第八章 抗う光
選択肢2:気になるので立ち止まって靄の正体を確かめる。
1.光の絆
歩き出した二人の目の前は相変わらず闇。
最も今のコトリンには本当の闇だった。
手をつないだためか、今のコトリンには闇の中も楽しいピクニックとなる。
もちろん嫌な感じはどんどん強くなっていくにもかかわらず、だ。
「ね、ナオーキさま。王女様は無事かしらね」
「…さあな」
急にぐっと息がつまって、コトリンは立ち止まった。
「…なんだか、息苦しくて歩けない」
ナオーキにはよくわからなかったが、確かに先ほどより靄が強くなっている気がした。
「さっきと同じ…」
ナオーキは今度こそコトリン見失わないように手に力を込めた。
『魔王の気配…?』
『モトーキ、でも、これ、ちょっと違うような』
『でも波長は一緒ですよ、マナリン』
そんなひそひそ声が聞こえる中、ナオーキは目を凝らす。
相変わらず何も見えない。
『そんな風に目を凝らしたって真の闇は見通せないわよ』
鎧の精:モトーキの言葉にナオーキはコトリンを見た。
『感覚的なもの…かしらね』
『いえ、僕にはきちんと波長として伝わってきますよ』
『フナーツはそういう能力だからでしょ』
『…あたしにもわかんない』
『だから、光の戦士の能力は人それぞれ違うんでしょ』
「それがコトリンにはわかるというわけか…」
「へぇ、そうなの?
じゃあ、あたしにはナオーキさまにはない能力があるってことね」
それにはナオーキは何も答えず、この先をどう進んだらいいか思案した。
こちらを見ても見えていないコトリンを見つめ、ナオーキはつぶやいた。
「おまえが苦しいと思うほうに歩いていけば…」
「…ええっ?!」
「もしかしたら…」
『…敵の本拠地ってこと?』
モトーキはナオーキの後を継いでそう言った。
「そう考えるしかない。…いいな?」
ナオーキはコトリンに向かって言う。
ここで本人が嫌だと言えば、なんとしても説得するつもりだった。
この暗闇の中で、進むべき道も見えずにさまよい続けるわけにいかないからだ。
ところが。
「うん。
だって、あたし一人じゃないよね?
そばに…ナオーキさま、いるのよね?
それから、セクシーマントも身につけてるし、鎧も剣もちゃんとあたしたちを助けてくれるのよね?」
「…ああ、そうだ」
ナオーキは、この暗闇の中で初めて身体が温かくなるような感じがした。
外側からではなく、内側の、自分でもよくわからない奥底から。
「じゃあ、大丈夫。
でも、一つだけお願いがあるの」
「なんだ?」
「途中で戦闘になったら離していいから、手を…つないでいてほしいの」
ナオーキは、そのささやかな願いを聞くことにした。
どちらにしても手をつないでいなければ危なかしくて仕方がないからだ。
返事の代わりにつないだ手に力を込めた。
2.光の戦士の苦悩
コトリンがあっち、こっちという方向に向かって歩き出してから、どれくらい経っただろうか。
なんとなく歩かされている感も否めなかったが、それは承知のうえだった。
ただ、確実に近づいている、そんな気はしていた。
ナオーキは手をつないだままの自分に苦笑していた。
こんなふうに誰かと手をつないで歩いたことなど、記憶にあるうちではなかったことだ。
忙しい父王と母后に加え、すでに記憶のあるうちからナオーキには帝王学を教える教師が山ほどいて、手をつないで歩く暇などなかった。
そして年頃になっても女をくどく暇もないくらい政務を押し付けられ、挙句の果てに母后には嫁が来ないと嘆かれる。
だからと言って手近にある女に現を抜かすほど馬鹿じゃない。
ナオーキは常にそう言ってきたし、実行もしていた。
実際近づいてくる女は片っ端から冷たくあしらっていた。
それでもパンダイ王国というのは魅力があったのか、花嫁レースが開かれてもおかしくないほど近隣諸国から申し込みはあった。
そのどれにもまだ返事をしていなかった。
やがて来るだろう魔王の時代を阻止するために使命があったからだ。
もしも平和な時代を取り戻せたなら、今度こそ考えてもいいかもしれない。
そう思えるようになった。
当然、自分が生きて帰れたのなら、だ。
コトリンはつながれた手の大きさを感じていた。
一度は力をこめてくれたと感じた。
その温かさを感じていると、暗闇の中でも景色が見えるようだった。
実際、コトリンには区別がついていなかったが、自分で思うほど全く目が見えないわけではなかったのだ。
いや、瞳には何も映さなかったので、多分目の機能は停滞しているのだろう。
しかし、それが能力なのか、目をつぶっているにもかかわらず、あまり戸惑うことなく歩いていくことができた。
時々つまずくのは、目が見えていても同じだったことだろう。
それを理解していなかったがために、コトリンは自分をお荷物だと思っていた。
魔法も不十分。
力も不足していて技術がないばかりに武術もいまいち。
おまけに目まで見えなくなって、と。
自分自身が辺りを照らす光になっていることなど知りもしなかったし、その場にいた誰も教えはしなかった。
コトリンにはわからないことなど、他の者も知らなかったのだから仕方がない。
だから、コトリンは道案内だけが自分のできることだと思っていた。
そして、それが間違いの元だと皆が知ったのは、もう少し後のことだった。
3.闇に落ちていく光
コトリンの感覚のまま、二人は闇の中を歩き続けた。
しかしそれも軽快にとはいかなかった。
何か押し返す力がコトリンを苦しめ、なかなか思うように足が進まなかったのだ。
それでもナオーキは足を止めようとはしなかったし、コトリンが感じる方向を信じて疑わなかった。
コトリンはその信頼をうれしく思ったし、その信頼に応えようと必死に嫌な感覚をあえて受け止めてもいた。
しかし、その嫌な感覚はどんどん強まるばかりで足も思うように動かず、それがさらにナオーキの足を引っ張っていると感じた。
それでも、もう歩けないなどとはどうしても言えなかった。
手から伝わる温もりがコトリンを後押ししてくれたのは確かだったが、逆にそれがコトリンにとって負担にもなっていたのだった。
『…ねえ、ちょっと、少し休んであげたら?』
鎧の精:モトーキがナオーキにささやいた。
ナオーキはコトリンを見て少し立ち止まった。
「苦しいのか?」
「え?う、うん。でも大丈夫」
「…そうか」
『まさか言葉そのまま受け止めたわけじゃないわよね?』
モトーキがなおもささやいた。
ナオーキはささやき続けるモトーキに心の内でうるさいと告げた。
「休もう」
「え、でも、また休んだら、それだけ遅れるし」
「先ほどから足が動いてないだろ」
「ご、ごめんなさい。
でも、あたし頑張るから。だから、先を急ぎましょう」
ナオーキはもちろんその言葉をそのまま受け止めたわけではなかったが、コトリンの様子からもう少しだけ様子を見ようと考えた。
このまま休んでしまったら、また自分のせいのように感じるだろうから、と。
コトリンはナオーキからの提案に驚いて、そして怯えた。
また役に立たない自分に戻るのはどうしても嫌だったのだ。
その頑張りが時には逆効果になることをコトリンは気づいていなかった。
そして二人は再び歩き出した。
それぞれに複雑な思いを抱えながら。
しばらく歩いた後、コトリンはとうとう歩けなくなった。
別に足が痛いわけでも疲れたわけでもなかったが、どうしても足が前に進まなかった。
「…動けないの…」
「負ぶってやろうか」
「…ううん。そんなことしたら、いざという時に戦えないでしょ」
「そのときは放り出す」
ナオーキの表情は見えなかったが、そこにいつもの皮肉気な響きを感じ取って、コトリンは少しだけ笑った。
「ごめんなさい。
…少しだけ。少しだけ休ませて」
三精霊はその様子に何か違うものを感じていたが、それをどう表現すればいいのかわからなかった。
『闇の影響かしらね』
モトーキのささやきに、ナオーキは少しでも疲れを癒そうと火を呼び出した。
この闇の中で無事に呪文が使えたことにほっとしながら、コトリンをその火のそばに座らせた。
「こんなことに魔法力を使うなんて、もったいないわ」
コトリンはそう言ったが、実際は揺れる炎の影を目の奥で感じていた。
目が見えない分、その炎の光はコトリンにとってまぶしかった。
そして、その炎をうれしく思う反面、少しだけ不安にも思っていた。
時折目に映る炎に揺らめく影はなんなのだろう、と。
コトリンは足を抱えて座る。
「いいの?魔王がやってくるかもよ」
コトリンは冗談っぽくそう言った。
「手間が省けていいだろ」
ナオーキはコトリンの顔を見た。
いつの間にか、先ほどよりも疲弊した顔をしていた。
闇への感受性が強い分、大きな影響を受けているのかもしれない。
この先、どうしてやったらその影響を取り除けるのかもわからなかった。
…疲れちゃった。
どうしてこんなに疲れるんだろう。
あたしじゃやっぱり役に立たないんだ。
あたしの能力なんて、あまり役に立たないのかも…。
でも、ナオーキさまはこうやってあたしに気を使ってくれるし。
いや、でも、このまま歩けないんじゃ、ナオーキさまだって困るだろう。
…どうしたら、いいんだろう。
あまりにもまぶしい炎の光から目をそらし、コトリンはふと闇へ顔を向けた。
そのときだった。
コトリンはわずかな空気の動きを感じた。
「…風が…」
「…風?」
ナオーキにはその最初の空気の動きは感じられなかった。
「…来る!」
コトリンのその言葉を合図にしたかのように突風が吹きつけた。
「ナオーキさま!!」
これはさすがのナオーキにも感じた。
とっさにナオーキはコトリンをつかもうと手を伸ばした。
『早くあたしをつかんで…!』
マントの精:マナリンの言葉にも精霊たちはなす術もなかった。
手はむなしく空をつかみ、突風で開けられない目ではコトリンの姿の確認もできなかった。
突風はほんの一瞬で通り過ぎたはずだった。
急いで目を開けたナオーキの前には、コトリンの姿はどこにもなかった。
目の前で燃えていた炎は立ち消え、ナオーキの周りにあるのはただの暗闇だけだった。
4.消えた光を求めて
ナオーキは、暗闇の中でつかみ損ねた手を見つめた。
自らの目の前で奪われるのは、これで二度目だった。
今度ばかりはさすがのナオーキにも痛手だった。
静寂さの中で、ナオーキは初めて自ら精霊たちに呼びかけた。
「あいつの居場所がわかるか?」
急に闇の力で混濁した世界からようやく覚醒した精霊たちは、ナオーキの呼びかけに驚いてすぐには応えなかった。
「気配だけでもわからないか?」
もう一度聞いたところで、武器の精:フナーツが応えた。
『まだ世界は混沌としています。
私はコトリンと違って、微かな波長では察することができません。
彼女の存在は大変貴重であったと言うべきでしょう』
「…そんなことはわかってる」
押し殺した怒りを感じ、フナーツは震え上がった。
『ま、まあ、もしかしたらまぐれ当たりでこう、ポーンと現れるかもよ』
引きつりながら取り成すように鎧の精:モトーキが言った。
『そんな簡単に見つかるなら苦労はしないと…』
『…あんたは一言多いのよっ』
空いた手を強く握りしめ、ナオーキは歩き出した。
『ど、どこへ…?』
恐る恐るモトーキが尋ねると、ナオーキは静かに答えた。
「闇が求める方へ」
『闇が求める方…?』
「そうだ。俺は間違っていた。
つい光を目指して歩いていた。
俺はずっと光を見失わなければいいと、それだけを思っていた。
でも、今はそれじゃダメなんだ。
闇に捕らわれた心を追うには、自分の中の闇を認めなければ…」
『そういうことでしたか』
『でも、それじゃ、あなたも闇に…』
「取り込まれるかも知れないが、今はそれしか方法がない」
ナオーキは闇の中で、自分の足音を聞いた。
先ほどまでは二つだった音。
淡く輝く光。
それを失っただけで敗北したような気分にさせられたこと。
つないだ手から伝わってきた熱。
手の温もりを離してしまったことを激しく後悔した。
本当に役に立たないのは自分ではないのか、と。
剣が扱える、魔法が唱えられる。
自分にはそれだけではないのか。
能力も体力も人並み以上にあると自負していたが、今ここではそれも意味がないように感じられた。
誰が敵なのか、どんな敵なのかすらわからない。
それとも、実際に敵に会えばわかるのだろうか。
そうやってナオーキは闇雲に歩いた。
その心を思い、精霊たちは沈黙したままだった。
誰もが光を求める。
それは当然のことだろう。
あえて闇の中を生きるのは、光に耐えられない者だけだ。
そうして闇は弱い心を捕らえ、さらに蝕んでいく。
光からはほんのちょっとしたきっかけで落ちていく。
いつの間にか下を向いて歩いていたナオーキの目に、ぼんやりとした明かりが映った。
はっとして前を見ると、その先に一つの扉が出現していた。
部屋の前には松明。
これが求めていたものなのか。
ナオーキにはわからなかったが、意を決して扉を開けることにした。
罠だろうが、手がかりが何もない以上、行くしかない。
ナオーキは扉に手をかけた。
To be continued.