坊ちゃまとあたし特別編2



緩んでるキャンプ5


班長会議の時間まであと10分という頃になり、ようやく外は小雨になった。
このまま外に出てもおそらく地面は水浸しかぬかるんでいることだろう。
一人で琴子を帰したら、とんでもないことになりそうだったので、一緒についていくことにしてよかったと思う。

「行ってくる」

それだけ言ってロッジを出る。
合羽は持ってくる荷物のリストに入っていたので問題ない。
琴子はもそもそと再び合羽に袖を通した。

「なんか冷たい」

おれの事かと思ったら、合羽のことだった。

「雷も止んでよかったぁ」

まだ完全に雨が止んだわけではないが、雷雨に比べたら随分とましだ。
途中同じようにうんざりした顔の鴨狩に会った。
傍に女子生徒がいた。班長会議に行く生徒だろう。

「あ、琴子先生」

女子生徒が気付いて声をかけてきた。

「ひどい雨だったね。大丈夫だった?」

そう言うと、女子生徒は「大丈夫でーす」と元気よく答えた。

「嘘つけ。キャーキャーうるさく言って、引き留められたんだ」
「だってー、怖かったんだもん。結局皆と一緒にトランプしてくれたじゃないですか」
「仕方なくだよ」

同じように鴨狩もロッジで雨宿りしていたようだ。
琴子とは逆の理由だったが。

班長会議が行われるメインロッジに近づくにつれて同じように教師と連れ立って歩く生徒や誘導されてきた生徒たちもいた。
どこも同じような理由なのだろう。

「危ない!」
「へ?」
「は?」

叫び声に振り向こうとしたら、後ろから琴子が倒れ込んできた。
足元がぬかるんでいて滑ったらしい。
一人で転ぶならともかく、前にいたおれを道連れにしやがった。
二人してずるっと滑って転んだ。
さすがに後ろから不意打ちで体重をかけられたら踏ん張れない。
いや、こうなるかもしれない予想をしなかったおれがバカだった。

「こーとーこー、おまえ…」
「ご、ごめんなさい、坊ちゃま」

衆人環視の中で盛大に転んだ挙句坊ちゃま呼びをしたことを琴子は気づいていない。
おれも名前呼び捨てしてたから同じか。
立ち上がると、合羽にはべったりと泥がついた。
手にも付いたがどうしようもない。
合羽でぬぐって琴子の手をつかむ。
そのまま立ち上がらせたらまた転びそうだったからだ。

「あー、入江くん、入口横の水道で少し流してから来るといい」

ロッジ横の水場を目で確かめるとうなずいた。
仕方なく二人して水場へ向かう。

「汚しちゃってごめんなさい」
「洗えばいいだろ、ほら」

二人して手を洗い、合羽の泥を水で落としている間に皆はメインロッジに入っていく。
いつの間にか二人になり、水の音だけが響く。

「…あたし、さっき思い出したんだけど」
「何を」
「ほら、夏に別荘に行くと、時々雨が降るじゃない」

家にいても雨は降るけどな。

「そうすると、こう木の音がざざぁってして、ごうって風の音がして」
「…で?」
「そうすると、いっつもなんだかさみしくなって…気が付くと坊ちゃまがそばにいるなぁって」

琴子にとっては何気なく言ったことだろう。
単に思い出しただけ、とも言う。
でもおれは、そんなときでも気が付くと傍にいる存在でありたい。
…言えないが。

「キャンプ場って静かよねー」

…それだけかよ!
琴子に情緒的な何かを求めたおれがバカだった。
本当に思い出しただけだな、こいつは。

「よし!きれいになったね。よかったぁ」
「ところで、生徒保護するときにおまえ一人突っ走って迷子になりそうだったって?」
「え、そ、そんなことは…ないですよ?」

目をそらした。
黒だな。

「一人であちこち行くなって言っただろ」
「行ってませんよ!大体そんな話どこから聞いたんですかっ」
「情報提供者がいっぱいいるんだよ」
「なんですか、それ。坊ちゃまはあまり友だちいないと思ってたのに」
「お目付け役がそういう認識でいいのか」
「だって、坊ちゃまあまりつるまないじゃないですか」
「そうだったとしてもわざわざ報告してくれるやつはいるってことだよ」
「どこの誰ですか、それ」

「あー、相原先生、入江くん、会議始まるんだが」

二人の言い合いを止めようとして躊躇していた教師がロッジからおれたちを見ていた。

「…すみません!」

琴子は取り繕うように「ほら、入江くん、早く!」と背中を押した。
本当に今更だけどな!

 * * *

小雨ながらも降り続いた雨は、翌朝になってようやく止んだ。
そして、朝にもたらされたのは、帰り道が通行止め、という知らせだった。
昨夜嵐のようだったこの辺一帯は、寝ているうちに停電もあったりして、メインロッジを含むいくつかの施設は自家発電を使わざるを得なかったらしい。
朝食はあるもので済ますことになり、変える支度を済ませても下の道に倒れ込んだ大木をどかさない限りバスも来ない。
生徒たちはロッジで待機だ。
危惧したように陸の孤島、とまではいかないが(電話線は無事だった)、キャンプの終わりとしてはろくでもない。
しかも国道も一部水没しているようなので、という情報まで追加だ。
保護者からの連絡も相次いだが、道路が通れないことには迎えも来れないのでどうしようもない。
本当にこんなふうになるとは思わなかった。

「肝試しやりたかったな」
「よく言うよ。昨日相原先生が入ってきただけで叫んだくせに」
「でもこのまま通れなかったらもう一泊なんてことにならないかな」
「ならないだろ」
「だけど、電線も切れてるんだろ。飯どうするんだよ」
「こういうところは何日間か非常食も用意されてるよ」
「でもこれだけの人数は想定してないんじゃないか」

ロッジの中ではわいわいと非日常的なことにやや浮足立っている。
多分通行止めかなんかの連絡がいき次第、官僚か何かやってる生徒の親とかが張り切って活躍してくれたりするんだろう。
メディア関係の親とかがこれ見よがしに取り残されてる、くらいの報道もするかもしれない。
善意の建設関係の会社がいつの間に駆けつけて、大木をどかす作業くらいやってのけそうだ。
斗南の生徒の親というのは、そういうコネのある人たちだ。
そうは言ってもこんなふうになるのは斗南では初めてのことらしく、教師たちもやや戸惑っている。
昨日の大雨くらいで終わりかと思ったが、そういうわけにはいかなかったか。
何にしてもこれ以上琴子が厄介事を起こさなければ後はどうでもいい。
通行止めなんて海外じゃあるまいし、日本なら数時間我慢すれば解消されるだろう。

「琴子といるとろくなことが起きやしない」

思わずつぶやくと「へえ、琴子先生のこと呼び捨てなんだねぇ」と声がした。
振り返るとやつがいた。
…西垣!
なんでお前がこのロッジにいるんだ。いくらおれでもお前が同じ班じゃないことくらい覚えてるぞ。

「おっと、そんなににらまないでよ。こっちのロッジの方が面白そうだから来てみただけで」

何が面白いのか知らないが、おまえは自分のロッジへ帰れ!
同じA組だっていうのも最近把握したくらいだ。

「前から入江くんのこと気になってたんだけどさ、ほら、ぼく病弱でしょ。なかなか話す機会がなくて」

そう言えば認識が弱かったのにはあまり見かけなかったってことだ。

「え?知らなかった?ぼく一年遅れなんだよね。ちょっとした病気があってさ。あ、もう完治したから心配ないよ」

何も心配はしてないが。
一人でしゃべっている。琴子みたいなやつだ。

「でもまた転校するんだよね、父親の仕事の関係で。残念だなぁ」

誰も聞いてないが。

「やっと病気も治ってさ、これからだってのに。まあ、仕方がないよね」

それなら結構。

「そのうちさ、また会うかもしれないし」

別に会いたくもないが。

「というわけで今回のこのキャンプがこの学校での最後の思い出ってわけ。ほら、なんか泣けるでしょ」

おまえのためには泣けねーよ!

「とっとと帰れ!」
「ひどいなー」

思わず心の声が出たところで朗報が来た。
寸断されていた道路が通行できるようになったらしい。
とりあえず他の土砂崩れもなさそうだと。
それこそ何らかの影の力が働いて…くらいの早さだ。
…ようやく帰れる。

 * * *

あまりに疲れたので、斗南まで家から迎えを頼み琴子と待っていた時のことだった。

「あ」
「今度は何だ?」
「あ、えーと…」
「まさか」
「手荷物一つ、キャンプ場に置いてきちゃった…」
「やっぱりか!」

余計なものまで詰め込んで持つ琴子にしては、なんだか手荷物が少ないと思ったんだよな。

「もう、いい。後でキャンプ場に電話して着払いで送ってもらう」

そう言うと、琴子は「坊ちゃま、手間をかけさせてごめんね」と悪びれなく謝った。
絶対反省してないぞ、こいつ。
おれが確認してくれなかったのが悪いとまでどこかで思ってそうだ。

「おまえは小学生の言葉をかみしめろ!」
「あ、あれね。家に帰るまでが遠足です、ってやつ?」

もう二度とこいつとキャンプには行かねぇ!

(2023/11/27)

−Fin−


おまけ


「入江のやつ、琴子先生のこと当然のように呼び捨てだったな」
「二人で話してるとそのまま家にいるかのように話してるからさ」
「いっつもあんな感じなんだろうな」
「琴子先生とだったら一緒に住みたいな」
「それ、入江の前では言うなよ」
「入江、心せまっ」
「でも、琴子先生って入江の許嫁ってホント?」
「10歳も年上で?」
「俺は年下がいいな」
「この年で婚約者とか面倒くさくね?」
「なあなあ、ちなみにA組の中だったら誰がいい?」

などと、琴子と直樹には聞こえないように会話していた班員でした。