六月の雨の女神




午前に行ったのは、N市の動植物園だった。
上野のパンダですらほとんど見に行ったことがないというのに、どうやらここのコアラが見たいばっかりに直樹は琴子に連れてこられたようだ。
まさか琴子と二人で動植物園に来ようとは思わなかった直樹だったが、コアラ舎の横でうきうきと待っている琴子に忠告する気も失せたようだ。

「今度パンダも見たいなぁ」

意外に人がいる。
しかも行列を作っている。
いざコアラ舎の中に順に入っていくと、結構広い飼育場だ。
ゆっくりと見学コースを歩いていく。
展示室の向こうには木がいくつか立ててあり、餌となるユーカリを差し込むようになっているところもある。
コアラはそれぞれ木につかまって寝ている。
…ずっと寝ている。
ぴくりとも動かない。

「…入江くん、動いてないからどこにいるのかよくわかんない」
「…木の上」
「…寝てるね」
「コアラは一日二十時間は寝るんだ」
「…動くまでずっと見ていたいけど、動かないんだよね?」
「『午後の餌の時間には動きます』…らしいぞ」
「……じゃあ、行こうか」

直樹は多分そうなるだろうと思っていたが、琴子は少しだけ名残惜しそうにコアラ舎を後にした。
それを晴らすかのようにコアラのぬいぐるみを欲しがったが、帰るまでに荷物になると言ってやめさせた。
コアラ以外に見るものがないかと言えば嘘になるが、まだまだ行きたいところがあるらしいので、適当に動物を見ながら昼には帰ることにした。


昼はひつまぶしという約束だったが、一番有名であろうところはかなりの人気店なので、待つことは必死。
直樹はそれでも行くかと琴子に念を押したが、もちろん行くとの返事だったので、少々げんなりしながら向かうことにした。
再び地下鉄でN市内でもっとも有名な神宮の近くまで行くことになった。
店は本店も支店もあるが、どちらも昼時でなかなかの混みようだった。
もちろん地元人がいつも食べられるような値段の店ではない。そもそも地元人は言うほどひつまぶしを食べないらしいが。
おそらく神宮の参拝者がついでに有名なひつまぶしを食べていくかというくらいの気持ちだろう。
いつも食べていると豪語している者は、よほどの金持ちかもしれない。
そんなひつまぶしだったが、直樹のげんなりの言い分としては、地元東京でも探せば食べられるのではないかというところだ。
もちろん琴子のことだから、観光地で食べることに意味があると言うだろうとわかっていたので、忍耐強く順番を待った。
ぶっちゃけ、ひつまぶしは鰻の蒲焼を細かく刻んで混ぜ込んであるご飯だ。
それをそのまま食べ、薬味と一緒に食べ、最後にだし茶漬けで食べるのが一般的な食べ方だ。
それはそれでおいしいので、食べること自体に文句はない。
琴子のこんな要求にも応えることをよしとするようになった自分の忍耐力を直樹はしみじみと褒めたくなるのだった。
ついでに神宮にも寄ればよかったのだろうが、いつも明治神宮などに行っているせいかあまり興味はなかった様子で、ひつまぶしで満足してしまったようだった。


「で、次は?」
「N城!東京に皇居はあっても城はないもん。江戸城も残せばよかったのに」
「いや、あんなもの残っていたら東京は今みたいな姿は無理だろ」

そんな会話を交わしながら地下鉄で再び移動。
地下鉄の駅から出ると、歩いていくにつれて徐々に見えてくる。
正門からお金を払ってい入っていくと、緑に囲まれた庭園が広がっており、そこを周遊するような感じで回っていくとどうやら一時間はかかるようだが、当然のことながら琴子は一直線に天守閣へと向かった。
地下1階、地上7階の案外立派なものである。
もちろん本物は空襲で焼けてしまったらしく、N市民の多大なる力技で再建したものだ。

「すごいねー、ちゃんと天辺に金のしゃちが乗ってる」

ここでうんちくを披露するのも面倒だったので、直樹はただぶらぶらと資料を見ながら天守閣の中を見て回った。
ちなみに実物大の金鯱模型も置いてあり、子どもなどはそれに乗って記念撮影したりする…が。

「…それはやめておけ」

思わず誰もいないのを確かめていた琴子の首をつかんで直樹が止めた。

「…だめ?」
「俺は写真撮らないぞ。そもそも持ってないし」
「あ、そうか。残念」

いや、持ってても写さないし、という心の声は聞こえなかったのか、琴子はその場を離れるまでぶつぶつと残念そうにつぶやいていた。
天守閣の展望室からN市を眺め、琴子はここでしか買えないというグッズを手に取り始めた。
あまりにもくだらなかったが、もう止めるのもばかばかしくなってきたので、自分の手で持てる範囲という制限だけは守らせ、好きにさせることにした。
天守閣以外にも重要文化財などはあるのだが、歴史にいまいち興味のない琴子が見るはずもなく、恐らく天守閣を出たら少しばかり庭園を歩いた後に帰ることになるだろうと直樹は見当をつけた。

長くなったのでまた続く。

(2012/02/01)