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おばさまと大浴場に行って戻ってくると、部屋には裕樹が一人で部屋の外で待っていた。
「まさか、カードキー忘れちゃったの」
部屋に泊まる人それぞれにカードキーが渡されて、あたしも慎重に扱うよう気を付けている。
大浴場に行くときにも忘れないようにと入江くんに言われたくらいだしね。
あたしの言葉にひくっと一瞬引きつった顔で「だ、だって、お兄ちゃんと一緒だったから」と裕樹が言った。
「その入江くんは?」
入江くんの浴衣姿は見えない。
「そっちこそママは」
「おばさまは、サウナに入ってマッサージ受けるからって。あたし、熱いの苦手なのよね」
「お兄ちゃんもサウナ」
「そうなんだ」
密かにやっぱりおばさまと親子だな、なんて思った。
「ま、いいや。開けてあげるから、入ろう。感謝しなさいよ〜」
「ふ、ふん!部屋を開けてもらったくらいで」
「なによー」
「別に頼んでないし」
「あ、そう。じゃあ、閉めちゃおう…」
「待って!」
何だかんだと言って、結局裕樹はあたしの後をついて部屋に入ってきた。
言われた通り部屋に入ってぴっちり扉を閉めてから、座敷に入る。うるさかったのよね、入江くんが。戻ったら扉には鍵を掛けろって。どうせおばさまはサウナに入って遅くなるだろうからって。
こんな離れ、誰が入ってくるって言うのよ。
部屋の中に入ってあれこれ荷物を片付けて、入江くんとおばさまが戻ってくるのを待っていたら、「おい、琴子、これ解いてみろよ」と何やらパズルを渡した。
あたしは知らなかったんだけど、よく温泉地に置いてある暇つぶしのパズルみたい。面白かったら売店で売ってるからねという宣伝付き。
あたしは何のこれくらい、とばかりにパズルをやりだしたんだけど、これがなかなかうまくはまらない。一度バラバラにした木片をもう一度木枠の中に戻すんだけど、向きが違うのか、置く場所が違うのか、全くはまらない。
「こ、こんなのより、ほ、ほら、あっちの知恵の輪の方が…」
「やっぱりな。バカの琴子には無理だね」
「しっつれいな!見てなさい、この知恵の輪を…」
あたしはテレビ台の上にあった知恵の輪を手に取ると、これまた悪戦苦闘する。
こ、こんなはずじゃ。
思いっきり引っ張ったら、知恵の輪の方が吹っ飛んだ。
「あ…」
カッシャンという音を立てて、知恵の輪は部屋に掛けてある額縁にぶつかった。
「あぶねーな、琴子」
裕樹は呆れて額縁の下に落ちた知恵の輪を拾う。
「曲がったんじゃないか?」
知恵の輪を心配していじるので、なんとなく腹が立ってちょっと脅かしてやろうと思った。知恵の輪がぶつかってずれてしまった位置を直すついでに。
「知ってる?こういう額縁の裏に、よくお札とか貼ってある場合もあるのよね」
「う…嘘だ」
「ほら、いわくつきのお部屋でもお客様にわからないようにとかって」
「そんなわけ…」
「なーんてね」
そう言って、からかってお終いのはずだった。
ふざけて額縁の裏を見せてからかったなと裕樹が怒って終わるはずだった。
額縁をひっくり返したあたしは、裕樹に見せたところ、裕樹の顔が真っ青になった。
「こ、琴子、そ、それ…」
額縁を指さす。
「へ?」
あたしはゆっくりと額縁の裏を自分の方に向けた。
「あ、あわわわわ…」
見た瞬間、とんでもないものを見つけてしまったとあたしは額縁から手を離して後ずさりした。額縁がゆらゆらと揺れる。
あたしは青ざめた裕樹と二人、自然とくっついてお互いを額縁の方へ押しやろうとしていた。
「お、おまえが変なこと言うから」
「へ、変なことって、あ、あたしのせいじゃないわよ」
「な、直してこいよ、額縁」
「ゆ、裕樹君こそ」
「ぼ、僕じゃ背が届かないし」
そうは言ってもお互いに額縁の方に寄ろうとは微塵も思わない。
だ、だって、額縁の裏には…。
「今夜、この部屋に泊まるんだよね」
あたしの言葉に裕樹ははっとしたように言った。
「この部屋じゃなくて、隣の部屋だ、セーフ!」
「同じ敷地内じゃないの」
「夜中に起きなきゃ大丈夫だろ。今だって何にもないんだから」
「だって、今夕方だし。夜はこれからじゃない」
「琴子、おまえ、変なこと言うなよ」
「裕樹君こそ、夜中にトイレに行けないじゃないの」
「子どもか!寝ろよ、夜中は!」
なんでお札なんか貼ってあるのよ!
あたしと裕樹が額縁を前にして、先ほど流した汗をまたじっとりとかいた頃、入江くんもおばさまも遅いことに気が付いた。
「お、遅いね、入江くんとおばさま」
「テレビでもつけようぜ」
「テ、テレビね、うん」
リモコンは…と見れば、テレビ台の下だ。そして、そのテレビ台は額縁の前だったりする。
なんでテレビ台の上に額縁があるのかと、この辺りでおかしいと思わなきゃいけなかったんだろうか。いや、旅館って結構こういうつくりよね。え?違う?
「ゆ、裕樹君、リモコン取って」
「おまえ、こういうときだけ甘えんなよ」
「だって、裕樹君の方が10cm近いじゃない」
「嘘だ!おまえ、押したな」
そんな言い合いを繰り広げているうちに、いきなり襖が開いた。
「うわあああああ」
「いやーーー!」
二人して思わず抱き合うと、そこにはタオル片手に湯上り姿の入江くんがいたのだった。
「…何やってんだ」
入江くんの言葉に、あたしたちは涙目で入江くんの浴衣の裾にすがりついた。
「うわあ、お兄ちゃん!」
「入江くん!」
その様子に呆れた入江くんは、引きつりながら足元のあたしたちを見ていた。
* * *
突然足にしがみつかれて面食らった俺は、とりあえず濡れたタオルを干すために二人を振り払った。
二人して何をやっていたのか、半泣きだ。
「こ、怖かったよぉ、入江くん」
「お兄ちゃん、非科学的とは思うんだけどね」
二人の話を総合すると、何やら夏らしい不穏な話だ。
「で、お札があるから、何だって?」
「だ、だって、お札って、何か呪いとかを抑えるもの、でしょ」
「抑えるって…ああ、幽霊が出ないようにす…」
「わーーーーーーーーー!」
俺の言葉が聞こえないように突然大きな声を出した琴子に、裕樹と俺は顔をしかめた。
「本当だと思う?お兄ちゃん」
「…さあね。でも本当に本物のお札か?」
「やめてー、触らないでー」
俺はテレビ前まで歩いていくと、そこに掛かっている額縁を持ち上げた。
「おまえもさっき触ったんだろ。呪われるならおまえもだよ」
そう言えば、琴子は「う…」と言葉を詰まらせて恐々見ている。
裏を返してみれば、なるほどお札らしきものが貼ってあった。しかも比較的新しいもののようだ。
「あたしが触って呪われるなら、入江くんだって呪われるのよね」
呪う、呪う、とうるさいんだよ。
そう簡単に呪われてたまるか。
「入江くんと一緒ならいいや」
おい、待て、俺はよくないぞ。
額縁を元に戻して俺はため息をついた。
「とりあえずここにあるのは何か従業員に聞いてもいいだろ。それで納得がいかなければ部屋を交換してもらえばいいんじゃないか」
「そ、そんなこと聞いていいのかしら」
「いいだろ、こっちは客なんだから。お札が貼ってあるから大丈夫な部屋なのかもしれないし、下手に触らない方がいいだろ、こういうのは」
「そ、そうよね」
琴子も裕樹も同じようにうなずいている。
「今までだって誰も泊まっていないわけじゃないだろうし、何か苦情があれば宿側だって気づくだろ。ま、そのためのお札かもしれない可能性はないとは言えないが」
琴子は「ひーー」と声にならない声を出している。
「だいたいおまえみたいな鈍感なやつに視えるとは思えないけどな」
「み、みえるって」
「そりゃゆ…」
「わーーーーー!い、言わなくてもいいです!」
そんなことを言っているうちに、ようやくおふくろが戻ってきた。呑気なものだよ。
「遅くなっちゃって〜。あら、裕樹、あそこで待ってなさいって言ったのに、もう戻ってきちゃったの」
お、ふ、く、ろ〜、いったい何考えてやがる。
「マ、ママ、大変なんだよ」
「あら、どうしたの」
「それが」
「あ、そう言えば面白い話をマッサージの時に聞いたのよ。神出鬼没の男の子の話」
おふくろがまさにうれしくないタイムリーな話を持ってきた。
案の定、琴子と裕樹は二人して青ざめてプルプル震えている。お互いしがみつくようにして震えているさまは子犬のようだが、残念ながら可愛くはない。それどころか腹立たしい。
「そ、それ」
琴子が額縁を指さす。
「あ、そうそう、ここに有名な画家もよく泊まりに来るらしくて、額縁に飾ってある絵のほとんどは、その画家が描いたらしいのよ」
琴子の言いたい事はさっぱりおふくろに通じない。
一番最恐なのは多分このおふくろだろう。
「おばさま、あの額縁の裏に…!」
そこまで言ったとき、すかさずチャイムが鳴った。
「はあい」
おふくろが出ると、仲居が夕食ですが準備してよろしいですかとやってきたのだった。
またもや話が中断し、気が削がれた琴子は、ため息をついてうつむく。
おふくろがオッケーを出したので、夕食が次々と運ばれた。
先ほどまで涙目で俺を見ていたはずの琴子は、夕食に目を奪われている。
そうだよ、こいつはこういうやつだよな。
御造りだとか、山の幸のものだとか、あれこれ創作和食とも言うべき夕食が卓上狭しと並べられた。
これによって裕樹も幾分落ち着きを取り戻して、二人とも夕食に夢中になっていた。
おふくろとともに一杯やりながら、そのまま夕食に舌鼓を打った。
夕食も終わり、再び仲居が来て片付けを始める頃、忘れていたことがふと頭をもたげる。
二人とも今は忘れているが、寝る頃になってうるさく言われてはかなわない。
俺は仲居が部屋を出る前に聞くことにした。
「すみません、弟が気にしているのでお聞きしますが」
「はい」
「あの額縁の裏にお札のようなものが貼ってあるんですが、あれは何のためですか」
「え?!」
驚いたように仲居は俺の顔を見た後、額縁に素早く目を向けた。
「お、お札ですか?」
「はい、これなんですが」
そう言って額縁を取り外して実物を見せた。
「これは…」
仲居は一瞬首を傾げた後、思いついたように声を上げた。
「これはただのいたずらです!」
きっぱりとそう言うと、その額縁を持って「ちょっとお借りします、これ」と言って出て行ってしまった。
おふくろはわけがわからず、どういうこと?と俺の説明を求めた。簡単に事情を話しているうちに戻ってきた仲居は、女将を伴ってきた。
「ご心配おかけして申し訳ありません。これはそういうものではなく、ここに出入りした者のいたずらであることがわかっております。今までこの部屋で何か起こったことはございませんから、どうぞ安心してお過ごしくださいませ」
「お、お部屋を替えるとかは…」
琴子の言葉に女将は再び頭を下げた。
「申し訳ございません。あいにく本日はお替えできるような部屋の空きはございません。他のサービスに変えさせていただきとうございます」
「そうね、空いていなければ仕方がないわよね」
おふくろはあっさりそう言った。
「本当に申し訳ありません。この通り、額も他のものに取り換えさせていただきますが、いかがいたしましょう。たとえいたずらでもお札があった方が安心できるというのならば、それをお持ちいたしますが」
琴子は俺を見た。
裕樹も俺を見た。
俺にどうしろと?
「何ともないというのであれば、とりあえず今夜は額もなし、ということで」
「かしこまりました。それではこちらの額は引き上げさせていただきます。何かありましたら、遠慮なくフロントまでお電話くださいませ」
「はい」
女将と仲居は揃って部屋を出ていき、しばらくすると女将からの心遣いだとフルーツの盛り合わせ豪華バージョンが届いた。
不気味なことに、おふくろはこの件に関しては何も言わなかった。
琴子はフルーツの盛り合わせを前にして、「こんなに食べたら太っちゃう〜」と今更な言葉を吐き、裕樹は額縁のあった方を気にしながらもフルーツに手を伸ばした。
「何考えてんだよ、おふくろ」
「別に何も考えてやしないわよ。それとも、神出鬼没の男の子の話、聞きたぁい?」
にんまりと笑ってそう言った。
「くだらない話は聞きたくない」
「あら、そう?面白いのに」
琴子たちに聞こえないように言うくらいの配慮はあるようだが、今ここでまた訳のわからない話をされたら、絶対に分かれて寝るのは嫌だとか何とか言いそうな気がする。
それだけは絶対に嫌だ。
フルーツも食べ終わり、夜も更けたところでもう一度部屋の露天風呂に入るかどうかと言いながら、それぞれ適当に過ごしたのだった。
(2016/07/20)
To be continued.