2015年新春スペシャル



ドクターX編その2


特技、手術。
趣味、妻を啼かせること。

そんな身も蓋もない男がいた。
この男、群れを嫌い、権威を嫌い、束縛を嫌う。
フリーランスの医師、入江直樹。
今日もその叩き上げのスキルで難手術に挑む。

「そんな難しい術式、本当に失敗なくできるのかね」
「私、失敗しないので」
「な、何て奴だ、バイトのくせに」
「…フリーランスです」

そういう会話もこの一週間で既に二回目だ。
どんな手術でも手は抜かないが、何よりも手術が難しければ難しいほど執刀医として立候補するのだ。
そんな入江直樹を見て密かに身震いする男がいた。

「どうしたね、船津君」
「あいつの二つ名を思い出しまして」
「何だね、それは」
「えーと、『大魔王』です」
「だ、大魔王?」
聞いた上司は目が点だ。そりゃそうだろう。どこの誰がいったい大魔王などと呼ばれると言うのだ。
何だかんだと言いつつ、結局手術は入江直樹を執刀医として始まった。

「は、早いっ」

同じく手術に入った医師を驚嘆させるスピードで、手術を進めていく。
その正確さとスピードは、確かにあの生意気なまでの言葉を現実のものとしていく。
その手術を見学場から見下ろす不埒な…じゃなかった、不審な影が…。

「…入江直樹…しっかりと覚えましたよ」

そんな影などものともせず、術場では着々と手術が進み、あっという間に縫合まで終えた。
「縫合終了。お疲れ様でした」
「お疲れ様でした」

その縫合の見事さでもその場にいた医師たちにほうっとため息をつかせたのは言うまでもない。


その頃とある病棟では…。

「い、入江さん、どうやったらその氷枕の氷がそこまで漏れ出るんですか!」
「あ、あれ〜、お、おかしいな。氷が増殖したとか」
「細菌やウイルスじゃないんですから」
「そ、そうですよね。えっと、留め金が緩んでいたとか…」
「留め金がそもそもはまっていないですよね?」
「じゃ、じゃあ、氷の入れすぎ、かなぁ」
「どちらでも一緒です!早くそこを片付けてください」
「は、はい〜っ!」
「まったく…。どうして派遣でやってきたのか。いったい人事部は何を考えて…」

入江直樹以上に雇われた動機が謎の女、入江琴子、だった。

 * * *

「どうも〜、入江医師看護師派遣所所長の入江紀子と申します。
このたびはうちの入江直樹の手術の腕をかっていただき誠にありがとうございます。
あ、これ、メロンです。どうぞ、お納めください」
そう言って紀子が持ってきた網目も見事なマスクメロンを手渡したのは、当然ながらこの病院の院長だった。
「そして、これが請求書です」
「一、十、百…三百万?」
「あら、これでも一人目の手術はお試し価格でお安くしたので、実質一人分の手術代はお得になっておりますのよ」
「これで?」
「ええ。それとも、うちの入江直樹の手術技術に何かご不満でもありましたでしょうか」
「…いや、ないが…」
「報酬にご不満なら仕方がないですわね…。残念ながら入江直樹はクビ、ということでしょうか」
「い、いや、ちょ、ちょっと待ってくれ」
「では、お支払いいただけるのですね」
「それは支払う。支払うが…その、もう一人の派遣看護師なのだが…」
「まあ、うちの琴子ちゃんが何か」
「あれは、どういう理由でうちに派遣を?」
「あら、お気づきになりませんでしたか」
「な、何に?」
「直樹の清涼剤です」
「…清涼…剤…」
「イライラがたまると人間どうしてもとげとげしくなるものでしょう」
いや、彼は普段から十分威圧的な態度だが、と院長は思ったが、とりあえず口にはしなかった。
「そんな時こそうちの嫁の出番。琴子ちゃんを見るだけであら不思議、イライラも吹っ飛び、仕事に集中。効率も上がって短い時間で倍の働き。残業なしでも十分役に立つこと請け合いで、病院も大助かり」
「いや、まあ、そうかもしれないが…(その清涼剤たる本人の働きが倍以上にかかるんだが)」
口に出そうとして紀子ににっこり笑って言われた。
「あら、琴子ちゃんが真の働きを見せるまでは、彼女の報酬はサービスですわ。もちろんいざというときはお支払してくださるとご契約してくださりましたわよね」
「そ、そうだったかな」
まあ、無報酬ならいいか、と院長は口をつぐんだのだった。
紀子が出ていった院長室には、もちろんしっかりと手術代として三百万の請求書が残されていた。

 * * *

「ところで船津君、彼はどういう理由でその二つ名を?」
船津はそう問われてん?と首を傾げた。
「いや、僕はよく知らないのです。彼に関わった人間が言いだしたことなので」
「ま、変わった二つ名だよね」
「そうですね。でも、時々、妙な寒気を感じることはありますよ」
「妙な寒気?ははは、真冬じゃあるまいし」
「それが、どういうわけか、彼女の名を出すと…」
「あ、そう言えば外科にかわいい派遣看護師が来たって?あ、そうそう、彼女だ、ほら」
そう言って先輩医師が視線を向けたその時だった。
一瞬何か妙な気配を感じたのだが、振り向いても何も誰もいなかった。
まさかなと思いつつ、先輩医師は彼女に声をかけた。
「やあ、君は新しく来た派遣の子だね」
「あ、初めまして。入江琴子と申します」
「入江…?まさか、あのフリーランスと関係があったりして」
「せ、先輩、彼女は…」
「あ、夫ともどもよろしくお願いいたします」
「え、君結婚してるの?」
「はいっ」
「へぇ、人妻かぁ。ところで、夫ともどもって…」
「外科医入江直樹は私の夫です」
「げ、やっぱりあのフリーランスか」
「げって、夫が何か」
「いや、こっちの話。それより、歓迎会しなくちゃね」
「歓迎会、ですか」
琴子がえっとと言葉を濁しているうちに船津がぶるりと震えた。
「先輩、それより、なんだか…さ、寒気が」
「ん?寒気?なんだよ、それ」
「せんぱぁい…」
「うおっ、なんだ、なんだ、きゅ、急に…こ、凍える…」
医師二人がぶるぶると震えだしたその時、琴子は二人の後ろに愛する夫の姿を見つけた。
「あ、入江くん!」
それはそれはうれしそうな琴子の声とは裏腹に、二人の後ろからは地を這うような声が聞こえた。
「妻が何か」
大魔王と噂の入江直樹だった。
船津はいち早く首を振った。
「いえ、何も」
「そうですか」
入江直樹はつっと視線を船津の先輩医師に向けた。
「だ、第一…げ、外科の…」
慌てて自己紹介をしかけた先輩医師に向かってあっさり言った。
「結構です。興味ありませんから」
「なっ…」
それ以上言葉の出ない先輩医師を気の毒そうに見た船津は、あえてそれ以上突っ込まない。
何よりも、大魔王と噂された入江直樹には、触らない、突っ込まない、妻には仕事以外で口をきかない、というのが三原則だ。
「どういうことだよ、船津、こいつはよ」
「あの、それ以上は…」
ひょ、ひょおぉぉ…。
とんでもなく寒い。ここはシベリアか、北極か。
「何も問題ありませんね」
入江直樹の言葉に船津と先輩医師は無言でこくこくとうなずいた。寒すぎて声も出なかったというのが本当だ。
そのまま何も問題ないことが証明されたのか、ようやく二人に春がやってきた。
気が付けば、いつの間にか大魔王、もとい入江直樹の姿もなかった。
「なんとなくわかった気がするよ…」
「ご理解いただけて幸いです、先輩」

弱肉強食の医療現場に上司にも臆さずに立ち向かう謎のドクターが存在する。
なんのリスクも顧みずシベリア旋風を巻き起こす彼を、人々は敬意と皮肉を込め「命を天秤にかける悪魔の外科医」、またの名を「大魔王ドクターX」と呼ぶ…。

(2015/01/20)