坊ちゃまとあたし





あれから、坊ちゃまは他のものにも興味を持ったようで、いつの間にかハンバーガーやらケーキやさんやらの箱が増えていた。
時々はあたしにも試食が回ってきたけど、ほとんどは渡辺さんの元に。
何だかんだと言って、結局興味を持ってくれたことにあたしは気をよくして、坊ちゃまに言った。

「直樹坊ちゃま、いろいろ作ったんですね〜。庶民の遊びも捨てたもんじゃないでしょ」
「…味は子どもだましだな」
「え、子どもでしょ」

すかさずそう言うと、坊ちゃまは嫌そうな顔をした。
そう言えばどうやって手に入れたんだろう。

「坊ちゃま、言ってくれればあたし買ってきたのに」
「インターネットだ」
「…坊ちゃまが、ネットでお買い物?」
「何か問題あるか」
「大ありですよ。だって五歳じゃないですか。どうやってお金払うんですか」
「そのまま馬鹿正直に五歳で注文するわけないだろ」
「でも、支払いとか」
「配達時に代金引換えという手もあるぞ」
「そ、そうか」

…坊ちゃまって、あたしより凄い。

「おまえ、今自分が馬鹿だと気づいただろ」
「何でそれを…あ、いえ、馬鹿だなんて思ってませんよ。ちょっとだけあたしには思いつかなかっただけで」
「…そういうのを馬鹿とか言わないか」

言わないもん。
あたしはむっとして口の中だけで文句を言った。
渡辺さんは後で笑ってあたしに教えてくれた。
「あれを作っていた坊ちゃまは、少なくともいつもの気難しい坊ちゃまではなくて、作るのを楽しんでいたようですよ。ええ、当たり前の五歳児みたいに」
「へ、へぇ〜〜」
「もちろん楽しんだ後は、その成分をじっくりと調べていたようですが」
…やっぱり負けてる、かも。
それでもあたしは、渡辺さんがうれしそうだったり、坊ちゃまがネットショッピングで選んでいるところを想像したり、実は内心喜んで作っていたことを想像すると、なんだかうれしくなって笑ってしまった。
でも、また坊ちゃまに言うと怒るので、それは言わずに増えていたお菓子の箱を眺めて笑うだけにしたのだった。

 * * *

そんな日々が過ぎて、4月、あたしは届いた制服を喜び勇んで部屋で開けた。
早速着てみて、鏡の前でチェックしていると、そこへなんと坊ちゃまが部屋を訪れた。

「…おまえ、学校に行くのか」
「ええ」

あたしは鏡を見るのに一所懸命で、そのとき一瞬曇った坊ちゃまの表情を見逃していた。
もしも気づいていたら、あたしはもう少し気をつけたはずなのに。

「あたし、一応高校に受かったんです。
凄く凄く大変だったけど、ここから歩いていける斗南高校に」
「ふーん、てっきり馬鹿だから高校にも行けないんだと思ってた」
「今までは春休みだったんですよ。
奥様が、高校はちゃんと行ったほうがいいって言ってくださって」
「…そうか」
「あ、でも大丈夫ですよ。あたし、クラブとか入らずに…」

そう言いながら振り向くと、坊ちゃまはいなかった。
真新しい制服のウールの匂いだけが香っていて、坊ちゃまの気配はなかった。
考えてみれば、坊ちゃまはまだ小学校にも行かない年齢だったのだ。
学校がどんなところかも知らない。
あたしは少しだけさみしいような、胸が痛いような気持ちを開いた扉から感じたのだった。




高校の入学式は、新鮮だったけどそれほど刺激もなく終わった。
最近少し元気のなかった坊ちゃまが気になって、クラスメートの誘いも断って急いで入江家へ帰ってきた。

「坊ちゃま、どうです、あたしの制服姿」

何度目かの問いを坊ちゃまに問うた。
坊ちゃまはちらりとも見ずに「ああ、馬子にも衣装だな」とだけ返した。
「…それって、褒めてないと思ったけど」
そこでようやく坊ちゃまは笑って言った。
「へー、一応わかったんだ」
「わかります。これでも高校生ですからね」
そう胸を張ったけど、坊ちゃまはふいっと目をそらした。
ああ、そうだった。
坊ちゃまは昼間一人なんだっけ。
「ごめんなさい。あたし、部活もしない予定だから、学校が終わったら急いで帰ってきますからね」
「誰もそんなこと頼んでない」
「いえ、坊ちゃまのお相手をするのがあたしの役目ですから」
「…全然役に立ってないけどな」
口では憎たらしいことを言ってるけど、そう言った坊ちゃまの顔は、思ったよりも穏やかだった。
子どもなのに、子どもらしくなくて、いつもへこまされるけど、やっぱりさみしいんだよね。
「おまえに心配されるほど別に寂しがってない」
「まー!強がり言っちゃって」
そう言って頭をなでると「やめろよ」と頭を振る。
それでも坊ちゃまの柔らかい髪が触り心地が良くて、逃げないように片手で身体を抱きしめて更に触る。
ぐりぐり触っていたら「琴子、いい加減にしろっ。渡辺!」と渡辺さんを呼ばれてしまった。
あ、やばい。
「どうされました、直樹様」
「あー、えーと、き、着替えてきますっ」
渡辺さんと入れ替わるようにしてあたしは坊ちゃまの部屋を出た。
渡辺さんがにこやかにあたしが出て行くのを見た。
坊ちゃまの髪がぐしゃぐしゃなのを見て、多分ばれてしまったんだろう。
あまり坊ちゃまをおもちゃにすると怒られるかもしれない。
あたしは部屋に戻って制服を着替えながら、ちょっとだけ反省した。
もう一度様子を見に坊ちゃまの部屋に行くと、中から渡辺さんの声がした。

「それは琴子さんが決めることですよ、直樹様」
「あいつだって友だちとか…」
「ええ。時には友だち付き合いもあるかもしれませんね」

あたしのこと?
あたしの名前が出たので、ノックするタイミングを逃してしまった。
どうしよう、立ち聞きは嫌だけど。

「直樹様も学校へ行くようになれば、きっといろいろあるでしょうね。
私は今から楽しみですよ。
琴子さんもいろいろあるかもしれませんが、帰ってくるのは当分ここですよ」
「でもあいつもいつかは…」
「それは直樹様が嫌と言わない限り。もしくは奥様が雇い止めをしない限りは。
ああ、それから琴子さんが結婚したりするようになれば出て行くことになるかもしれませんが」

思わずあたしはそこでノックもせずにドアを開けた。

「出て行きませんから!」

渡辺さんは突然乱入したあたしに微笑む。
坊ちゃまは驚いて口をぽかんと開けたかと思うと、次の瞬間ものすごい勢いで怒鳴った。

「おまえっ、盗み聞きしたな」
「盗み聞きだなんて聞こえの悪い。今ノックしようと思ったら聞こえたんです」
「どちらにしても立ち聞きだろうが」
「それより、坊ちゃまが出てけと言わない限り、出て行きませんよ」

坊ちゃまが少しだけうれしそうな顔をした。

「だって、せっかくここから近い斗南高校に受かったんですから」

そう言ったら、坊ちゃまが顔に青筋立てて怒鳴った。

「おまえ、この部屋から今すぐ出てけ!」
「えーーーーー、ひどい」
「こ、とこさん」
渡辺さんは気の毒そうな、何か言いたげな顔をしていたけど、坊ちゃまは怒って乱暴に本を広げた。こうなると全然口も利いてくれない。
五歳児のくせして顔に青筋立てるほど怒るってどうなのよ。
あたしは首をすくめて「宿題やろーっと」とわざとらしく言って部屋を出て行くことにした。
その背中に「そんなもんやる気もないくせに」という坊ちゃまの声と「直樹様」とたしなめるような渡辺さんの声が聞こえたけど、とりあえず知らない振りをしておくことにした。



新学期が始まると、いろいろ行事も重なる。
いきなりテストがあったり、クラス対抗の球技大会とか。
それでも、部活もしないで家に帰ることにあたしは何の不満もなかった。
家に帰ると、少し不機嫌な様子で机に向かっている坊ちゃまがいる。
あたしもその坊ちゃまの横に宿題を広げて、できるできないに関わらず一緒に過ごす。
おやつを持ってきてくれる渡辺さんに少し教わったりして、思ったより充実していたのだ。
それなのに。

「なあ、琴子」
「何よ、金ちゃん」

早速家に帰ろうとするあたしを金ちゃんことクラスメートの池沢金之助が呼び止めた。

「何でそないに慌てて帰る?」
「だって」

坊ちゃまが待ってるし。
あたしは声に出さなかったけど、誰かが待っていると言うのは伝わったらしい。

「そないにこき使われてんのか」
「へ?」
「かわいそうにのう」
「ちょ、違うわよ」

そこへ駆け寄ってきた同じく仲良くなったクラスメートの理美とじんこが加勢する。

「そう言えば、居候先の家の話、聞かないわよねー」
「だって」

あまりしゃべるなって言われてるし。
あたしはもごもごそう言うと、なおも金ちゃんがしつこくついてきそうだったので、あたしはそれを振り切るようにして「いい?ついてこないでよ」と言い残して走って逃げた。
そのまま角を何度か曲がると、後ろからついてくる気配のないことを確認してから入江家まで戻ったのだった。


「ただいま〜」
「おかえりなさい」

もちろんあたしが入るのは裏門だけれど、鍵を開けて入ると誰かは必ずいる。
それがメイドの誰かだったり、コックの誰かだったりするけど、中学まで誰もいない家に帰るのが普通だったあたしにはそれがたまらなくうれしい。

「今日のおやつは坊ちゃまの好きなムースなんですよ」
「へ〜、坊ちゃま、ムース好きなんですか」
「あまり甘いと食べてくれないのだけど、これはイチゴだから、少し甘酸っぱくて食べられるみたいで」
「そうなんだ」

イチゴのムースを食べる坊ちゃまを想像すると、なんだか可愛かった。

「琴子さんが来てから、いろいろ食べるようになって」
「あ、えへへ、あたし、遠慮なく食べちゃうから、つられてかもしれないですよね」

少しくすぐったい思いで答えると、あたしは部屋に向かう。
これだけ一所懸命宿題もこなしているんだから、初めての中間テストはきっと成績も期待できるかもしれないと思っている。
まあ、坊ちゃまに言わせれば、長続きはしないだろうなんて言うんだけど。

「坊ちゃま〜」

ノックをして部屋に入ろうとすると「まだいいって言ってない」と小さな声がした。
その声がなんだかおかしくて、あたしは首をかしげながら部屋に入る。

「ただいま帰りま…坊ちゃま?」

なんだか、坊ちゃまの顔が少し赤い気がする。

「具合、悪いんですか?」

近寄ると、こっちへ来るなと言う。
平気そうに見せているけど、なんだかおかしい。
有無を言わさずおでこをくっつけると「やめろっ」と抗う。

「やっぱり少し熱い気がする」
「別に身体は普通だ」
「ウソ。これから熱が上がるわよ、絶対」
「絶対なんて言うな」
「じゃあ、絶対じゃなくて、確実に」
「ちっ、こういうときだけ知恵が回りやがって」
「渡辺さんに言ってくる…」

あたしがそう言って駆け出そうとすると、くいっと服が引っ張られた。

「いい、行くな」
「え、でも、そういうわけには」
「せめてベッドに移動するまで」
「…うん、わかった。じゃ」

あたしはうなずいて坊ちゃまの身体を抱えあげた。

「おま…」

少し重かったけど、ベッドはすぐそこだったので、何とか運ぶことができた。
坊ちゃまはますます顔を赤くしたので、あたしはそれ以上坊ちゃまの言葉を聞かずに渡辺さんを呼びに行ったのだった。




渡辺さんはすぐに主治医を呼んでくれた。
あたしは厨房から氷をもらって氷枕を作り、塩レモン水を作って持っていった。

「坊ちゃま」

寝ているといけないと思って小さく呼びかけると、意外にパッチリと坊ちゃまは目を開けた。

「坊ちゃま、氷枕ですよ。それからこれは塩レモン水です」
「なんだよ、それ」
「レモン水に少しだけお塩と砂糖が入っているんです。冷たくておいしいですよ」
「まさかおまえが作ったんじゃないだろうな」
「そのまさかですよ」
「大丈夫なのか、それ」
「大丈夫ですとも」

あたしは自信満々に答えた。
坊ちゃまは疑わしそうに塩レモン水をじっと見ている。
そのうちようやく恐る恐る手を出した。

「これはちゃんと渡辺さんにも味見をしてもらっていますし、熱のときにいつも作って飲んでいたものなんです」
「自分で?」
「ええ、自分で」

坊ちゃまはコップを受け取って、少しずつ飲みだした。

「なんだか、酸っぱいような甘いような不思議な味だ」
「あたしが小さい頃、熱を出すと父が作ってくれてたんですけど、大きくなってからは熱が出そうになると作り置きしていたんですよ。
ほら、熱の時は汗をかいたりして水分が足りなくなりますからね。昔はスポーツドリンクのような便利なものはなかったので、こうして作っていたんです」

坊ちゃまはふーんと言いながらも塩レモン水を全部飲んだ。でもその顔は何ともいえない顔をしている。きっと飲みなれなくて、一口でおいしいというには言いづらかったのだろう。ただでさえ坊ちゃまは正直だ。

「他に誰か作ってくれる人はいなかったのか」
「ええ。坊ちゃまには言っていませんでしたか。うちは父と二人暮らしだったんです。母は六歳のときに亡くなったので」
「…そうか、悪かったな」
「いいえ、母の思い出はここにあるから平気です」
そう言って胸を指すと、坊ちゃまはコップを返してあくびをした。
「そうか、思い出か」
「ええ。この塩レモン水の思い出も。だから、坊ちゃまもすぐに元気になりますよ」
あくびをした坊ちゃまを寝かしつけ、そっと布団をかける。
「一眠りしたら熱も下がるかもしれません。そうしたら、あたしの学校の話も聞いてくださいね」

その言葉が聞こえたのかどうか、坊ちゃまは一つうなずくと、熱が出ているとは思えないくらい健やかな寝息を立てて眠りに落ちていった。
その寝顔を見ていたら、渡辺さんがそっと入ってきた。
「今、寝たところです」
そう言うと、渡辺さんは寝顔を見てうれしそうに笑った。
「熱のときにこれほど落ち着いて寝ている直樹様は珍しいですね」
「そうですよね。たいていは熱のときってうなされますもんね」
「何か、いい夢でも見ているんでしょうか」
「さあ。でも、そうだといいですよね。普段の坊ちゃまは、さみしすぎますもん」
「至らないことも多くて」
「あ、いえ、渡辺さんや皆さんがどうとかいうことではなくて」
「…ええ、わかっていますよ、琴子さんの言いたいことは。
それでも時々思ってしまうんです。私たちは身内以上に一緒にいるのに、やはり家族ではないんです。家族同然にとは思っていますが、それは雇われている立場上なかなか難しくて」
「そう、でしょうね」
あたしはもう一度坊ちゃまの顔を見つめると、その額に口づけて「いい夢を」とささやいた。
坊ちゃまが微かに笑った気がして、少しだけうれしかった。



10


明日から夏休みのはず、だった。
夏休みのはずなのに、あたしは学校に行かなければならない。
坊ちゃまと別荘へ行く手筈だったのに、あたしのせいで行くのが遅れることになってしまった。
毎年、坊ちゃまは清里へ行くらしい。
高原の夏休み。涼しくて自然がいっぱいで、さぞかし宿題がはかどるだろうと…。

「おい琴子、どうしておまえはそうバカなんだ」
「…おっしゃるとおりで」
「ふん、待ってやるんだからありがたく思え」
「ええ、ええ、別に先に行っても構わないんですが、坊ちゃまのお慈悲にすがろうと思います」
あたしは苦虫を噛み潰したような顔で坊ちゃまの不遜な言葉を受け流す。

本当は先に行ってくれと渡辺さんにもお願いしたのだ。
けれど、坊ちゃまはそれを聞くなり琴子が行かないのなら行かないと言い出したと笑って教えてくれた。
本当だろうか。
でも待ってやるとの言葉なので、どうやら本当らしい。からかう相手もいなければさぞかしつまらないだろうし?

かくして、あたしは暑いから休みになるという夏休みに、暑い暑い教室で補習を受けるために学校へ行く羽目になったのだった。

 * * *

学校では、ほとんどF組の生徒ばかりだった。
なので、F組だけはそのままF組の教室で補習を受けることになっていた。
暑すぎて誰もやる気などない。
ぼんやりと窓の外を眺めていると、隣から理美がこっそりと声をかけてきた。

「あら、清里の別荘はどうしたのよ」
「行くわよ」
「生意気な坊ちゃまと微笑みの執事と?」
「そうよ」
「なのに、こんなところで補習なんて受けていていいの?」
「…あたしの補習が終わるまで待ってくれることになったの」
「へぇ、本当に大切にされてるのね」
「大切かどうかはわからないけど、大事にはされてる、十分に」

入江の奥様から、当たり前のように清里に行ってらっしゃいなというお言葉をいただいた。
最近の坊ちゃまの変化がうれしいと電話口で喜ばれた。
そんなに喜ばれることしていないんだけど、いいのかなっていう思いはある。

「それにしても、中間テストのあの成績を期末でも維持できていればね」
「だって、あれは」

あれは、そう、見るに見かねた渡辺さんが教えてくれたのだ。どこがわからないかもわからないあたしに。
自分の仕事でも忙しいのに、全ての仕事が終わった深夜に。
だから、中間テストは驚くほど読みが当たって成績が急上昇した。
ところが、だ。
その深夜の特訓を知った坊ちゃまが、なんと言うかこれまた非常に不機嫌になったのだ。
そりゃそうかもしれない。
自分の世話係でもある渡辺さんの仕事を増やしたも同然で、深夜に教えてもらうということは、それだけ渡辺さんの睡眠を削るということなのだ。
渡辺さんの朝は早いし、夜は遅い。
気がつけばいつも坊ちゃまの傍にいるし、家の中の雑事を全てこなしているスーパー執事なのだ。
渡辺さんの身体を心配して当然だろう。
だから、期末テストは自力でがんばった。
だからこその補習、なんだけど。
渡辺さんはお教えすることができなくて申し訳ありませんと言いつつ、眼鏡の奥の目を細めて笑っていた。
何故か、笑っていたのだ。
あたしのバカッぷりを笑っているわけではないことはわかったから、何か坊ちゃまがらみなのだろう。
当然のような期末テストの結果を見て、坊ちゃまは「やっぱりな」とつぶやいた。何故か、満足そうに。
そりゃやっぱりでしょうよ。
ええ、ええ、どうせ私はバカですよーだ、と言って部屋を出ると、坊ちゃまはひどく楽しそうに笑っていたのだ。笑い声が部屋の外にまで聞こえたくらいよ、ふん。
何と言うか、坊ちゃまって、意地悪。五歳児にしてこれって将来とてつもなくまずい気がするくらい。
だから、奥様、坊ちゃまが変わったなんてこと、あたしの目には全くわかりませんけどね。
そんな風に言ったら、奥様は電話の向こうで「あらあら、まあ」と楽しそうに笑った。
その笑い方がちょっと坊ちゃまと似ていて、あたしは親子なんだなぁって初めて思ったの。
あの朗らかな奥様と坊ちゃまが親子なんて、不思議なくらいだったから。

「だから、これからも成績はきっと最悪よ」

あたしはそれだけ言うと、うだるような教室で補習のためのテキストに顔を突っ伏した。
でも仕方がない。夏はまだ始まったばかりだ。



To be continued.