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新年度になり幼稚園では遠足の計画があった。
春の遠足の時期だ。
今年の斗南幼稚園の行き先は、井の頭公園。
「井の頭公園と言えば〜」
「…園児の付き添いだぞ」
「でも保護者の方がいらっしゃるじゃないですか」
「それでも、何かあったら困るだろうが」
「う…やっぱりだめですか」
「おまえは何しに行くんだ」
「遠足で…」
元気よく応えようとした琴子先生を直樹先生がじろりとにらむ。
「…の付き添いと監督です」
当日は保護者が付き添うものの、園児がバラバラにならないように、迷子にならないように気を付けるのは当然のことだ。何せ園児の母は、子どもそっちのけでおしゃべりをすることもままある。
そういうわけで団体だとしても気が抜けないのが幼稚園の遠足だったりするのだ。
* * *
当日はよく晴れ、遠足日和となった。
とは言うものの、斗南のスクールバスに乗り、井の頭公園まで一直線。
これも公園で直接集合という案もあったが、遅刻する人続出とママ友派閥が面倒なため(車の所持も運転もさることながら、誰と誰が一緒の車に乗っていくだの、乗せていくだの、乗せてもらうだの、車種がどうのと、計り知れない苦労がその裏には様々満ちているのだが、ここはあえてスルーで)集合して団体で行くことになったのだ。いろいろあるのだ、いろいろと。お察しいただきたい。
そんな苦労は子どもたちには関係なく遠足は楽しいものだと思い出を作ってほしいと琴子先生は奮闘することになった。
中でも一人だけ、どうしても両親の都合がつかなくなった園児がおり、その子には琴子先生が母代わりになり連れ歩くことになったからだ。
「ことこせんせいといくんだずるいな〜」
「ま、そんなことないのよ。今日は特別なんだから」
「おれもおれも〜」
「ま、そんな。やだ困っちゃったわ〜」
「…おい、そこの妄想女、早く行け」
「え?あら、やだ、さ、コウ君、行きましょう」
琴子先生が妄想にふけっていたお陰で、本日両親が来れないコウ君の手を握ったまま、置いて行かれる羽目に。
一番後ろを歩いていくのは直樹先生。
誰もが直樹先生と並びたがって収拾がつかなくなったからで、そうでもなければ団子になって歩かなければならない。それは公園関係者及び公園を訪れた人にとっても非常に迷惑なことだろう。
少し遅れて慌てて歩き出した琴子先生だったが、思わず直樹先生を見て言った。
「ね、ねえ、先生、あたしたち、こうしていると仲のいい三人家族に間違われたりしないかしら」
「…幼稚園のマークの入った旗を持ってる時点で誰もそんなこと思わねーから安心しろ」
「…意地悪。いいじゃない、今日くらいコウ君のご両親もそれくらい許してくれるわよね」
「ことこせんせい、そういうもんだいじゃないんじゃないかな」
クラスでも一番大人びたコウ君は、冷静にそう突っ込んだ。
「あ、別にね、コウ君のお父さまお母さまがどうこうというわけじゃないのよ」
「うん、ぼくのおとうさんもおかあさんもそういうのきにしないとはおもうけど、ほかのおかあさんたちのほうがきにするとおもうよ。ほら」
コウ君がさりげなく示した先には、何故か後ろを振り向きながら歩いているお母さまたちの集団が。
「あれは…、後ろに何かいるのかしらね」
コウ君は動じずに「うん、なおきせんせいというちんじゅうがね」と琴子先生にささやいたのだった。
「ことこせんせい、おひるはどうするつもり?」
「それなら大丈夫!お料理上手な人にすごいの持たされたから」
「いや、おべんとうのしんぱいじゃなくて」
「コウ君のお弁当も楽しみだね。お母さん、忙しいのに張り切って作ってくれたみたいよ」
「うん、それはたのしみだけど…」
コウ君の心配していることが通じずに、のん気な琴子先生だ。
あちこち散策していざ自由時間。
あらかじめ配っておいた地図をもとにお弁当を食べる範囲を決めてあるので、皆がそれぞれ散らばっているとはいえ木陰などを選んでシートを敷き、お弁当を広げている。
その辺りは余程もめ事がない限りは自由だ。
ところが、数人はシートも敷かずにうろうろしている。
「どうしました?何か落とし物ですか」
「い、いえ」
琴子先生はその答えに首を傾げながら直樹先生をチェックしている。
さり気なく隣に、などと考えてはいるものの、どこがさりげないのだろうかというところだ。
その直樹先生はカメラを片手に渋い顔をしている。
「あ、直樹先生!」
琴子先生よりも先に先ほどの数人のお母様方が直樹先生を取り囲む。
「先生、ほら、こちらへ来て一緒に食べましょうよ」
「せんせい、うちのおべんとうすごいんだよ!」
琴子先生はようやく気付いた。
そうか、あの群れは直樹先生と昼食を一緒にしようとこしたんたんと狙っていたのかと。
もちろん琴子先生に虎視眈々とは漢字で書けないが、意味がわかればそんなことはどうでもいい。
「ことこせんせい、ほら、せんせいもがんばって」
「う、うん」
そうは言うものの、ここは職員という立場でもって強硬に行くべきか、職員だからこそ譲るべきか悩みどころだ。
とりあえず今はコウ君もいることだしと琴子先生は良さそうな隅っこでシートを広げ、コウ君とともに座った。
「先にお弁当食べちゃいましょう」
「はい」
素直なコウ君は琴子先生の言う通りにお弁当を広げる。
「わあ、コウ君のお弁当、おいしそう」
「うん。ことこせんせいのも…すごいね」
まさにコウ君の言う通り、琴子先生の大荷物はほとんどがお弁当だったのだ。
重箱におかずとおにぎりがびっしりだ。
「ことこせんせいがつくった…わけじゃなさそうだね」
「えへへ。お料理上手な人が作ってくれたの」
「だれ?おかあさん?」
「えーと、それは…秘密。でもとっても素敵な人」
「ところでなおきせんせいはおべんとうもっていなさそうだよね」
「あ、それは…えーと…」
「もしかして、これ、なおきせんせいのぶんもあるの?」
「そ、そのとおり。えっとね、内緒よ、直樹先生のお母さまが作ってくださったの」
「そうなんだ。でもなおきせんせいいそがしそうだよね」
「カメラ持ってるしね。写真頼まれたのかな。でもすごい嫌そうな顔」
「うん、ほんとうに」
「あ、みやちゃんのお母さん強引…」
「あ、さりげなくふりきった」
「任せてちょうだい、琴子ちゃん」
そう言ってどこからともなく現れたのは、優雅そうな恰好とアンバランスなサングラスの女性だ。
「え?え?おばさま?」
「…だれ?」
「…直樹先生のお母さま」
二人が呆然と見ている間に、直樹先生のカメラを取り上げ、お母さま方ににっこり笑ってポーズを決めるように指示を出し始めた。
突然現れたこの女性にお母さま方はたじたじだ。
誰だと思う間もなくカメラを向けられたので、思わず笑顔でとりあえずポーズをとる。
その間に直樹先生はさっさと歩いて去っていく。
「あら。あらら」
琴子先生が驚いている間に直樹先生がやってきて、コウ君の隣にどかりと座った。
「はい、せんせい、おてふき」
コウ君は笑って直樹先生にお手拭きを渡す。
琴子先生はまだ自分の見ているものが信じられなくて黙ったままだ。
「なんだよ。俺は自分の分持たされてないんだよ」
「い、いえ。た、たくさん食べて!…って、あたしが作ったんじゃないけど」
「そりゃ安心」
そう言って直樹先生はおにぎりを一つ取った。
琴子先生は目の前に座って弁当を食べだした直樹先生をぼうっと見つめている。
「ど、どう?」
「おまえが作ったんじゃないんだろ」
「うん、でも」
「このおにぎり、やけに塩辛い。この卵焼きは焦げすぎ。自分で作ったもの勝手に混ぜてんじゃねぇよ」
「ば、ばれてましたか」
「こんなひどいもの混ぜておいてばれないわけないだろ」
「あ、あの、写真、大丈夫かな」
「大丈夫だろ。お抱えカメラマン並みに撮りまくってるから。幼稚園が呼んだ写真屋と思って疑ってないぜ、あれ」
ふと見ると、直樹先生の母と目が合って、こっちは大丈夫よとでも言うようにウインクをされた。
それでようやく琴子先生は笑って直樹先生にお弁当を勧める。
「先生、これ、自信作なの」
「おまえの自信作なんて怖くて食べられるか」
そう言いながらも一つ摘まむ。何かわからない茶色い物体だ。
「…なんだ、これは」
ゴリゴリとやけに硬い。
「えーと、鶏の唐揚げ」
「…おふくろも何作らせてんだ」
「え?」
「いいからおまえも食っておけ。母軍団第二襲撃が始まる前に」
「う、うん」
「今日はこんな先生と二人で残念だったな」
「そんなことないよ。ぼく、おとうさんとおかあさんのつぎにことこせんせいすきだもん」
「へえ、だってさ。良かったな、園児にはモテモテで」
「あ、もちろんなおきせんせいもね。いつもふつうにしてるときより、ことこせんせいといるときのほうがおもしろいんだね」
ぐっと琴子先生がのどにお弁当を詰まらせた。
慌ててお茶で流し込みながらコウ君を見た。
直樹先生は淡々とコウ君に言った。
「それは他の人には内緒な。ばれると園長先生にも怒られるし」
「なおきせんせいもえんちょうせんせいにおこられるの?」
「まあな」
「うん、じゃあ、ないしょ。ことこせんせいともないしょのはなしができて、ぼく、きょうはよかったな」
「内緒の話?」
「うん。でもだれにもないしょだもんね、ことこせんせい」
「う、うん」
直樹先生の顔色をうかがいながら琴子先生はうなずく。
まさかあの人が直樹先生の母で、息子の遠足(正確には違うが)についてきているなどと揶揄されるようなことがあってはならない。
そして、個人的に直樹先生の身内と親しくお付き合いがあるなんてことは。
「ふーん、内緒、ね」
直樹先生の含みのある言い方にはちょっと身震いした琴子先生だったが、少なくとも今は理想のピクニック状態だ。
出来のいい(他人の)子どもと理想的な夫(という妄想)とお弁当を囲むの図だ。
しかもお母さま方の勢いに押されて隅っこの場所を選択したのも、ほかのギャラリーからやや隔離されている感じでちょうどいい。
「でも今度は二人でボートに乗りたいな」
「…ことこせんせい、もうなおきせんせいいないよ」
「え?そんな」
「直樹先生!」
そこへやってきたのはお母さま軍団第二襲撃だ。
「なおきせんせいならあっちのほうへいきました」
コウ君はすかさず指をさして追っ払った。
「あ、ありがとう、コウ君」
「ことこせんせい、このままじゃなかなかたいへんだね」
「た、大変とは?」
「ううん、いいんだ。だって、みかたはたくさんいるみたいだしね。なおきせんせいもまんざらじゃなさそうだし」
「そう?本当にそう見える?」
「みえるみえる」
コウ君が言うのならその通りかもしれないと、二十も下の園児の言葉に希望を見出した琴子先生だった。
(2017/05/15)