もしも入江くんが幼稚園教諭だったら




直樹先生は、理事の息子だった。
結構お偉いさんらしい両親のせいで、幼稚園を改革することになったらしい。
それなら、園長とか理事の一人でもいいんじゃないかと単純に思う。
でも年が若すぎて園長にはちょっと、となったらしい。
そして、実際に園児に触れあってみないとわからないと、幼稚園教諭の資格まで取ったらしい。
琴子先生はただただすごすぎると感心するしかなかった。

「あの、あたし、遠慮しましょうか」
二人のにらみ合いが長すぎて、琴子先生は居所がなかった。
「おまえのせいだ!」
「あら、琴子ちゃんはいてもらわなくっちゃ」
二人同時に声が飛んできて、この親子実は仲良しじゃないだろうかと琴子先生は思った。
「…わかりました」
琴子先生はすごすごと引き下がった。直樹先生の眉間のしわがますます深くなっていた。
「このバカを送り込んだのは、やっぱりあなただったんですね」
「こら、お嬢さんになんてこと言うの」
「どこにお嬢さんが」
思わず琴子先生は顔をあげて「え」と声を上げた。
「…ずうずうしい」
即座に直樹先生にそう言われてしょぼんとまた顔を伏せた。
「私があなたを幼稚園に就職させた意味がわかっていないようね」
「経営のためじゃないのか」
「それは表向き。実はね…かわいい幼稚園の先生との出会いが…」
「ふざけんなっ」
琴子先生は久々に直樹先生の怒鳴り声に身をすくませた。最近は怒鳴り声も当たり前になりすぎて、慣れっこになっていたのだ。
「あなたのその意地悪〜な姿を知ってなおそれでもいいというお嫁さんを探していたのよ」
「そんな理由で結婚するか」
「顔は悪くないはずなのに、ちっとも彼女を連れてこないのはどういうわけかしら」
「こういう親がいたら連れていくわけないだろうが」
「あら、じゃあ、誰かと付き合ったことが…?」
琴子先生はごくりと息をのんだ。
やはり誰かいたのかと少々がっかりする。
むすっとしたまま直樹先生は答えない。
その様子を見て、ほほほと直樹先生の母は高笑いをした。
「ほうらごらんなさい」
勝ち誇ったように直樹先生の母は立ち上がって言った。
「あなたみたいな偏屈は、言い寄られても自分から付き合おうなんて思わなかったんでしょ。仮にも私はあなたの母親ですからね。ちゃあんとそれくらいわかっていますよ」
そうしてから、琴子先生の方を向いてがしっと手を握ると熱心に言った。
「この子の意地悪な物言いに逃げ出さないなんて、なんて心優しいいい子なの」
「そ、そうですか」
「これからも直樹をよろしくね」
「はいっ」
「勝手にまとめるな」
直樹先生の言葉にも直樹先生の母はひるむことなく、なおも熱心に琴子先生に言った。
「そういうわけなの。これでも根はきっと悪くないはずなのよ。ええ、多分」
琴子先生は「ええ、多分そうですよね」とうなずいた。
直樹先生はぎろりと琴子先生をにらんだ。
その視線を受けて琴子先生はひぃと息をのんで言い直した。
「いえ、絶対です、きっといい人だと思います。ええ、そのうち…」
そう言いながら琴子先生はぼーっと妄想にふけった。

『おまえだけだよ、俺の本当の姿を知っているのは』
『長い付き合いじゃないですか』
『こんな俺を知っても付き合ってくれるなんていう優しい女はお前だけだ』
『そんな。あたしは、あなたの性格が腐ったみかんのようにひどくてねじ曲がっていても…』

「ちょっと待て。おまえの中の俺はどんなひどいやつなんだ」
「え?ちょっとあたしの妄想の中に入ってこないでください」
「何が妄想だ。妄想ならいちいち声に出してんじゃねーよ」
「やだ、聞いてたんですか。だって本当のことじゃないですか」
「…ああ、そうだったな。俺の性格が悪かろうとねじ曲がっていようと、俺には関係ないしな」
「関係ないわけないじゃないですか。直樹先生と話をして教えてもらうのはあたしなんですよ」
「ああそうだ、おまえは、教えを乞う立場だ」
「…?教えをこうってこうですか?」
そう言いながら、琴子先生は何故か八十年代ドラマの髪の長い教師の真似をした。髪を耳に掛ける仕草付きだ。
直樹先生は盛大なため息をついた。
「…おまえはそのドラマの先生に日本語を教えてもらってこい」
ため息とともにそう言って、直樹先生はややあきらめた様子で校長室を出ていった。
琴子先生は「人という字は〜…えーと何だっけ」とつぶやいてから、こちらもそれ以上はあきらめて直樹先生が出ていった扉を見つめていた。
直樹先生の母は、二人のやり取りを面白そうに眺めてから、何かを思いついた様子でにやりと不敵な笑みを浮かべたのだった。

(2016/12/20)