パトロール日和








屋敷までたどり着いたものの、もちろん玄関が簡単に開くはずがない。
仕方がなく二人は裏口へ回ることにした。
もちろん窓をどこか割ってしまっても構わないが、後からの言い訳を考えると犬に追いかけられて庭を横断したというほうが怪しくはない。
犬の一匹が飛び掛ってきたが、とりあえず蹴飛ばして走り続ける。
いったい何匹いるんだと思いながら二人は走った。
と、そのとき屋敷から何か警報音のようなものが響いた。
走っていった先に、着物を着た唐沢の姿が見えた。
何で着物…?
しかもその着物はすでにすそも袖もたくし上げられていて、決して美しいと言える格好ではない。
しかもその後ろに何か男がいる。
ストーカー野郎の顔は知らないが、年齢から行けばそうと考えてもおかしくないだろう。
唐沢から聞いた体型、容貌もなんとなく一致する。
おまけに、そのストーカー野郎は、唐沢の腰に手を回している。
「こっの野郎!」
犬に追いかけられた勢いのまま二人は走っていき、漆原はそのままストーカー野郎に突進していった。
「唐沢に触っていいのはオレだけだ!」
ストーカー野郎はもちろん訓練をつんだ漆原にかなうわけがない。
あっさりと蹴り飛ばされて昏倒した。
唐沢は驚いたように目を見開いたまま立ち尽くしている。
サカキバラは後ろから来た犬と格闘し始めた。どさくさに紛れて何言ってるんだ、あいつは…と思ったが、それどころではなくなった。
犬と男と班次長。
この状況、不審者として撃ち殺されても笑えないくらいやばかった。
唐沢は漆原の発言を見事に聞かなかったことにしたのか、聞こえなかったのか、はっと正気に戻ってすぐにきっぱりと怒鳴った。
「お座り!」
吠えていた犬は一瞬吠えるのを止め、唐沢の顔を見た。
これまでにない険しい顔をして立ちはだかっている唐沢の顔を犬が伺いをたてているといった感じだ。
有無を言わせぬ口調で唐沢はもう一度言った。
「お座りなさい」
サカキバラに飛びかかろうとしていた犬も態度を改めた。
一匹の犬をしっかりと見つめた唐沢は、どうやらリーダー格の犬を見つけたようだった。
その犬がおとなしくお座りをすると、他の犬もそれに倣っておとなしくなった。
唐沢はおとなしく座ったリーダー格の犬を見つめたまま窓から降り、「よし」と言って犬をなでた。
漆原とサカキバラも驚いていたが、何よりも班次長も男も唐沢に従った犬を見つめて「信じられない」とつぶやいた。
やっとそこで唐沢は笑みを漏らして言った。
「よかった。迎えに来てくださったんですね」
サカキバラはほっと息をついて班次長を見た。
「連れて帰りますよ、まだ勤務中ですから」
「それじゃあ、失礼します、班次長」
漆原は有無を言わさず唐沢の腕をつかんでその場から立ち去ろうとしたが、肝心の唐沢が待ってくれと漆原の袖を引っ張った。
「着替えてくる。大事な用具も携帯も全部預かってもらってるし」
唐沢の格好を改めて見れば、確かにこのまま戻るのも困るだろうと思われたので、好きにさせることにした。代わりにサカキバラが付いていくことにして、漆原は班次長と男と向かい合った。


「…何のつもりですか、これ」
「君こそ個人の家に入り込んで、何のつもりだ」
「拉致も同然でしょう、本人の了解もなしに連れ去られたら」
「了解はとった。連絡もしていいと言った」
「へー、車に妨害電波まで取り付けて、携帯を取り上げて、しかも上司の命令で勤務中に?」
「不法侵入の言い訳にはならんだろ」
「そもそもあのストーカー野郎のために唐沢をどうするつもりだったんですか」
「あれは私の甥だ。名誉毀損と傷害罪で訴えるぞ」
「あの大事な甥が爆弾事件の犯人だとしたら?」
「そんなことは…」
「おや、知らないんですね。それは好都合。今のうちに甥をこの屋敷から追い出しておいたほうが得策ですよ。この先も班次長として仕事していきたいなら、ですけど」
「君は、何を…」
「多分そろそろ連絡が来ると思いますけどね」
「君は漆原と言ったな。君も直系の血を受け継いでいるのならわかるだろう。この日本で生まれ育った…」
「そんなもの、言い訳にも自慢にもならないんですよ。血を残すためにどうなってるか、現状を知らないはずじゃないでしょう。無理矢理結婚させたり、妊娠させたり。一昔前の華族さまじゃないんだから、こんな平々凡々な普通の日本人の血なんか残したって仕方がないでしょうよ」
漆原はそう苦々しげに吐き捨てた。
ああ、だからオレは、唐沢にだけは惚れるまいと思っていたのに、と漆原は日本庭園を眺めた。


そばでずっと唸っていた犬たちが、ぴたりと静かになった。
「お待たせ、漆原くん」
唐沢とサカキバラが戻ってきたようだ。
漆原はすんなりと戻ってきたことにむしろ驚いていた。何か妨害でもされると思っていた。
「いいこね」
そう言いながら犬の頭をなでている唐沢に犬は既に服従状態だった。目の前に真の飼い主がいるにもかかわらず、だ。
「それじゃあ、帰りましょう」
もちろんそんなにすんなりと帰してくれるとは思っていなかったが、男が立ちはだかったときには緊張が走った。
後ろで「ううーん」という声とともにストーカー野郎…もとい班次長の甥が起きだした。
男は漆原とサカキバラに遮られた唐沢を取り戻すよりも、とりあえず坊ちゃんのほうを助け起こすことにしたようだった。さっと駆け寄って助け起こす。
漆原はあと一回くらい蹴っておけばよかったと内心思っていたが、起きだしたその甥という奴が唐沢と漆原を見て言った。
「おまえ、おまえなんかに彼女を」
漆原はあの自信満々の顔で言い放った。
「ふん、おまえよりよほどオレのほうがふさわしいに決まってるだろ」
サカキバラは呆れて言った。
「はいはいはい、あんたたちは良くても唐沢ちゃんにだって選ぶ権利ってもんはあるのよ。何を勘違いしてるんだか。さあ、こんな馬鹿どもは放っといて行きましょう」
唐沢の背中を押してサカキバラはそのまま庭を横切っていくことにした。


先ほど強行突破した門まで来ると、やけに騒がしかった。
門から見慣れた顔が入ってきた。
「…課長」
課長と呼ばれた男は、サカキバラの顔を見た途端に怒鳴った。
「おまえらは、連絡もなしで何やってるんだ!」
「何って、唐沢ちゃん拉致監禁救出ってところ」
「はぁ?!何だよ、そりゃ」
「爆弾事件の犯人を捕まえに来たんじゃないですか」
後ろから不機嫌そうな漆原が言ったのを聞いて、課長は「うう」と唸った。
「知ってるなら何故連絡してこない」
「連絡できない状態だからマツオカに頼んだんですよ。で、家宅捜索で何か出たんですか」
「ああ、まあな」
「どうしたことですか、これは」
騒ぎを聞きつけて班次長がやってきた。
課長は逮捕状を取り出して見せた。
「失礼しますよ。神林一雄に逮捕状が出ています。速やかにこちらにお引渡しください」
班次長は顔を真っ赤にしながら逮捕状を手に取ろうとしたが、その前に課長にさっとしまわれて手にすることはできなかった。
それを聞いて、唐沢はやっとあの元患者の名前がそういう名前だったことを思い出したのだった。
門の外に大勢止まっている車の一つを借り受けると、漆原の運転で所に戻ることになった。
隣のサカキバラは「ああ、疲れた」とぼやき、運転席の後ろに足を上げて漆原に叩き落とされている。
唐沢はひたすら下を向いたり窓の外を見たりして、漆原と目が合うのを避けた。
先ほど着替えのときのサカキバラとの会話を思い出した。

「唐沢ちゃん、漆原に触られたの?」
「さわ…触られてなんかいません。ただ、転びそうになったので助けてもらったくらいで…」
「えー、それだけであの発言?馬鹿じゃないの、あいつ」
着替えをしている唐沢に、サカキバラはずばり尋ねた。
「学生時代実は付き合ってました、とか?」
「…ありません。だって、振られたのは私のほうなんですから」
「ええっ、そうなの?なんてやつ、漆原め」
「直系の血を引いてる限り無理だとか何とか」
いつだったか、直系における血族の問題について話したときだった。
唐沢は、血族を嫌っているらしい漆原に直系とかは関係なく漆原が好きなんだと伝えたつもりだった。
マツオカに言わせれば、それも覚えていないようだが。
「ところで、さっきの犬、凄かったわね」
着替え終わったところでサカキバラが感心して言った。
「ああ、あれですか。うちの父がですね、犬のトレーナーなんです。うちにもあの種の犬がしつけのためにごろごろいたんです。当然子どもと言えど主人を理解させないとえさやりだけでも大変なことになるので、散々仕込まれたんです。最初に怯むともうだめなんです」
そんな会話を交わしながら漆原の元へ戻ったのだった。

所に戻った三人は、課長たちが戻ってくる前にご飯を食べることにした。
気がつくと疲れと空腹でよれよれだったのだ。
無言で並べた皿の上のものを食べつくし、三人はお茶を飲みながら一息ついた。
「何だか…異様に疲れたわ、あたし」
「ああ、疲れた…」
二人がそうため息をついたので、唐沢はいたたまれなくなった。
どうやら唐沢を探すためにバイクを飛ばしてきてくれたらしい。しかも、着いてからは犬とともに全力疾走。疲れないほうが無理というものだ。
もちろん二人とも並み以上の体力の持ち主ではあるので、動けないほどばてているわけではない。
精神的な疲れもあるのだろうと唐沢は思った。後にやってくる始末書の山を考えたら、唐沢とてため息をつきたくなるというものだ。
「ねえ、唐沢ちゃん、何か誤解があるみたいだから、ちゃんと記憶を確かめたほうがいいんじゃないかと思うの」
「何の記憶ですか」
「それを確かめるのよ。課長にはうまく言っておくから、後からいらっしゃいな」
サカキバラはそう言って食堂を出て行った。
正直、この不機嫌の塊のような漆原と二人にして置いて行かないでくれと言いたかったが、食堂でもあることだし、閑散としているとはいえ人の目もあるので、何とかなるだろうとようやく心を落ち着けたのだった。
食堂の奥で食器を片付ける音がする。
所の食堂では時間が不規則な隊員たちのために深夜を除いてほぼ営業中だった。
それでも一般的な食事の時間を過ぎると、広い食堂に人の姿はまばらとなるのだ。今二人の周りには誰もいない。
しんとした重い空気をどうにかしたかったが、唐沢には無理だった。
「自分だけ班次長の車に乗せられて、おかしいと思わなかったのかよ」
ポツリと漆原が言った。
説教来た、と思って首を縮ませたら、それを見て漆原がため息をついた。
「…悪い、目を離すなと言われて離したのはオレだ」
その言葉に少しだけ勇気を奮って言ってみた。
「転職して、初めての上司に逆らえないよ…。でも、おかしいと思ったから必死に隠れてメール打ったの」
「ま、そりゃそうだよな」
「あの患者さんが出てきたのにはさすがに驚いたけど…」
「…ああ、あの野郎…」
唐沢は、しまったと思ったが遅かった。
「もっと蹴飛ばしてやればよかった」
いや、あれで十分大ダメージだと思う、と漆原があの元患者に繰り出した強烈な蹴りを思い出した。
「…それとも、唐沢はあの男のほうが良かった?」
あの男のほうがって…誰と比べて?
「あのね、漆原くん」
唐沢は仕方なく口にした。
「学生時代に私が言ったこと、覚えてる?もしくはそれに対するあなたの返事とか」
「何の話?」
漆原は真面目に聞き返す。
こりゃだめだ、と唐沢が思ったとき、向こうのほうから声がした。
「あ、おまえ、漆原〜〜〜〜!」
トレーを持ってパタパタとやってきたのは、マツオカだった。
マツオカは今回の裏の功労者である。多分今までいろいろ漆原にこき使われていたおかげで昼食を食べ損ねていたのだろう。
「ははは、ざまあみろ、漆原、唐沢さんが拉致されて相当テンパってたって?…っと、唐沢さん」
多分漆原の影に隠れて見えなかったのだろう。もしくは漆原にその一言が言いたくて浮かれて唐沢を見落としたのか。どちらにしてもマツオカは余計な一言を言ったのは間違いないようだ。
「マツオカ〜、その口がしゃべれないように今すぐ縫ってやろうか」
「何だよ、いろいろ手助けしてやった恩人にそういうことするか?!こっちはヒヤヒヤだったんだぜ。結果的にはうまくいったからいいけどさ」
唐沢は会話を聞きながら、学生時代にもこんな風に漆原とマツオカが話しているのを横で聞いていたことがあったと懐かしく思っていた。
「ねえ、マツオカくん、漆原くん本当に覚えていないみたい。サカキバラさんにも言われたけど、何だかどうでもよくなってきた」
「へ、へぇ」
「何だよ、だから何の話だよ」
唐沢は少々投げやりになってきて、漆原の目を見て言った。
「私が漆原くんに告白したら、直系の女はだめだって断ったっていう話」
ふん、どうだとばかりに唐沢はお茶をすすった。
視界の隅でマツオカはトレーを持ってこっそり移動している。
漆原の反応はない。
いつも頭の回転が速い男だったが、まるっきりフリーズしたままだった。
あ、動いた。
漆原は額に手を当てて、呻いた。
「直系の女云々は、確かに言った。言ったけど…」
そこで顔を上げて言った。
「マツオカ、何でおまえはそのこと知ってるんだよ」
そろりと移動していたマツオカは、手に持ったトレーを驚いて落としそうになった。
「漆原が覚えていないってんなら、おまえが鈍いんだろ。俺はおまえと唐沢さんが図書室で話しているのを立ち聞きしただけなんだからさ」
少しおどおどとそう答えた後、マツオカは更なる被害を避けるように違うテーブルへ移動してしまった。
「つまり、唐沢は昔オレのことが好きだったってこと?」
漆原は身を乗り出して唐沢の顔を見た。
つい一歩後ろへひいて仕方なく答えた。
「…昔ね」
「そうだったんだ」
唐沢にとっては…何で今頃こんなことを…と思わないでもないが、班次長の私邸での出来事を考えると気になって仕方がないのも事実だった。
昔はその意地悪に屈したことも数知れず。今度は負けないもんね、と歯を食いしばった。
「何で気付かなかったんだろう」
新たなる意地悪に身構えている唐沢とは逆に、漆原は真剣に考え込んでいる。
「だいたい直系の女ってのも、自分の嗜好に関係なく跡取りのことばかり言われるからお断りだって話を…あ〜もう」
漆原が頭を抱えた。
普段冷静だった分、漆原のその珍しい行動を唐沢は驚いてを見つめた。
「唐沢」
「…はい」
「男嫌いってのは、やっぱりオレのことも原因、なんだよな?」
確かめるようにもう一度顔をのぞきこむ。
「それは…」
思わず目をそらして言葉を濁す。
「どうなんだよ」
ここではっきりそうだと言ってしまえばすっきりするし、意地悪の仕返しにもなるかもしれなかったが、それをするには唐沢は少々優しすぎた。
はっきりしない唐沢にいらだったのか、漆原が唐沢の肩に手をかけようとしたそのとき、漆原の手は邪険に振り払われた。
「はい、そこまで」
漆原の手を振り払って割って入ったのは、サカキバラだった。
「ハナキさん」
「いつまでやってんのよ。そろそろ後始末に来ないと全部あんたの責任にするわよ」
「やめてくださいよ、大変なんだから」
仕方なさそうに立ち上がり、いつもの表情に戻った漆原を見て、唐沢はほっと息を吐いた。
「唐沢ちゃんは事情聴取が待ってる。だいたいの事情は話してあるけど、正直に答えればいいから」
「はい」
「先に行きますからね」
漆原は後ろも見ずにそう言って食堂を出て行った。
それを見送ってから、サカキバラは唐沢に聞いた。
「で、漆原は何だって?」
「学生時代のことに気づかなかったことと、男嫌いの原因について問い詰められましたけど」
「ふーん。あいつもたまには苦労すればいいのよ」
そう言ってサカキバラは楽しそうに笑った。
唐沢には漆原が何を考えているのか、結局よくわからなかった。振られたわけではなかったのか、問題外だったのか。
漆原の学生時代のモテ振りを考えると、考えられなくもない、と唐沢は結論付けた。
唐沢も立ち上がり、サカキバラの後について歩き出した。
食堂の窓から見える空は、漆原と公園で見たときと変わらず、雲一つないいい天気だった。


(2010/09/12)パトロール日和−Fin−