Angel Qest



第十二章 過去から未来へ


選択肢2:気になるので立ち止まって靄の正体を確かめる。

1.出会いの記憶

城の裏庭は、ナオーキにとって誰に邪魔されない場所だった。
帝王学は嫌いではなかったが、習得の早い王子にとって勉強はできれば興味のあることに費やしたかった。
早めに切り上げた勉強時間が余ると、誰にも告げずに裏庭で休むのが習慣だった。

ある日そこへ現れた得体の知れない子ども。
生物学上は人間の女の子ども。
およそ理解できないくらいバカで、めそめそと泣くうっとおしい生き物。
その時のナオーキは、そう分類した。

今思えば、その頃出会ったのは、母親を失ったばかりのコトリンだったのだろう。
特に覚えておく必要のない出来事は、意識して忘れるようにしているため、今ようやくナオーキは思い出したのだった。

「おかあさんはいなくなっちゃったんだって」

闇に消えたのなら、そう説明するしかなかっただろう父親のことを思うとナオーキは気の毒に思った。

「コトリン、聞こえたか。
俺は、おまえを迎えに来たんだ」

そうまで言えば、いつものコトリンなら喜んで返事をしそうなものだが、反応は鈍い。

「おかあさんにあわなくちゃダメなの。
おおきくなったら、おかあさんをさがしてつれてきてあげるっておとうさんにやくそくしたの」
「それなら一緒に行こう」
「おうじさまはおひめさまをたすけなきゃいけないのよ」
「ちゃんと助ける」
「それからね」

正直、まだあるのかとナオーキは苦笑した。
そうだ、コトリンはこういう細かい設定を妄想するやつだったと思い出す。

「おうじさまはおひめさまとけっこんしてめでたし、めでたしなの」
「…それは、どうかな」
「じゃあ、おうじさまをおもいながらみをひくむらむすめがなきながらいぐさをあむの」
「…なんかちょっと違うんじゃないか」

どんどん話が変な風に逸れていくが、コトリンは気にしない。

「いい加減に目を覚ませよ」
「だって、おひめさまじゃないんだもん…」

そう言って、コトリンは裏庭に沈んでいく。
闇なのか、泥なのか、判別のつかない何か。

光を内に持った者ですら闇に染まる瞬間がある。
王女はそう言ったのではなかったか。

ナオーキは、必死になって沈んでいくコトリンに手を伸ばした。


2.闇の記憶

沈んでいく。
記憶が、闇の中に埋没していく。

コトリンはそう思いながら大きく息を吸う。
吸って吐く。
息苦しくて、もがく。
何故自分の身体がこんなにも重いのかわからないままだった。

思えば、何故母がいないのか、悲しく思った幼き日にその兆候はあった。
悲しく辛そうに父は答えた。

「多分どこかにはいるんだよ。
決しておまえが嫌いだからじゃなくて、むしろおまえが大事だから代わりにいなくなったのかもしれないな」

代わりに。
その言葉の意味をまだ理解できないだろうと思って口を滑らしたのかもしれない。
本当にまだ幼き頃のことで、そんな記憶があるのが不思議なくらいだ。
コトリンはそれほど物覚えのいい子どもではなかったし、物分りのいい子どもでもなかった、というのが本音だ。
父もそれを言ったことすら覚えていないだろう。
根がのんきな父は、うっかり言ったことを覚えている性質ではなかったし、そこまで気を使う性質でもなかった。
悪気はない、ということだけはコトリンにもわかっていた。
それでも、自分の代わりにいなくなったかもしれない母のことを考えると、時々胸が締め付けられるようだった。
そして、この想いは、誰にも言えないこととなった。

母はいなくとも、何不自由なく育ててくれた父のことを思うと、母がいたらと口に出すわけにはいかなかった。
もちろん父も母がいたらとコトリンを不憫に思うことはあっただろう。そして、コトリンが口にしないだけで母がいたらと思っていることなどお見通しだったに違いない。そして、父に言わない理由とそれを思ったことに対する罪悪感すらも。

父は光の戦士に選ばれた。
正直で、正義感があって、でもその分少々頑固で。
同時に少し流されやすくてお人よし過ぎて。
光の戦士は、元々アンバランスな存在なのだ。
奥底の何か確固たる想い。
それは光であるが、同時に少しだけ弱さを含んだ人間の心。
闇に取り込まれやすくもある。
そうやって、闇に取り込まれてしまった戦士も数多いのだと。
だから、いつまでも闇の魔王はいなくならないし、倒せもしないのだという。

コトリンの記憶。
それは光の中に取り込まれた闇の存在。
今、あふれ出しそうになり、その記憶の中で溺れそうになっている心。
ナオーキは、手を伸ばしてコトリンの腕をようやくつかんだ。


3.闇の中の光の記憶

ナオーキがつかみあげた腕は細く頼りなく、力のないものだったが、ただ一つ温もりだけがコトリンがコトリンである証のような気がした。

「目を覚ませ」

つかんだ腕を離さないようにしてコトリンを抱き上げた。

「おまえの母親は、おまえがあの世界で生きていくことを願ったんだ」

もしもここがコトリンの闇の世界なら、あの生活していた世界は光の世界だ。
父がいて、友人がいて、泣いたり笑ったりしながら生きてきた世界。

「おまえの父親は、そんなに頼りない存在だったか」

ナオーキは、いつのまにか自らも泥のように沈んでいくのを感じながら、コトリンを抱きかかえていた。

「俺とともに旅した日々は、取るに足りない記憶か」

旅の当初は魔法も使えず、巻き込まれないために教えた日々は、ナオーキにとって苦痛以上に忘れられない記憶だというのに。

「おまえ、俺までも引きずり込むつもりか」

あまりにも闇の世界を歩きすぎて、心の奥まで闇に取り込まれてしまったのか。
ナオーキは叫び続けた。

「目を、覚ませ」

コトリンの肌は青白く、血の気の失せた唇が少しだけ動いた。
ナオーキは、その唇が動くのをじっと見ていた。
何故気に入らないと思いながらも口づけたのか。
狂おしく込み上げてくるこの感情は何なのか。
恋だの愛だのはわからなかったが、愛おしいという言葉なら当てはまるかもしれないと。
衝動ゆえの強引なものではなく、その愛おしいという気持ちを伝えるために、ナオーキはコトリンの頬を優しく撫で、今度こそ目覚めるようにと祈りながら口づけた。
口づけたその唇は冷たかったが、開いた唇から何か温かい空気が漏れるようにほうっと吐き出されると、青白かった頬に赤みが差した。
ずぶずぶと沈みこんでいた足下から抜け出るように地表に降り立った。
そこでようやくナオーキは抱えあげたコトリンの身体を下ろし、震えるまぶたにもう一度口づけ、色を取り戻した唇を親指でなぞった。

「…ナオーキさま…?」

ゆっくりと開いたコトリンの目がナオーキの姿を映し、焦点が合うなり驚いたように身体を起こした。先ほどまで正気を失っていたとは思えないほどに。

「あた、あたし?」
「…紛れもなく、おまえだ、コトリン」

コトリンは、あまりにもナオーキの優しい眼差しに顔を赤らめてうつむいた。

「戻ろう、俺たちの世界へ」
「あたしたちの…世界」

『さあ、もう時間がないから、戻すわよ!』

遠くから、鎧の精:モトーキの声が響いた。
ナオーキがうなずくと、辺りは真っ白な世界に包まれた。


4.過去からの脱出

二人が立っていたのは、何もない世界だった。
あの、コトリンの母がいたと思ったのは、確かこの世界だったとナオーキは思い出した。

「おまえの母がいた。
いや、いたと思った。
その姿を俺は見た」
「あたしの、お母さん?」
「おまえの幸せだけを願っていた。
その命に代えても、と」
「…そうなんだ。
あたしは、お城の厨房の前に置かれていた子どもだったの。
お母さんが消えて、あたしが残された。
その顔はお母さんにそっくりだったから、お父さんが俺の子だって。
何も証拠もないから、本当なのかなってずっと…思ってた」
「そうか。だから、おまえは城の中でふらふらしていたのか。
一時は誰かの隠し子じゃないかと噂になったこともあったな」
「でも、あたしは確実にお母さんの子だっていうのなら、やっぱりあたしのお父さんはあのお父さんしかないし」
「…だろうな」
「どこかで疑っていたのかも。
自分に自信がなくて、あたしはあたし自身を闇に落としていたんだ…。
お母さんは、まださまよっているのかな」
「違うだろ。
今思えば、おまえを心配していたようだったし」
「魔王の目的って、なんだろう」
「光と闇、バランスが崩れれば、誰でも闇になると言いたいんだろう」
「王女様は、どうなるんだろう」
「新たな魔王の代わりが出るまで、戻らないかもしれない」
「…そんな」

その説で行くと、今までこの場を支配していたのは、コトリンの母ということになりはしないか。
ナオーキはそう思ったが、口にはしなかった。

「それでも、本当の魔王はいる」

ナオーキはそれを確信していた。
コトリンを苦しめるようなことをコトリンの母がするようなことはないだろう。
ましてやあの王女にしても、である。

『盛り上がっているところちょっといいかしらぁ』
『すっかり忘れ去られちゃってるんだけど』
『私たちはいつになったら武器から開放されるのでしょう』
三精霊の声がした。

『魔王は、倒せないわよ、多分』
鎧の精:モトーキはため息をついて言った。
「なんで?」
『もうこれ以上ぼろぼろになるのはごめんだから言うけどぉ』
マントの精:マナリンは面倒そうに言った。
『それはですね、魔王に実体はないからです。
もっと言えば、神と等しき存在である、ということが判明したからでしょう』
武器の精:フナーツが自信満々に答えた。

コトリンは首を傾げる。

「つまり、どういうこと?」
「この闇の世界も神が作ったので、当然光の戦士も神が作ったものだと言えるわけか」
ナオーキの言葉にコトリンは目をぱちくりさせた。
「…神様が魔王なの?」
『ぶっちゃけ、そういことかもね』
モトーキが言った。

一拍置いて、コトリンは叫んだ。
「え、ええーーーーーー!!神様なんてどうやって倒すの?!」

『いや、だから、無理だって』
『さっきまで捕らわれてたくせに倒すなんてずうずうしい子よね』
『…ということは、私はこのまま武器の中に…?』

「前の時はどうやって戻ったんだろう」
「入口があるなら、出口はあるだろ、多分」
「でも時々出口のないのってあるよね、意地悪で」
「…おまえは…」

ナオーキがこめかみをひくつかせたとき、モトーキが叫んだ。

『そうよ、このときのためだったんだわ』
「何が?」
『ほら、マナリンもフナーツも覚えていない?
何かわけのわからない呪文があったじゃない』
『呪文〜?』
『オタクニラケットナースガポン、ですね』

「…オタクニラケットナースガポン…?」

奇しくもコトリンとナオーキの声が揃ったところで、景色が変わった。

「な、なにー?何が起こったの〜〜〜〜?」

コトリンの叫びが長く尾を引いたまま、一行は闇の世界から一転することになった。


To be continued.