ドクターNと好みのオムレット





「で、結局、あのオムライス屋に行くことにしたんですか」
「まあ、そうなんだ」
次の日、琴子ちゃんは僕を見かけるとそう聞いてきた。
よく覚えていたな、とちょっとだけ思う。
そうそう、女の子はそういう話題だけはしっかり覚えているもんだよね。
「誰と行くんですか」
「それはちょっと教えられないなぁ」
「どうせ女の子ですよね」
「わかってるなら聞くんじゃないよ」
「今回はどこの人なんですか」
「ぐいぐい来るねぇ」
「えー、だって、気になるじゃないですか」
「おや琴子ちゃん、僕のことが気になるの?」
「先生のことじゃなくて、相手のことが気の毒で」
「おい、ちょっと」
朝から琴子ちゃんはレポーターよろしくとばかりに質問攻めだ。
同じ攻めならもっとこう違う方向で…。
「あ、先生はひもで縛る攻めのほうがよかったんでしたっけ」
「だーかーらー、それは誤解だって一番知ってるでしょ、琴子ちゃんが」
「でも、先生の名誉のために言っておくと、トイレに行っただけで一気に拘束されるなんて、なんとなく弱くて守れない感じじゃないですか」
「だからと言って、縛られるのが好きな名誉の方はどうでもいいのかな」
「そっちはなんとなくイメージ的にオッケーみたいな?」
オッケーじゃないよ!勝手に決めないでくれたまえ。
そこに朝いちばんから見たくない顔が。
今鼻で笑われた感じがする!
「あ、入江先生、回診ですか」
絶対おまえ鼻で笑っただろ。今、そこで!
「何か」
何かじゃないよ。どうしてこうすかしてるんだろうな、こいつは。
「それは入江くんが天才だから」
琴子ちゃん、僕の思考にいちいちツッコミ入れないでくれるかな。
「でも先生、さっきから一人でぶつぶつ言ってますけど」
「ああそうかい、それは済まなかったね。ていうか、琴子ちゃんだってよくひとり言言ってるよね」
「えー、あたしなんて昔からだから別に変わりはないですけど、先生最近その傾向が強いみたいだから気を付けた方が」
「自分のことを棚に上げて何言ってるんだい。そりゃ僕だって時々ひとり言言ってるなーとは思ってるけど」
「でしょ、でしょ。歳をとるとその傾向が強いんですって」
「それは僕に年寄りになったと言ってるのかな。それを言うなら琴子ちゃんこそ昔から若年寄とかいうやつ?」
「えー、あたしのはただの…えーと、ただの…」
その先は何にも考えていなかったらしい。
少し黙った後「さ、点滴に行かなくっちゃ」とあからさまに誤魔化して行ってしまった。
今度は後ろにいた生意気な後輩は、また鼻で笑った。
今度はどちらかというとバカにする方ではなくて、ちょっとかわいいやつ、みたいな感じ?
こんな違いがわかる僕がその生意気な後輩を見ると、同じように「何か」と威嚇するように言ってきた。
いや、威嚇するなよ、指導医を。
ああ、そう、見られて悟られたのは不覚という感じ?それならそれでいいけどさ。
それならそれなりのもっとかわいい態度でさぁ。相変わらずかわいくないやつ。
ま、こいつがかわいかったらそれも不気味か、天変地異か。

ともかく、僕はオムライス店に行くために仕事を頑張ったさ。
普段は押し付けられる仕事もうまく切り抜けた。
今回逃したら、もうチャンスはないと思え、というくらいにね。
実際、派遣の彼女は今度の仕事が一区切りついたら、もしかしたら継続契約しないかもしれないし。
一期一会を逃したら悔やまれるだろう。
目指したオムライス屋に行くと、彼女たちはもう来ていた。
…ともう一人。
「何でおまえが」
それは、あの日合コンに誘った研修医の一人だった。
「あ、どうも、先生、勝手にすみません」
どういうことだよ。
思わずマキちゃんにこそりと言うと、彼女は困ったように言った。
「それが…」
「まさか」
僕は嫌な予感に身を震わせた。
「その、まさか、だったりして」
「おまえ!」
僕は思わず店の中にもかかわらず、研修医の襟元を両手で握った。
「おまえ、まさか、彼女と…」
「え、は、あの、だ、だめでしたか」
「あ、待ってください、先生」
やんわりと彼女、沢口さんに止められる。
「ま、まずは落ち着いてオムライス食べましょう、せっかくだから」
そう言ったマキちゃんの言葉にとりあえずは注文をすることになった。
女性二人は琴子ちゃんが持っていたオムライスのフィギアの付いたボールペンが記念にもらえるという記念のオムライスを食べようかと話している。
その間に僕は研修医をにらみつけて、「まさか、おまえが」とつぶやいた。
「えーっと、僕はこれにしますね」
研修医はそう言って、デミグラスソースのオムライスを選んだ。
僕は少し反発して、彼女たちと同じ記念オムライスを注文することにした。
何やら中に入る具には、A5クラスの牛肉が刻んで入れられているとか何とか。
その日仕入れた分がなくなったらおしまいという限定メニューらしい。
オーダーを聞きに来た店員にそのメニューを三つ注文すると、店員は申し訳なさそうに二つしかできないという。
そこはムムッとなったが、もちろんぼくは女性二人に譲ることにしたよ。
ところが、だ。
「あ、私、デミグラスソースのに変えますから、先生、どうぞ」
そう言ってあっさり沢口さんが辞退した。
「私、本当はデミグラスソースのオムライス、大好きなんです」
あー、そう。
そうなのね。
…そうなんだ。
僕は彼女が言うままに記念の限定オムライスをいただいた。
彼女は前回の合コンでお互いに食事の好みがものすごく合ったとかいう研修医と意気投合したのだという。
二人して好きな食べ物の話題で盛り上がっている。
「マキちゃん、マキちゃん、もう少し気を使えないかい」
マキちゃんも困った顔をしている。
「先生、ごめんなさい。こんなことになっているとは思わなくて」
「…いや、まあ、いいんだよ」
「実はわたしも先日先生が呼んでくれた整形の先生と気が合っちゃって」
うふっと楽しそうに笑う。
うん、いいんだよ、マキちゃん。
君と僕とは戦友みたいなものだからさ、別にいいんだ。
確かにあれはマキちゃん向きだと整形から呼んだガチムチのがいたよね。
見事にゲットおめでとう。
「本当に先生ごめんなさい。でも先生のお陰だから、今日はお礼も言いたくて」
えーと、何のために来たんだっけ、僕。
「本当に先生のお陰です」
三人が三人とも声を揃えて僕にそう言った。
記念にもらったオムライスのフィギアの付いたボールペンが僕の手の中に。
「ははは、ま、いいんだよ、うん」
シャカシャカとボールペンの横でオムライスは揺れる。
えーと、本当に今日は何の会だったんだっけ?

「あー、先生も行ったんですね」
「え?ああ、うん、まあ」
外科病棟のナースに目敏くボールペンを見つけられた。少々持て余して、掌で遊ばせていたところだ。
「よかったら、あげるよ」
「えー、本当ですかぁ。うれしいですけど、今度は誰と行ったんですか」
「今度はって、後輩たちが先日の合コンで二組上手くいったからお礼をしてくれるって言うんでね」
「へー。じゃあ、先生、あたしたちもお願いしますー」
「…ああ、また今度ね。その代わり、君たちだって女の子連れてこないと」
「わかってますってば。先生が多少変態でも大丈夫っていう子、連れてきますから!」
「ちょ…!僕は、変態じゃない!いたってノーマルだ!」
「あはは、そういうことにしておきますね」
「そういうことって、おい!どちらかというと本当に変態なのは、あの夫婦の方…」
そう言いかけた僕の背後から、その片割れがひょっこり口を出した。
「えー、どの夫婦ですか?」
「…琴子、ちゃん」
いや、君たちだよ、君たち!
そう声を大にして言いたいが、それを言うと、必ず番犬のように恐ろしいやつが現れるからなー。
「怪しいな〜、入江センセーイ」
どうしてここであいつを呼ぶ?
呼ばなくていい、今はいらない!今は用事もないから!呼ぶな!
「ところで琴子ちゃん、最近ダイジャーとの接触は?」
「ダイジャー?なんでしたっけ、それ」
「え、何って…えー」
もう思いっきり忘れてるのかい、琴子ちゃん。
君は、君はなんだっけ、ほら、レンジャーピンクじゃなかったのかい?!
「それは二度と口にしてはいけないと言いませんでしたっけ」
来た!来たよ!
何だか怖いセリフとともにあの生意気な後輩が現れた。
「最後にちょっと聞きたかったんだが」
「何でしょう」
「その、ダイジャー、はどうなったのかな」
「聞きたいですか、それ」
「うん、割と」
「後悔しますよ」
「え、何それ」
「本当に聞きたいですか」
「えっと、どうだったかな」
「…本当に、聞きたいですか」
「ちょっと聞きたくなくなってきた、かな」
「そうですか。それは残念です」
「どっちだよ!」
「じゃあ、聞きますか」
「え?話してくれるの?」
「二度と斗南で働けなくなるかもしれませんが、よろしいですか」
「え、そんな怖い話なの」
「先生、だめよ。二度とどこでも働けなくなるわよ!」
二、二度と?どこでも?
どういうことかな、琴子ちゃん…。
「入江くんが言うんだから絶対よ」
あ、そうですか。そういうことですか。
つまり、『入江くんの言うことだから絶対』なくらい、怖いことなわけね。
「え、遠慮しておくよ、…今回は」
「ええ、ではやめておきましょう、今回は」
ふっと笑ったのに、とてつもなく怖いよ、こいつ。
ええい、些細なプライドくらい保たせてくれよ。
なんと言っても僕だって何とかレンジャーブルーだったしね。
えーと、で、何レンジャーだったっけ?

「センセーイ、今夜の飲み会行きますか〜?」
「おう、行くよ、行く行く!」
そうさ、僕にはこんな生活が似合ってる。
あんな変態夫婦に構っている暇はない。
「飲み会ですか。仕事、早く終わるといいですね」
ぼそりと生意気な後輩はつぶやいた。
終わらせるよ!
ああ、終わらせてやるさ!
僕は飲み会に参加すべく猛然と仕事に取りかかることにした。
幸い今日はオペもないしね!
隣で清水主任が「いつもこうならいいんですけどね」とため息をついたのが聞こえた気がした。

(2016/09/16)


ドクターNと好みのオムレット-Fin-