パトロールはご一緒に








 唐沢はこんなはずではなかったと思いながら人質の輪の中にいた。
 もうやだ…と自分の迂闊さに落ち込んでもいた。
 都合三度目となる人質だ。
 そもそも、あそこで顔を無理に近づけてくる漆原のせいだと責任転嫁してみた。
 百合香と話していると、学生時代の話をいろいろと思い出した。
 百合香との話はどちらかというと大学での専門の話だったり、百合香の今の職業についてだったり、傍にいた百合香の夫らしい人物についてだったりしたのだ。
 見合い話をいかにして断ったのかという漆原の話もちらりと出た。
 それは唐沢にも関係のあることで、どうかあんな弟だが前向きに考えてやってほしいとまで言われた。いわく、ここまで必死な姿はついぞ見たことがないという言葉つきで。
 唐沢にしても漆原の唐沢に対する態度を確かに今まで見たことがなかった。
 誰にも優しくて、誰にも本気ではない漆原。
 それが自惚れるなら今は自分に向かっている。
 会場に入るに際して、さりげなく腕をつかまれと促された。
 緊張していたのを見透かされたようで少し癪だったが、それでも触れた腕は心強かった。いくらなんでもいつも貶されたりして好きなるほど自虐的ではない。
 そういうちょっとした優しさは、辛辣な口調だった学生時代にもあった。
 あったからこそ唐沢は漆原を好きになったのだった。
 漆原に対しては本当に自分は男嫌いだったろうかと思うほどだ。
 同じようにヤマキに腕を触れられた時には思わず身体をひいてしまったのに。
 それが特別だと言われれば、唐沢にとってもかなり特別だ。
 女なら、精一杯着飾った姿をかわいいと言われればうれしくないわけがない。
 漆原の場合リップサービスもあるだろうから言葉半分にしても。
 独り言のように押し倒したいと言われてかなりぎょっとしたが。
 唐沢の弱点と言えば、男とまともに付き合ったことがないという点かもしれない。
 しかしそれなりに迫られたことがないわけでもない。かなり危ないときもあったのだ。
 それが好きでもない男、という点が困ったところだ。
 そういうやり取りを経て、辟易している部分もあるが、決して顔を赤らめて恥ずかしがっているばかりではいられないというのも学んだ。
 人質になりながらこんなことを考えていると知ったら、漆原はさぞかし面白がるだろうと呑気に思った。
 漆原を好きか嫌いかと言ったら、好きなのかもしれないと思うが、あれで好きと告げたらどうなるのだろうとちょっと怖い気もする。
 そして、今漆原は猛烈に怒っている、というのが見てとれた。
 これはまた説教されるだろうなと唐沢はため息をついた。


 セクハラ寸前のところをサカキバラは後ろから漆原の頭を殴りつけた。
 いくらなんでもまだ恋人にもしていない女にここで迫るこの男が悪い、と思いつつ、殴りつけて目を離したすきに唐沢が漆原から離れ、あっという間にその辺にいた者たちと人質になったというのだから責任を感じないわけでもない。
 一緒に人質になったうち若い男女は、講演会にはさほど関係のないメーカーの社員だった。おそらくこの講演会を講演している薬会社の関係だろうと思うが、何故それに唐沢が巻き込まれたのか。本当に運がないというのか、何かマークでもあるのかと思うほどの人質率だ。
ただ、いい見方をすれば、人質慣れしているという点においてである。
 笑い話のようだが、その場にいたというだけで唐沢に咎はない。後ろからいきなり羽交い絞めにされて避けられる一般女子はいないだろう。もちろんサカキバラは別だ。自分は一般女子には入らないというのは自覚している。
 そんなわけで、周囲にいた治安係の面々は、情けなさそうな顔をした唐沢に吹き出しそうになるのを堪えるほどだった。
 きっと心の中では「またかよ!」と思っていることだろう。
 心で笑い、顔はごく真面目に保っている面々とは別に、心の底から怒っているだろう男が漆原だった。
「再起不能にしてやる」
 そんな物騒なつぶやきを聞いてしまったので、サカキバラは「おいおい、程々にしてくれ」と言わずにはいられなかった。
「頭に血が上るとろくでもないぞ」
「これ以上にないくらい冷静ですよ、多分ね。もう今からどうやっていたぶろうかと」
 さらりと笑顔でそう言う漆原の横顔は、サカキバラがおやと思うほど見ない顔だった。
 いつもサカキバラの暴走に仕方なくついてくる感じだったのだ。
 つい先日の唐沢二度目の人質騒動では、冷静さを失って怒りを通り越して青ざめて心配ばかりしていた気がするのだから、これも成長したと言えるのかもしれない。
 そもそも実力としては申し分ないのだから、油断さえしなければ今唐沢を人質に取っている連中などすぐに片づけられるだろう。もちろんその人質が厄介なのだが。
 唐沢は万が一のことがあっても冷静に対処できるだろうし、都合三度目の人質でちょっと嫌な慣れもあるかもしれない。何と言っても新人とはいえ組織の人間だから、少しくらいの危険や怪我は仕方ないと諦めるだろう。
 それよりも一緒に輪の中に入っている残りの人質が問題だ。唐沢にメーカーの社員が二人、あと残りの二人は医学講演会に招かれていた教授たちだ。
 この二人のボディガードは減給だな、と誰もが思っている。
 この二人はごく普通の紳士で、一緒に人質になった唐沢が組織の人間とは知らずに、若い女性であるばかりに気遣っている。
 いわく、お嬢さんたちを離してあげなさいと交渉しているようだ。
 もちろん何か金目的であればそれで済んだのだろうが、この犯人たちはこの講演会に参加した者たちを憎んでいる。何が原因かは知らないが、きっとろくでもない理由に違いない、とサカキバラは思った。
「どうすっかねぇ」
 そんなつぶやきに事態が硬直して引き延ばされるのを感じたのか、漆原は「きっかけがないなら作るまで」とうそぶいた。
 過去二回とも、どちらかというときっかけを作ったのは他でもない唐沢だったのだ。
 あの華奢なお嬢さんは、見た目と違ってかなり豪胆だとサカキバラは感心したのだ。
 今回も何かするだろうかと見ているが、今回は人質は一人ではない。今までは唐沢一人が人質だったのだから、おのれの裁量だけで後はよろしくといった感じでトライできたのだろう。
 前回の無茶ぶりにも漆原をはじめとした様々な人間から説教と始末書をくらった唐沢なので、さすがに今回はなしだろう。
 しかも今回の武器は銃だ。
 皆が遠巻きにしているわけだ。
 どこかに発砲した直後に仕留めるというのもありだが、その際には危険が伴う。うまく隊員を狙うならまだしも、人質および残っているギャラリーを狙われたらたまったものではない。
 残っているギャラリーと言えば、ボディガードをしていた隊員たちに何故か純日本風の美女。さらに育ちの良さそうな男が一人。後は人質の教授と同じ教室の者たちか。
 そして、見ているうちにその純日本風美人が誰かはわかった。
「…名前違うが、あれは漆原の関係者?」
漆原はちらりと見てちっと舌打ちした。
「…姉とその旦那」
「なるほど。美男美女だな。意外とお前に似ている」
「ああ、そうかもな」
 サカキバラはしれっと答えた漆原に話を振っておきながら全力で突っ込みたいところだった。そうだった、こいつは自分の顔が割といいことを知っているのだ、と。
 サカキバラはどちらかというと北欧系の家族で、瞳の色も灰色だ。
 純日本人らしい漆原は、黒髪に黒い瞳。同じく唐沢もオリエンタルな日本人らしさを持っている。
 漆原の姉は唐沢に少し共通するものを感じる。おとなしそうでいて、芯の強い、いざとなれば胆の据わるタイプなのだろう。
 加えて漆原の姉のほうには、更に凄味がある。あれは只者ではない、とサカキバラは思う。おとなしいと見せかけて、飄々とあらゆることをこなすタイプだろう。
「…一馬、あなた、そこそこ仕事ができるはずよね?」
 確認するかのように漆原の姉がつぶやいたのが聞こえた。
 何となく、怖い。怖すぎる。サカキバラですらそう思う。
「公私混同は大嫌いだけれど」
 漆原の方を向いてにっこりと笑った。
「それよりも真衣ちゃんを見捨てる方がずっと罪は重いわ」
 漆原は姉の言葉に「俺は公私混同大歓迎だけどね」と笑った。
 どうやら完全に切れているらしい。
「ハナキさん、あれ、いっちゃってもいいですか」
「えー、それなら始末書全部おまえな」
 サカキバラは適当に返事をして、後ろに来た課長にうなずいて見せた。課長は天を仰ぐ。
 どちらにしてもこの状況を打開しなければ警備を怠ったうえに失態の責任を追及されるので、ここはせめて人的被害の出ないうちに速やかにかつ表沙汰にならぬように犯人を拘束してしまう必要がある。
「ぐずぐずしてるとジムが来るぞー」
 サカキバラはそう煽ってみる。
 課長はぎょっとしてサカキバラを見た。
 そりゃそうだろう。特殊部隊のホープ、破壊神とまで言われるコンドウが来ればかなりの事件はあっという間に解決はするが、破壊力もすさまじい。
 人質もただでは済まないかもしれないし、犯人にいたっては二、三日意識が戻らないことも考えられる。さらに会場は大混乱の上に破壊されることだろう。
 だから、最終手段だ。
 治安維持係の合言葉は、コンドウを呼ばれる前に片を付けろ、だ。
 犯人は見たところ、なかなか運動神経は良さそうだ。しかし、きっと黒幕がいるであろうことを考えれば、いざとなれば黒幕だけ逃げていくだろう。
 最悪の場合は黒幕だけ逃しても、実行犯は逃してはならない。
 人種だけでなく、ありとあらゆる犯罪も国際化してきた昨今、黒幕がまともに捕まることは少ない。黒幕の方は黒幕でコネもあれば逃げる術も持っているのだ。
 それを情けないと言ってしまえばそれまでだが、お上の方が困っても、一般庶民の生活が守られればそれでよい。サカキバラはそう思っている。
 そういうわけで、課長は少し悩んだだけでゴーサインを出した。サカキバラたちの上司なだけあって決断も早いし、責任の取りどころは心得ているのだ。
 サカキバラは目配せをして他の隊員たちともタイミングを計る。
 後ろで心配そうに見ていたギャラリーもそっと会場から出され、漆原の姉夫婦もずっと後ろに下がらされた。何と言っても一般人だ。本来なら会場から出されるはずだったが、有無を言わせぬ迫力で阻止したようだ。
「じゃ、ハナキさん、あと、よろしく」
「ラジャー」
 どうでもいい軽い返事をすると、漆原は動いた。
 これほど素早く動けるなら、今まではやはり手抜きだったのだ、と思わせるほど。
 人質に向けていた銃を持つ輩ごと蹴り上げると、隣にいた犯人の一人も一緒に吹っ飛んだ。
 もちろんそのタイミングで他の隊員も動く。その隙を逃す隊員は失格もいいところだ。
 目の隅で唐沢が他の人質をかばうのが見えた。かばわれた他の人質の方が驚いてる。
 サカキバラは人質をかばいつつ、他の動きがないか見渡していた。
 確保された犯人たちの様子にも気を配った。
 ところが、やはり犯人の一人の様子がおかしい。
「そこ!口!」
 口をもごもごとさせている犯人の一人から注意がそれていた隊員が慌てて猿ぐつわをかませようと口をこじ開けた。
 …が、一歩遅かったようだ。
 犯人の一人は直後にけいれんして意識を失った。
「毒物か…!」
 その時、さっと誰かが何かを取り出した。
 先ほどまで人質の輪の中にいたはずの唐沢だった。
「唐沢?」
 唐沢が手にしていた物は注射器だった。
 誰の指示も受けずにそれを手にして使用するのは後々問題も出てくるだろうが、とりあえずの処置だったのだろう。
「救急車早く!」
 唐沢の声に他の隊員があと五分と叫んでいる。
「間に合わないかもしれない」
 一体あのドレスのどこに隠していたのか、サカキバラにはわからないが、心臓の鼓動を確認して心肺蘇生を始めている。
 華奢な唐沢を見かねて手の空いた他の隊員がそれに代わるが、やはりだめかもしれない。
 やがて到着した担架と隊員に事情を話しながら唐沢は去っていく。
 会場の外には医師がたくさんいるだろうから、この待ち時間の間に薬なり方法なりの対策はとられたかもしれない。
「…根っからの医療者よね、あれは」
 とっさに注射器を取り出して刺した(多分刺す場所はちゃんと考えているのだろうが、いきなりだったので、サカキバラには所かまわず刺したように見えた)唐沢に感心するばかりだった。
「…漆原、あの女手に入れるの大変よ?というか、ほんとあんたにはもったいない」
「…わかってる」
 そう言って、現場に残された唐沢のヒールの靴を手に会場の外に出ていった。

(2016/04/28)


To be continued.