第十一章 世界の混沌
選択肢1:そのまま逃げ続ける。
1.魔王との対峙
コトリンはナオーキの姿をした魔王と向き合った。
「気づいていた、か」
コトリンはうなずいた。
「ナオーキさまはたくさんの人に愛されてるのに、それが重荷なんだってこと、あたし知ってた。
愛してるって言葉は、重い」
「そう、とても重い」
「伝えたかったけど、ナオーキさまにこれ以上嫌がられるのが怖くて言えなかったの」
「それで、どうするの、君は」
「あたしは嫌われてもいい。
でも、ナオーキさまを愛してるってこと、伝えたいの」
「伝えて、どうするの」
「…わからない。
わからないけど、何かが変わればいいなって思う。
あたしが伝えただけじゃダメなら、王女様にも頼んだっていい」
魔王はため息をついた。
黙っていれば、それはナオーキのため息となんら変わりはなかった。
「君のあの悲痛な叫びを聞いてもなお閉じこもってしまうような男、やめたらどうだ?」
コトリンは首を振った。
「無自覚の能力が自覚のある能力よりも凄いと降参してしまうような男なのに、君は愛してると伝えるの?」
コトリンはうなづいた。
「君と一緒なら魔王にも勝てるかもしれないと思った希望をあっさりと手放すような男なんて見捨ててしまったらどうだ?」
コトリンは激しく首を振った。
「仕方がないね。そこまで言うなら、後は好きにしたら。
ここから先、君があの棘に傷ついても僕は手を出さないよ」
「もちろん」
「あの男をこのまま放っておいても、多分世界は変わらない。
人々の心は暗黒のままかもしれないけど、別にそれが不幸じゃない。だって、不幸だって気づかないんだからさ」
「でも、あたしの心はそれじゃダメなの」
「あの王女様といい、君といい、あの男のどこがそんなにいいんだろうね」
コトリンは少しだけ首をかしげた。
「さあて、僕はまた高みの見物をさせてもらうかな。
さっきからそこで僕をずっとにらんでいるやつらがいるけど、お望みの通り手は出してない。これで満足かい」
「え?誰のこと?」
コトリンが辺りを見回すと、小さな声が響いた。
『満足〜?!役に立てないばかりか話しかけることさえやっとなこの状況で』
何故かそこで一呼吸入る。
『元光の戦士としてのプライドが満足するわけないでしょ』
コトリンはようやく声の主に気がついた。
「マントの精ね!」
『ずっと話しかけてたのに、気付くのが遅いわよ』
「だって聞こえなかったんだもの」
どうやら魔王が傍にいるのでパワーが発揮できないようだった。
魔王に立ち向かうために使う道具だというのに、全く発揮されていないという点にはこの際目をつぶるとして、コトリンは一人じゃないという気持ちが湧き上がり、勇気を振り絞って立ち向かうことにしたのだった。
2.いばらの道
『ね〜、本当に行くの?』
「行くわよ」
『あたしがぼろぼろになっちゃうんだけど』
「そうかも」
『ぼろぼろになるってことは、あたしが傷だらけになるってことなんだけど』
「うん、ごめんね」
あっさりと言われ、マントの精:マナリンは、盛大にため息をついた。
それでも、あのいばらを抜けて行けば、ぼろぼろに傷つくのは決してマントだけではなく、コトリンの身体も同様であることを思い、それ以上マナリンは言わなかった。
「さあ、行くわよっ」
コトリンは気合を入れていばらに向かって歩き出した。
いざ目の前にするとその刺々しさに身をすくませたが、一つ大きく深呼吸をした後、分け入るようにしていばらに向かって手を差し伸べた。
「いたっ」
『ほら、もう傷ついて…』
「だって、仕方がないでしょ。ナオーキさまが自分で出てこないなら、あたしが迎えに行くしか」
『呼びかけたら自分で出てくるかもよ?』
「ナオーキさまが?自分で?」
『…そうね、悪かったわ…』
いばらはコトリンの肌を傷つけ、少しずつ血が流れ出したが、そのまま身体も間に立ち入れていった。
どうしてナオーキがこんないばらに身を潜ませることになったのか、コトリンにはわかるような気がした。
誰も立ち入れないと信じているいばらの囲い。
手を傷つけ、足を傷つけ、顔も傷つけ、コトリンはいばらを進んだ。
もちろんびっしりと全くどこも手がかりがなければ躊躇するところだったが、ところどころに身体を入れられるだけの隙間が空いていることが不思議だった。
もしかしたらこれは、誰かを試しているのかもしれないと。
そして、その試される誰かは自分かもしれないとコトリンは思っていた。
必ず助けると誓った。
自分の命を代わりにしてもいいと思った。
それが本当なのか、試されているのかもしれない。
そこまでしないと、人を信じられないのかもしれない。
そう思うナオーキの心がコトリンにはさみしくて悲しかった。
いばらの棘に刺される肌が痛かった。
無数の引っかき傷を作っても、その痛みがナオーキの心と同じになるとは思っていなかったが、少なくとも同等の何かを引き換えにしないといけないならば、コトリンは自分が傷だらけになるのは構わなかった。
マントはできるだけ破らないように気をつけた。
しかし、マント自身がコトリンを傷つけまいと身体を覆っているのがわかり、コトリンは声に出して言った。
「…マナリン、ありがとう」
返答はなかったが、ここにきてようやくマントの真価が現れたのかもしれない。
もっと血だらけになるかと思っていたコトリンの身体は、思ったよりも傷が少なかった。
布に覆われているのは少ないのに、これが光の戦士のための魔法のマントなのか。
『何だかね、身体が軽いのよね』
身体があるのかと突っ込もうとしたが、コトリンはかろうじてやめた。
『やっとあたしの出番って感じ?』
「出番が遅すぎよね」
むっとしたのか、マナリンは押し黙った。
精霊が黙ってしまうと、辺りに響く音はなく、いばらをすり抜ける衣擦れの音だけがコトリンを包み込んだ。
どこまで行けばいばらの道が終わるのか、よくわからない。
外から見た時はほんのすぐそこに見えたのに、中に入るとまるで迷路のようだ。
いくら方向音痴なコトリンと言えど、迷うほど複雑な場所ではないはずだった。
『フナーツ!返事しなさいよっ!こういうときくらい役に立ちなさいよ』
この永遠とも続くいばらの道にいらだったのか、マナリンが沈黙を破って叫んだ。
『モトーキ!いつまで寝ぼけてるのよ!起きて!』
魔王の影響はかなり薄くなったはずなので、呼びかけに応えてもいいくらいなのに、応答もない。
ナオーキさま、怒っても呆れてもいいから、こちらを見て。
目を覚まして周りを見て。
一人でなんて無理だから。
誰も愛さないで生きていくなんて、無理なんだから!
コトリンは前に進むしかなかった。
3.いばら姫
いばらを抜けると、そこには女の子が眠っていた。
「…何で、女の子が…?」
色の白い、まつげの長い、かわいらしい顔立ちに気品のある、そうお姫さまのような。
「それより、ナオーキさまは…」
『…これ…?』
マントの精:マナリンの声にコトリンは辺りを見回す。
「これって、何?」
『だーかーらー、これがナオーキじゃないの?』
「うそっ、だって、可愛い女の子でしょ」
『でも顔はそっくり』
「…言われて見れば…」
変わらずに丸くなって眠っている様子は、まるで眠り姫のようだ。
「でも、何で、女の子の姿に?」
『さあね〜。それを知るのがここを抜け出す鍵なんじゃないのかしら』
「そういう趣味でもあるのかしら」
『ぶっ、やめてよ。いくらなんでもあの鉄面皮王子が〜?』
もっと悲壮な覚悟でいばらを抜けたはずのコトリンは、拍子抜けして座り込んだ。
「…何だか、疲れちゃった。ナオーキさまは女の子になっちゃってるし。あたし、これ以上どうしたらいいのかわかんない。
あ、もちろんちゃんと考える。考えるけど…眠くなってきちゃった…」
『え、ちょっと、コトリン』
「早く助けてもあまり変わらないなら、ちょっとだけ寝ても大丈夫よね」
『いや、変わるでしょう』
「それに、いばらの中だっていうのに、どうしてここはこんなにも暖かくて、寝心地よさそうなのかしら」
『だからそれこそが魔王の狙いなんじゃ…』
「そもそもこの姿じゃ、どこにも鎧の精と武器の精がいる気配ないし…」
『ああ、だから応える声がなかったのかしらね…って、何で今寝るのよ〜〜〜〜!
あ〜、もう、信じられない』
眠りに落ちていくコトリンの身体は、女の子に寄り添うようにして横たわる。
そのまぶたは徐々に閉じていき、やがてすっかり寝入った証拠に寝息まで聞こえ始めた。
いばらに囲まれた寝床に、マナリンのため息だけが大きく響いたのだった。
4.いばらの庭で
眠りに落ちたコトリンは、気がつくとどこかの王宮の庭を歩いていた。
「…誰?」
どこからか声をかけられて、周りを見渡す。
「えーと、怪しいものじゃないです」
思わず声に答えた。
「…怪しいものが怪しいって言うわけないじゃないの」
「それはそうだけど」
振り向くと、木の上にかわいらしい女の子が座っていた。
「そんなところに登ると危ないんじゃない?」
「そう思うなら、下ろしてちょうだい」
「じゃ、じゃあ、ちょっとだけ待っててね」
コトリンはスカートをたくし上げて、女の子が座っている木によじ登り始めた。
半分ほど登って、あと少しで女の子の座っている枝に届きそうとなったところで、女の子はひらりと枝から飛び降りた。
「…あ」
ふふんと小憎たらしいまでの笑みを浮かべて、女の子はコトリンを振り返った。
「助けてほしいんじゃなかったの?」
「下ろして、とは言ったけど、助けて、とは言ってないわ」
「もう、仕方がないわね。とにかく無事でよかった」
木から下りて、コトリンはため息をつきながらそう言った。
「…怒らないの?」
「怒ってもいいの?でも、怒られるようなことはしていないでしょ」
「そうね。誰も私のことなんて怒らないわ」
「怒られるようなこと、するの?」
「今みたいに木にも登ってみたけど、皆同じ。早く下りなさい、とか危ないとか」
「だって、落ちたら危ないでしょ」
「それって、けがしたら自分の責任になるからでしょ」
「違うわよ。あなたがけがしたらかわいそうだからでしょ。あなたが大事だから」
「そりゃそうでしょ。だって、あたしこの国の…だから」
「え?何?よく聞こえなかったけど」
「とにかく、あたしのこの身体が大事なだけ、あたし自身を心配してくれてるんじゃないってこと」
「…よくわからないけど。あなたの身体が心配なら、あなた自身を心配してるってことじゃないの?」
「…あんた、頭悪いでしょ」
「…そりゃ、いいとは言わないけど」
女の子は肩の下に届く髪を手櫛で直してコトリンを見上げた。
その顔をじっと見たコトリンは、思わず「あ…」と声を上げた。
「…何?」
不機嫌そうに答えるその顔は、まさにコトリンの知っているそのものだ。
「ナオーキさま…」
コトリンがその名を出した途端、女の子は逃げ出した。
「待って、ナオーキさま」
女の子だと思っていたナオーキの後を追って、コトリンはどことも知れない場所を走り出した。
「いや、来ないで!」
嫌と言われて追いかけるのをやめるくらいなら、とっくにコトリンはこの旅をやめていただろう。
「何で逃げるんですか」
そう、ナオーキさまは逃げている、とコトリンは思っていた。
何かが怖くていばらに逃げ込み、見られたくなくて女の子になり、今もまた走って逃げている。
「あたしはっ、どんなナオーキさまだろうとっ、最後までっ、ついていきますからっ」
「しつこい!」
「あたしがしつこくなくちゃ…ナオーキさま、張り合いないでしょっ」
「バカッ」
「どうせバカですっ!」
走って息も切れ切れになった頃、さすがに子どもの足では振り切れなかったのか、その後姿にコトリンは追いついた。
To be continued.