Kissしたくなる10のお題



05 唇強奪犯


バレンタインデーなんて、チョコ会社の陰謀、だなんて思ってる?
きっと入江くんならそう思ってる。
だって、甘いものは嫌いだって言うし、バレンタインデーだからってチョコレートの話をし たら、それはそれは丁寧にバレンタインデーの由来について言われたの。
半分も覚えてないけど。
別にいいの。
チョコ会社の陰謀だろうが、何だろうが、今の日本じゃチョコを女の子から贈るのがスター ダストなんだもん。
いや、違ったわね。えーっと、スター…。

「スタンダード」
「あ、そうそう、それ」

横から聞こえた声に思わず答えると、ソファに座って本を読んでいた裕樹君が嫌そうな顔を して言った。

「ひとり言が大きいんだよ」

一瞬入江くんかと思っちゃった。
最近声まで似てきて、いやぁね。

あたしは心が広いから、そんな裕樹君にだって義理チョコの一つくらいあげるわよ。
あ、もちろん裕樹君は好美ちゃんからのチョコさえもらえればいいんでしょうけど。

「おまえのなんかいらねーよっ」

パタンと本を閉じて、怒って部屋に行ってしまった。

あらあら、反抗期かしらね。
はいはい、好美ちゃんのだけ欲しいってことね。

あたしは構わず『初めての手作りチョコ』なんて本を広げながら、あれこれ考えていた。
もちろん初めてなんかじゃないし、何度か挑戦したことはあるけど…。
お菓子って、本当に難しいのよね。
あたしが失敗するのはお菓子だけじゃないって?
そんなことはないわよ。
最近はお義母さんに教えてもらってかなりうまくなったんだから。
チョコレートだって、刻んで溶かして型に入れるだけじゃない。何が難しいのよ。
キッチンに放置してある焦げたものは何だって?
…えーっと…。

あたしは少しだけ目をつぶって別世界に行ってしまいたかったのだけど、漂ってくる甘いよ うな苦いような匂いに口をへの字に曲げたまま立ち上がった。

そうそう、直接溶かしちゃいけないって書いてあったわね。
だから電子レンジも使ってみたんだけど、使ったボウルがアルミだったから、火花が散って 大変だった。
素直にお義母さんが用意してくれていたらしいガラスのボウルを使えばよかった。落として 割りそうで怖かったんだけど。
むしろお湯を使ってどうとかのほうがよかったのかも。…漢字が読めなくて…。(作者注: 読めなかったのは→湯煎<ゆせん>)
お義母さんはどうしても用事があるからっていなかったけど、先に始めてようっと思ったの がいけなかったのかしら。
でも、これまでに何度もチョコレートには挑戦してるわけだし。

あたしは時計を見て慌てた。
もう入江くんが帰ってきちゃう。
早く片付けないと。
あー、この焦げたチョコ、どうしよう。
ちょっと指ですくって舐めてみたら、ざらざらして苦い。
無理よね、これじゃ。
あ、でも入江くんなら甘くないのがいいって食べてくれるかも?
さっきの余りで作った失敗作、どうしようかな。(作者注:焦がしたので量が減った)
もう一つ残してあるほうは、明日もう一度ちゃんとやって、入江くん用にしようかな。
じゃあ、これは…。

あたしは手の平に乗せたチョコを持って考えた。
裕樹君に試食してもらおうっと。
あたしはそれを手の平に乗せたまま、リビングのドアを開けた。
…と同時に玄関のドアが開き、入江くんが帰ってきた。

「ただいま」

あたしは驚いて、手の平に乗せたチョコを隠す暇もなかった。

「お、おかえり」
「…チョコ?」

少しだけ嫌そうな顔をして入江くんが言った。

「あ、えーっと、入江くんのじゃないけど」
「…ふーん。で、誰の」
「ゆ、裕樹君の、かな。あ、えっと、失敗作、なの」

まさかこんなのを入江くんにあげると思われたくなくて、思いっきり言い訳してしまう。
入江くんは「へぇ」と言った後、そのチョコをひょいとつまんで、笑ってごまかそうとした あたしの口の中へ放り込んだ。

「ちょっと…に、にがっ、じゃなくて」

仮にも人にあげると言ったそのチョコを、失敗作とはいえ苦いってどうなの。
しかも甘いはずのチョコなのに。

そう思った瞬間、今度は何か影がかぶさった。

え、あ、ちょっと。

そんな言葉も出ないまま、唇を強引に塞がれて、あっという間に入江くんの舌があたしの口 の中に入り込んだ。

さっき食べたチョコ、苦くないのかしら。

そんなことを思っていると、入江くんが少しだけ唇を離して言った。

「…甘い」
「で、も…」

そしてまたふさがれて、繰り返しキッス。
すっかりチョコの味もわからなくなった後、離されたあたしは身体に力が入らなくなってい て、ふにゃふにゃのまま玄関に座り込んだ。
入江くんは平然とそのまま二階に行ってしまい、あたし一人残された。

えーと、今の、何だったの。

あたしは突然起こったキッスの意味を考えていた。
ふと視線を感じると、階段に真っ赤な顔をした裕樹君がいた。

「だ、だから言っただろ、おまえのなんかいらないって!」

それだけ叫ぶと、だだだだっと階段を駆け下りて、玄関から出て行ってしまった。
あたしはただぼんやりと、裕樹君はいつからいたんだろうと思ったけど、ようやく立てるよ うになったので、よっこらしょっと立ち上がった。

何だかよくわからないけど…。
つまりは、あんなに苦いチョコでも入江くんは大丈夫ってことよね!
よーし、明日はちゃんとしたものを作るぞー!

拳を上げてエイエイオーと気合を入れて、キッチンの残骸を片付けることにしたのだった。

(2012/02/14)05 唇強奪犯−Fin−


おまけ→気の毒な目撃者