いた。
「あ、でも病院どこだっけ」
そう言えば聞いてない。
僕の言葉を聞いて、コピー君は脱力した。
「だって、考えてごらんよ。あの鉄仮面…あ、いや、君のお兄さんを悪く言うつもりはないんだが、一般的に言って決して愛想のよくない彼が、必死になって琴子ちゃんの手を握ったり、感動して涙なんか流しちゃったりしたら…ちょっと面白くないか?」
コピー君はうっと黙って考えている。
「そんなお兄さん、見たくないかい?」
僕の誘い文句にコピー君はちょっと気持ちが傾いている様子。
「いや、でも、兄は…」
たとえ自分の子どもの出生時にもうろたえた姿なんて見せることがないだろうって?
いや、あれで結構仕事場では時にでれた姿を見せることが…。
プルルルルルル…と電話が鳴り響いた。
生まれたか…!と琴子ちゃんのお父さんも後輩の御尊父も起きだしてリビングルームは緊張に包まれた。
「ああ、はい、わかった。朝になるかも?なら明日ね」
ふーっとため息をついたコピー君に「どうなんだ!?」と詰め寄った三人。
コピー君は「聞こえたでしょ、明日になるかもって」と三人の圧力にのけぞって答えた。
「いや、万が一ということはあるぞ」
「それで、無事なんだろうね、琴子ちゃんは」
「いつになったら生まれるんだ?」
三人が口々にそう言うものだから、コピー君は「そんなの知らないよ!」と叫び返した。
「だいたい、あなたも医者なんでしょ」
いきなりそう指摘してきたが、産科は専門外なんだよと言うと、後輩とそっくりなため息をついた。
まあ、いいや。
どちらにしてももう夜中近いし、どうやって家に帰ったものかと悩んだが、御尊父の心優しい申し出により、電車が動くまでこのまま寝させてもらうことにした。
いや、なに、どこでも寝られるのは医者として当然のこと。ソファでも床でも構わないからね。
というわけで男四人、結構広めのリビングにそれぞれ散らばって眠りに入った。
なんで部屋に戻って寝ないのかって?
万が一目覚めなくて自分だけ置いて行かれるかもしれないという疑心暗鬼に陥っているためだ。
電話が鳴れば一蓮托生。病院の迷惑も顧みず、家族揃ってお祝いに駆けつける気満々だ。
そんなこんなで夜は更け、一向に生まれたという連絡もないまま朝を迎えたのだった。
* * *
いつの間にか夜は明け、何だかバタバタと周りが騒がしい。
なんでこんなにうるさいんだ?と起き上がってみれば、見慣れぬ部屋だった。
「あ、そうか」
昨夜は琴子ちゃんの出産を待っているうちに夜が更けて、帰れなくなったので泊まらせてもらったんだった。
で、何でこんなにバタバタしてるのか…って、まさか生まれたのか!?
「琴子ちゃん、生まれたの?」
キッチンとを往復しているコピー君に聞くと、「生まれたらしいです。これから病院へ行くので、帰ってください」と素っ気ない返事。
わお!おめでとう!琴子ちゃん、よかったねー!
「で、男?女?」
「女の子です」
そりゃよかった。御母堂大喜びだろう。
何やら大事そうにキッチンから運んだものを箱に詰めている。
「それ、プリン…?」
…プリン…!
プリン、そうだ、もともとの目的を忘れていた。
「琴子が食べたいから持ってこいって。ったく、産んだ途端に人使いの荒い。普通産んだ後なんて疲れて寝るだけだって聞いたのに、なんて食い意地張ってんだ」
「へー。どこのプリンなの?」
「…兄の手作りですが」
「あいつの!?」
まさか。
「まさか、幻のプリンって…」
「は?幻でも何でもありませんよ。つわりで食べられないときにこれなら食べられるって言って、何度か作らせてますし。何故か母の手作りでも市販のでもダメだったんですよね。何が違うのか僕にはさっぱりわかりませんし、兄は教えてくれませんし」
いや、それだ!
それに違いない。
「あの、それ、一つ譲ってくれないかな」
「だめですよ、何言ってるんですか。大仕事終えた産婦のために持っていくのに」
食い意地張ってるって言ってたじゃないか。
あいつと同じツンデレかよ。
「一つくらい、ダメかな」
「もうこれだけしかないんですよ、残念ながら。兄に頼んだらどうですか」
「えー、あいつに?」
無理だろ。
コピー君も言いながら無理だろうなという顔をしている。
じゃあ僕も病院へついて行って、気が進まないけど直接頼むか。
「それより、もう迎えが来るので」
へ?迎え?
御尊父も支度を済ませ、着の身着のまま大興奮状態の琴子ちゃんのお父さんも大騒ぎで玄関に集まっている。
御尊父の送迎車か何かか、タクシーか、それとも誰か運転をするのか。
追い立てられるようにして玄関から出ると、入江家の前にはかわいらしい軽自動車が止まっていた。
「おはよう、好美。朝早いのに悪いな」
「いいよ、裕樹君。おはようございます。わたしも見せてもらえるなんてうれしいけど、お邪魔じゃないかな」
「大丈夫。琴子のやつ喜ぶだろ。好美が送ってくれるっていうから助かる」
二人の世界を繰り広げているが、お迎えに来たこのかわいい子はコピー君の彼女ってわけだ。
「じゃあ、早速行きましょう」
「悪いね、好美ちゃん」
「ありがとうね、好美ちゃん」
そう言いながら御尊父と琴子ちゃんのお父さんも乗り込む。
…あれ。
「あの、裕樹君、あの方は…」
「ああ。お兄ちゃんたちの同僚の人だってさ。昨日遅くなっちゃって、家に泊まったんだ」
「へー、楽しそうね」
目の前でばったんとドアは閉められ、初心者マークを付けた軽自動車は、恐ろしいほど勢いよく発進してしまった。
お、おーい…。
そうだよな、軽自動車の定員考えたら、残されるのは当たり前か。
世田谷の高級住宅地の路上にポツンと残された僕は、しばらく彼女の軽自動車を見送っていたけど、仕方なく駅に向かって歩き出した。
見舞いに追いかけていこうにも、よく考えたら病院聞いてないし。桔梗君に聞けばわかるかもだけど、今ここで聞くのも何だしな。
でも幻のプリンのために追いかけるべきか…?
とりあえず電話だけでもしてみようかな〜。
そう思って電話をかけてみると…。
『はい?朝早くからなんですか。くだらない用事なら怒りますよ』
「いや、琴子ちゃんがね…」
『生まれたんですか!?』
「いや、そうなんだけどね」
『きゃーーーーー!ちょっと、今日のシフトどうだったかしら…』
「お、おーい、桔梗君…?」
ドタバタドタバタと何やら電話の向こうで音がしたかと思うと…。
電話はいつの間にか切れていた。
いや、病院をね………桔梗くーん…。
いつまでもここで立っていると、高級住宅街なだけに不審者として通報されかねないので、仕方がなく歩いて駅まで行くことにした。
一度家に帰って出勤だ。
手術予定もないし、外来もないし、プリンもないし…。
ああ…プリン…。
ここまで追いかけてきたのに。
どうしても諦めきれなくてプリンプリンとつぶやいていたせいか、駅に着くまでの間にどこからか警察官が現れた。
年齢、職業、身分証明書にここにいる目的なんかまで聞かれて、職務質問という名の不審者扱いだ。
変質者でも不審者でもないから!
しかもタイミングよく病棟から急変の電話が来たものだから、逃げようとしてるんじゃないのかと病院からの電話だと聞かせるまで放してくれなかったのだった。
* * *
「それで、謎のプリンとやらは巡り巡って入江先生特製プリンがどうやら例のプリンだったってわけ?」
仕事の終わりに桔梗君は早速琴子ちゃんの子どもを見てきたと写真を見せてくれたが、思ったよりもあいつほど冷たい顔でもなく、琴子ちゃんほどの天真爛漫さでもなく、程よくミックスされた感があった。
とは言っても赤ん坊。これから先どうなるかなんてわからないが、一つ言えることは、どちらにしても赤ん坊はかわいいってことだ。
「それならあったわね、空容器が」
琴子ちゃんはひと眠りした後、コピー君の持ってきた特製プリンとやらを爆食したらしい。
つまり、ものすごく元気だってことだ。
おまけにあいつのうろたえるところとか、ひっひっふーも見られなかったし。
「手に入らなかったってことですよね。どうなったんです?」
マユミちゃんが心優しきナースだったお陰で、入江家特製プリンのことだったと知った後は、それは仕方がないと快く諦めてくれたのだが、代わりに朝一番に行かないと手に入らない人気のスイーツをご所望され、またもや僕は世田谷の人気店の前で行列に並んだのだが…。
なんとあの職務質問をしてきた警察官がまたもや現れたのだった。
「不審者じゃありません、職場に差し入れするプリンを買いに来たんです!」
先手を打ってそう言うと、警察官は少々不審な顔をしながらも「あなたはよほどプリンが好きなんですね」と言って去っていった。
僕じゃないよ、ナースだよ!差し入れだって言ったでしょ。
同じく並んでいるスイーツ女子たちにくすくす笑われながら、僕は並んだ。
それはまあ無事に手に入れたんだけど、もう金輪際、二度とプリンには関わらない。
謎は謎のままでいいし、幻なんて幻だからいいんだよ!
「はあ、まあ、別にプリンなんか食べなくても生きていけますけどね」
「あ、モリメグちゃん!最近どう?え?おいしいスイーツが食べたい?
オッケーオッケー!世田谷にこの間おいしいプリンのあるスイーツのお店を見つけてね」
「…先生?」
「えー、食べてないの?この間差し入れしたのに〜」
「…もう金輪際、先生の言うことなんて真に受けないから」
「あれ?桔梗君?おーい、一緒に病院行くんじゃなかった〜?」
「…プリンと一緒に心中しちゃいなさい」
「え?ううん、うん、大丈夫だよ、モリメグちゃん。
あ、ちょっとー、置いて行かないでよー、桔梗君〜!
桔梗君〜?モリメグちゃ〜ん?おーい…」
(2020/06/10)-Fin-