2014年年始スペシャル



ドクターX編その2


広報の事務方を置いて去っていく入江直樹の後ろ姿を見送る事務方の背後から、そっと声をかけたものがいた。

「どうも、どうも、入江医師紹介所所長の入江紀子と申します」

突然現れたにこやかな女性に呆気にとられながら、事務方は「な、なんですか」とかろうじて応えた。

「あ、これ、メロンです〜〜〜」

そう言って押し付けられたのは、箱に入った編目も美しいメロンだった。

「え?え?」

戸惑っている間にメロンを持たされると、続けて何やら封筒を取り出した。

「このたびはうちの入江直樹を使ってくださりありがとうございます」
「は、はあ」
「これ、請求書です。あ、これ名刺です」
「え?」
「では、今後もどうかうちの入江直樹をよろしくお願いします」
「あ、ちょっと」

広報に出すだけでも請求書が届くらしい。
フリーランスの医師を使うのはなかなかに難しい。
請求書の封筒の中身を見たいが見たくなかった。
恐る恐る封筒を開けた。
中から紙を取り出すと、片目をつぶるようにして見てみた。

「うわぁ」

いったいどんな数字が書いてあったのかは語るに値しない。
事務方は慌てて請求書をもう一度封筒にしまうと、怖いものをもらったかのようにして、急ぎ足で広報室へ戻るのだった。


とある会議室では、特患(特別な患者:金持ちだのお偉いさんだの)の手術についての外科ミーティングが行われていた。
「それでは、この手術を講師の西垣先生、お願いできますか」
「はい、拝命いたします」
「異議あり」
そう言って立ち上がったのは、一匹狼ならぬ凄腕医師の入江直樹だった。
「何か?入江先生」
「何とか裁判じゃないんだから異議ありはないだろ」
と小さく突っ込んだ医師西垣。前々からこの孤高の医師、入江直樹をあまり快くは思っていないらしい。
いわく、自分より少しばかり顔がよくて、腕がいいが、上司の言うことにはいちいち逆らうのでやりにくいことこの上ない、というわけだ。ついでに自分よりもてるのが何より気に食わないが、それでいて妻帯者なのだからなおさらだ。
「俺なら、もっと短時間でより高度な術式でオペできます」
「しかし、この特患の症例は、非常に難しく…」
「…失敗しないので」
「はい?」
「俺は失敗しないので」
「はぁ?なんだよ、そのえらそーな自信満々は」
と西垣がつぶやいたが、やはり会議室では憚られるので小声だ。
「なんなら、私のほうから患者に直接説明いたしますが」
直樹の言葉に慌てたのは外科部長だ。
「ちょ、ちょっと待ってくれ。患者は特患だよ?君みたいなバイトに」
「フリーランスです」
「その、フリーランドのような君が執刀することを特患が納得すると思うかね」
「フリーランス」
西垣と直樹は同時に突っ込んだ。
「まるで琴子ちゃんみたいなボケだよ、外科部長」
西垣の言葉に直樹がふっと笑った。
バカにしているのか、愛妻を思い出したのか。そのどちらもだろうと思ったが、しゃくだったので何も言わなかった。
「とにかく、執刀医は西垣講師で」
直樹は不満気だったが、とりあえずその場の会議はそれで終わった。

ところが運の悪いことに、西垣が有休でいない週末に患者の容態が急変した。
手術予定日は来週の月曜日ということになっていたが、応急処置を施してもそこまで持ちそうになく、緊急手術の予定となった。
西垣に電話で連絡したが、さすがに駆けつけるのに三十分はかかる。渋滞などにつかまればそれ以上だ。
「俺が手術しましょうか」
やけに偉そうに言った言葉に外科に残っていた医師たちが振り向いた。
とんでもないという表情とともにお互い顔を見合わせたが、どう見ても今残っている面子では到底難しい手術などできそうもなかった。
返事を聞くまでもなく、直樹はそのまま顔面蒼白で苦しんでいる患者のもとへ行くと、自信満々に言った。
「西垣医師がいないので、私が代わりに執刀いたします」
「き、君で大丈夫なのかね」
「私、失敗しないので」
家族を含めて一瞬沈黙した。
慌てて追いかけてきた同僚医師たちは「おいおい、言ったよ、あいつ」と青ざめている。
「本当に失敗しないんだな」
「ええ。先日説明があった術式よりも確実な方法で手術いたします」
「それは難しいんじゃなかったのかね」
「他の医師には無理でも、私ならできます」
その言葉を聞いて、患者は「わかった。君にお願いしよう」と同意したのだった。

西垣が駆けつけたときには、既に手術は始まっていた。
どういうことだと手術室に駆けつけてみると、直樹が手際もよく手術を進めていた。しかも予定していた術式よりもより高度で術後の生活にもよい方法だ。
「あ、西垣先生」
「こ、琴子ちゃん。どうして君が」
「入江先生があたしじゃなきゃだめだって」
その割にはほとんど役に立っていないように見えるけど、と西垣は思ったが、あえて口にはしなかった。琴子の役に立たない具合など何の問題もないようだ。
呆然と見ているうちに手術はどんどん進む。
通常よりも早い時間で手術は見ている限り完璧に終わった。
「終わり。後はよろしく」
「お疲れさま、入江先生」
琴子の言葉にうなずくと、カタンと器具を置き、患者の顔を一目見てから立ち去った。
とても難しい手術を終えたようには思えないくらい当たり前の仕草だ。
西垣の出る幕などどこにもなかった。
ついでに言うと、琴子の出る幕もなかった。

難しい手術にも果敢に立ち向かい成功させる。
唯の一つも失敗はない。
それがドクターX。

(2014/01/10)