あれから数日、マスコミは爆弾事件で大賑わいだったが、地球防衛軍東海支部所の中では別の噂で持ちきりだった。
　爆弾事件の中心にいた唐沢はくどいほど繰り返し事情聴取を受け、容疑者（物証はあるが本人が認めていない）との関係を追求された。
　知らなかったとはいえ、爆弾事件の容疑者と一緒の屋敷に唐沢を勤務中に連れ出した件で医療班班次長は降格のうえ異動、漆原とサカキバラは山ほどの始末書を書かされ、課長までさらに上のポストから嫌味を言われ、地域安全課は散々だった。

　＊　＊　＊

「ほら、あの人…」

　唐沢が所内を歩くと、女性隊員からささやかれる声。
　目立たないでいようと思ったのもつかの間、もちろんストーカー事件は解決したので極力　目立たない努力も必要なくなったのは確かだが、所内で指差しされるほど目立つ必要はなかった。
　非常に居心地の悪い思いをしながらも、研修だけは何とか終えなければならない。残り３週間もあるのだ。
　今日もため息をつきながら安全課のドアを開け、治安維持係の机が並んでいるところまで歩いていく。
　通りがかりに顔見知りになった隊員と挨拶を交わすが、朝から来ている隊員はいつも半分くらいだ。
　イスを並べてサカキバラが寝ていた。
「おはようございます、サカキバラさん」
　サカキバラは、イスに寝たまま目だけ開けて「…おはよう」と返事をした。
　昨夜も遅かったのだろうかと考えながら今週から本当は自分も夜勤が入ったはずだと考えていた。
　例の事件で研修予定が遅れているのだ。
「漆原くんは…」
「そろそろ来るんじゃない？」
「あ、そうですか」
　唐沢は事件後に食堂で話してから漆原とまともに話していなかった。事件の事情聴取でそれどころではなかった。
　ゆえに現在所内で回っている噂は、あまりまともに聞いていない。聞いたのは、例のマツオカからだったりする。
　イスから起き上がってサカキバラは背伸びをした。
「そんなところで寝てると疲れとれませんよ」
「あー、いいの、いいの。今日は引継ぎだけしたら帰るから。久々に完全なオフ」
　ぎくりとして唐沢はシフト表を見た。
「それ、今日は一日サカキバラさんはいないって事ですよね」
「代わりにコンドウに頼んでおいたけど」
　コンドウ、コンドウ…。
　唐沢は言われた名前の顔を思い出そうとしたがうまくいかなかった。
「コンドウは時々困ったやつだけど、とりあえず唐沢ちゃんに害はないと思う」
　そう言って、漆原が来ると一言二言話しただけで帰っていった。もちろん課長が来る前に。
　漆原は唐沢に笑顔で言った。
「今日は地区のパトロールじゃなくて、小学校に行くから」
　朝から笑顔で対応する漆原に戸惑いながら、唐沢は首をかしげた。
「小学校？」
「地域の安全のために通学路の安全確認」
「へぇ、そんなこともするんだ」
　早速それについて調べてみようとファイルを取りに行こうとしたとき、漆原は愛想よく「ファイルはあっち」と指差した。
　唐沢は若干引きつりながら「あ、ありがとう」とかろうじてお礼を言った。内心、どうしたんだろう、と思いながら。
　ファイルをめくりながら、頭の中で別のことを考えていた。
　いつも朝は不機嫌で、無表情でいることが多いのに、妙に笑顔で不気味だった。
　しかも、ファイルのありかを自分から教えてくれるなんてこと、今までなら考えられない。
　もしかしたら、これは漆原なりの距離を置こう作戦なのかもしれない。
　唐沢は学生時代に受けた漆原からのささやかなる意地悪の数々を思い出していた。
　当たり障りのない女には、そつなく優しく振舞える男であることを知っていただけに、唐沢はそう解釈した。
　ああ、いけない、とファイルの内容を頭に再び刻み込んでいると、後ろから漆原がやってきた。
「基本事項はわかった？」
「は、はい」
　戸棚に向かってファイルを広げていた唐沢だったが、後ろから背の高い漆原に覗き込まれると、どうやっても壁を作られたように圧迫感を感じてしまう。
　気になってちらりと後ろを向いた唐沢は、思わずぎょっとした。
「あ、あの…」
　もっと離れてほしいと言おうと思ったそのとき、横から野太い叫び声が聞こえた。
「セクハラ撲滅キーーーーック！」
　急に壁がなくなり、代わりに何やらでかいものが降ってきた。
　ファイルを抱えて呆然とした唐沢の前で、そのでかいものは振り向いた。
　振り向いたその姿は、どう見てもオカマ、だった。ゲイ、という言葉を思いつかないほどに。
「さすがね、漆原」
　オカマ口調でそう言うと、立ち上がって唐沢を見た。
「あら、やだ、かわいー。ハナキ姉さんの言ったとおり」
　唐沢はショックを受けてはいたが、素早く立ち直って笑顔で言った。
「はじめまして、唐沢真衣です」
「こちらこそ、はじめまして、ジェイムズ・コンドウです。ジムって呼んでね。いつもは特殊班にいるのよ。ハナキ姉さんに頼まれてるから任せて」
「よろしくお願いします」と唐沢は頭を下げた。
　いきなりキックをかまされた漆原は、当然のようにキックを飛びかわしていたが、現れたコンドウに眉間のしわを増やしていた。
「何でおまえが」
「ハナキ姉さんに頼まれたって言ってるでしょ」
「ハナキさん…余計なことを」
「なぁに言ってるの。どうせ二人一組じゃないと動けないんだから」
　唐沢は改めてコンドウを見上げた。
　筋肉質の身体は隊員にはよくあることだが、立ち方は内股、仕草は女らしく、サカキバラよりよほど女らしくもあった。
　顔はそのまま男で、背丈も肩幅も喉仏も見事な身体なのだが、漆原といるより男らしさを感じないのはそのせいか。
「で、どこへ行くって？」
　唐沢の持っているファイルに目をやると、納得したのか一人うなずいた。
「オーケー。今日ならＡ地区ね」
「勝手に仕切るなよ」
「さあ、行くわよ」
　漆原の声は聞いていないようだ。
　唐沢は、コンドウに押されるようにして地域安全課の部屋を出て行った。

　通学路を背の高い二人に挟まれて歩くと、嫌でも目立つ。
　しかも服装は地球防衛軍の制服。
　さらに一人はオカマ。
　このメンバーで歩けば、そりゃ誰でも避ける。
　学校をサボろうとしている高校生すら早足で逃げる。
　Ａ地区は繁華街もあるから、ついでに歩いて確認する。
　ゲームセンターをのぞいたところで、当然のように学生がいる。
　漆原とコンドウがにらんだだけで学生が嫌がる。
　補導するような面倒なことはしないが（それは漆原たちの関与する仕事ではない）、注意だけはする。ここで学生を蹴散らしても違う場所に移動するだけで、余計な揉め事を増やすだけだからだ。ゲームセンターにいるくらいならまだかわいいほうである。
　唐沢はこういう場所にほとんど縁がなく、一人きょろきょろしながら歩いていた。
「唐沢ちゃんは育ちがいいのね」
　それなりの学生時代だったとは思うが、飛び級で駆け抜けたせいで、同世代の女友だちとこういう場所で過ごすことなく過ぎただけで、決してお嬢様でもなんでもない。
　コンドウの言葉にとんでもないと首を振り、よろけてゲーム機にぶつかった。
「何やってんだよ」
　後ろでいつものような不機嫌さ全開で漆原が立っていた。
　優しいかと思えば不機嫌で、唐沢はなんでこの男にこうも振り回されなきゃいけないのかと思っていた。
　そもそも学生時代の話は終わったはずで、とりあえず今はただの同僚という立場のはずだった。
　唐沢はその不機嫌そうな横顔を見た。
　所内でささやかれる噂については、マツオカからもたらされた。
　あの漆原が昔の女とよりを戻した、らしい。
　昔の女も何も、付き合ったこともなければ卒業以来会ったこともなかった二人だった。
　否定しようにもこそこそ噂されるだけで、表立って聞かれることもなく、否定のしようもない。
　むしろ直接聞かれているのは漆原のほうで、顔見知りに何か聞かれてもにこにこと笑うだけで否定もしない。もちろん肯定もしないので、真相は世間的には謎のままである。
　ぼんやりしているうちにコンドウはずんずん先を行ってしまっていた。
　慌てて追いかけようとしたとき、「走るな」と横から腕が伸びてきた。
「こんな狭くて暗いところで走るな。それから、奥に行けば行くほど治安が悪いから離れるな」
　ゲーム機の音や音楽で溢れかえる中、漆原の声は耳元でよく響いた。
「こんなところもパトロールするの？」
「もともとここは俺たちの管轄じゃない。でも、朝の申し送りでここに昨夜の傷害事件の犯人がいるかもしれないと報告を受けてる」
「でも、コンドウさんは先に行っちゃったけど」
「あいつは特殊班だから」
「どういうこと？合同研修では特殊班のことまで習ってないの」
　唐沢が疑問を口にした瞬間、奥のほうで何かが派手に倒れる音がした。
「何？」
　唐沢の疑問に答えることなく、漆原は颯爽と唐沢を抱え込んで大型ゲーム機の後ろへ転がり込んだ。
　続いて聞こえたのは銃声だった。
「本当に持ってたのか」
　唐沢は抱え込まれたままだったが、周りにはいつの間にか人がいなくなっていた。
　ゲーム機の後ろから何が起こっているのか首を伸ばそうとするのだが、そのたびに漆原に頭を押さえつけられる。つまり、危ないってことなのだ、と唐沢は身を縮こませた。
　押さえつけられたままで、唐沢の身体は漆原に守られている。
　何者も唐沢に触ることなく、もちろん銃弾が飛んでこようと自分の身体を犠牲にしてでも傷一つつけることなくといった感じで、唐沢はさすがに戸惑っていた。
　もしもパトロール中に不測の事態が起こったら、というマニュアルは頭に叩き込んである。
　隊員の邪魔にならないようにするべし。
　そして、事態が収束してから行動すべし。
　何よりも医療班は特殊訓練を受けたわけではないので、隊員と同じ行動は無理な話だ。
　もちろん行動力を買われて配属されている特殊医療班の人間もいるにはいるが、ごく普通の運動神経の唐沢にとっては別次元の話のようだった。
　いろいろ考えた末、小さな声で言ってみた。
「私、ずっとここで隠れてるし、邪魔なら外に移動するから」
「黙って」
「…はい」
　そして、あまりにも急展開過ぎて気付かなかったが、漆原に抱え込まれたままの密着度は、あまりにも刺激的だった。
　回された腕の中に閉じ込められるようにしているため、息遣いさえも頭の上に感じられる。
　自分の身体がとてつもなく小さくなったようだった。
　サカキバラには小さいと思われているが、ごく平均的な身長だと思っていた。
　それでもよく考えてみれば、純粋な日本人の血のほうが多い唐沢は、混血時代のこの頃ではやはり小さいという部類になってしまうのだろうか、と。
　いや、所内の人間が軒並みがっちりとした背の高い人間が多いのだ、という結論に至り、自分に回された腕のたくましさを感じた。
　筋肉質の、程よいバランスの身体をしていると、唐沢は医療従事者目線で考えていた。
　きっとトレーニングも欠かさずやっているのだろう。
　思わずその腕をじっと見ていた。


　漆原は、ゲームセンターの奥から響いた銃声に緊張感を持ったまま辺りをうかがっていた。
　もしかしたら先ほどの騒ぎはあのコンドウが起こしたのではないかと思っていた。いや、99パーセントの確率でそうじゃないかと思っている。
　誰がどう見てもオカマなコンドウは、歩くだけで周囲に軋轢を起こす。こういう場所では特に。
　何より本人そのものが暑苦しい。
　それでも、特殊班にいるだけあって、トラブル処理はお手の物だ。その身のこなしはもはや超人の域だし、怪我もめったにしない。怪我をしても驚異的な我慢強さと回復力は既に所内でも伝説となっている。
　そのコンドウがいるのだから、きっと無事で切り抜けられると思ってはいたが、腕の中に守っている人間のことを考えると、どう動いたらコンドウの邪魔にならずにサポートしつつ退路を確保できるか考えるのに忙しかった。
　あれ以来銃声は一発で、それ以上飛んでくる様子もなければ騒がしい様子もない。
多分収束したのだろうが、その仲間がいないとも限らない。油断はできないと、漆原はそのままの姿勢で辺りを警戒していた。
　ようやく無線から音がした。
『お待たせ、もう動いても大丈夫よ〜』
　あえて何が、とは聞かなかった。
　当然銃を持った連中を片付けてしまったのだろう。
　そこまでを一人でやってのけるのは、いかに特殊班と言えどもやりすぎではあったが、何せあのコンドウだ。言っても仕方がないし、きっと他からとがめられることもないだろうと漆原は諦めた。
「ねえ、もう動いても大丈夫だって？」
　腕の中で唐沢がもぞもぞと動いた。
　早く抜け出したくて仕方がないのだろうか。
　心なしか顔が上気している。
　その顔を見た漆原は、不謹慎ながら、どさくさに紛れてこのままもう少しだけ抱きしめていようかと思った。
「漆原君、負傷者がいないか確認しないといけないし、他にも応援呼ばないと」
　既に医療班としてのスイッチが入った唐沢の言葉を聞いて、少しだけがっくりとして腕を離した。
　この状況に少しでも意識していてくれたなら、もう少しだけ明るい未来が近いかと思ったのに、どうやら唐沢のほうは学生時代ほど好意を寄せてはくれないらしい。
　ふわりと香った唐沢の匂いに、逃したものの大きさを知ったのだった。
「いつまでセクハラしてんのよっ」
　気絶しているらしい容疑者を引きずって現れたコンドウは、派手にぶっ放されたと見られる容疑者の物的証拠である拳銃を漆原に向かって投げつけた。
「…誰がセクハラだ」
　コンドウのいかつい顔をにらみつつ銃を受け取り、しかるべき処置を施すと、ようやく到着したらしい応援部隊が付近をあっという間に騒がしくさせた。
　唐沢の姿を目で追いつつ面倒な拳銃をその連中に渡すと、漆原は唐沢のそばで処置を見守ることにした。
　ほとんどは逃げる際にゲーム機などにぶつかった傷や、割れたガラスの破片での切り傷だったが、中には倒れこんだ際にどういうわけか足を骨折しているものがいて、救急隊が来るまで唐沢は忙しそうだった。
　その繊細な指先を見ながら、漆原は学生時代を思い出した。
　高校も終わりに近づいたときに思ったのは、あまりにも短い同級生としての日々だった。
　お互いに専門課程へと進むことになり、その選考書類作成のための論文を書いていた唐沢を図書室でぼんやりと眺めていたことがある。
　はっきりと好きとも言えなかったし、これから先のことを考えるとやはりこのまま別れ別れになってお互いに会うことはないのだろうと思っていた。
　その予想通り、専門課程に進学してからは、考える余裕すらもなくなって、怒涛の日々だった。
　ようやく落ち着いてみれば、わざわざ消息を尋ねる手段もなくなっていて、心残りのままだったが、学生時代の思い出と振り切るつもりだった。
　それが偶然の再会とくれば、心残りの想いが再燃するのも簡単だった。
　しかも、学生時代には唐沢が自分を想っていたことなど思いもよらなかったが、それを聞いてしまってはなおさら諦めもつかないというものだ。
　それなのに、相手の気持ちは既に思い出になっているらしい。
　残り２週間で唐沢は医療班に戻っていき、どこに配属されるかは全くわからない。
　思い出のままで終わるには、再燃した想いがあまりにも勢いがよすぎて、自分でも今までの調子のよさが通じずに持て余し気味だった。
　漆原はこの焦燥感をどう表現したら伝わるのか、ここ最近ずっと考えていたりしたのだった。
　思い出に浸っているだけなら、このまま何もせずに離れていくに任せるのも一つの手だろうが、既に今の唐沢を知ってしまったので。
「…ダメだな。諦めるには辛すぎる」
　そうつぶやいたところで、当の唐沢は自分のことだとは思いもせずに他の（医療班の）男と話し込んでいる。
「おーこわ。目の中に嫉妬の炎がめらめらと〜」
　歌うようにして通り過ぎるコンドウに思わず蹴りを入れた（…が、もちろんかわされた）。

（2011/03/02）


To be continued.