坊ちゃまとあたし




26


坊ちゃまの好きなもの。
動物…犬?
食べ物…甘くないもの。
勉強、興味のあることを研究すること。およそ五歳らしくない。あ、もうすぐ六歳だっけ。
あとは…読書かな。
あたしは紙に書いてみてなんだか自分にがっかりした。
坊ちゃまの好きなもの、あまりわかってないみたい。
あれが好きだとか言わないんだよね。これは嫌いとは言うけど。
それでも、あたしが思いつく限りの精一杯のお祝いをしようとあたしは準備していた。
屋敷のシェフに頼んだり(もちろんすでにメニューは考えられているのだけど、あたしにだって少しは作ってみたいものが…)、飾りつけをしたり、プレゼントを用意したり。
とは言っても、あたしが用意できるプレゼントなんて大したものじゃないけど。
来年、坊ちゃまは一年生になるのだからと、坊ちゃまのための文房具を用意してみた。これならあたしにだって用意できる値段だしね。
いわゆる使用人の皆さんは、それぞれに自分の仕事があるのだから迷惑をかけないようにしないとと思っていたのに、皆さんちゃんと坊ちゃまのためにいろいろ考えてくれている。
坊ちゃまは決して愛想のいい子どもではないけど、使用人に冷たく当たることはない。
幼いながらも留守を預かる主として気を使っているのを知っている。
だからこそ皆は幼いだけではない主としての坊ちゃまのために、こうして日々の生活を助ける仕事をしているわけだし、誕生日をお祝いしようと思っているのだ。きっとそれは義務だけじゃないとあたしは思っている。
お菓子を作ろうとしたあたしだったけど、その出来栄えはとんでもない代物だったため、苦笑いした執事の渡辺さんをはじめ、無言で首を振るシェフに、容赦のない言葉で使用人頭のおばちゃんにまでダメ出しをされた。
うん、お菓子作りって難しいのね。
でもこっそり練習して当日はあっと言わせたい。
その計画は黙っていることにしても、あと数日で坊ちゃまの誕生日になるという日のことだった。
イギリスにいる坊ちゃまの両親から小包が届いた。
これは多分坊ちゃまへのプレゼントだろうと予測がつく。
誕生日に駆けつけたいと言っていたのだけれど、今年は琴子ちゃんにお祝いされた方が喜ぶからと無理してその日には行かないと返事が来ていた。
坊ちゃまは表向きあまり気にしていないようだったけど、本当はきっとさみしいはずよね。
当日は御両親の代わりにうんと甘えさせてあげようと思うの。
この計画も改めて口に出すと子ども扱いするなと怒られそうだから、黙っているつもりだけどね。

そして、いよいよ坊ちゃまの誕生日当日のことだった。
この日は一応普通に学校もあったので、お祝いはあたしが学校から帰ってきてから、ということになっていた。
ところが、この日あたしは担任に呼び出されていた。
月末にある期末テストで赤点を減らさないと親を呼び出すという恐ろしい宣告だった。
一学期のテストは何とかなったものの、先月の中間テストでは文化祭前だったこともあってあれこれと帰宅が遅くなったうえに勉強を見てもらう暇などなかったし。
…うん、つまり、やばい、ということに。
おまけに一緒に呼び出されていたのは金ちゃんで、こちらも同じく成績のことだったようだけど、金ちゃんがもうこれでもかというほどしつこくて。
一緒に勉強しようとか言ってくるのだけど、今日は坊ちゃまの誕生日パーティがあるから無理と断ったら、ついてくると言ってきかない。
それも断って、何とか振り切って帰ってきたあたし。
だって、なんとなく金ちゃんを連れて行ったら、坊ちゃまの機嫌が悪くなりそうな予感がしたんだもの。
そうしてようやく振り切ったあたしが屋敷に帰り着くと、皆に遅いですよ〜と言われながらなんとかパーティの段取りが終わった。
珍しくあたしのお父さんもやってきていた。この機会に坊ちゃまにお祝いを兼ねてお礼を言うつもりだったらしい。
「坊ちゃま、六歳のお誕生日おめでと〜〜〜!」
坊ちゃまはいつもと変わらない顔をして皆からのお祝いを受け、御両親からのプレゼントを受け取り、シェフからの特製料理を食べ、あたしのお父さんの料理を食べ、これまたシェフ特製のデザート(ケーキじゃない)を食べ、その横に置いてあった正体不明の物体をひと睨みしてひとかけらだけ口に入れた。
皆は「あ゙っ」とすごい声を出していた。お父さんにいたっては「おめぇ、なんてものを坊ちゃまに!いつの間に置いたんだ!吐き出してください、坊ちゃま!」とものすごく焦っていた。
…あたし特製の焼き菓子だったんだけど、何でこんなに正体不明なものになっちゃうのかしらね。それでも密かに特訓しただけあって、今までの中で一番ましだと思うんだけど。
「苦いうえに生焼け。しかも粉が混ざってない。今まで食べた中で一番意味不明な料理だな」
…ええ、ええ、そうでしょうとも。いいんだもん。気持ちだもん。
そうしてお開きになるかと思われたその時、大広間の扉が開いた。
バーンと感じで開いたそこから現れたのは、イギリスにいたはずの坊ちゃまのお母さん、つまり奥さまだった。
そして、何故か…。
「き、金ちゃん???」
あたしはどうしてここに金ちゃんがいるのかわけがわからないままはてなマークを三つも四つもつけていたと思う。
「そこの坊ちゃまが誕生日か。そりゃおめでとさん。なんぼや。六歳?ほなまだまだっちゅーことやな」
「金ちゃん、何でいるの?」
「お母さん、いつここへ」
あたしと坊ちゃまの言葉に奥さまはほほほほと笑って答えた。
「六歳の誕生日おめでとうって言いたくてね。記念すべき日なんだし」
「…大げさ」
坊ちゃまはそう言って金ちゃんを見た。
うん、不機嫌だよね、やっぱり。
「ここにいる金之助さんは、琴子ちゃんのお友だちですって?」
「ちっちっちっ、ちゃうがな、おばはん。将来のか、彼氏でっせ」
「金ちゃん、勝手に何言ってるのよ」
「まあ、琴子ちゃんったら、もてるのね。困ったわ」
「違いますから、奥さま!それよりもどうしてここにいるのよ」
「それはな」
「私が家にこっそり入ろうとしたら」
…おばさま、不審者みたいな真似はよしてください。
そう思っていたら、渡辺さんが同じように思ったらしく「奥様、もう少しで通報するところでした。せめて私にはご連絡ください」とささやいた。
きっとサプライズのつもりだったのよね。
「この金之助さんが門の前で『琴子ー!入れろやー、坊ちゃま!』と叫んでいらしたから、同じように誕生日のサプライズかと思って」
…おばさま、怪しすぎですから入れないでください。
金ちゃんが入ってきたわけはわかったけど、どちらにしても不穏な空気なのは間違いない。
「お、奥様、このたびはうちの娘がお世話になりまして…。それに坊ちゃまに、へ、変なものを…!全く昔からこいつは料理の腕がからっきしで…」
「…お父さん…」
そんなにはっきりと…。
「あら、相原さん。心配いりませんわ。琴子ちゃんならうちの直樹のお嫁さんになればいいんですもの。そうすれば料理なんてできなくても問題ありませんし」
…お、奥さま…?
「何言うてんのや、このおばはん。琴子とこの坊ちゃん、年の差十やで!」
「あら、今では歳の差婚なんてよくあるじゃありませんか」
「それは男の方が上やろ。坊ちゃんが大人になる頃には琴子は三十やぞ、なあ琴子」
「え?え、ええと、その」
「そんなのわかんないだろ」
「はい?なんやて?」
「十年後、好きになってるかもしれないだろ」
「十年やぞ」
「六歳と十六歳じゃおかしいかもしれないけど、十八歳と二十八歳なら、そんなにおかしくない」
「まあああああ、よく言ったわ、直樹!」
「いや、十年たってもおかしいやろ、そんなのっ」
坊ちゃま、それじゃ十年じゃなくて十二年、だよね?
そ、それに、あたしにだって選ぶ権利が…。
「渡辺、もう寝る」
「はい、わかりました」
「おい、ちょい待てや」
「あ、おやすみなさい、坊ちゃま」
坊ちゃまは付き合いきれないというふうに渡辺さんを伴ってさっさと大広間を出ていってしまった。
主役が出ていったので、それぞれ終了感が漂って、使用人の皆さんはてきぱきと片付け始めた。
奥さまはなんだか嬉々として電話をしているし、お父さんは一緒になって片付け始めた。
そんな中で金ちゃんは呆然としたまま立っていた。時々使用人の人たちに危ないよ、どいてとか言われながら。
あたしも一緒に片付けを始めて振り向いたら、いつの間にか金ちゃんはいなかった。
あたしは「ま、いっか」とつぶやいて、あっという間に片付けの終わった大広間を眺めた。
十年後、坊ちゃまは十六歳であたしは二十六歳。
どこでどうしているかなんてわからないけど、坊ちゃまならきっとかっこよくなってるだろうなと思うと、あたしは十年後も楽しみになってくるのだった。




27


恐怖の期末テストも終わり、いよいよクリスマスだ。
前回坊ちゃまの誕生日に「今までで一番意味不明」と言われたあたしの料理の腕を知った方々は、作ってもいいがオッケーを出すまで坊ちゃまには食べさせないことという条件付きでお菓子作りを許された。なんだかそれもねぇ…。
それでもいつかは『手作りお菓子(ここはハートでしょ)』が夢なあたしは、暇を見つけてはお菓子作りに励んだ。
どれだけ説明を受けて手取り足取り指導を受けてもちっともうまくならないあたしに、シェフは自信を無くしてお屋敷の料理番をやめるとまで言われた。
それはさすがに必死になって止めたけど、そこまであたしの腕って壊滅的?
シェフなんてオーブンから目を離したって平気なのに(いや、ここは一緒にするなと言わないで)、あたしはちょっと目を離しただけで形容しがたいものが出来上がるのって、このオーブン意思でもあるのかしらって本気で思ったわ。
坊ちゃまに言わせれば、それ以前の問題ってバッサリ切られたけど。
お菓子作りは計量が命って呆れるほど言われた。
でもあたしはどうしてもそれがうまくいかないことに気が付いた。
…もうここからの失敗ってことよね。
膨らませるためのベーキングパウダーを、ほんのちょっと量を間違えただけだったり。
もう仕方がないので、えいやって気合で作るの。
そんなもの気合で何とかなるわけないでしょって理美とじんこにも言われたけど。でもそれ以外言いようがないので。
あたしがこっそり作っている様子をみたシェフは、なんだか震え上がって入ってこなかった。
呼ばれて来た渡辺さんは、笑いを堪えきれないみたいな感じでさっと隠れた。結構笑い上戸よね。でもあたしに向き合うときはちゃんと冷静になってるの。さすがだけど。
坊ちゃまは誰かから伝え聞いたのか、おまえにオーブンは早いとか言われて。
早いって何?何か修行で使える時期が決まってるの?
そんなことを思っていたら、ある日ぽいって『サルにもできるオーブンを使わないお菓子』とかいう本を渡された。オーブンは使うなってことよね、これ。
きっとシェフかなんかにこれ以上オーブンをいじめないでくれとか言われたんだわ。
でも焼き菓子じゃないクリスマスのお菓子って…何?
フライパンで焼くのもダメとかで、その部分切り取ってあった!
後でもっと上手になったらファイルしてあるやつを順番にやるとか言われて。
で、手元に残っているのがゼリーだったり。
そして、これでも作ればって渡されたレシピが小さいシュークリームを積んで作るクロカンブッシュとかいうものだった。
ちなみにシュークリームは初心者には無理とか言われて、シェフが作ったものをくれたので、試しに作ってみたら、意外にあたしには積み上げるのが得意だとわかった。ま、積むだけなんだけど、それでもバランスとセンスは必要よね。
というわけで、当日はクロカンブッシュを用意することに。
ちなみに生クリームもシェフが用意することに…。
あたしの出番は積み上げだけね。
それでもようやくまともな形になりそうで、あたしはほっとしている。
来年の今頃はきっと豪華なお菓子を用意してみせるわ。

「坊ちゃま、どうです、この見事な焼き菓子」
「すごいな、琴子、一年でここまで成長するとは」
「そうでしょう、坊ちゃま。これも坊ちゃまがくれたレシピのお陰です」
「おまえのお菓子ならおれでも食べられるかもしれない」
「本当ですか?」
「よし、おまえを入江家の専属パティシエにしよう」

「ありがとうございます、坊ちゃま」
「………おい、琴子」
「あたし、きっと立派なパティシエに…」
「誰がパティシエだ」
「え、っと、あたし…え?坊ちゃま」
「おまえはいつになったら妄想をやめるんだ」
「え、そんな、まさか」
気が付くと、坊ちゃまが呆れた目をしてこちらを見ていた。
あたしはどうやら部屋の前の廊下で考え事をしていたようだ。
「妄想で泣くとか、頭大丈夫か」
「ひどいです、坊ちゃま。今あたし、お菓子作りがめきめき上達しているところなんです」
「へー、めきめきねぇ」
坊ちゃまは全く聞いていないかのように棒読みでそう言った。
「クリスマスはイギリスから帰って来るらしい」
「ご両親が?じゃあ、楽しいクリスマスになりそうですね」
「…ああ、まったくな」
何だか心底嫌そうにそう言った坊ちゃまだったけど、その意味を知ったのはクリスマスが明日、という日になってからのことだった。




28


まさか五歳児の坊ちゃまに詰問されるなどという情けない構図になるなんて、あたしは思ってもいなかった。
ううん、本当はばれたらこうなるだろうなという予想もちらりと頭をよぎったのだけど、見ない振りしたかっただけなのよね。
渡辺さんが厨房から戻ってくるまでの間にあたしは早口で文化祭に渡辺さんの知恵を拝借したいというクラスの思惑を洗いざらいしゃべることになった。
それを聞いた坊ちゃまは、ふんとただ一言。
そ、それだけですか。
何となくその反応自体が怖くて、あたしは座り込んで正座したまま目の前で腕組をして立っている坊ちゃまを見た。
こーんなに小さいのに、何であたしはこんなに下手に出て、しかもお伺いを立てているんだろう。一応教育係兼遊び係だったはずなのに。
十歳の年の差がそのまま上下関係にならないのは嫌というほどわかったのだけど、頭の出来自体も全くかなわないとわかってしまったのは、あたしにとっての一番の不幸だった。

何か甘いものという注文を受けて、渡辺さんが持ってきたのはプリンだった。
渡辺さんが渡す前に坊ちゃまはもちろん先制した。
「渡辺。琴子のおバカクラスが文化祭で簡単に展示できるものはないかって」
それを聞いた渡辺さんは、一瞬目を瞬いてから微笑んだ。
ああ、そうよ、この優しさが欲しいのよ〜。
あたしはすがる思いで渡辺さんを見た。
「そういうことですか。坊ちゃまがアドバイスなさってあげたらいかがでしょう」
「そう言っておまえも面倒なんだろ」
「いえ。そのほうがきっと琴子さんもお喜びになるんじゃないかと思いますよ」
渡辺さんがあたしを見た。
あたしはすかさずうんうんとうなずいた。
「それなら明日の放課後、おれをあのおバカクラスに連れていけ」
「ぼ、坊ちゃまが?」
「どうせ来年にはそこの小学部に入学するから見学がてらだ。それに今更おれ一人琴子のクラスに紛れ込んだってどうってことないだろ」
「そ、そうですね」
そう言いながら、どうってことないってことはないと思うけど、と心の中で返答する。
下手をするとかわいい〜とか言ってもみくちゃにされる恐れも…。
あ、でもこの威厳ならそんなことされる前に遠巻きにされるかも。
坊ちゃまってすさまじく坊ちゃまオーラが出てるもの。
ま、なるようになるか。
それにアイデアを出してくれるなら万々歳だよね。
あたしはそう楽観することにしたのだった。

でも、そうか。
来年は坊ちゃまも小学生なんだ。
そうすると、少しは友だちもできたりなんかして、坊ちゃまの世界も広がっていくのね。
そのうちあたしなんてお払い箱になって…。
「は?琴子?ただの居候だ」
なーんてことになって、あたしは屋敷の片隅でひっそり過ごして、忘れられて、坊ちゃまが気づいたときには「ああ、いたな、昔、そんなやつ」なんてちょっとした幼少時の思い出に…。

「…琴子!」
「は、はい」
「どこまで妄想した」
「え?ひっそりとお屋敷を出るところまで」
「…バカが」
「えーと、す、すみません」
よくわからないままとりあえず謝ると、坊ちゃまは「食べろ」と言って部屋を出ていった。
目の前には渡辺さんが持ってきてくれたプリン。
「どうぞ、琴子さん」
「ありがとうございます」
受け取ると、渡辺さんは笑って言った。
「坊ちゃまの中では今のところ、琴子さんをお屋敷から出すという選択肢はないようですよ」
「は、はあ」
「どうか、これからも見守ってあげてくださいね」
そう言って渡辺さんも部屋を出ていった。
あたしの目の前にはプリン。
坊ちゃまが食べろと言ってくれたプリンは、甘くて、カラメルがほんの少し苦味があった。
「ふふ、坊ちゃまみたい」
あたしはまだ見ぬ未来も楽しみに、プリンをほおばったのだった。
「明日は大勢の賓客がいらっしゃいます。皆様、気を引き締めて抜かりのない準備を」
お屋敷で働く人がホールに集まってそう言われると、皆は緊張した顔でうなずいた。
あたしはここ入江家での初のクリスマスだとはしゃいでいたのだけど、それを見て顔を引き締めた。
いったいどんなお客様が?
ホール中央に飾られているクリスマスツリーは、間違いなく本物の木だ。そりゃもう物語を見て憧れたような木だけど、実際に見ると結構ごつい。
飾りつけだけはかなり凝っていて、そりゃきれいだけど、これを設置するの大変だったろうなぁ。
家にあったのはプラスチックだったし。
今じゃ結構小さなモミの木も売っているけど、入江家にあるのはちゃんとしたツリーだ。
それを見ながら渡辺さんが言った。
「お客様はたくさんいらっしゃいますが、本当に親しくお話しするのは入江家の御親戚の方々だけですよ」
「おじさまの取引先の方とか?」
「そうですね。仕事の都合で日本に滞在されている方とかもお呼びするので、外国のお客様も数名いらっしゃるかと」
「じゃあ、失礼のないようにしなくちゃ。あたし、英語話せないけど」
「話せなくとも伝えよう、聞こうという気持ちがあれば、なんとなく通じ合えますよ」
「そうよね。…でも、なるべくおとなしくしていることにするわ」
「相原さまはお仕事のようで」
「うん、お父さんは日本料理の板前だけど、何故かクリスマスは忙しいのよね。誰もが洋食を食べるわけじゃないから当たり前だろうけど。稼ぎ時ってやつよね」
「そうですか。では琴子さんもどうぞ楽しんでくださいね。そして、坊ちゃまにも時々かまってあげてください」
「ありがとうございます。でも坊ちゃまの方が忙しそうですけど」
そう言ったのは、どう見ても坊ちゃまの方が御両親が帰ってきたり、一日早く到着した御親戚の方々に挨拶したりと大変そうだからだ。

「琴子ちゃん、こんなところにいたの。さあ、こっちにいらっしゃいな」
「あ、奥さま」
「まあ、そんな奥さまだなんて。琴子ちゃんにはお母さまと呼ばれたいわぁ」
「そ、それは無理です」
「そんなぁ」
「では、せめて、おばさま、で」
「ま、仕方がないわねぇ」
そんな会話をしながら手を引っ張られて連れて行かれた部屋には、衣装が散乱していた。
「これがいいと思うのよ」
そう言ってあたしを鏡の前で立たせ、他のお手伝いさんに向かってそう言った。
身体に当てられた衣装は、赤いミニスカートワンピースだった。
裾はふんわりとして、一見するとちょっとサンタ風だ。
「あら、奥様。こちらの方が清楚でよろしいかと」
そう言ってお手伝いさんがあたしに当てたのは白のワンピースだった。
紅白でめでたいとしかあたしには言えない。
「思い切ってこちらはどうです?」
そう言って別のお手伝いさんが選んだのは黒のシフォンワンピースだった。
「琴子ちゃんはどれがいいと思う?」
そう言われても、あたしは目を白黒させるばかり。だって、こんなドレス、ほとんど着たことないし。
どれを選んでもかどが立ちそうで、あたしは周りを見渡して「では、これで」と思い切って差し出してみた。
淡いピンクのドレスだ。
「まあ、さすが琴子ちゃん。これにしましょう」
思ったよりあっさりと決まった。
お手伝いさんも「次回は奥様の選んだものにしましょう」と言って他のドレスを片付け始めた。
まさかこれだけのドレスを全部用意したとかじゃないわよね。
あたしは片付けられていくドレスの数に驚きながら見ていた。
「この間はあまりゆっくりできなかったけれど、今度は少し長くいられそうなの」
この間とは、坊ちゃまの誕生日のことだ。
おじさまは誕生日には戻ってくることもできなかったけれど、今度は年明けまでの一週間ほど日本にいられるそうだ。
その間に坊ちゃまがご両親に甘えられるといいけど。
「本当にあの子は六歳なのにしっかりしすぎていて心配だわ」
おばさまがそう嘆くのもわからないではない。
どちらかというと坊ちゃまとご両親の仲は、決して普通の親子と言うには少し希薄な感じだ。普段海外にいらっしゃるので、仕方がないのかもしれないけど。
「それでも琴子ちゃんが来てくれてから、少しは子どもっぽいところも見られると、渡辺が言っていたから、本当に琴子ちゃんに来てもらって良かったと話していたの」
「で、でも、あたし、迷惑かけてばかりで」
「いいえ。それが大事なんです。屋敷の皆も、坊ちゃまが笑ったり怒ったり、大声を出すところをよく見るようになって、今ではそれが当たり前のようになっているんですってね。
夏の間は私たちと一緒にいるよりも別荘に行くって駄々をこねたりして、当たり前の子どものようで、寂しいけれどうれしくもあったのよ」
「そうなんですか。坊ちゃまにはいっつも呆れられたり、怒られたりしてますけど」
「きっと琴子ちゃんだからね。こんなに素直でかわいい琴子ちゃんの前では、誰だっていつまでも仏頂面なんてできませんよ」
「あたしの方こそ、こんなに良くしてくださって」
「琴子ちゃん、遠慮なくずっといてちょうだいね」
「え、ええ」
「直樹もあんなふうになる前は、それはそれは…。
…そうだわ!」
そう言っておばさまは何やらごそごそとアルバムを出してきた。
そこにあった写真は、ものすごくかわいい女の子の写真だった。
「わ〜、かわいい。明日来る親戚の子か何かですか」
「いいえ、直樹よ、それ」
「へー…って、ええっ!坊ちゃま?」
ぬいぐるみを抱えたかわいらしいその顔は、確かに坊ちゃまの顔だ。ただし、髪も長くて完璧な女の子姿だった。
親戚の子かと思った。
「かわいいでしょ。でもこれが直樹を怒らせる羽目になってね…」
「そうなんですか」
「クリスマスパーティに呼んだどこかのお嬢さんにすごくかわいがられたのに、なんだかそれ以来プライドが傷ついたらしくて」
「そうなんですか…」
そりゃ坊ちゃまもちょっとかわいそうかも。
「何歳までこのかっこうだったんですか」
「そうねぇ。三歳だったかしら」
「へ〜」
そう答えながら、あたしはあれ?と思った。
二年前だか三年前だか、あたしはお父さんと一緒にどこかの会社のクリスマスパーティに招待されて、大きなホテルに行ったことがあった。
そこでホテルの中庭の隅っこに座っていた子どもにジュースをあげようとして…。
あれ?あれれ?
でもあの時、あたしはどうしたんだっけ?
確かジュースとお酒を間違て一気飲みして、陽気になって、まずいと思ったお父さんが連れて帰る途中でぶっ倒れて、連れて帰るのが大変だったというのは聞いているのだけど。
あたしは曖昧な記憶をどうすることもできず、ただおばさまの話に首を傾げることしかできなかった。




29


クリスマスイブには、大勢のお客様がみえた。
あたしは邪魔にならないようにひたすら隅っこにいるか、休憩する坊ちゃまの傍にいるか、どちらかというとあまり目立たないように気を付けた。
それと言うのも、おばさまの親戚筋の一色家の方々から「こんなのがそばにいて、直樹くんの教育に悪くはないのか」というお言葉をいただいたせいだった。
もちろんおばさまはそんなことあるわけないと言ってくださったし、渡辺さんもいい影響がありますと答えてくれたし、坊ちゃまにいたっては「こんなのがいるからと言って悪影響が出るくらいなら、入江家なんて継げるわけないだろ。バカバカしい」といいんだか悪いんだかわからないようなかばい方をしてくれた。
それでも、嫌味を言われるのは困るので、あたしはひっそりとすることに決めたのだ。
おばさまは「あれでも皆はちょっとばかりひねくれてるだけなのよ。だって、直樹を見ていればわかることじゃない。琴子ちゃんの存在が大切だってこと」とフォローしてくれたので、あたしなりに一色家の皆さんを観察することに。
何だかんだと文句を言いつつ、それでも楽しんでいるようだし、決して嫌味な人たちばかりじゃないってことはわかった。何と言ってもおばさまの親戚の方だしね。
そして、ちょっと口の悪さの割にちょっとだけ親切さが出たりして、坊ちゃまの親戚だなぁなんて思ったり。
そうしていくうちに夜も更け、あたしは中庭に下りてぼんやりと部屋の中を見ていた。

「寒っ」

いつの間にか気温はぐっと冷えて、あたしは上着を持って出るべきだったとすぐに後悔した。

「おまえはバカか」

振り向けば、いつの間にか坊ちゃまがあたしの後ろにいて、渡辺さんが後から坊ちゃまの上着とあたしの上着を持って現れた。
「バカは風邪ひかないとは言うものの、いくらなんでもその薄着で外に出れば確実に明日から一日中ベッドの中だぞ」
「そうですね。考えてませんでした…」
あたしは素直に渡辺さんから上着を受け取り、坊ちゃまも暖かそうなコートを着た。
コートに袖を通しながら、そう言えばあたしこんなコート持っていなかったと気付く。
「これ、どなたの?」
「…母からのクリスマスプレゼントだと」
「え、そう、そうなの?えー、でもこんな素敵なドレスまで買っていただいたのに」
「それは必要経費だ」
「必要…けいひ…って何?」
「…ああ、知らなくていい。つまりいるものだったから気にするなってことだ」
坊ちゃまは呆れたようにそれだけ言った。
白のコートはふんわりと温かく、寒かった身体をすぐに覆ってくれた。
振り向くと、渡辺さんはいなかった。
「あれ?渡辺さんは?」
「渡辺は忙しいんだ。父も母も帰ってきたし、この屋敷を取り仕切らないといけないし、客は大勢いるし」
「そっか」
「渡辺がいいなら呼んでくる」
「あ、そうじゃないの。そうじゃなくて」
あたしは坊ちゃまをじっと見た。
「あれ?なんか思い出しそう」
坊ちゃまはむっとして黙り込んで空を見上げている。
じきに空から白いものが舞ってきた。
「すごい!ホワイトクリスマスだね」
「…ありがたくもない」
「そんなことないよ。だって、雪が積もったら、雪だるま作って、雪合戦して、たくさんだったらかまくら作れるかも」
「そんなに降られてたまるか」
「楽しいよ、きっと。積もったら、一緒にしよう」
そう言って、あたしは記憶の断片に残る微かなものを思い出した。
ああ、そうだ。ホテルじゃなくて、このお屋敷で、あたしは小さな子にそう言って約束したんだった。
そして、あたしはそれを忘れて家に帰ってしまって…。
「…約束破っちゃった」
あたしのつぶやきをどう解釈したのか、坊ちゃまは言った。
「何の約束だか知らねーけど、付き合ってやるよ」
「雪合戦?」
「二人でやって何が面白いんだよ」
「じゃあ雪だるまね」
あたしはうれしくなって坊ちゃまに指切りをした。
「今度は約束破らない。はい、指きった」
坊ちゃまは変な顔をした。
何か言いたそうな、微妙な顔。
「坊ちゃま?」
坊ちゃまは、何も言わずにそのまま部屋の中に戻っていった。
すると、その戻っていった先から、「うわー雪だー」とパーティに来ていた子どもたちが騒がしく出てきた。
あたしは前にもこんな光景を見たことがあった。
うん、多分二年前…ううん、三年前のクリスマスイブだった。
酔っぱらったあたしがこぼしたジュースは、一人の子どもの服を汚してしまった。
あたしは慌てて拭こうとして…。
ああ、肝心なところが思い出せない。
あたしは「風邪ひきますよ」という渡辺さんの言葉に誘われて、誰もいなくなった中庭からようやく部屋の中に入った。
すっかり体は冷え切っていたけど、暖かいミルクをもらって少しずつ落ち着いた。
あたしはその時、どんな顔をしていたのだろう。
渡辺さんがひどく心配そうな顔でこちらを見ていた。
話を聞いたおばさまには「さあ、早く体を温めて、早く寝るんですよ。今夜はサンタがやってくるんですからね」と部屋に促された。
「おばさま、このコート、ありがとうございました」
おばさまはにっこりと笑っただけだった。
あたしはあまりいい子じゃないけど、もう十分大きな子どもだけど、それでもサンタがやってくるならば…。
何だかひどくクリスマスが来るのが切なかった。
まるで、クリスマスと聞いたときの坊ちゃまのように。




30

クリスマスの朝、うっすらと積もった雪景色を窓の外に眺めながら、あたしは飛び起きた。
下の方でがやがやと賑やかしい声がした。
誰かが早起きして雪に興奮しているのかと思ったら、それはホールにあるクリスマスツリーの下からだった。
外国のクリスマスのように、ツリーの下に色とりどりの包装紙で包まれたプレゼントの山ができていた。
早起きした子供たちは、そのツリーの下で自分あてのプレゼントを楽しそうに探していた。
一つ一つ名前がちゃんと書いてあって、おそらく自分の両親からの分と入江家からの分からの二つはしっかりとプレゼントを抱え込んでいたと思う。
あたしはそんな光景を目にして、立ち尽くしていた。
さすがにあたしの分はないだろうと思って。
だって、昨日はステキな白のコートももらったし。

「何やってるの、琴子ちゃん。さあ、早く自分の分を探さなくてはね」

おばさまがにっこり笑って言った。
「あ、おはようございます…って、あたしの分まだあるんですか?」
あたしは驚いて聞き返した。
「そうよ。お父様さまからの分もちゃんとありますからね」
あ…お父さんか。
ツリーの下にしゃがみ込んで、プレゼントの山の中から自分の名前を探す。
最初に見つけたのはお父さんからのものだった。
お父さんからは温かそうなマフラーだった。
そして、もう一つ、小さな包みも。
名前はあたし宛てなっているけど、誰からのものかわからない。
そっと包みを開けると、入っていたのは手袋だった。
コートにマフラーに手袋と、これで冬の寒さもばっちりだ。
メッセージカードを探したけれど、どこにもない。
ツリーの周りはすでに子どもたちが開けたプレゼントの包装紙でいっぱいだ。色とりどりのリボンは絡まり、楽しそうな声や笑い声にあふれている。
あたしは一人そこに座り込んで、もらったプレゼントを抱きしめた。
こんなにも素敵なクリスマスはなかなかない。
正直、十二月はあまり好きじゃなかった。
お母さんが亡くなる前の記憶はもうすでに曖昧だ。
そして、お母さんが亡くなってからの数年のクリスマスも憶えていない。
今はこうして楽しめるようになって、あたしは本当に感謝している。
坊ちゃまがいてくれたから、今年はこんなにも楽しい。

「…気に入らなかったのか」

少し心配そうな顔でそう聞いてきたのは、坊ちゃまだった。
あたしはいつの間にか流れていた涙を拭って、首を振った。
「うれしくて…。本当にうれしいんです」
あたしは坊ちゃまに向き合った。
「あたしの母が亡くなっていることはお話ししましたよね。十二月は、少し前まで苦手だったんです。もちろん友だちが気を使って遊びに誘ってくれたりして、いつまでも苦手なままだったわけじゃありませんよ。
でも、こうやって大勢の人たちと過ごすクリスマスって、いいなって思ったんです。
こんなに素敵なプレゼントまでもらって。あたし、いい子じゃなかったのに、こうして用意してくれる気持ちが嬉しくて。こんなに温かそうなものをいただいて、ありがとうございます、坊ちゃま」
「…俺がそれをやったなんて書いてないだろ」
「そうですけど。でも、ありがとうございます。このお屋敷にあたしを置いてくださって」
あたしは手に手袋を持ったまま、そのまま坊ちゃまを抱きしめた。
「お、おい」
あたしはしゃがみこんだままだったので、抱きしめるというよりは頭突きをかました感じになっちゃったけど。
最初は身体を動かして抵抗していた坊ちゃまだったけど、あたしがあまりにもぎゅうぎゅうに抱きしめるものだから、諦めたようにおとなしくなった。
お父さんと二人のクリスマスも、友だちとのクリスマスも悪くないけど、あたしは今、ここいいさせてもらって良かったと心から思った。




To be continued.