第十章 溶け合う力
選択肢1:そのまま逃げ続ける。
1.目覚め
切なさに身をもたげ、ナオーキは呼ぶ声に応えようとした。
明るすぎる未来は、自分にふさわしくない。
その光の強さは、自分にはないものだと思っていた。
「そうだね。君は本来光の世界に生きるべき人間だったのに、何を間違えてしまったんだろうね」
別のほうから聞こえてくる声に、ナオーキは驚いて振り返った。
「ナオーキさま!」
光の中から突然コトリンが姿を現した。
突然現れたように見えたが、見えていなかっただけかもしれない。
「コトリン…」
微笑んで、ナオーキは自分の身体を見る。
色濃く沈んでいた身体は、暖かな光に包まれている。
ただ、まだ闇は消えたわけではない。
「ほぉ…。
あっという間に光に染まったな」
「…誰?」
ナオーキに駆け寄ろうとして、コトリンは思わず足を止めた。
「ナオーキさま、よね?」
「もちろん」
「ああ、よかった」
コトリンはほっとしてナオーキの傍らに跪き、ナオーキを助け起こした。
「だが、本当に君の知っているナオーキか?」
「な、んですって…?」
どこから聞こえてくるのか定かではない声に、コトリンは身震いした。
「ね、ナオーキさま、あの…」
コトリンは、助け起こしたナオーキの影に気づいてはっとした。
聞こえてくる声は、ナオーキとは違うとわかっているのに、ナオーキから聞こえてくるのかと錯覚してしまうほどの響き。
闇が、じわりと迫っていた。
2.支配
影は、光が強ければ強いほど濃さを増す。
その影にコトリンは何かしら不吉なものを感じていた。
「ナオーキさま、聞いてください。
もしもあなたが、魔王に捕らわれても、あたしは必ず助け出してみせます。
もしもあたしの命を差し出せと言われても構わない。
だから、そんなに哀しそうな顔…しないでください」
「俺は…」
コトリンは、顔を上げたナオーキが微笑んでいるのを見た。
それは今までにない笑顔で、ようやくナオーキが信じてくれたのだと思った。
「ああ、ようやく僕は目覚めたよ。
今まで気づかなかったなんて、悪かった。
一緒に旅を始めて君がそばにいることに甘えていたのかもしれない」
「…え、ええっ」
思いがけない言葉にコトリンは頬が熱くなるのを感じながら、思わずナオーキの顔をまじまじと見つめた。
今までこの旅の中でこんな優しい言葉をかけてもらったことがあっただろうか。
「ナ、ナオーキさま、ほ、ほんとに?」
「ああ、本当に…そ…うっ」
コトリンは急に苦しげに呻くナオーキに慌てて助け起こす。
『だまされちゃだめよっ』
「う、うわっ」
響いた声に思わずコトリンは手を離した。
「余計なことを」
ナオーキから舌打ちが聞こえ、ますます不審な思いでコトリンは辺りを見回す。
先程響いた声は鎧の精の声だった、とコトリンはナオーキの鎧を見た。
そう言えば、さっきはナオーキさま、「僕」って言った気が。
今までナオーキさまが「僕」なんてかわいらしいこと言った覚えがない。
もちろん忘れっぽいあたしだから、言ったことがあるのかもしれないけれど。
それに、今まであんなにすらすらと優しい言葉をかけてもらった覚えもない。
もちろん本当にあたしの良さに目覚めたのかもしれないけれど。
だまされちゃだめと言われても、ナオーキさまにあんな優しい言葉をかけてもらえるなら、少しくらいだまされてもいい気がする。いや、ちょっとだまされていたい。
それなのに、途中で邪魔をされた。
「…今まで沈黙してて、どうして今頃出てくるのかしら」
思わず声に出して精霊に文句を言う。
そう言えば前にも肝心なときには出てこなかった。
あまりにも魔王の力が強いので、なかなか出てこられないのだと。
鎧や武器の性能には関係ないからいいじゃないかと反論されたが。
肝心なときに出てこられない精霊に、意味はあるのだろうかとコトリンが首をかしげたとき、ゆらりとナオーキが動いた。
「どうされ…」
ナオーキがコトリンの身体を引き寄せ、その胸に抱きしめたのだった。
3.光の向こうに
あまりに熱烈な抱擁に、コトリンは固まって動けずにいた。
えーと、これ、ナオーキさま、よね?
ナオーキに抱きしめられている肩越しに、ナオーキの影が揺らめいたのをコトリンは見た。
「ナオーキさま、う、うれしいんですけど、とりあえず魔王を倒しに行きましょう」
一向に離さないナオーキにだんだん不審なものを感じて、コトリンはそう言った。
肩越しに見える影は、何かの形をとりながら揺らめいて、コトリンは目をこすった。
何か自分に訴えかけている気がして、目を瞬いた。
でもそれはほんの一瞬のことで、影は元のように何の変哲もない。
「悪かった。あまりにもうれしくて…ね」
そうやって笑ったナオーキの姿をコトリンはじっと見つめた。
「じゃ、行きましょう、ナオーキさま」
「道は僕に任せてくれ」
「わかるんですか?」
「ああ。魔王に操られかけたんだから、居場所もわかるさ」
「そうなんですか。じゃあ、行きましょう!」
二人は立ち上がってともに手をとり、道なき道を薄暗闇を照らす光とともに歩きだした。
あれほど困難を極めた道のりだったのに、薄暗闇の世界はすぐに薄らいでいき、光のあふれる場所にたどり着いた。
「本当にこんな明るいところに魔王がいるのかしら」
コトリンが歩くと、その後ろには花が咲き乱れている。
「何も魔王だって暗闇が好きなわけじゃないようだよ。
君のように光を求めたり、花が咲くのを眺めたりしたいと思っているのかもしれないね」
「へぇ、そうなんだ」
二人の行く先の向こうに、霞掛かったような建物が見えた。
「あ、きっとあれよね」
城の中に入ったと思ったのに、いったいどこを歩いているのかすでにわからなくなっていた。
「でも変ね。あたしたち、城の中をさまよっていたと思ったのに」
「皆の考える魔王の城が古くて暗い城だからじゃないのかな」
「そういうもんかしら」
「そういうもんだよ、きっと」
ぼんやりとした建物は、思ったよりも小さなものだった。
しかしそれは、棘の鋭いいばらに囲まれていた。
「ふーん、そう来たか」
「え?」
「いや、魔王の心境を実によく表してると思うよ」
「魔王の…心境…」
二人は建物の前で考え込むことになった。
4.魔王の心
「で、このいばらの向こうに行くにはどうしたらいいんでしょうか」
至極当然の疑問をコトリンはナオーキにぶつけた。
「体当たりとか」
「い、痛そう」
「呼びかけてみれば」
「誰に?」
「もちろん、『魔王』に」
「どうやって?」
「愛してる〜とか」
「無理です」
「なんで」
「なんでって…」
まさかナオーキを前にして他の人に嘘でも愛してるなんて言えるわけがない、とコトリンは思ったが、もちろん口には出せない。
「好きなやつがいるんだ」
「え、ええっ」
コトリンはどきどきしながら下を向いた。
以前にもそんな話をしたことがあったと思い出す。
あれはそれほど前のことじゃなかったはずなのに、今再び同じ事を聞かれて、コトリンは違和感を感じた。
ナオーキはそれほど記憶力の悪い人ではないと知っているだけに。
「ねえ、前にもそんな話したことあったわよね」
「そうだったかな」
「あたしの好きな人、知ってる?」
「それはもち…っと。これはまだないしょだったか…」
「…モチ?」
コトリンはモチという人物に心当たりはなく、ナオーキが適当に言ったのだろうと解釈した。
「魔王は…どうしてこんな風に閉じこもっているのかしら」
「さあね」
「さっきは魔王の心をよく表してるって言ったじゃないですか」
「ああ、覚えてたんだ」
「覚えてます」
ナオーキさまの言ったことだけは全て。
コトリンは口の中でそうつぶやいた。
「案外、魔王もそんな自分をもてあましていたりしてね」
「なんで…?何でもできそうなのに。世界征服だって狙っているんでしょ」
「世界征服が目的かどうかは知らないけれど、何でもできるからできないことを探してみたり、愛することがわからないから愛を知ってる人を攫ってみたり、いろいろ煩わしくて嫌になることだってあるのかもしれないよ」
「そんなもの、なのかなぁ」
「じゃあ、彼は何故閉じこもっているのか」
「それですよね」
「君はどう思う?」
「面倒になった、とか」
「ふうん、なるほど」
コトリンはそうやって会話しながら、どうしようもない違和感に気づいていた。
気づきながら会話して、いばらの向こうを見つめていた。
「愛することがわからないって、きっとすごくさみしい」
「世の中で一番煩わしいことなのに?」
「だって、あたしがここに存在しているのは、お父さんとお母さんが愛し合ったお陰だし、好きな人を愛するのとはちょっと違うけど、あたしは家族としてお父さんを愛してる。
でも、愛することを知らない人もいるかもしれない。今はそう思う」
「へぇ、知らない人、ねぇ」
「時には愛しすぎて魔に捕らわれてしまうことだってあるし」
「ああ、王女様のことかな」
「愛することは知らなくても、きっと誰でも愛は知ってる」
「ややこしいね」
「そうかも。こんがらがって、難しくて、時々もういいやって投げ出したくなるけど、それでもやっぱり愛してるって思う」
コトリンは、隣に立つナオーキを見た。
「だって、ナオーキさまは愛なんてどうでもいいって言うけど、王様と王妃様はナオーキさまを愛してることを知ってるはずだもの」
「…でも煩わしい」
「だから、知りたいの?…魔王さま」
コトリンはナオーキをまっすぐに見つめた。
ナオーキは笑った。否、ナオーキの姿をした魔王、だった。
To be continued.