Angel Qest



第十章 溶け合う力


選択肢2:気になるので立ち止まって靄の正体を確かめる。

1.変化

ナオーキが歩いた先には、光があり、影があった。
それは、変化しながら存在していた。
吹き寄せる声が聞こえた。
しかし、それは望んだ声ではなく、すでに記憶からは薄れつつあった数々の声。

「…本当に冷たい方」

ああ、そうかもしれない。
ナオーキはそう答える。何者も寄せ付けず、他人など適当にあしらっていた。

「ひどい…」

何度もそう言われたが、そう言われても付いてきた人間がいたことを今はうれしく思う。

「どうしてあなたは…」

いつもいつも質問ばかりだった。
くだらないと半分も答えなかったが、今ならわかる。
相手を知りたいと思う心は、いつも不安で疑問ばかりが口をついて出るのだと。
そんなことにも気づけず、ないがしろにして国を治めるつもりでいた。

「来ちゃ、ダメ…」

ナオーキは皮肉気に笑う。
生憎と、言われたからと素直に行動する自分ではないと。
だから、呼んでも構わないのだと。

「…ナオーキさま…」

ナオーキは立ち止まった。
聞こえた。この声だ。
そうとわかると、足を速めて追いかけた。
あてのない声をどこまで追えるかわからないが、何も手がかりがないよりましだと言い聞かせながら。
自分の変わりように苦笑する。
どうしようもなくお荷物に思った女を必死で追いかける自分を。

「俺を、呼べ」

薄暗闇の中でナオーキは呼びかけた。
暗闇が苦手だと言った。
そんな中で一人耐えられるなら、弱いわけじゃない。


 * * *


「ナオーキさま…」

つい、呼んでしまった名を愛おしく思う。
大勢の人に囲まれながら、孤独な心を抱えていた人。
孤独ということすらおそらく気づいていなかった人。

「俺を…呼べ…」

…ああ、聞こえた。
コトリンは決してこの場所に呼ぶまいと思っていた人が自分を探していることを知り、立ち止まった。
知られたくない心。
それでも。

コトリンは、知らずうちにうつむきかけていた顔を上げた。

「ナオーキさま!」

力強く叫んだ。
コトリンを明るい光が包み込んだ。


2.再会

ナオーキは、明るく輝く光をその目で見た。
力強く自分を呼ぶ声を聞いた。
希望を失わない心が光り輝く力をもたらす。

「コトリン」

呼びかけるとこちらを向いた。
それでも視線はナオーキと合わない。
まだ視力が戻っていないようだった。

「ナ、ナオーキさま…」

ナオーキはコトリンの傍らに膝を付き、その肩に手をかけた。
暗闇の中で唯一光をもたらすその力に、ナオーキは目を細めた。

「よかった」

そう言って、ナオーキはゆっくりとコトリンを抱きしめた。


「ナオーキさま?!」

コトリンは突然抱きしめられた驚きで、思わず叫んでしまった。

『ちょっと、うるさいわよ』

抱き合った二人の間から、ちょっとだけ遠慮するような、それでいて地の底から聞こえるような低い声が響いた。

はっとしたコトリンは、ナオーキの身体を押しやって鎧に向かって話しかけた。

「…何で邪魔するのよ」
『何でって、突然意識が戻ったら耳元で叫ばれるんだもの。たまったもんじゃないわ』
「耳ってどこよ、耳って」
『どこだっていいでしょ』

それでもコトリンは、まだ自分の掌がナオーキの腕にあるのを感じていた。見えない自分に、ナオーキがどこにいるのかを知らせようとする気遣いを感じる。
それに先ほどの抱擁を思い出すと、コトリンは恥ずかしくて今目が見えなくてよかったという思いと、ナオーキがどんな顔をして抱きしめてくれたのか見たかったという思いで複雑な気分になった。
再会を喜んだだけなのか、無事だったという確認だったのか、コトリンにはわからなかった。
ただ、その温かさ、その声を再び聞けただけで、コトリンは心から安堵したのだった。
それと同時に、先ほどまでの辛くてやるせない気持ちが、少しずつほぐれていくのがわかった。

「ナオーキさま、ありがとう。
でも、あたし…」

コトリンは、それでも心のどこかにまだ素直に喜べずにいる自分を見ていた。
外側と内側、何か別の器に入れられている感じがまだ抜けていなかった。
疲労感はいつの間にか消え去っていたが、相変わらず視力が戻らずにいたので、目の前にいるのが本当のナオーキなのか、真に確かめるすべがない。
この感覚、この気配がナオーキだとコトリンは思っていたし、わかるつもりだった。

「目が見えなくても、おまえならわかるはずだ。
ここまでずっと暗闇の中にいて、見えもしないやつにおまえは命を預けてたんだ」

ナオーキの言葉は、コトリンの暗く沈んでいた心の奥にまで届いた。

「だけど、あたし…!」

なおも言い募るコトリンの言葉をさえぎるようにして、ナオーキは自らの唇で強引にコトリンの口をふさいだ。


3.混濁

柔らかくて暖かい感触に浸ったのはほんの一瞬だった。

「ナオーキさま」

ナオーキは、強引に口付けた後のコトリンが何を思ったのか、ほんの少し恐れながら顔を見た。
言葉にしても伝わらないもどかしさに焦れて、口付けた自分の行動にも驚いていたが、本当に伝わったのかどうか見つめた先で、まともにコトリンと目が合った。

恥ずかしがる風でもなく、コトリンは微笑んでナオーキを見た。
今まで自分が思っていたコトリンの反応とはほんの少し違った感じがして戸惑った。
いったいどんな風なら納得したのだろうと苦笑しながら。

「私…うれしい…」

頬を染めて、うつむくコトリンにナオーキはかける言葉を失った。
確かに人の話も耳に届かないくらいに自分の世界に入ったコトリンを引き戻すのに、どんな手段なら有効か考えたならば、おそらく最善の策であったのだろう。
しかし、こんな表情、こんな仕草、こんな反応は望んでいなかった、と言える。

「行きましょう、ナオーキさま」

そう言ってさっと立ち上がる。

「…目が」
「ええ、どうやら見えるようになったんです。
ナオーキさまのお陰です」
「そうか」

ナオーキの手をとり、誘導するかのように軽やかに歩く。
つられて歩き出したものの、その軽やかさにやはり戸惑いを隠せない。

「ナオーキさまは、私のことを少しでも大事に思ってくださったんですよね」
「…ああ」

歩き出すとすぐにどこか違う風景に変わった。
懐かしいような、ほっとするような村の風景。

ナオーキが辺りを見回して足を止めた。
いつの間にかはるか先を歩いていたコトリンは振り返り、ナオーキを見た。

ナオーキはやっと口に出した。

「…おまえは、誰だ?」


4.魔王の心

コトリンは微笑んだ。
さみしそうな、泣きそうな笑顔だった。

「それほどまでにあの方をお望みですか」

コトリンの姿をした者は彼を見返した。

「…あなたは」
「彼女の心に闇が差し掛かったとき、私には聞こえましたわ」

ナオーキは唇をかんでコトリンの姿を見つめた。
中から乗っ取られるとは思っていなかった。
いや、その可能性はあったのだ。
すでに魔の心に魅入られたものが目の前に現れたのだから。

「愛しくても届かない心。
消えそうになる勇気とほんの小さな迷い。
でも魔王にはそれで十分なのです」
「あいつはどこに」

やっと捕まえたと思った。
どこまでも手間をかけさせる女。
目の前に立ち、触れたというのに、それでも信じてもらえなかったのか。
何よりもそれが一番自分にとって衝撃だったのだ、と今更ながら気づいた。

「…魔王とともに」
「一人で待っているときにも光を失わなかったのに」
「ええ。失ったわけではありませんわ」
「ならば、なぜ」
「貴方さまが触れたから」
「…は?」

触れたからと言って、なぜ逃げるのか、ナオーキにはわからなかった。

「混乱して戸惑ったのでしょう。私にはわかります」
「俺にはわからない」
「貴方さまにもわからないことがあるなんて」

そう言って笑う。

「お気づきになりませんか」
「何を」
「『魔王』は貴方さまの目の前に」
「…あなたが…?」
「魔王と同じ気配がするとおっしゃったのは、貴方さまです」

ナオーキは、目の前に立つ姿を見つめた。
コトリンとなんら変わりのない姿。それなのに、先ほどの光あふれる姿とは違い、妙に禍々しい気配が漂う。
それでは本当に魔王に捕らわれてしまったのか。

「あなた、が魔王だとして、あいつは?
あいつも魔王の一部なのか?」
「そうかもしれません」
「…本当に?」
「さあ?そこまで心ははっきりしているものでしょうか。
貴方さまには、迷う心がないと?
一片の曇りもなく使命を貫かれると?」
「そんなことは…」
「私の魔の心とは、あの方への嫉妬」

ゆらりとコトリンの姿が揺れた。

「光の中のただ一つの影。
あの方の心に芽生えたただ一つの迷い。
それこそがこの世界を救う鍵なのですわ」

そう言うと、コトリンはゆっくりと倒れたのだった。


To be continued.