Angel Qest



第九章 光と闇の攻防


選択肢2:気になるので立ち止まって靄の正体を確かめる。

1.消えた光

扉を開けたナオーキの目に飛び込んできたのは、無数の蝋燭の明かりだった。

『…何これ、気持ち悪い』

燭台に乗せられた無数の蝋燭。
そのどれもに火が灯り、部屋の中を妙に明るく見せていた。
その見せ掛けの明かりが精霊たちの心を騒がせた。

『何と言うか、普通蝋燭の明かりってもっとこう…暖かいもののはずよね』

鎧の精:モトーキの言葉に大きくうなずいた(はずの)武器の精:フナーツが両手を広げて(…多分)、力強く言った。

『…不気味です』
『あんたのほうが不気味よっ』

思わずそう茶々を入れないといられない雰囲気の中で、ナオーキは蝋燭の明かりのどこかにコトリンがいないかと目を凝らした。
蝋燭の明かりはただ揺れるだけで、どこにも人影などありはしなかった。
窓下に、卓に、壁に、炎は風もないのに揺らめきながら灯っていた。

『この部屋にはいないみたい』

モトーキはそう言ったが、ナオーキはその場をなかなか動こうとしなかった。
ナオーキはそばにあった椅子に座ると、卓に置かれた蝋燭を見つめた。

気配がある。
なのに、それがどこにあるかわからない。

いつの間にか入ってきた入口は閉じられて、蝋燭の明かりだけの部屋には風などない。
ナオーキが身動きするのに合わせて蝋燭の炎は揺れ動く。

『何か、変わった波長が…』

フナーツがそう言ったが後か先か直樹にはわからなかったが、その言葉と同時に振り向いた。
先ほどまで誰もいなかった場所に、彼女はいた。


2.闇か光か

「お待ちしておりましたわ」

軽やかに彼女は言った。
その豪奢な衣装もよく似合う王女。

「…サホーコ王女」
「あの方じゃなくて、ご不満そうですわね」
「そんなことは」
「…ナオーキさまは、本当に正直な方」

ため息とともに蝋燭が揺れる。

「私を助けに来て下さったのではなくて?」
「そうです」

そう答えながら、ナオーキはサホーコ王女の顔を眺めた。
噂に聞いていた完璧な王女。
それなのに、この禍々しさはどうしたことだろう。

「よかった。もう私のことなど忘れてしまわれたかと」

綺麗過ぎる横顔が、悲しげに微笑んだ。

「魔王を倒さなければ」

そう言ったナオーキに、サホーコ王女は目を見開いた。

「貴方さまお一人では無理です」
「それでもやらなければならない」
「私を守って一緒に帰ってくださるんでは、ないのね」
「…ええ。場合によっては生きて戻れないでしょう」

つかみ損ねた手を見つめ、その手を握る。
ナオーキは考えていた。
コトリンなら、一緒に戦うと力強く請合うだろう。
生きて戻れなくても、皆が助かるのなら構わないと言うのだろう。
それは果てしなく愚かな選択で、無駄なことに違いない。
それでもここまでやって来たのだ。
「怖い」だの、「無理」だのと文句は言ったが、一度も「戻る」とは言わなかった。もうやめようと言ったら、そのまま置いてくるつもりでいたのに、一度も言わなかった。
「あきらめない」と真っ直ぐ前を見て言った姿を不意に思い出した。

「もう一人、連れて帰らなければいけない仲間がいるんです」

どこかにいる。
それは信じて疑わない。

「ところで、どうしてあいつ…コトリンがいないことを知っているんです?」

サホーコ王女を見据えた目には、強い光が宿っていた。

「…ひどいわ。私がどうにかしたとでもおっしゃるのね」
「いえ、少なくとも本当の貴女なら、そんなことはなさらないでしょう」
「…本当の私…。そんなもの、あるんでしょうか」

サホーコ王女の姿が揺らぐ。
まるで蝋燭の炎に揺れる陽炎のように。

「今の貴女は…魔王と同じ気配がする」
「魔王を知りもしないのに、それこそひどいおっしゃりようですわ」
「見たことはない。だが、知っている気はする」
「私は…貴方さまをずっとお待ちしておりました。
闇の中で息を潜め…いつの間にか闇と溶けあうほどに。
貴方さまも振り子のように揺れ動いていたはずでしたのに」

そう言ってサホーコ王女は悲しげな顔をした。
自分が闇に取り込まれたのが悲しいのか、ナオーキが闇に取り込まれなかったのが悲しいのか。
もしかしたら両方かもしれない。
蝋燭の明かりの中で、静かに時が流れる。


3.闇から光へ

ナオーキは、サホーコ王女に言われた言葉を考えていた。

振り子のように闇と光を行き来していた心。
それはまぎれもなく国にいた頃の自分だと。
周りをくだらないやつらばかりだと考え、父母はただそこにあるもの、生まれ得た境遇すらもただの偶然だと思っていた。
寄り付く人の全ては、自分の境遇を慮って寄ってきただけで、ナオーキ自身を見ていたものなどいないのだと思っていた。
一方で、そんな国でも王子として生まれた以上は、ただ国のために生きようとも思っていた。
何も考えず、何も求めず、ただ国のために。
時々その全てを破壊したいと思っていたのも事実だった。
何もかも壊してしまったら、それはそれですっきりするだろうと。
国のためにと考えることもなく、ただ自分の欲望のためだけに生きること。
その考えがいつしか変わったのは、どうしてだろう。

ナオーキは、今ここにいない人物を思い描いて人知れず笑った。つい、笑みを漏らしたといったところだ。

「貴方さまは…もう、昔の貴方さまではいらっしゃらないのですね」
「…昔の…?」
「もう、遠いお話ですわ」

サホーコ王女は微笑んで目を伏せた。

「一度だけ、貴方さまをお見かけしたことがございます。
貴方さまは颯爽と私の前を駆け抜けていかれた。私はただ見ているだけでございました。
それでも私は、そのただ一度の出会いを忘れずにおりましたのに」
「それは…」

気づかなかった、と言ったところでどうにもならないのだろう。
おそらくもう一度その場面を繰り返したとしても、ナオーキは同じように通り過ぎてしまうだろうから。

「あの方になりたかった」
「あいつは…」

ナオーキは、通り過ぎることができなかったのだ。
街で危なげに、それでいて楽しそうに歩く姿を見かけたとき。
ただすれ違っただけだったが、城で能天気な姿を見かけてすぐに思い出した。
子どもごときに財布を盗まれ、パン屋で吹っかけられたバカな女。
そういう印象だったのに。
何かを見つけるたびに目を丸くして驚く姿。
財布がないと言って怒る表情。
迷子になったと言って困った顔。
元からろくに役に立っていないのに、足手まといになったといって泣いたり…。

ナオーキはサホーコ王女を真正面にとらえて、きっぱり言った。

「案内してください、あいつの元へ。
…あなたが、少しでも俺を慕ってくださったなら」
「…できません」
「なぜ」
「あの方は光が強すぎて、私には近寄れないのです。
今のあなたは、あの方と同じ光を求めて、同化しようとしています。それは、魔王にとって危険です」
「その魔王を倒さなければ、あなたも戻れないんですよ」
「魔王は…真に倒さなければいけない存在なのでしょうか」
「そんなことを」
「誰もがあの方のように強い心を持っているわけではありませんわ」
「だからと言って」
「ええ。そうですわね」

サホーコ王女が振り向くと、そこにはぽっかりと開いた入口があった。

「どうぞ、ここをお通りください。
ここを通り抜けて、あの方のところにたどり着くかどうかは、貴方さま次第です。…お気をつけて」

「ありがとうございます」

ナオーキはサホーコ王女にお礼を言うと、足早に暗闇の中に足を踏み入れた。ためらうことなく。


4.光のもとへ

ぼんやりとした薄闇の中をコトリンはさまよっていた。
本当の闇ではなかった。
それなのに、悲しくて仕方がなかった。

「ナオーキさまは、本当に冷たい方」

「ひどい、ナオーキさま」

「どうしてあたなたは姫君にそんなひどいことを…」

吹き寄せられた風の向こうから、そんな声が響いてきた。
コトリンは、それがナオーキに対する人々からの声だと程なく理解した。

違う、そんな人じゃない。
コトリンは声の一つ一つに反論する。

ナオーキさまは、確かに言葉も悪くて、態度だって一見冷たいけど、優しくないわけじゃない。
優しさは時には毒だ。
優しくされて、期待を持たせるほうが罪なときもある。

コトリンは、歩きながら理解した。
人々の心の闇が吹き寄せるところだと。
この中にはきっと、自分の浅ましい心もあるはずだ、と。
だからここへ呼ばれたのだと思った。

こんなところへナオーキさまを呼べない。
コトリンは自分の身体を抱くようにして座り込んだ。
こんなに悲しくて、辛いところへ呼ぶわけにはいかない、と。

「来ちゃ、ダメ…」


 * * *


たどり着きたい。
そう願って歩き続けることは苦ではない。
今まで、何かを求めて歩いたことはなかった。
ただ言われるがまま、求められるまま歩いてきた。
自ら求めて歩くということは、これほど狂おしく渇望するものだとは知らなかった。
ナオーキは、薄暗闇の中を歩き続けた。

人の声に耳を傾けることは少なかった。
誰よりも自分が正しくて、自分以上に正しい答えを知っているものなどいないと思っていた。
しかし、本当にそうだったのか。

「来ちゃ、ダメ」

微かに聞こえた声にナオーキは耳を澄ませる。
呼んでくれさえすれば、そこへたどり着いてみせる。
それなのに、来ないでくれとは、どこまで嫌われたのだろう。
ナオーキは苦笑して、そしてそれでもまだ歩き続けた。


その薄闇を見つめて、笑うものがいた。
光でもなく、闇でもなく。


  その惑いは、君の糧になるか?毒となるか?


忍び笑い、楽しそうにささやく。


  さあ、どちらだろうね、迷い彷徨う光の勇者よ。


To be continued.