もしも入江くんが幼稚園教諭だったら




新しい季節がやってきた。
また新しい子どもたちが斗南幼稚園に入園してきたのだ。
その入園式で早くもモテモテなのが直樹先生だ。
今度も同じく直樹先生とのコンビで年少組からスタートだ。
もちろんその人事が発表された後の直樹先生の不機嫌さは、あまりにもあからさますぎて、直樹先生への同情よりもつい琴子先生に同情してしまうくらいだった。
そして、あの容赦しない宣言から、琴子先生への態度はがらりと変わった。
園児の前では丁寧な言葉遣いだったが、園児がいなくなった途端に言葉遣いが変わった。
その変わりように他の先生たちも驚いたが、他の先生たちへの言葉遣いが変わらないためか、早々に黙認された。

「早くしろ、いつまでやってんだ」
「は、はいっ」
「誰がそんなもの持って来いって言ったんだ」
「へ?これがあれじゃなかったんですか」
「これがあれっていう名前すら覚えてないんだったら、もう一度聞き直せっ」
「す、すみません」

まさしく容赦のない言葉だったが、琴子先生は何故かめげることはない。むしろめげないのが琴子先生の美点と言えよう。

「ところで、前々から聞きたかったんですが、どうして直樹先生は幼稚園の先生になったんですか」
「どうして?」
「ええ、どうして」
「逆に聞くが、おまえはどうして幼稚園教諭になろうと思ったんだ?」
「えー、だって、幼稚園の先生って昔から憧れてて、子どもたちってとってもかわいいと…」
「本当にかわいいか?」
「ええ!」

「ことこせんせ〜い」
「うぎゃっ」
「わ〜い、あたったあたった!」
「こ、こら〜〜〜〜〜!」
「うわ〜〜〜〜〜」

後ろから、園児にドッジボールをぶつけられて、思わず追いかけていく琴子先生を見ながら、直樹先生は大きなため息をついた。

 * * *

それは突然やってきた。
「明日は理事会の方々が視察にいらっしゃいます。皆さんは通常通りに園児の皆さんと過ごしていただければ十分です。…琴子先生」
「は、はい」
「あなたには後でお話があります」
「…はい」
後で忠告と小言でもあるのかと、琴子先生は首をすくめた。
直樹先生は淡々とそれを眺めていたが、少しだけ心配そうな顔をしたのだった。

「失礼します」
そう言って琴子先生は園長室に入った。
そこにいたのは、園長だけではなく、もう一人上品な女性がソファに座っていた。
琴子先生が中に入ると、その女性が「まあ!」と立ち上がった。
「はじめまして、琴子さん」
「え、あの」
戸惑いながら園長を見ると、そこにどうぞと促された。
「は、はじめまして?」
「私、入江直樹の母でございます」
「…いりえ…なおき…」
「ええ」
「なおき…ええっ、直樹先生?!」
「はい」
なんでここにその直樹先生の母がいるのかわからないまま、琴子先生はソファに座ることになった。
「まあ、写真の通りかわいらしい方でよかったわ」
「園長先生、いったい何が」
「理事のお一人です。粗相のないように。では、私はこれで」
「えー、ちょっと、園長先生〜」
園長はそそくさと園長室を出ていった。出た後で「はあ、やっぱり私には入江様のお考えがよくわからないわ」とつぶやいたという。

改めて向き合うと、直樹先生の母は目をキラキラとさせて琴子先生を見ていた。
「もしかして、あたしがあまりにも出来が悪いから理事直々にクビ、とか」
「まあ、まさか!」
「では、いったい」
「直樹はどうかしら。こちらではよく働いているかしら」
「ええ!何でもできて、園児たちにも…あ、女の子たちですけど、モテモテです。ついでに園児のお母さんたちにもモテモテです」
「そうなの。で、あなたとコンビを組んでいるそうだけど」
「コンビというか、あたし一人では担任できなくて」
「やっぱり私の目に狂いはなかったわ」
「ええっと」
「あなたの写真を見た時にピンときたのよね」
琴子先生の頭に思わずあの交番に貼ってある『ピンと来たら110番』のポスターが浮かんだ。しかもその指名手配の写真は琴子先生自身だ。
「ぜひその調子で直樹とよろしくやっちゃってちょうだい」
「直樹先生には嫌がられてますけど」
「あら、そんなのちょっとしたパフォーマンスよ」
「はあ、そういうもんでしょうか」
「何なら付き合っちゃってくれても構わないわよ。ねえ、そうしなさいよ」
「え、あの、でも、その」
琴子先生は直樹先生と付き合う自分を想像して顔を赤くした。
「やっぱりあんな冷血鉄仮面のような男は嫌かしら」
「そんな!そりゃちょっと意地悪だったりもしますけど、直樹先生はいつもあたしを助けてくれて、あたし…」
直樹先生の母はがばっと琴子先生の手を握ると、熱心に言った。
「ぜひ、お願いよ」
「あ、あたしでよければ」

「勝手に俺のいないところで決めてんじゃねーよ」

「な、直樹先生」
「あら、ようやく現れたわね」
園長室を開けて現れたのは、額に青筋を立てた直樹先生だった。
琴子先生は、直樹先生と直樹先生の母とのにらみ合いに青ざめるばかりだった。

(2016/11/21)