君と夏の終わり




暑い夏、その夏を乗り切ろうとここ斗南病院でもとある催しが開かれることになった。

「さあ、夏祭りのうちわですよ〜!」
何故だか妙に張り切っている入江琴子。
「はいっ、はいっ、一人一つね、名前書いて置いておいて」
その場にいるスタッフに手渡しながら、残りのものは各スタッフに振り分けられた引き出しに、本日いない人の分を放り込んでいく。
「えー?また抽選会くらいでしょ、盛り上がるの」
さも嫌そうに配られたうちわを手に取りながら品川真里菜が言った。
配られたうちわは一人一つ、抽選会に参加するためのものだ。職員であれば誰でも参加可能。しかも商品はかなり人気電化製品を始め、どれも豪華というからなかなか侮れないが、夜勤入りでは参加が難しいところが難点だ。
例年で行けば、夜勤ではない昼勤終了後のスタッフで病棟全員分の名前入りうちわを持って抽選会が終了するまで夏祭り会場である病院グラウンドに待ち続けなければならない。
「でも、まだ早くない?まだ七月だし…」
真里奈の言葉によくぞ聞いてくれた、と琴子が胸を張った。
こういうふうに琴子が胸を張るとろくなことがない、ということを薄々学んだ真里奈は、ちょっとだけ引く。
ここに桔梗幹がいれば、最初にうちわを配り始めた時点で嫌な予感を隠し切れなかっただろう。だが残念なことに今日は不在だ。
「なんと、今年は!各病棟対抗のど自慢大会が開かれるんです!」
「は?」
「え?」
「はぁ?」
琴子の言葉に、その場にいた他のスタッフも耳を疑ったかのように聞き返す。
「しかも、商品は、スタッフの疲れを癒すもにょもにょ、でーす」
「なんだって?」
「なによ、もにょもにょって」
スタッフのツッコミに琴子はポスターを広げて言った。
「だって、ここに書いてあるんだもの」
そう言ってスタッフでポスターをのぞき込んでみれば。

『スタッフの疲れを癒す諸々』

「こーとーこー、これ、まさかあんたずっともにょもにょだと思ってた?」
「え、違うの?」
「もろもろ、でしょ」
琴子はえへっと笑う。
「えー、何かわからないように誤魔化すための言葉だとばっかり〜」
「あんたねー」
「なんでそんなにバカなの…」
思わず呆れてつぶやけば、そう言えばこのおバカがあの天才外科医入江直樹の妻だったと思い出すのだった。
「よく生きてきたわね、今まで」
「何もそこまで言わなくたって」
「まあどちらにしてももろもろでももにょもにょでも、商品の中身はわからないってことよね」
「もしかして旅行とかも諸々に入るかしらね」
「歌った人だけにもらえるのかしら」
「病棟全員かもよ」
「え、でもそれはどうかしらね、斗南病院よ?」
「でも腐っても私立大学病院なわけだし」
琴子はポスターをどこに貼ろうかとうろうろしているが、狭い休憩室にはそんなものを貼る余裕はない。
「あたし出る!」
「いや、私も出たい!カラオケはちょっと得意なのよね」
「え、ずるい!」
急に活気に満ち始めたスタッフを見て、琴子は慌ててストップをかけた。
「ちょっと、待ってください!」
琴子はスタッフを見渡した。
誰を選んでも角が立ちそうだ。
「わ、わかりました。今度出たいスタッフでカラオケに行って、選考会を行います!その結果で夏祭り当日のシフトを組んでもらいましょう」
真里奈は「琴子にしてはいいアイデア」とうなずいた。
その提案に、とりあえずその場にいたスタッフは了承したのだった。

 * * *

翌日、出勤した幹は、真里奈から聞いたその話で「えー、そんな面白いことになってるの」と声に出した。
幹とてカラオケは好きだ。
好きだがうまいかどうかと言われれば、声が男声なので、自分の歌いたい歌がちゃんと歌えないというのが一番のネックだ。
「ところで何で琴子が仕切ってんの」
「あー、忘れてたけど、琴子、今年の厚生委員なんだって」
真里奈の言葉に幹は今思い出したというふうに「ああ、あれか」とうなずいた。
つまり、こういう行事の実行委員としての役割の今年度の当番だったというわけだ。
「それでそのカラオケ選考会はいつなの」
「今週末、らしいわよ」
「あ〜ん、アタシも参加したい」
「モトちゃん何歌うの」
「えーと、そうねぇ、あゆなんてどうかしら」(作者注・2001年頃の話です)
「モトちゃんが?うーん、お風呂で歌うなら許すけどぉ」
「キーッ、どうせあたしは裏声なんて出ないわよっ」
「その地声じゃねぇ」
「そう言う真里奈は出ないの?」
「あたし、そう言うのはちょっと。そりゃそれなりに歌えないこともないけどぉ」
鼻白んだ顔で幹は真里奈を見た。
「あ、あら、そう」
「そう言えば、あの子、自分で出るって言わなかったわ」
話を変えるように言った真里奈の言葉に幹は乗っかることにした。
「あら、そうなの?」
「怪しい」
「ええ、怪しいわね」
二人してうなずくと「これは何かある」と同時につぶやいたのだった。

 * * *

その日のカラオケ大会は、かつてないほどの盛り上がりだった。
これほどまでに気合を入れて歌うことがあっただろうかと思われるほどに。
その日夜勤ではないスタッフ(正確にはカラオケ大会には出ない者以外)がカラオケボックスに集合した。
広いパーティルームを借りたかったのだが、同じようなことを考える病棟があったせいか、既に借り切られていて、狭い部屋を二つ借りて、それぞれカラオケを楽しむことになったのだ。
「で、誰が審査員なの?」
その問いに琴子は首を傾げた。
「えーと、病院長と看護部長と厚生委員長と外科部長と内科部長と、えーと」
「あー、わかった、わかった。琴子の頭でよく覚えてたわね。なんとなくお偉いさん方というわけね」
「つまり、ちょっとお年の方が受ける曲を選んだ方が無難かしら」
「でも下手に演歌なんて選んだら、それこそいろいろ言われそうだし」
「いっそかわいさ前面に出しておじさん受けの方が…」
「誰がかわいいって?」
ワイワイと選ぶ曲も傾向と対策を立てなければ優勝は難しいだろうと思われた。
「ところで眼科病棟に滅茶苦茶上手い人がいるんだって?」
「のど自慢大会に出て優勝したような人がいるって話」
「マジ?勝てるの?それ」
「評価は歌だけじゃないって話だから、病棟全体で盛り上げれば、それも点数のうちだってことよね?」
琴子はせっせとポテトを食べていたが、「ん?」と振り向いた。
「細かいことはわからないけど、病棟ごとに団結を見たいって委員長が言ってたから、応援も大事じゃないかな」
「仲違いしてる場合じゃないわ」
「そうよね」
「もういっそ皆で『朝娘。』歌うのはどう?」
「あー、でもありきたりよね」
「ウォウウォウ、ウォウウォウ!」
「でもその中で予選勝ち抜けば…」
「皆で出れるし!」
「じゃあ、この選考会は?」
「今から曲の選択して、皆でアイデア練って、衣装考えて、練習しましょう」
「今こそ第三外科病棟の団結を見せるのよ!」
「おー!」
ひたすらもぐもぐとポテトを頬張りながら、琴子はなんとなく一緒におー!とこぶしを振り上げたのだった。

というわけで、選考会はグダグダの内になし崩しになり、ただの憂さ晴らしの飲み会となった外科病棟だった。

(2019/09/28)

To be continued.