Angel Qest



第十二章 過去から未来へ


選択肢1:そのまま逃げ続ける。

1.過去の記憶

コトリンが逃げ続けるいばらの庭で会った姫の後姿に追いついたとき、いばら姫は振り向くことなく言った。

「どうしてわかったの」

そのかわいらしい声にコトリンは微笑んで答えた。

「だって、思い出したんだもの。
前に行った豪華な庭で…って、今思えばお城だったのよね。
同じようにいばらに囲まれた庭にあなたはいたの。
その時は本当に女の子だと思っていたから、今までわからなかったけど」

コトリンは決して記憶力がいいほうではないが、さすがに忘れられない記憶というものはある。もちろんその記憶も勘違いしたままや、都合のいいように解釈していることもあるが。

「少し生意気で、何でもできて、本当に…かわいらしかったの」

まさかそれが男の子で、しかもその国の王子とは誰も思うまい。
小さなうちは王子であることが身の危険を伴うことや丈夫に育つようにと願いを込められていることなど、庶民のちょいとおばかな子どもだった琴子にわかるはずもない。

かわいらしかった、のくだりでいばら姫の肩がピクリと動いた。よほど嫌なのだろうか。

「あたしなんて恥ずかしかったことの一つや二つ…どころかたくさんあるけど、別に今まで何の不自由もなく生きてきたわよ」

もちろんそんな慰めが容易に通用するわけはなかったし、コトリンの言葉はいばら姫のプライドに引っかかったようだ。

「追いかけてこないで」

そう言って再び走り出す。
しかもその背中からは少しだけ瘴気が出ているようだった。

コトリンは再び追いかけることになったが、その瘴気を見て考える。
魔王が言ったように、ナオーキさまは少しだけ闇に傾いているんだろうか。
だから、見失ってはいけない。
コトリンは力強く走り続けた。


2.闇の中の記憶

次に追いついたのは、小さな庭だった。
何か黒い霧の中を通り抜けた後に見失ったかと焦ったコトリンだったが、ぼんやりと座っている子どもに気がついた。
当然ナオーキだろうと思ったコトリンは、そのまま近づいた。

「何で来るんだよ、バーカ」

そのかわいらしい口から飛び出した言葉は、何とも辛辣だった。
あのいばら姫の姿ではなく、小さな王子。
顔はいばら姫のときとなんら変わりがないのに、生意気さを倍増した感じだ。
一瞬にしてコトリンはあのいばら姫から王子の姿に戻ったその時期に何かがあったのだと悟った。

「ナオーキさま?」

そう呼ぶと、「誰とも知らないやつに『はい、そうです』と答えるわけがないだろ」と答えた。
もちろんナオーキであることに違いないのだが、大きくなったナオーキに比べると口数は多いようだった。

「いばら姫の格好が嫌だったから、そんなふうになっちゃったの?」

そう聞くと、小さな王子はコトリンをにらんだ。

「そんなふうとは何だよ」
「え、えーと、生意気な感じ?…は前からか…」
「…おまえな」
「そうだ、人嫌いな感じ!」
「どうでもいい事を探りにきたり、思ってもいないことを都合よく口にする人間ばかり相手にしてもなお素直でいい子で善人のやつがいたらお目にかかりたいね、フン」

つまり、いばら姫のときもその容姿でいろいろあったようだが、王子の姿に戻ったら更に厄介なことがあったに違いない、とコトリンは少なからず同情した。
だからあんなふうに人を寄せ付けなくていつも不機嫌そうで無愛想になっちゃったんだ、とコトリンは勝手に納得してうなずいた。

「でもナオーキさまならそんなやつらに負けないでしょ」
「大人相手にやれることは知れてんだよ。
誰が子どもの命令で動くんだよ。そんなの父王のご機嫌を伺うやつだけじゃないか」
「そうか、まだ小さいもんね」
「納得してんじゃねーよ」

コトリンは辺りを見回す。
小さな庭は、唯一の休憩場所のような気がした。

「ここって、裏庭…?」

コトリンは最初にホクエイの城で迷った裏庭を思い出した。
あのときのようにいつもナオーキが休憩していると思われた場所だった。
なのに、何故ここはこんなにも禍々しいのだろう。

「こんなところでいつも一人で…?」

だから、ますますひねくれちゃったとか。

「…ひとり言がでかいんだよ」

コトリンは知らずうちに口に出していたらしい、と気付いて口を覆った。

「あたしがそばにいて、友達になってあげたらよかった」

ずうずうしいかと思いながらもそう言って、コトリンは同じように膝を抱えた。

「……バーカ」

ぼそりと聞こえた声が、悲しく響いた。


3.闇の中の光の記憶

裏庭は、本当にひっそりとしていた。

「ねえ、ここ、誰も来ないの?」
「人が来ないからここにいるんだよ」
「そうなんだ」

コトリンは木陰の下で辺りを見渡して言った。

「でも、あたしここ好きだな」

城の裏庭というのはどこもこんな風にのんびりとしてのどかなんだろうか。
コトリンは伸びをして寝転がろうとした。

「おまえがくつろぐな」

そう言いながらもナオーキの頬が緩んだように感じられた。
禍々しさも少しだけ収まったような気もした。

「ナオーキさまがさみしかったとき、あたしがそばにいたらよかった。
でもそれは叶わないことよね。
過去は変えられないかもしれないけど、これからは変えることができるって信じてる。
国を助けることだってできるし、あたしたちは未来を夢見ることだってできる」
「希望的観測はいいよ」
「何で希望を言っちゃいけないの?
あたしはいくらでも言う。
あたしたちは、未来を楽しまなくちゃいけない。
今が絶望的でも、未来はきっとあるって信じなくちゃいけない。
そのためならあたしは何度だって言う。
あたしには愛された記憶がある。
あたしには愛した記憶がある。
あたしはナオーキさまにも思い出してほしいの」
「…何を」
「一人ぼっちだと思っている記憶の中には、本当に誰もいないの?
ナオーキさまを守ってくれた人。
ナオーキさまを愛してくれた人。
王様や王妃様や御付の人たち。
もし万が一誰もいなくても、あたしがいるから」
「は?」
「あたし…あたしは、ナオーキさまを守るから。
ナオーキさまを、愛してるもの」
「どちらかと言うと、俺のほうが守ったっていう気がするけど」
「そ、そうかもしれないけど。
ナオーキさまがどんな風になっても、あたしは愛するから」

コトリンは、一世一代の告白のつもりだったが、それを聞いたナオーキの反応は鈍い。

「…愛なんて…」

コトリンは唇をかみしめた。

「そんなことない!
愛は強いの。
愛された記憶がある人はずっと強いのよ。
あたしは知ってる。
好きな人がいるだけで力が湧くし、自分の命をかけたっていいって思うもの。
ナオーキさまがあたしのことを好きじゃなくたって、あたしは…好きだからっ」

…は。
ははは…。

ナオーキは笑い出した。
コトリンは笑い出したナオーキをやっぱりダメなのかと涙目で見つめた。

「おまえが俺を好きでも、俺が好きになるとは限らない」
「それでも、いいもの」
「無償の愛なんて信じない」
「信じなくたっていい。感じてくれればそれでいい」

コトリンはナオーキの手を取り、強く握り締めた。

「もしもこの世界を離れて、ナオーキさまと別れる日が来ても、あたしは忘れない。
ナオーキさまと一緒に旅をしたこと。
口が悪くて、面倒そうにしてるけど、やっぱり優しくて、大好きだったこと。
他の誰が忘れても、あたしは忘れない。
ナオーキさまがあたしのことを好きになってくれなくても、それでも…好きなの」

「それならおまえは、俺の身代わりになると言うのか」
「…なるよ。ナオーキさまがそれで助かるのなら。
でもね、ただでは死なないの。
ナオーキさまがこの先、ちゃんと幸せになってくれなきゃ、意味がないの」
「それは無償とは言わないだろ」
「…そうか。
でも、とにかく、そうなの!」

くくく…と笑い声がした。
まいった、とも。

「ナオーキさま?」
「こんなバカな女、見たことない」

コトリンが瞬きするうちに、ナオーキの姿は少年から青年へと変わり、本来の姿になった。

「…ナオーキさま…」

コトリンの目には、ナオーキがぼやけてよく見えなかった。
見開いた目には、涙が溜まり今にも零れ落ちそうだったからだ。


4.過去からの脱出

「おやおや、なんだかあっさり魔法が解けちゃったなぁ」

どこからか響いた声に、コトリンとナオーキは辺りを見回した。
すっかり忘れていたが、ここはまだ魔王の本拠地だった。

「…でも、まあ、面白いものを見させてもらったよ」

コトリンは胸を張って答えた。

「ほらね、愛は強いのよ。
愛だけでどうにかなると思っていないけど、あなたの思うようにはならないから!」

「…僕はね、真実の愛が見たかったんだよ」

「真実の、愛?」

「たくさんの戦士がやってきて、いろんな戦士がいて、愛を語る者も中にはいたけれど、それゆえに捕らわれた者もいたし、蝕まれて戻れなかった者もいたよ」

「サホーコ王女様は、返してくださるんですか」

「…ああ、彼女ね。
彼女はまだ真実の愛に辿りついていないようだね」

「それでも、彼女もホクエイにとっては大事な人なの」

「彼女が真実戻りたいと願えば、戻れるんじゃないのかな」

「それは、戻りたいと願わないこともありうるってこと?」

「好きな人に拒否されれば、戻りたくなくなるというのもあるだろうしね」

コトリンは思わずナオーキを見た。
もしもナオーキが王女を望めば、コトリンは辛くなるが、王女は戻るかもしれない。

「じゃあ、王女様をナオーキさまが…」
「…それは無理だ」

コトリンの心を読んだようにナオーキが言った。

「ここでは嘘がつけない。
俺が真実求めたのは、王女じゃない」
「じゃあ、どうすれば」

「そうだなあ。彼女はいずれ戻ると思うよ。
彼女は賢い人だ。
いつか気付くだろう」

そう言った魔王の声が、心なしか、さみしそうにコトリンには聞こえた。

「君たちは、もう帰りなさい」

まさか魔王からそんな言葉が出るとは思わなかった二人は、顔を見合わせた。

「僕は何も世界制服をしたいわけじゃない。
君たちも見ただろう。
世界は暗黒に包まれてもそのまま過ぎていく。
世界は光の世界ばかりじゃない。
闇の世界だって人の一部で、それが見えてしまう君たちには煩わしかっただろうが、その能力もいずれなくなるさ。
君の両親は、そうやって君を育てた」

コトリンは消えた母のことを思った。

「母は…」

「彼女は、寿命」

「じゃあ、もう、この世界には」

「いないね。
君の幸せだけを願って、その身は朽ち果てた。
元々丈夫な人ではなかったんだろう。
光の戦士としてその身をほとんど使い果たしてしまった。
君を生んだのが奇跡だよ」

「…お母さん」

「君は言った。
父の愛情を受け継いだと。
母からその命をもらって、何が不満なの。
彼女は少しばかりこの世を去るのが早かった。
それは少しばかり哀しむべきことかもしれないが、君はその愛情受け継いで生まれてきた。
未来は楽しむためにあるのだと君は言った。
ならば、それを証明してくれなくては」

「…あなたは、それほどにさみしかったんですね…」

コトリンは姿の見えない魔王に向かって言う。

「あなたは、誰よりも愛情を欲しがっていて、誰かから愛されること願っているんですね」

「そうとも言えるし、そうじゃないとも言える」

「それなら、あたしはお手本として、これからを楽しまなくちゃ」

コトリンの明るい声が響いた。

「…道が」

ナオーキの声に振り向けば、二人の後ろに明るい光の道があった。

「アッディーオ!
君の行く末を、僕は楽しみにしているよ」

魔王の声は、光に溶けるように消え去っていった。


To be continued.