何度でも



22


1月15日、午後六時。


「あ、ねえ、ほら、またMテレビでうちの病院のことやってるわよ」

同僚の言葉に琴子は夕食を食べる手を止めてテレビを見た。
確かに斗南病院が映っていた。しかもあのリポーターが。
びくりとしつつもその映像を見る。
夕食代わりのおにぎりを口にしようとして、何となく下ろす。
先ほど配られたものだが、カップの味噌汁だけをずるずるとすすった。

『…当テレビ局ヘリが先日搬送した女性は一命をとりとめ、快方に向かっており…』

そこで初めて琴子は好美が回復したことを知った。
電話もほとんど通じず、もしかしたら直樹ら救命のメンバーは知っていたのかもしれないが、基本的に向こうの病院に搬送した時点で手放したも同然だ。いずれ連絡は来ただろうが、この状況では他に最優先すべきことが山ほどあるのだからと、琴子はひたすら裕樹からの連絡を待っていた状態だったのだ。
ほっと胸をなでおろしたのも束の間、そこにあの少年が映った。

『…いまだ連絡のない両親を待っての手術となるようです。山井晃司くんのご両親は、狛江市内で…』

どうやってあの少年を説得したのか、それはわからない。わからないが、琴子は顔をしかめながら画面を見ていた。
テレビに映ることの弊害をもってしても、少年の手術は多分待てないほど切迫しているのだろうと琴子にはわかった。
赤く腫れた足。乗り越えなければならない試練とは、恐らく切断も視野に入れているのだろうとわかった。
小児科の師長が訴える。

『どうか家族の行方を知っている方がいらっしゃいましたら、斗南大学病院までご連絡いただければ、と思います』

画面は切り替わり、斗南大学病院内の避難者の様子を映し、各避難所へと映像は切り替わって行く。
ため息をついて再びおにぎりを手にしたとき、誰かが飛び込んできた。

「食べちゃ、ダメ、そのおにぎり!!」

何事かと思わず琴子はそのおにぎりを取り落とした。
飛び込んできた隣の病棟の看護師が、息も切れ切れながら慌てて言った。

「それ、期限切れてるの、しかも3日も前に!」

呆然としたのは、既に口にしていた同僚看護師たち。
配られたのをそのまま受け取っただけで、誰も期限など見ていなかった。

「あっぶなー、食べちゃうとこだった」

そう言った者が半分、「どうしてくれるのよ、もう食べちゃったわよ」と焦る者半分。

「吐け!今すぐ吐け!」

そう言われてトイレに走る。
琴子は取り落としたおにぎりを見ながら、食べていなくて助かったと思わず息を吐いた。
あと1分遅かったら確実に食べていただろう。
匂いはわからない。暑い夏ではないから、見た目では腐っているかどうかもわからない。

「ちょっと、どうしたの」

そんな声が廊下から聞こえてきた。
まさか、と琴子たちは休憩室を飛び出た。
廊下で倒れていたのは顔を真っ青にした夜勤看護師だ。

「食中毒?!」

琴子たちは顔を見合わせて青ざめた。

「なんてこと」

言われて見れば、夜勤に入るものが先に食べている可能性もあったのだ。

「これは、やばい」

そう言って夜勤看護師をとりあえず会議室まで運ぶ。多分一人や二人じゃないだろうと予測がついたからだ。

「いったい誰がこんな三日も前の」
「気づかなかったのよ!積んであったおにぎりをこれ幸いとばかりに配ったのよ。まさか三日も前のものだなんて誰も知らなかったから」
「それにしても、何で誰も処分してなかったのよ」
「あんたにできる?毎日ぎりぎりの業務の中で、ダンボールだって積んであるものを手近なところから開けるしかできなくて、しかも届けられたおにぎりをそのまま放置してあったことが後ろめたくて、そのまま捨てるだなんて」
「そうだけど、わかるけど!」
「いったいどこに積んであったのよ」
「知らないわよ、あたしだって。配られたものを分けただけなんだから」

琴子は隣の病棟でも騒ぎが起こっているのが聞こえ、思わず震えながら言った。
「ねえ、そのおにぎり、どこまで配られたの」
その沈黙が怖くて、琴子は大声で言った。
「ねえ、まさか救命は大丈夫よね?」
琴子の言葉に誰もが顔を見合わせる。その答えを知らないのだ。
そのとき、頭上のスピーカーから院内放送の入る音がした。思わず使えたんだとと誰もが上を向く。

『緊急のお知らせです。ただいま、職員の集団食中毒が発生しております。患者が発生した病棟は直ちに人数を確認して報告を。また、患者は全て各病棟一箇所に隔離するように。
原因は、本日配布の期限切れのおにぎりと見られます。直ちに廃棄処分を行うようにしてください。なお今後の指示は各部署に派遣する職員に従うようにしてください』

そのまさかの事態が病院内各部署で起こっているようだった。

「どうすんよ」
「あたしたちが慌ててたら患者さんが不安に思うでしょ」
「不安も何も、目の前で倒れてるんだから今さらよ」
「患者さんにうつらないようにしないと」
「とりあえず手洗い徹底と点滴確保」
「手洗い徹底って言っても、速乾性のしかないわよ」
「ないよりましでしょ」
「この際汲み置きの水使うわよ、仕方がないでしょ」
「誰かまた水汲みに行ってきて」
「給水車いないわよ」
「あー、もう」

そんな会話を交わしながら、夜勤の仕事を引き継ぐ者、手当てに走る者と奔走することになった。
幸いにも外科病棟は食事が遅かったせいか、職員内でも倒れたものは3名のみだった。
ところが、それ以外の病棟はそれだけでは済まなかった。
ただでさえ人手の足りない院内は、スタッフの呻き声と普段は静かに歩く廊下を駆ける音が響いていた。

「点滴!」
「こっちにも」
「内科、誰か見てきて」

琴子はその叫ばれる言葉の通りに動き回っていたが、その中に直樹の姿を見ることはなく、密かに安堵のため息をついた。
被害に遭った者と遭わなかった者の差は、そのまま震災の被害に通ずる。
被害に遭わなかった者、家族が無事だった者はあからさまに喜んではいけないような気持ちが押しつぶされそうで、琴子は唇をかんだ。
幸いなことに琴子の家族は皆無事だった。
自宅も無事で、困るのは水道とガスくらいなものだ。
それは比べることではないと誰もがわかっていたが、自分は誰かより被害が上なのか下なのか、優先されてもいいんじゃないかとか、地震直後にはなかった意識が徐々に出てきたのだった。
誰もが被害者だとわかってはいても、自宅があるのとないのとではこれからの生活にも大きな違いだったし、家族が行方不明なのか連絡がついたのかによっても気持ちの持ちようが違うのだから、仕方がないとも言えた。
これは後に見舞金などにも関わってくるため、かなり厄介な問題だった。

院内中を席巻したこの食中毒騒動は、それから一週間を経て収束した。
この教訓を持って、ボランティアの手によって、積み上げられたダンボールの見舞い物をようやく仕分けして整理する目処がつくことになったのだった。


1月18日、午前十時。

院内はまだ食中毒の名残りがあり、内科病棟では特にスタッフの人手不足もあったが、救命病棟では幸い症状の出たものはいなかった。
幸いなことに、というよりは、通常の時間に食事を摂れなかったというだけの幸運だったのだが。
直樹は琴子と同じように琴子が食中毒にかかっていないことを聞いてほっとしていた。

そして、あのテレビ放送の後、偶然にもその放送を見ていたという親戚が連絡をしてきた。
小児科入院中の山井晃司のことだ。
依然として両親の行方は知れないが、もしかしたら同じように入院して身動きが取れないのかもしれないし、不幸にも亡くなっている可能性もあった。
足の手術は一刻を争う状態になっていたため、すぐに手術が行われた。
炎症が足全体に及ぶ前であったのは幸いだった。
そして、駆けつけた医師の中に整形分野でもトップクラスの医師がいたため、かろうじて足を切断せずに済んだ。当初の予定よりもより高度な術式を選択することができたのだ。
結果的にあのテレビ放送は成功だったと言えよう。
山井晃司のもともとの実力はともかく、本人が望めばトップアスリートとしては無理かもしれないが部活を楽しむくらいならできそうだったし、本人のリハビリの努力次第では、医師の予想をはるかに超える活躍ができるかもしれないという選択肢が残されたのだった。もちろんそうなるためには、まずは通常のリハビリも乗り越えなければならなかったが、手術前のどうしようもない状態からすれば、かなり前向きに考えることができそうだった。
そのせいか、あのやや反抗的とも言える態度から、少しだけ直樹に対しても軟化したように見えた。
多分琴子に対して謝ることはないだろうが、それでもこのニュースを聞けば琴子は喜ぶだろうと思われた。

「…よかった」

琴子はただそう言って喜んだ。
自分自身も子どもを持ったことで、病気や怪我の子どもに胸を痛めることも多かったのだ。
琴子はそれ以上は望まず、転院が決まって病院を去る山井晃司をそっと見送るのみだった。
直樹はそんなふうにこっそりと見送らずに堂々とすればいいと言ったのだが、琴子は黙って首を振った。
普段の琴子なら、相手がどう出ようとただぶつかるのみだったろう。いや、今でもその傾向は衰えていないのだが、さすがにこの件に関しては、驚くほど控えめだった。
それはこの震災と無関係ではなかったし、震災に関係していなかったらいつものようにぶつかっていったのかもしれない。
前のような琴子に戻るのか、直樹にはわからなかった。
ただ言えるのは、立ち止まってはいられないということだった。
子どもを持って変わったこともあれば、変わらないところもある。
震災も一つの出来事として変わることもあれば、変わらないこともあるかもしれない。
直樹はそうであってほしいと思った。


一ヵ月後。

街は少しずつ動き出す。
直樹も何度か家に帰ることができるようになり、生活自体は少しずつ楽になってきていた。
物の流通がようやく軌道に乗り始めたというところだ。
もちろんまだ仮設住宅どころか震災で壊れた建物や道路の整備は済んでおらず、水道が復活していないところもあるし、学校はいまだ避難所代わりだ。
それでも復興に向けて少しずつ進んでいく。
目に見えるのはほんの少しで、ほとんど変わっていないように見える街並みだったが。

震災による火災は、最終的には六十五万件を超え、火災による死者は一万人を超えた。
火災による消失面積は約一万ヘクタール、四十万棟以上。
これは世田谷区と杉並区を合わせた面積に相当する。
正確な死者数はいまだもって判明しなかったが、重軽傷者だけでも二十一万人以上を数えた。

いつか人々の記憶から、少しずつ薄れていくこともあるかもしれない。
街が少しずつ変わっていくように、そこに住む人々も変わっていく。
壊れてなくなってしまった建物を再建させるのは難しい。
城などのように復元されるものもあれば、新しく建て替えていくものもある。
そんなふうに変わっていくことは止められはしないのだ。
壊れた街並みが完全に戻るにはまだ時間がかかるだろう。
亡くなってしまった人は戻らないし、時間も戻らない。
直樹はそれをかみしめながら過ごしている。
何度でも人は立ち上がり、何度でも復興する。

そんな中で、琴子は毎回失敗しながらでも前を向く。それだけは変わらなかった。幸いと言うべきか。
いつも何度でも傷ついて、ぼろぼろになっても、次こそはと希望をこめて。
一万回ダメでも、一万一回目にはうまくいくかもしれないと祈りをこめて。
それを直樹はうらやましいと感じる。
人は傷ついてまで失敗を繰り返したくはないと思うものだし、ましてや一万回も繰り返そうとは思わないものだ。
この先、琴子が何度失敗したとしても直樹は琴子を見捨てたりはしないし、自分自身もただあきらめることはしないと。
そのためならば手を引っ張ることも厭わない。
叱咤して、怒鳴りつけて、慰めて、抱きしめて、何度でも名を呼ぶだろう。
ここに一緒に心を寄せる人間がいるのだとわからせることができるなら。
願いが届けばいいと直樹は思う。
今日はダメでも明日なら、と願う人のために。
震災を忘れないと誓っても忘れていく記憶や想いがある。
それでも構わない。
忘れるほどに幸福なときが続くのならば。
何度でも人は幸福を見つけることができるのだと思うこともできる。
希望の明日がある限り、何度でも。

(2013/12/30)−Fin−