恋愛の卵




1.好きの始まりはどこからか





好きだとか嫌いだとか、いわゆる恋愛って、どこからが始まりで、どこまでが恋愛なんだろう。
周りの子がどんどん化粧がうまくなって、きれいになっていって、合コンに行ったり、彼ができたり、振られたり、環境の変化に戸惑う今日この頃。


新しくバイトの人が入った。
坂本日向ひなた
名前の割に大きくて無口な子。愛想はないけど不機嫌そうでもない。本当にただ無口なだけ。
あたしと同じ大学一年生、というところまでしか聞いていなかった。
その坂本君は、小物を手にやってきた。
「小峰さん、この在庫もう無い様なんですが、店長に頼みますか」
「あ、それね、売り切れ御免で」
「わかりました」
再び戻っていく。その先には女子高生の客。
必要最低限の会話。
でも不思議とそれなりにコミュニケーションは取れているようで。

「小峰さん、今度飲みに行こうよ」
「わたしまだ未成年です」
「大丈夫、そんなの言わなきゃわからないって」
「飲んでばっかりいると留年しますよ」
「嫌だなー、今度は単位計算してますって。だからさー」
この人も同じバイトの長谷部さん。
二つ上だから一応敬語で接するけれど、誰にでも馴れ馴れしい。
でも客受けは悪くない。口数が多いのが玉に瑕。

他に社員さんが三人とバイトの女の子が一人の店が伯母ちゃんがやってる雑貨屋。結構店の敷地は広めで、夕方には女子高生もいっぱい。
わたしは高校生の頃からこきつか…バイトさせてもらってる。
この春からめでたく女子大生となったけれど、巷にあふれる生きのいい女子とはどうも一線を画しているよう。要は普通に地味ってことよね。

伯母ちゃんには坂本君を教えてあげてと頼まれているので、たいてい最近はシフトが一緒。
別にそれはそれで構わないのだけれど、あまりに無口すぎて時々何をしゃべっていいのかわからない。特に休憩時間。

「ねえ、ここまであたしといつも一緒の時間帯にシフト入れなくてもいいよ。付き合いだってあるだろうし、時間だってあまり毎日遅くちゃ家の人心配しない?」
「付き合いはそれなりにやってます。一人暮らしなんでバイト代は助かります」
「え、一人暮らしだったんだ」

あたしはペットボトルのお茶を飲んで坂本君の顔を見た。
とにかくでかい。
身長はゆうに180センチはある。スポーツでもしてたら似合いそう。

「何かスポーツやってた?」
「…特には」
「そうなんだ。もしかして苦手だったとか?その身体だと勧誘されるでしょ」
「…実家が柔道場で…」

…似合いすぎ。というか、それってスポーツじゃないの?

「闘争心がなさすぎだと言われました」

はあ、なるほど。
いつも怒るわけでもなく、ニコニコしてるわけじゃないけれど、確かに争いごとは避けてる感じがする。
この身体では因縁つけられる率も高そう。

あー、もう話題がなくなっちゃった。
一人暮らしの話でも聞いてみようか。

「ご実家は、地方なの?」
「いえ。県内ですが、家から追い出されました」

お、追い出された?
な、なんで?

「…兄夫婦が…」

ああ、邪魔者ってわけね。
しかし坂本君って淡々としゃべる人だなぁ。
確かに無愛想じゃないけど、知らない人からしたら取っ付きにくそうだよね。
うーん、他に何か話題…。

こんな感じで休憩時間が終わることもしばしば。
ついでに帰りは坂本君と一緒になることも。
シフトが一緒だしね。
しかも伯母ちゃんは遅くまでこき使う分、帰りの心配を解消すべく、坂本君をボディガードにしようとして採用したような節がある。
長谷部さんじゃ心配だよね、そりゃ。
わたしだって、毎日デートしよう攻撃に悩まされなくなっただけましってもんだけれど。
そうか、柔道やってたのか。
しかも身体は大きくて、ぺらぺら軽薄にしゃべってるわけじゃないのでその分威圧感はありそう。

「あの、さ。
伯母ちゃんが何言ったか知らないけれど、いつも送らされて迷惑だったら言ってね。もしも彼女とかいたり、いなくても今後できたら困るだろうし。そんなのいくらなんでも契約違いでしょ」
暗い夜道、隣に黙って立ってる大男と一緒のわたし。
知らない人が見たら今のほうがやばいのかも。
「いえ、契約込みです」
「ああ、そう…ええっ!伯母ちゃん何考えてるの」
夜道で思わず大声を出してしまったけれど、彼は表情も変えずに黙っている。
もしもわたしに彼ができたりとか(いないし、できないけれど)、坂本君に彼女とかできたりしたときはどうするんだろう。
…あ、それはそれで解消すればいいのか。
「ふ、不満だったらそんな契約放っていいからね」
ちょっとだけ春の夜道はまだ肌寒い。
そんなわたしの寒さを察したのか、坂本君は言った。
「身体が冷えるから」
別に嫌な顔もせず、そう言った。
ああ、そうだった。
きっと伯母ちゃんはこういう人柄を採用したのかも。
余計なことは言わないし、とりあえず下心も表立って見せないし、家の前まで送ってさよならと帰っていく。
普通の大学生男子がこんなに淡々としてていいんだろうか。
いや、もちろん顔を見ればデートに誘うような長谷部さんのような人も困るけれど。
え、何、わたし、何か勘違いしてるとか。
誘ってもらいたいの?
いやいやいや、そんなこと想像したこともない。
だって、本当に坂本君ってば、何だか本当にただのボディガードって感じだし。
そう言えば、坂本君から話しかけられたのって、仕事以外で、今が初めてじゃなかった?
それだけ、わたしたちのこの事務的な関係なこと。
とりあえずわたし、もう少し合コンとか断らずに出てみたりした方がいいのかもしれない。
うん、なんとなく。

 * * *

「伯母ちゃん」
「店内では店長と言って」
「今は姪として聞いてるんだけれど」
「…あら、そう。何?」
伯母ちゃんは見た通りそのままの人で、とりあえず独身のままやり手の雑貨屋店長という感じ。ちょっと前に2号店も出して、それなりに繁盛してる。買い付けに渡り歩いていて、店長代理のあきこさんが主にお店を仕切ってる。ほぼ社員同然のわたしと他の社員さんとも仲良くお店を支えてくれてる。
「坂本君なんだけれど」
「彼が?仕事できない?」
「ううん。仕事は覚えるの早いよ。高いところも手が届いて便利…っていう話じゃなくて、遅くなった日にあたしを家に送ってもらうのまで契約込みって本当?」
「ああ、それか。間違いじゃないわね」
「本当だったの?」
「だって、あんた暗い夜道は危ないから早く帰りたいっていつも言ってるじゃない」
「当たり前でしょ。まだ未成年のわたしを暗くなるまで働かせるってどうなの」
「だって、亜美ちゃんがいるとお店動かすの楽なんだもん」
「店長代理がいるでしょ」
「そりゃ表向きはね〜。あきこちゃんは大人だから」
「あきこさんに失礼じゃない」
「だって、あきこちゃんが嫌だって言うから、亜美ちゃんと二人三脚でがんばってくれるという条件で店長代理を承知してくれたんだもの。だからあたしは好きなだけ買い付けに行けるというわけ」
「よく坂本君もうんと言ったわよね」
「彼は一目見てぴんと来たのよね〜」
「何が」
「あの身体つきと無口なのに無愛想じゃないところ。長谷部君より堅そうで安全そうなところ。ちょうどよくって」
「彼女とかできたらどうするのよ」
「さあ、大丈夫じゃない?」
「もう、肝心なところはいい加減なんだから」

そうなのだ。
伯母ちゃんは意外に勘で仕事してるようなところもある。
雑貨屋なんて売れ筋のもののほかに所詮自分の趣味のものを仕入れたりするわけで、こんなもの売れるの?と思うものを伯母ちゃんの趣味で仕入れてきたりする。とりあえずそれで失敗がないというのもそれはそれですごいけれどね。

「それより大学、一緒なんでしょ」
「でもあまり見かけない」
「あんたと違って理工系だものね」
「そうなんだ」
「そんなことも知らないの、同じシフトで」
「だって、必要なこと以外しゃべらないもの」
「忙しくなってきたらバイトも入るの大変かもね」
「そうなったらわたしも夜遅くのバイトは免除よね」
「どうしよっかな〜」
「…もう、いい。働いてきます」
「はいはい、よろしく」

伯母ちゃんの事務室を出て、わたしは従業員用の休憩室に入る。ここで仕事のエプロンをロッカーから取り出す。
二つ離れた向こうに、坂本というロッカー。
理工系?
そんな忙しそうな学部でバイトなんてする暇あるんだ。
だいたい理工系なら家庭教師とかもっと割のいいバイトとかありそうだけれどね。
…理工系か。
校舎自体が違うから会わないのも無理はないか。

「こんにちは」

ぼそりと声をかけられて、あたしは驚いた。
入ってきた音にも気づかないでぼうっとしてたのかもしれない。

「あ、ごめん。気づかなくて。こんにちは」
「いえ、ドア、開いてましたから」

言われてみればドアは開けっ放し。
エプロンだけ持ってすぐに出るつもりだったからだ。
タイムカードだけ押してすれ違う。
すでにレジではバイトのみっちゃんが悲鳴を上げている。
そろそろ交代する時間なので、レジを代わる。
レジに並んだ列が引けると、レジ周り商品の補充と整理に回る。
通路の向こうでは、女子高生に囲まれた坂本君。
騒がれるほどイケメンでもないけれど、その身長と体格は十分注目に値する。
囲まれてもなお顔が変わらないのはなかなかすごいかも。
普通女子高生に囲まれれば、少しくらいは喜んでもいいんじゃないの?
長谷部さんなら十分その恩恵を甘受するのに。

「ところで、そろそろ僕とデートする気になった?」
「長谷部さん、誘う暇があったら、あの女子高生たちが荒らした棚、何とかしてください」
「うん、やるやる。今日くらい僕に送らせてみるとか」
「あのー、なんでも伯母が言うには、ボディガード代わりなんだそうです、坂本君は」
「あー、知ってる」

知ってるんだ。

「立ってるだけで痴漢が逃げていきそうだもんね」
「長谷部さんじゃ逃げていかないでしょ」
「そうだなー、君の手をつかんで走って逃げるくらいかな」

一応助ける気はあるんだ。

「そこで君は僕に感謝するわけだよ」
「はいはい」

レジにお客様が来たので適当に返事をすると、長谷部さんはそのまますっとどこかへ消えた。
一応仕事をしないわけじゃないし、彼目当てで来る子もいるからいいんだけれどね。

仕事は滞りなく終わり、再び沈黙の時間。
黙って夜道を歩き続ける。
とは言っても、家まで20分の距離。
自転車で行き来すれば楽なのかも。
でも、自転車でも後ろから変な人が付いてくるし。

「理学部なんだって?知らなかった。同じ大学って聞いたのに会わないから」
「見かけたことありましたよ」
「そ、そう?声かけてくれればよかったのに」

それには答えず、また沈黙が降りる。
それでも前ほど苦痛じゃない。
少しずつわかってきたからかもしれない。

「それじゃ、ありがとう。うちのお母さんが、一人暮らしなら今度夕食食べにいらっしゃいって」
「…ありがとうございます」

少しだけ微笑んだ気がした。

「それじゃあね」

家の入口を入って振り返ると、坂本君はちゃんとわたしが家に入るのを見届けて帰っていった。
…そう言えば、住まいはこの辺なんだろうか。
もしかしてすごく遠回りさせていたりして。
よし、明日はそれを聞いてみよう。
そんな決意を胸に秘める。

 * * *

「休み?」
「そう、休み」
「なんで?」
「風邪だって」
「め、珍しい」

思わずそう口をついて出る。
坂本君でも風邪を引くんだぁ。

「そういうわけだから、今日は僕が送るね」
「ううん、今日は伯母…店長が送るって言ってたの。何でかなーと思ってたから、そうかぁ、風邪かぁ」
「ちぇ、華店長抜かりないな」

坂本君がバイトを始めてから、わたしが遅くなる日でいなかったことって、なかったかも。
遅く来る日はあったけれど、帰りは一緒だったし。

帰り道、伯母ちゃんはあたしに紙切れを渡して言った。
「亜美ちゃん、申し訳ないんだけど、明日、坂本君の様子見てきて」
「なんでわたしが」
「日ごろお世話になってるでしょ」
「いや、でも、一人暮らしの男のところへ行かせる?」
「でも坂本君だから。熱出してぶっ倒れてるって。
今日病院に連れて行ったんだけど、明日は様子見に行く暇ないから、仕方がないのよ」
「長谷部さんとか、高橋さんとか」
「男に見舞いに来てもらって喜ぶと思う?しかも何にもできないでしょ、あの二人」
そりゃそうかもしれないけれど。
目の前にひらひらと五千円札を振って、じゃ、よろしくとわたしを降ろしていった。
もちろん坂本君みたいに家の中に入ったかどうかなんて確認もしやしない。薄情な伯母だ。
手の中には住所とアパートの名前を書いた紙と五千円札。
つい受け取ってしまった。
一人暮らしなら、倒れてると困るよね。
仕方がない、行ってみるか。

 * * *

アパートの前に立ってもう一度確認する。
そこそこ安そうで、それなりにきれいで、一応仕送りはもらって生活してそうなたたずまいだった。
部屋の前に行くと、そっけなく書かれた坂本の文字。自分で書いたんだろうか。
インターホンを押してみる。
押してみたけど、返答はない。
でももし眠っていたら、起き上がるのも無理な状態かもしれないし。
ドアの前でしばらく悩んだ挙句、ドアノブを回してみると、あっさり開いた。
そっと開けると、部屋に続く狭い廊下に何か置いてある。
…と思ったら、坂本君だった!

「坂本君、大丈夫?」
「…すみません。思ったより動けなくて」
多分インターホンが鳴ったので動こうとしたら、ここで力尽きたという感じだった。
「ベッドに戻ったら?」
支えるにしても、こんなに大きな人は抱え上げるのも無理。伯母ちゃんはどうやって病院に連れて行ったんだろう。
「お腹…空いてて」
動けなくてご飯作れなくて、お腹空いて動けないってこと?
わたしは少しおかしくなって、坂本君を促してがんばってベッドへ戻した。
「今すぐおかゆ用意してあげるから」
「ありが…とう…ございます」
「熱は?」
額に触ると、まだ明らかに熱い。
「薬は?」
「朝は飲みました」
ということは、昼以降飲んでいないってことね。
わたしは手早くおかゆを用意することに。
とりあえず一人暮らしの男の部屋に何があるのかわからなかったから、レトルトパックのおかゆを温めるのだけはできるように、鍋を持ってきた。
よく見ると、調理用具もあるし、調味料もある。
でもすぐに食べられるものは皆無だ。
意外に自炊してる半面、買い置きの食料の乏しさが欠食で倒れるという事態を招いたに違いない。
おかゆだけでも食べさせて薬を飲ませると、少し落ち着いたようだった。
後で目を覚ました時のために少しある材料でスープを作っておくことに。
まだレトルトは買いだめしてきた分があるし、明日は何とかなるだろう。
ふらっと坂本君は起き上がった。
「どこ行くの?」
「…トイレに」
食事を食べてようやく脱水状態は脱したようだ。
わたしはちょっと迷った挙句坂本君に肩を貸すと、彼はぼうっとしたままのようだった。
少し薬が効き始めたのかもしれない。
それでも伝わってくる熱は高そうだ。
ベッドに戻って、またもやふらつく。
「大丈夫?」
「ああ、はい」
そう言いながら、坂本君の体温はわたしの身体から動かない。
「坂本君?」
間近に顔があって、今すぐにベッドに放り出したいような、このまま支えていようかと思うような、どっちつかずの気持ちで胸がどきどきする。
何これ、何かやばいシチュエーション?
どちらにしても大男を抱えられるわけでもないので、ベッドにどさっと下ろす。というより腰掛けるようにして何とか寝かせる。
「…すみません」
「ああ、いいの。だってさっきも廊下で力尽きてたくらいだもんね」
自分の胸の動機は知らない振りをして、慌てて言う。
いつも動かない表情が、今日は少し違って見える。
本当にすまなさそうな顔をしてるし、熱で赤い顔をしてるし、明らかにぼうっとしてる。
思わず少し笑って顔をのぞき込む。
「昨日は…こんなには」
昨日はまだこれほどじゃなかったってことね。
きっと伯母ちゃんには遠慮して自分でご飯用意できるって言っちゃったんだろうな。
氷枕代わりの冷却枕が温いんじゃないかと触ろうとしたら、パシッと腕を捕まれた。
え…。
「小峰さん」
「は、はい」
捕まれた腕をまじまじと見ていたら、しばらく沈黙の後でようやく「ああ、すみません」と手を離してくれた。
何だかつい捕まえたって感じ?
「…大丈夫なので」
「そう」
坂本君は目をつぶった。
眠そうだったので、日も暮れかかってきたし、帰ることにした。
「じゃあ、お大事に。あ、これ、わたしの携帯番号。また動けなさそうだったら、電話して。すぐ来るから。意外に近かったし、いつでも大丈夫」
坂本君はゆっくりと目を開けると、手を上に上げた。
なんだろうと思っていると、自分で上げた手を見てため息をついて下ろした。
その手の意味がよくわからなくて戸惑っていると、「…ありがとうございました。帰ったほうがいいです」とまたもや目をつぶった。
なんとなく気になってその顔を見ていたけど、今度は目を開けそうになかったので、眠いのだろうと解釈した。
そっと坂本君の家を出ると、夕暮れの道を歩いて帰った。
捕まれた腕はすごく熱かったし、かかった吐息も熱かった。
そこではっとして、自分の考えうを振り払う。
一瞬、後ろから抱きしめられたような感じがしたのは、きっと気のせい、よね。
明日は…元気になってるといいな。
長く伸びる影を見ながら、坂本君の身長くらいだと思っていた。

 * * *

翌日、坂本君はまだ風邪から回復しきれなかったのか、バイトはまだお休みだった。
「あいつは身体は大きいが、意外に病弱なやつだな」
そう言って長谷部さんが笑った。
昨日坂本君の部屋に行ったことは黙っていた。言うとろくなことにならない。
「今日こそは送れると思ったのに」
そう言いながら早番で長谷部さんは帰っていった。
今日くらいは送ってもらえばよかっただろうか。
社員の高橋さんも今日は休みだし。伯母ちゃんはまだ向こうの支店でトラブルがあったとかで戻ってこないし。
あまり遅くならないうちにわたしも帰ることにした。
店長代理のあきこさんに伝えると、伯母ちゃんを待ったほうがいいと言われたけれど、本当にちゃんと戻ってくるか怪しいし。
あきこさんだって十分お年頃なんだから、一人で遅くまで残ってちゃだめだよと言いながら店を出る。
こんなことならせめて自転車でも…。
それよりも家に電話して…とかけてみたけど、お父さんもまだ帰っていないらしい。お母さんじゃどうしようもないし、仕方なく早足で歩き出した。
少し歩き出したところで、少し後ろを歩く人がいるのに気がつく。
途端に顔が青ざめてくる。
どうしよう、なんか変な人だったら。
一所懸命足を動かすけど、怖くて震えが来る。
角を曲がった途端に後ろの人が早足で追いかけてきた気がした。
「やだっ」
大きな声が出ない。
どすっと音がして振り向くと、大きな影があった。
もうだめだと思って鞄を振り回すと「坂本です」と声がした。
「坂本君?」
もしかして先ほどの後ろから来た人も坂本君だった?
そう思ってよく見ると、「追いかけていたのは別の人です」とわたしをかばうようにして立っていた。
「な、んだ…」
力が抜けて坂本君の背中にしがみつく。
「こわ、かった」
「大丈夫です」
「今日は、いないから」
「間に合って、よかった」
「うん、ありがとう」
本当にボディガードみたいだ。もうだめだと思ったのに。
「警察に電話しましょう」
「…うん」
坂本君は振り向いて、わたしの肩に手を置いた。
その熱さが気になって、その手に触れる。
「まだ熱あるの?」
「…ようやく下がってきたんですが。その、バイト休んですみません」
「今日は倒れない?」
「…多分」
「多分?」
「ちょっとまだ…」
「まだ、何?具合悪いなら先に帰っていいよ」
もしかして坂本君は、わざわざわたしが一人で帰らなくていいように来たんだろうか。
「ねぇ、もしかしてわざわざ送りに来てくれたの?」
「店に電話したら、出た後だって言われて」
「じゃあ、すぐに声かけてくれればよかったのに」
「…そのつもりはあったんですが」
「あの男がいたから?」
先ほど曲がった角の向こうで男が一人のびている。
坂本君が電話している間、わたしは一人でどきどきする胸を押さえていた。
そばにいてくれるのに、必要以上に触らないでおこうとする感じが伝わってくる。
わたしは震えが来て立っていられなかったので、思いっきりしがみつく感じになってるけれど。
まだしがみついていても許されるかな。
そんなことを思って顔を上げると、坂本君がそっとわたしの頬を触った。
くすぐったいような変な気持ち。少なくとも嫌じゃない。
わたしもそんなに恋愛経験値が高いわけじゃないけど、嫌じゃないてことはきっと大事なことなんだと思う。こんな状況だからわたしも少しは勘違いしてるのかもしれないけれど、なんとなく好きになりかけているのかもしれないし。
顔が近づいてきて、思わず目をつぶりかけたところで、坂本君がはっとしたように手を離した。
この間からこの唐突な突き返しは何なのだろう。
流されてたまるかという感じがして、正直寂しい気がする。
キス、されるかと思った、のに。
そんなことをちょっと思っていると、赤いランプが近づいてきた。
「警察です」
言われなくてもわかる。
パトカーが止まって、わたしたちは揃って警察署へ。
最初は大柄な坂本君を犯人扱いしようとして、坂本君は大弱りだった。もちろんすぐに寝転がってる男に気がついてくれたからよかった。
事情を説明して、親が迎えに来て、やっと解放された。
両親は坂本君に何度もお礼を言っていた。
伯母ちゃんも駆けつけた。バイト代をはずむと坂本君に言っていた。
結局あの男の人は、最近女の人を狙って襲うひったくり犯だった。お手柄だと警察署で坂本君はほめられていた。
何もかも一気に事が進んで、わたしはぼんやりしたまま家に帰らされた。
坂本君は何も言わなかった。
何か言いたかったのに、何を言っていいかわからなかった。

 * * *

それからまた2日後、ようやく落ち着いてバイトに来ることができた。
坂本君はわたしよりも先にバイトに来ていて、いつもより大勢の女子高生に囲まれている。
やんわりと何かを答え、こちらに歩いてくる。
「ちゃんと送りますから」
それだけ言った。
気まずくて、先に帰ろうとしたのを見破られた感じだった。
どういう顔をしていいのかわからない。
あれはなんだったのかと聞いてみなければならないだろうか。

バイトが終わると、宣言したとおりに坂本君が待っていた。
歩き出そうとする前に、わたしは坂本君の顔を見た。
背の高い坂本君の顔を見ようとすると、見上げなければならない。
少し離れて見上げると、何も弁解しませんというような顔をしていた。
「あのね」
「はい」
「わたし、多分坂本君が好きなんだと思う」
「それは」
口に出してようやくはっきりとした。
なんだかんだと女子高生に囲まれていた坂本君を見ていた。うれしそうな顔もしない代わりに迷惑そうな顔もしない坂本君に少しだけいらだっていた。多分、ずっと。
でもバイト仲間だからって、気づかない振りしていた。
部屋に行ったのも、興味があったから。
部屋を探すのもどきどきした。
ただのバイト仲間の長谷部さんだったら、たとえ病気でも見舞いにまで行かなかったかもしれない。
伯母ちゃんに言われたから仕方がないって理由をつけて、ちょっとだけ何か期待してたのかも。
「ああいう状況だから流されたんじゃないかって言うんでしょ。そんなこと言いたそうな顔してる」
わたしは息を吸い込んだ。
「じゃあ、坂本君は?わたしのことは別にして、坂本君はどう思ってるの?」
「あの日とその前の日、俺は熱を出していましたよね」
「…うん」
熱のせいだって言うの?
「ちょっと理性が…」
「…理性が…?」
口元を少し困ったように覆ってから上を向いた。
こんな表情と仕草を見るのは初めてだった。
「前から好きだったんです」
「前から…?」
思わず首をかしげる。
そんなに前から好きだったと言われても、わたしはここでバイトするようになった坂本君の姿しか知らない。
「受験のときに」
そう言われてもまったく覚えがなかった。
「店で売ってるシャープペンを落としましたよね」
「拾ってくれた?」
「落ちてたって言うと縁起が悪いから、声をかけられなくて」
「そこにあったそうですよって言われたの」
落としたことが気になって、後で探しに行った。そこを通りかかった大学の事務の人に聞いたらそう言われたのだ。
「坂本君だったんだ。メガネかけた人って聞いていたから」
「授業のときはメガネしてるんです。
三月にクラスのくじ引きで当たって、どうしてもお礼のプレゼントを買いに行かなくちゃいけなくて、店に行ったんです。そのときに同じシャープペンがあると思って見ていたら、受験の時の子がバイトしてるのを知りました。
楽しそうに働いていたので…。
バイトを募集していたので、ついでに申し込んでみました」
「そうだったんだ」
でも坂本君はそんなそぶりも見せなかったし、ほとんど話もしなくて。
「いきなり言われても困るでしょ」
「そうかも」
実際に一緒にバイトするうちにようやく坂本君がわかってきたわけだし。
「こんな急に言うつもりじゃなかったんですが」
今度は下を向く。
「でもそれと熱と何の関係が?」
一瞬言葉に詰まった感じだった。
わたし、だいぶ坂本君のことわかってきたみたいじゃない?
「好きな女の子が部屋にきたら、普通の男はよからぬ事を考えるもんです」
「そうだろうけど、いきなりそんなことするような人じゃないって坂本君信じてたし、わたしのこと好きだなんて思ってなかったし」
「だから、熱で理性が…」
理性が…って、もしかしてあの手をつかんだのって、やっぱり無意識だったりしたのかな。
それじゃあ、あの日も…?
つい、って?
「でもそれって、わたしが好きだから理性が飛びかけたってことよね」
「そこまではっきり言われると何ですが、普段はそこまで考えているわけじゃないです」
「坂本君って、長谷部さんみたいなこうぎらぎらしたものがないよね。それって、普段はわたしがそばにいても手を出すことはないってことなのかな」
それって、魅力がないってことなのか、坂本君が淡白ってことなのか、わたしが何か一人で盛り上がってるってことなんだろうか。
「小峰さん」
「はい?」
「割と理性あるほうなんですが」
「そうみたいね」
「煽ると後悔しますよ」
「わたし、煽ってるの?」
表情があまり変わらないのは、いつも真剣だからだ。
一歩坂本君に近づいてみる。
だって、あの時もキスしてほしいって、わたし思ってた。
その身体の熱さを感じてしまったから。
「後悔、してみようかな」
坂本君がわたしを包み込んだ。
同時に唇がふさがれて、息をつく暇もなく繰り返しキスをされるのがわかった。
少しくらくらしかかったところで、坂本君の熱い舌が少し試すように入ってきた。ぴったり合わせていた唇は、別に自分から開いたつもりじゃなかったけれど、知らずうちに吐息が漏れて、難なく坂本君の舌に絡まされた。
どうしよう、本当にふわふわしてここが道端だってことを忘れてしまいそう。
あまりにわたしの力が抜けていくので、坂本君はしっかりとわたしを抱きかかえて唇を離した。
思わずはぁ…と今まで出したこともないような声を出していた。
「歩ける?」
ちょっと考えて首を振る。
キスをしてほしいと思ったけれど、ここまで濃厚な…と自分で言うのも恥ずかしいくらいのキスをされて、ぼんやりと坂本君が理性の強い人でよかったと思っていた。
「…道端ではもうしないことにする」
そうつぶやくと、坂本君は少し笑った。
「そうしてください」
同級生なのにいつも丁寧な言葉で話してくれる坂本君。
今日はいろんな表情を見た気がする。
「あのね、流されたんじゃなくて、少しずつ好きになってたの。だから、誤解しないでね」
「…はい」
耳元でささやいてくれた。
「そんなあなただから、好きになったんです」
もう帰らないといけないかなと思っていたら、坂本君が続けて言った。
「今度は熱のないときに部屋に来てください」
「今日は?」
「…店長に顔向けできないのでだめです」
わたしはやっと地に着いた足で立ち、大声で笑った。


(2010/01/28)

To be continued.