パトロールはご一緒に








 新たな脅迫状が届き、本部は慌ただしくなった。つい先ほどのことだ。
 治安維持係は合同で事に当たっていたが、指示により参加者一人一人とペアになって警護につくことになった。
 漆原は当然唐沢も対象に入るわけで、と考えたところで彼女のペアをゴリ押ししてもぎ取った。
 漆原の迫力に結局誰も反対することなく、唐沢の警護を譲ってくれたようだった。
 そもそも誰もが馬に蹴られたくもなかったらしい。
 所内では既に漆原の公開告白の件は知れ渡っていて、さすがに表立って漆原と張り合おうという者も少なかった。
 漆原が本気かどうか、それを疑っていた者もいたが、少し見ていれば漆原の方がかなり惚れているというのが見てとれ、逆に唐沢がいつ落ちるかという賭けにまでなっている。
 ただ、唐沢の方がいまだ気持ちはいまいちで、アプローチを続ける漆原にとってもかなりやきもきするところだ。
 何よりも、漆原の知らないうちに唐沢が男嫌いになっていたのだから、これも厄介なことの一つだった。
 近づけば逃げる、追いかければ怯える、迫れば震えるときては、さすがに手が出せない。
 いや、何度も手を出そうとしたことはあるのだが、そのたびに何とか思いとどまった、というのが本当だ。嫌われてしまっては元も子もない。
 ただ、少なくとも他の誰かよりもましだと思えるのは、漆原が触ってもさほど嫌がらなかったということかもしれない。
 いや、誤解のないように言っておくと、仕事上仕方なしに触った面もある。怖がるし怯えるが、それはそれでつい手放したくなくなるというものだ。
 プライベートでも一度抱きしめたり抱き上げたりもしたのだが、その時もさほど抵抗することなくあっさりと腕の中に納まった唐沢にひどく幸せな気持ちになったものだ。本人曰くおとなしくしていたのは突然のことに固まっていただけのようだが。
 おかげで近寄るなと宣言もされたのは、漆原にとって痛恨の出来事だった。
 漆原は自分で言うのも何だが、かなりの女たらしだった。
 それは唐沢も知っている部分で、だからこそ告白しても軽く見られて信用されていないとも言える。
 心の奥底で密かに唐沢と比べてどの女に対しても満足しなかったというのが今になって思う本当のところだが、今さら散々遊んできた漆原がどの面下げて言えるというのだろう。
 一方で唐沢は自分が自覚がないだけで、あれで結構もてるのだ。
 一見日本人らしいたおやかな容姿のくせに、芯は強くて頭もいい。
 何度かストーカーのような男に付きまとわれたのも触れなば落ちんといったイメージからくるものと思われた。
 実際にはそれほどたおやかでもなければあれで結構負けず嫌いで、むきになって漆原に挑んできたのはまだ鮮やかな記憶だ。
 そこそこ器用で、傷の手当てをしている様子や指示を受けて動いている様子を見ていると、優秀なのもわかる。
 そうやってお互いに競い合いながら飛び級を過ごしてきた。
 早速講演会の終わりに合わせて唐沢を出迎えに行った漆原は、今まさに誘われているらしい唐沢に遭遇した。
 同じ課の男が最近しつこく誘ってくるという話は聞いていたのだ。
 もちろん邪魔をして連れ去ると、ヤマキからのとげとげしい視線を背中に感じた。
 漆原はそんなのはお構いなしに遠慮なく唐沢をエスコートすることにした。
 本来唐沢も苦手だと言っていたように、パーティには必ずしも出席しなければならないわけではなく、どちらかというと欠席してくれた方が漆原としても精神的に気が楽なのだ。
 しかし、唐沢も組織の一員であり、救護の任を負っていたし、今回ぜひとも唐沢を出席させるようにと別口からのお達しがあったのだ。
 その別口とは永遠に逆らえない存在でもある姉の百合香だった。
 姉の百合香はおっとりとしているが、あれでいて結構な策士でもある。いつの間にか姉の掌で転がされていることもある。
 今回唐沢と話がしたいという姉の要望に逆らう理由もないまま、こうして漆原自らエスコートして危険から守るという名目を得ているのだ。
 家からの見合い話を蹴った時、既に姉は唐沢の存在を把握していた。
 学生時代は同じクラスになったこともあり、もともと唐沢を気に入っていたのだから、漆原の行動も筒抜けだったに違いない。
 しかもどうせ姉妹付き合いをせねばならないのだったら、唐沢がいいという姉のお墨付きだ。シスコンと言われようが、邪魔をされないならばどうでもいい。
 まずは早々に自分の着替えと支度を済ませ、唐沢の泊まっている部屋が見える廊下に立ちながら時間をつぶす。
 同じようにそこかしこに組織の人間がうろついている。皆要人警護なのだろう。
 時間ぴったりに唐沢の部屋のチャイムを鳴らすと、慌てたようにドアが開いた。
「お、お待たせしました」
「不用心だろ、確かめもしないで」
「ちゃんと見ました」
 そう言って出てきた唐沢は淡いクリーム色のドレス姿で、漆原も自然と顔がにやけるのがわかった。多分こういう顔を見せると唐沢が引き気味になるとわかってもいたが。
 いつもはかなり地味な私服だが、さすがにパーティとあってはドレスアップせねばならない。いつもとは違うその恰好に、漆原はひたすらかわいいと口に出した。
 おまけに今すぐ押し倒したいとまで思ったのが声に出たのか、唐沢の顔が引きつった。
「もう、漆原君のは冗談なのか本気なのかわからないからやめて」
 そう言われたむくれた顔すらかわいいと思えるのだから、惚れた女にはとことん甘いのを漆原は自覚したのだった。
 慣れないヒールに躓くのではと漆原の方がひやひやしたが、思ったより唐沢は無難に足を進めた。むしろそういうのを口実にして腕につかまってもらいたいものだと思ったが、唐沢自身が自分から男にすがりつくなどまずないので諦めた。
 会場についてセキュリティチェックを受けると、唐沢の雰囲気が変わった。
 背筋をぴんと伸ばし、精一杯堂々と振舞う。
 その唐沢の腕をそっと取り、漆原の腕につかまらせると会場の中に入っていった。
 一瞬ピクリと抵抗したが、されるがままに漆原の腕におとなしくつかまってくれたのが嬉しくて、多分締まらない顔をしているのだろうと自分でもわかったが、こればかりは仕方がないと唐沢に笑顔を向ける。
 唐沢は少々複雑な顔で漆原を見上げた。
 とりあえず逃げないというのはいい傾向だ。
 会場を歩いていくと、すぐに声をかけられる。
 漆原も警戒を兼ねて会場を見渡しているので、あちらこちらの知人と目が合う。
 サカキバラも珍しくドレスを着て教授の隣におさまっている。それなりの格好をすればサカキバラとてそれなりの美人なのだ。しかし、そのドレスの下にはおそらくそれなりの武器も隠し持っているし、ヒールでもかなりの戦闘力なのは間違いないところが怖いところだ。
 開催のあいさつから乾杯を経て、順にあいさつが続く。…が、こういうパーティの常としてほとんどの人間が話半分にしか聞いていない。話す方もそれを承知のように好きなように話している。
 唐沢は乾杯のシャンパンを飲んでいたが、さほど顔色は変わらない。案外酒に強いのだと先日の食事会で知った。酔ってどうこうはなさそうだと密かに安心すると同時に少しばかり残念だった。
 不審な人物はとりあえず見当たらない。
 唐沢自身も知人に会うせいか、つかず離れずとはいえずっとくっついているわけにもいかないのがもどかしい。
 漆原は向こうから近づいてくる人物に目をやってため息をついた。
「真衣ちゃん」
 それは漆原の姉、百合香だった。
「百合香さん」
 軽く頭を下げ、唐沢が嬉しそうな顔をする。そういう顔を漆原に向けてすることも少ないので、姉に対しても嫉妬する。
「かわいらしいわ」
「百合香さんも相変わらずきれいです」
 女としての挨拶代わりの容姿の褒め合いを経て、二人は何やら楽しそうに話を始めた。
 百合香の傍には年配の教授がいて、その傍には滅多に会わない義兄がいた。
 そう言えば百合香の夫の会社は、医療機器メーカーだったと思い出した。
 軽く頭を下げると、温和な義兄は漆原に微笑んだ。この姉を妻としている義兄を尊敬すると漆原は軽くため息をついた。ただ、百合香は見た目だけはおっとりとした良妻賢母に見えるのだから始末が悪い。
 その時だった。
 無線から何やら不穏な言葉が飛び出した。要注意人物が入場したとのことだった。
 ただ、その要注意人物と言えど、パーティには招待されているわけで、むしろその人物を疎ましく思っている人間の方が多いくらいなので、どちらを警戒したものかと思うくらいだった。
 この膨大な人数の中で、どこまで警戒できるかわからない。
 最低限、事が起こった時に阻止できれば御の字だ。
 百合香と別れて、唐沢を連れたまま会場内を歩き出すと、唐沢も同じように警戒しているのがわかる。
「唐沢さんはそばについていてくれればいいよ」
 そう言うと、唐沢は言う。
「ちょっと雰囲気が違う人を見つけて教えるくらいならできます」
「うん、でも心配だから」
「…私も組織の一員ですから」
「でも俺の警護対象だから」
「邪魔にはならないようにします」
「わかってる」
 唐沢は正直これまでに二度も人質になっている。人生にしたらかなりの高確率だ。それを自覚していてもなおそういう無謀なことを言うので、警護する人間としたらやりにくいことこの上ない。
 それでも許してしまえるのは、惚れた弱みか。
 唐沢は教授を通していろいろな人に声をかけられる。
 同じように一緒にいる漆原も声をかけられる。
 穿った見方をした人には、真実カップルだと見られるが、漆原はあえて否定せずに微笑んだ。唐沢への牽制になるなら、どんな誤解も利用する気だ。
「漆原君、その、もうちょっと否定してくれてもいいじゃないかなって」
 唐沢が遠慮がちに言った。
「どうして?」
「どうしてって」
「俺が唐沢さんを誰かに誘われるのを黙って見ていられるわけないでしょ」
「…そう、ですか」
 漆原の言葉に唐沢は諦めたようにうつむいた。嫌がっているわけではないが、戸惑っているのがよくわかる。
「正直、漆原君がここまで優しくしてくれるなんて思わなかった」
「…ああ、俺意地悪だったらしいしね」
「それ、自覚なかったの?」
「うん。どうやらあの時から唐沢さんだけは特別だって思ってたみたいだから」
 ギャップでも何でも、あの頃のように意地悪して泣かせるくらいなら、とことんまで優しくして甘くして、微笑んでくれる方がいいと漆原は思っていた。
 あの頃の唐沢に他の誰かと同じようにしようとは全く思っていなかった。今思えばかなり唐沢にとって迷惑な話だ。
「…百合香さんの言う通りだった」
 ぼそりとつぶやいた言葉に漆原は唐沢を見た。また百合香にろくでもないことを吹き込まれたかと心配になり、唐沢の顔をのぞき込んだ。
「姉が、何だって?」
「え、や、それは…ちょっと、近すぎ…」
 少し顔を赤らめて後ずさりする唐沢が思いのほかかわいすぎて、漆原は調子に乗った。
 もっと顔をよく見たいと近寄ると、後ろからかなりの衝撃がやってきた。
「このセクハラ男、こんなところでフェロモン垂れ流してるんじゃないわよ」
 サカキバラだった。
「…った」
 後頭部を殴られ、避けることもできなかった衝撃を手でさすった。
「公共の場所で何やってるの。唐沢ちゃんがかわいいのはわかるけど、唐沢ちゃんの立場を考えてみなさい」
「…すみませんでした」
 素早く謝って唐沢を見ると、既に足早に少し離れるところだった。
「あ、ちょっと、待て、唐沢…」
 漆原が慌てて追いかけようとした瞬間にドンっと、衝撃音が響き渡った。
 どうやら事が起こったようだった。

(2015/05/12)


To be continued.