19
入ってきた店主とされる男はお智をじろりと見た後、にやりと笑った。
何かよからぬことを企む輩という様子を隠しもしない。
「それで、どちらの御家門でいらっしゃいますのでしょうか」
「…あら、本当に店主かどうかもわからぬ者に名乗れとおっしゃいますの?」
「…おや、それは失礼いたしました」
恰幅の良い姿を揺らしてもう一度笑う。
お智はその姿を見てわずかに眉を寄せた。
武家からのお遣いだというのにもかかわらず、明らかに自分たちのほうが立場が上だと思っている態度である。
この尊大な態度は商売する者には駆け引きとしてよく見られるものではあるが、あくまで商売上のものであり、ここまで下種な態度を見せるのは商売人としては下の下だ。
昨今武家の権威は落ち、商家の力が強いのは世の流れである。
食い詰めた武人が家督を維持できずに落ちぶれ、藩主ですら参勤交代をするにも金が足りずに金貸しに借りる始末で、どの家門も借金だらけというのもただの笑い話ではないのだ。
元々商売人として生活しているお智は、金が大事で生活するためには多少の割り切りも飲み込んでいる。
水茶屋においては花を売る者も多いのだが、幸い実入りも多い仕事も引き受けているためにかろうじて表の仕事だけで食いつないでいる。
それだからこそ、客相手にある程度の媚びへつらいも厭わない。
矜持もあるが、それでも商売上の愛想は必要だと思っているのだ。
大店はまた少し違う理もあり、持ちつ持たれつがまかり通ることも多い。
しかし、この店主もどきは違う、とお智は思う。
大店の店主らしくない。
慇懃無礼な態度も隠さず、常に上からの目線しか感じない。
客を見定めるという視点には至っていない。
「…店主が代替わりしたというのは、本当でしたのね」
お智はつぶやく。
「ええ。派手に読売に書かれまして」
「私、大奥様に一つだけ申し渡されていることがございますの」
「どちらの大奥様でいらっしゃいますのか」
それには答えず、お智はちらりと店主と名乗る男を見た。
「…必要以上の嘘をつく輩とは取引をするな、と」
「必要以上、とはこれまた変わった言い付けでございますね」
「ええ。人は嘘をつく生き物でございましょう。嘘をつかずにいられないものでございますから」
「貴女様も」
「大奥様から申し渡されていることに嘘はございませんわ。でも、駆け引きには多少の嘘や誇張はよくあることですものね」
「そうはおっしゃいますが、どこまでが嘘で真かこの私に見破れと」
「面倒だと私を切り捨てますか。それとも、恩を売りつけて後でお調べなさいますか。…ああ、もう今既にお調べなさっていることでしょうね」
実際こうして話を引き延ばしているのは、裏を取るために動いているからだろうと思われた。
もちろんこれは想定されたことであり、お屋敷自体は調べられても構わないのだ。
その大奥様が薬を欲しているのは本当で、怪しげな薬種問屋を訪ねるのにいったい誰を向かわせてよいものかと御隠居に相談があったのだから。
店主と名乗る男はお智をじっと見てから息を吐いた。
「ここはひとつ恩を売りつけておきましょう」
「それはこちらにとってもありがたいことでございますね。ええ、もちろんお代のほうはきちんと払わせていただきます。
売ってもらわずに正体だけ知られるのは良しとしないでしょうから」
「そうでしょうとも。今後ともよいお取引を」
そう言うと、店主と名乗った男は部屋を出て行き、代わりに痩せた小男が入ってきた。
「ご所望のお薬はこちらですか」
そう言って差し出した薬をお智は慣れた手つきで薬包を開け、少し匂いを嗅いでつまんでみせた。
ぱらぱらと指の間から落ちる粉を障子越しの明かりにかざして見ると、薬包を包み直して目の前に置いた。
「おそらく。とは言っても私は遣いの身でございますので屋敷に戻ってから再度の吟味がございましょう。
それでも、こちらの誠意あるお取引を願った身としては、こちらをお納めいただければと…」
預かってきた金子を懐から出して、小男の盆の上に乗せると、小男は部屋を出て行った。
すぐに部屋の襖が開き、「お帰りはこちらでございます」と小女がお智を案内するので、お智はやや緊張気味に小女の後をついて歩いた。
薬問屋を出る前に一太刀浴びる可能性もあるため、歩きながらも気配をうかがうのを忘れなかった。
もちろん帰り道も通り魔を装い、屋敷に着く前に亡き者にされる可能性もあるため、駕籠屋が屋敷を出てお智が女中の格好を解くまで緊張が続いたのだった。
戻った屋敷は確かに大奥様の持ち物ではあったが、そこに大奥様がいるわけではなく、療養中という見せかけの小屋敷であるため、人の出入りも少なく、探られてもさほど大きな痛手もないというわけだ。
そのうちあの薬種問屋は抹殺されるだろうということであれば、ばれても全く構わないということだった。
* * *
薬種問屋からなかなか出てこないお智のために控えていた啓太は、当たり前だが気が気ではなかった。
読み通りに薬を持って出てこられるのかどうかが計画の成否にかかわるのだ。
四半時はたっぷりとかけた駆け引きの結果、無事に目的のものを手にしたお智が出てきたときはかなりほっとしたのだ。
しかし、小声で帰り着くまで警戒を緩めるなという忠告に、駕籠屋の後を付いて歩く啓太は用心棒としてよろけて近寄ってきたどこかの年増女にまでにらみを利かせる羽目になったのだった。
何でおれがこんなことを…。
大工仕事もそこそこにいつの間にか用心棒まがいまでしている己自身にため息をつきながら、それ以上に危うい取引を終えてきたお智に少し尊敬の念を覚えたのだった。
そして、この薬種問屋と毒饅頭とおすみとお琴がどこでどうしてこんな複雑な事件に巻き込まれる羽目になったのか。
ただの大工の啓太にはわからない。
わからないが、少なくともお琴が悪いやつに目をつけられているならば助けてやろうという皆の心意気に賛同しているだけなのだ。
考えても仕方がないことなので、家に帰されるまで、己に課せられた仕事をこなすのみと割り切ることにしたのだった。
* * *
小屋敷では、お智たちと御隠居、直樹、影者たちが顔を突き合わせて情報をすり合わせることになった。
「つまり、小太りの以前の店主だと言われていた男は生きていたということか」
直樹の言葉にお智は首を傾げた。
「…そうかもしれませんが、私が見た男が以前の店主であったとされる男かどうかはわかりません。似ただけの別の男の可能性もあります」
「確かに、以前の店主は信用ならないが恰幅の良さと圧しの強さは店主らしかった」
「今回私があった男は、何と言うか…こう小物感があって、恰幅の良さと思い切りの良さというよりは、ただの小太りないやらしい目つきの男という感じがして、やはり交代したのではという感じがしてなりません」
「その似た男、というのが引っかかるな」
「そうですね」
御隠居はうなずいた。
「元の店主の弟、という可能性もある」
「弟…」
直樹と影の者はなるほどとうなずく。
「確か元店主には腹違いの弟がいたはずだ」
御隠居はそう告げるとお智は「それであっても…」と声を上げた。
「どちらにしてもあの風貌ではろくな輩ではないでしょうよ」
「あの薬種問屋の売り上げを狙って兄弟間で争いがあったと見てもおかしくはないだろう」
「あの店にいた手代は見なかったか?」
直樹の言葉にお智は首を振る。
「では、あの毒饅頭事件は…?」
直樹はお琴が遭遇した毒饅頭事件を偶然にしては出来過ぎだと思っていた。
「もちろん口封じであろうが、薬種問屋の中で争いがあったとしても不思議ではない」
「事件は複雑に絡み合っているように見えて、実はそれぞれ別の事件が重なっているのではないだろうか」
「別の事件…」
直樹は頭を振った。
啓太も首を傾げる。
「つまり、さる大名家の奥方さまの悋気<りんき>が絡んだ毒饅頭事件はおすみさんの店をつぶす目的があった」
お智は思い出しながら言う。
「つぶすだけならそれほど跡取り争いには影響ないように思いますけれど。むしろきれいさっぱり後腐れなく跡取りとしておすみさんから取り上げることが容易になりそうな」
「そこに他の者の思惑が絡んだのだろう」
「奥方は評判が落ちればよいと思っていた。おすみを囚われの者にしておけば、養子にすることも可能だと思っていたかもしれぬ」
「おすみさんなら、真に願えばそれも可能だったかもしれませんのに」
「あの時点では大名の血筋だということすら否定していたのだから、御家断絶問題は根深かったのだろう。大名家を継げるかもしれないと言われていた親戚筋の悪意がそこに加わり、襲撃事件となった」
「手に入れた毒饅頭は、大名家が用意したものではなかった、と」
お智がうーんと首を傾げる。
「でもあの毒饅頭事件の大元は、大名家に仕える奉公人と鳥兜を密輸する者たちの利権争いではなかったですか」
「その鳥兜を密輸した先は」
「あの薬種問屋…とすれば」
「もちろん奉公人はもう少し利益をむさぼろうとしたのであろう。それに釘を刺された形になったのが二人目の毒饅頭事件じゃ」
「一人目の毒饅頭事件と立て続けに起こったのでわかりにくいけれど、その毒饅頭事件を利用したというわけね」
「そしてその薬種問屋は内向きで利益争いがあった」
「それが当主の急死」
「頭を取り換えたつもりが、さらなる悪意につながったのでは、お上も見逃せんじゃろう」
直樹ははっとして問うた。
「ではもしかしたら対峙した手代は」
「自分が当主になるという甘言に乗って、どこぞやで既に冷たくなっておるやもしれんな」
「薬種問屋の中全てが既に入れ替わっている、と」
「あの密輸していた大名家の膿は、そろそろ出切った頃かの」
直樹はなる坊とおすみさんを送っていった西垣様を思い浮かべた。
御家騒動に絡んだ糸は、こちらからは見えない藩のお膝元で片を付けるのだろう。
「薬は正しく使わねば毒になろうぞ。当たり前のことじゃがな」
「密輸されなくなった薬種問屋はどう出るのか」
「ここでまた大名家に戻るわけじゃな」
「そして利益を貪るためには都合した薬の卸先にも脅しをかけるつもりかもしれませんね」
「お上が一気に踏み込むのが本来正しい政のあり方であろうよ」
「でもそれはお上も罪を暴くための時間が必要でしょう」
お智はご隠居を見て問うた。
「でもそれなら、お琴さんはひとまず安心しても良いのかしら」
「大名家の者は既にお琴さんから手を引いておるじゃろ。そもそも今はそれどころではなかろう」
「薬種問屋からの脅しが入っただろうから…?」
「勝手に代替わりしているにもかかわらず、再び同じ益を得ようと脅しをかけてくる薬種問屋と、どうやって縁を切ればよいのか泣きついてきおったわ」
「薬種問屋は取り潰しにしても、大名家は守られるのですね」
「お智さんも今回のことでわかったじゃろうが、あの猛毒の鳥兜を採集して乾燥させ、薬にするまでの過程を担うのはあの藩の得意とするところで、その薬を待っている客は存外多いのじゃよ」
「つぶしてしまっては薬の担い手がいなくなってしまい、お上としても困る方々は多いのですね」
「この騒動は、薬種問屋の幕引きで事を終えるであろう」
御隠居の言葉に一同はお上がなんとかするだろうと思っていたのだった。
(2026/04/08)
To be continued.