Angel Qest



第七章 闇の力


選択肢2:気になるので立ち止まって靄の正体を確かめる。

1.悲しき想い

「ナオーキ王子様…」

悲しそうなその声に誘われて、コトリンは思わず足を止めた。
黒い靄はすでに真後ろまで迫っていて、コトリンを飲み込もうとしていた。
その嫌な感じはもちろんなくなってはいない。
なくなってはいないが、コトリンは今一度ぐっとお腹に力を込めて耐えた。
靄はあっという間にコトリンを包み込んだ。

ぐえっ。

思わずそうつぶやいた。

うわ〜、なんだかどんどん悲しくなってくる。
なんだろう。
どうせナオーキさまはサホーコ王女様を助けたら得だとか、とりあえず何かあったらあたしを犠牲にしてでも国に帰らなきゃとか、そういうこと思ったりしてるのかな…。

靄の中で目を凝らすと、ぼうっと何かが見える。

ほら、やっぱりあなたは私と同じ。
ナオーキ王子様が恋しくて、泣いている私と同じなの。

顔を手で覆ったサホーコ王女が座っていた。
その手の間からは血のような涙。
周りは暗いのに、なぜそれだけが赤いとわかるのか。
コトリンは改めてぞっとした。

だから私、ナオーキ王子様を…。

いつの間にか倒れているナオーキがいた。

「ナオーキさま!!」

思わず叫んだが、ナオーキはピクリとも動かない。

死んでしまったの?まさかっ?!

「手に入らないのなら、ほら、こうしてお傍に…」

いやっ、ナオーキさま!

ナオーキに近づこうとしてコトリンは駆け出した。
ところがいくら走ってもたどり着かない。
すぐそこに見えるのに、いつまでも近づかない。
サホーコ王女は顔を覆ったまま泣いている。

「違う!」

いくら走っても近づかないもどかしさに苦しくなりながら、強くそう言った。

「あたし、…あたしだってそばにいたいけど、違う…と思う」

仕方なく立ち止まって息を吐きながら、コトリンは言った。

「そりゃナオーキさまは偏屈で、意地悪で、いっつも嫌味ばっかりで、怒られてばっかりだけど…。
だけど…ちょっとだけ優しくて…。
サホーコ王女様だってわかってるはずよね。
そんな風に人形みたいになったナオーキさまじゃ意味ないって」

そりゃあたしなんて最初から相手にされてないし、ナオーキさまにとってお荷物だってわかってるけど。

コトリンはサホーコ王女に笑いかけながら言った。

「サホーコ王女様なら、きっとナオーキさまだって気に入るわよ。
だって、あたしよりずっと賢くて、美しくて、優しいもの。
だから、大丈夫よ、きっと…」

コトリンの言葉にサホーコ王女は顔を上げた。
もう血の色は見えない。

「私…」

サホーコ王女がそうつぶやいた途端のことだった。

「きゃああああああああぁぁぁぁ…」

辺り一面が急に真っ白に変わり、コトリンは視界を奪われた。
先ほどまでの暗闇から一転して強い稲光のように光り、長く悲鳴を残してサホーコ王女は消えた。

「サホーコ王女様?!」

コトリンは目を開けていられず、何とかサホーコ王女の行方を知ろうとしたが無理だった。

「サホーコ王女様!!」

どこへ向かって叫んでいるのか自分でもわからないまま、コトリンは力の限り叫んだ。

やがて辺りが静まり、元の暗闇に戻ったものの、コトリンは先ほどの光をまともに受けて目を開けられなかった。


「おい、どこにいるんだ!」

コトリンの耳に切羽詰ったような声が聞こえた。
その声を聞いた途端、コトリンは放心して座り込んだ。

捜しに来てくれたのに…。

コトリンは座り込んだまま声のするほうに目を向けたが、呼び声の主を見ることができなかった。

すぐに走って行きたいのに…。

コトリンは泣きながら声の主を出迎えた。

どうしよう、ナオーキさま。
あたし、目が見えない…。

座り込んで泣いているコトリンを、ナオーキは顔をしかめて見下ろした。


2.真の闇

ナオーキは呆然と座っているコトリンを見てようやく息をついた。
いつの間にかいなくなったと思ったら、何か異変が起こった。
一瞬の光。
背中に感じた光の正体を見極めようと駆け戻った。
そこで聞こえたコトリンのサホーコ王女を呼ぶ声。
ナオーキはただならぬものを感じたが、それは全て終わった後だったのだ。
泣きながら座り込むコトリンがこちらを向いたが、その目にはもう何も映さなかった。
ナオーキが漠然と感じていた不安を体現したかのようだった。

「…光を見た後なんだな、見えなくなったのは」

泣きながら見えないと言ったコトリンの顔をよく見ようと近寄った。
気配を感じて後ずさりするコトリンの肩をつかみ、顔をのぞきこむ。
涙が乾かないその瞳はただ漆黒の闇。
鏡のようにナオーキの姿を映し出すものの、コトリンには見えていないと言う。

「ごめん…なさい…」
「何で謝る?」
「だって、ここまで来て、またあたし役に立たなくなった」
「そうだな」

ナオーキの言葉にコトリンはうっと言葉を失った。

せめて、そんなことはないとか何とか言ってくれるかと…。

コトリンはナオーキが肩をつかんだままだったのに気づいて固まった。

「多分魔王を倒せば目も見えるようになるだろ」

ナオーキはそれだけ言って、コトリンの腕をつかんで立ち上がらせた。
ようやくコトリンは泣き止んで、見えないなりにも身なりを整えた。

戦いが済んだら目も見えるようになる…か。

もちろんそんな保障はどこにもない。
どこにもないが、見えない不安さをコトリンに悟られるくらいなら、嘘でも何でもそう言っておくのがナオーキ。
そう、ナオーキは初めて不安になった。
これこそまさに希望を失わせるのに手っ取り早い方法では、と。

「そうか、じゃあ、魔王を倒すしかないのね」

幸いなことにコトリンは単純な性格の持ち主で、ナオーキの不安を悟ることなく立ち直った。

「あ、でも、どうやってあたし魔王を倒したらいいの?」
「ほら」

ナオーキは自分に縄をくくりつけ、その端をコトリンの手首に縛った。

「あ、ありがとう。
ねぇ、でも、こんな風に縛ったら、ナオーキさまは身動きしにくいんじゃない?」
「余計なこと考えるな」
「えー、でもあたし、ただでさえ迷惑かけてるし」
「今さらその迷惑が増えたところで引き返すわけにもいかないだろ」
「そうだろうけど…」
「戦いになったら遠慮なくはずさせてもらう」
「そ、それもちょっと…」
「とりあえず転ばないように歩け」
「は、は〜い」

と、歩き出した瞬間にコトリンはつまずいた。

「言ってるそばから転ぶなよ」
「だって、本当にわからないんだもの」

ため息をついて、ナオーキはコトリンの手を取った。

「え、あの、ナオーキさま?」
「仕方がないだろ、見えないんだから」
「えっと、ごめんなさい」
「敵が来るまでだからな」
「は、はい」
「ほら、さっさと歩くぞ」

握り締められた手の暖かさを感じながら、コトリンは全く見えない中を歩き出した。
ナオーキさまの顔が見えるといいのに、と思いながら。


3.闇の向こうに

闇の中をどれくらい歩いただろう。
コトリンは不意に何か嫌なものを感じた。
背中の三精霊は相変わらず何も言わない。
自然に足が止まり、それにつられてナオーキも止まった。

「…どうしたんだ」
「なんだか、先へ進むのが…」
「怖いのか」

見えないはずなのに、とナオーキは思う。
それとも、見えないからこそ怖いのか。

「…嫌な感じ。
ああ、そうだ。靄の中で感じた嫌な感じ」
「…サホーコ王女がいるのかもしれないんだな」
「わからない、けど」

コトリンは知らずうちに胸を押さえる。
あの靄の中は苦しい。
なんだかどろっとした想いに捕らわれて、身動きできなくなる。
それでもナオーキは進むだろうとわかっていた。
魔王を倒すため。
何よりもサホーコ王女を倒すため。

闇の中でナオーキのため息が聞こえた。

「ご、ごめんなさい。先を、急ぎましょう」
「鎧を着けるか」
「え?」
「おまえはマントを着ろ」
「え?えええっ」

マ、マ、マントって、あのマント?
あの、セクシーな布地の少ない?!

「無理、ムリよっ」
「いいから着ろ」
「だって、あんなの…」
「どうせ暗いんだから俺にも見えないし、他に誰も見るものなどいない」
「…そ、そっか」

それでも躊躇するコトリンにナオーキは言った。

「守るすべがない」

コトリンは泣きそうになりながら言った。

「…あたし、目が見えないし、足手まといだよね」
「そうでなくとも俺にだってわからないんだ!」

声を荒げるナオーキにコトリンは驚いた。

「…とにかく、少なくとも伝説の武器鎧なんだから、少しは役に立つだろ」

コトリンは見えるかどうかわからなかったが、ナオーキに向かって笑顔を見せて言った。

「わかった。
そのかわり、似合わなくてもあまり笑わないでよ」

コトリンは手探りで荷物入れの中から神器の箱を取り出した。


4.闇と光の狭間で

ナオーキは声を荒げた自分の感情を悔いた。
そんなつもりではなかった。
不意に立ち止まったコトリンのその勘を信じることにしたのだ。
自分を足手まといだと嘆くコトリンを不安にさせるつもりなどなかった。

後ろで着替える気配を感じながら、自分も鎧を身につけた。
剣も持ち替える。
なんら変わりがないように感じたが、端から期待などしていなかった。

ただ続く暗闇に、ナオーキですら嫌なものを感じていた。
今ある光はただコトリンの放つもののみ。
それも発光する苔のようにぼんやりとしたものだ。

おしゃべりだった三精霊は黙ったまま。
これが不吉でなくてなんだと言うのだろう。

捕らわれているはずのサホーコ王女。
声だけしかその存在を確かめることしかできなかった。
それなのに、コトリンから聞いたその姿は、既に闇に取り込まれているかのようだった。
今まで自分が経験したことのない出来事の数々に、ナオーキは苛立ちを感じていた。
いつものようにもう少し冷静に見ることができるはずだった。
原因はわかっている。
コトリンと行動するようになってから、ナオーキのイライラは続いている。
いっそ見放してしまおうかとさえ思った。
それでも、せめて迷惑をかけないようにとついてくるその姿に、つい手を差し伸べた。
もちろんその努力すら迷惑であることも承知している。
こんな女一人に手間取っていたら、魔王なんて倒せないだろう。
そう思うことにしてナオーキは耐えている。

「ねえ、ナオーキさま、これ、凄く軽い」
「…そりゃ布地が少なけりゃ軽いだろ」
「あ、そうか」

どうやら着替え終わったらしい。
ナオーキはやれやれといった感じで振り向いた。
確かに露出度は増えたが、どこがどうセクシーなのか誰かに問いただしたい気分だった。

「これ、肌が出てるけど、怪我しないのかなぁ」
『お任せください。マナリンを守るためでしたらたとえ火の中水の中』
「うわっ、びっくりした〜。急にしゃべらないでよ」
「…行くぞ」

コトリンの手を引っ張って歩き出したナオーキに、コトリンは問いただす。

「え、ちょっと、それだけ?今まで黙ってた精霊に文句ないの?
それに、ねえ、あたしのこのマント、おかしくなぁい?
自分で見えないんだもん、なんか言ってよ」
「うるさい。さっさと歩け」

この先に見えるものはまだ闇ばかり。
それでも、闇の中にも光はある。

少しだけ後ろを振り向きながら、ナオーキは一人つぶやく。

まだ、大丈夫だ。
俺たちはまだ闇に落ちていない。
ただ、光にも戻れない。

危うい中で、ナオーキは痛いほど気づいた。
手の中に握りしめているもの。
それは、なくしてはいけない希望でもある。
闇の向こうに待ち受けるものに向かうために。


To be continued.