ドクターNと秘密の部屋




今日のオペ予定を見れば、外科はなくて眼科と耳鼻科だった。
ということは夕方のこの時間ならオペ室の新人ちゃんは手が空いた頃だろう。
そう目星をつけて僕はオペ室に向かった。
ところが、こういう時間帯はちょうど明日のオペ患(手術患者)の面会に行っているらしい。
うーん、忘れていたよ。
まだ新人ちゃんはそういう仕事を振り分けられることはないだろうと思っていたのに、先輩についていくのも勉強の一つだったね。
僕が大した用もないのにオペ室に出入りすることも結構あるので、今さらオペ室主任も師長もたいして怒りはしない。
「ねえヨシエちゃん(注:オペ室主任)、ちょっと小耳にはさんだんだけどさ、新人ちゃんとあの生意気な後輩がどこかへ消えたって?」
ヨシエちゃんはガチャガチャとオペ用の器械を手際よく揃えながら袋に入れて封をしていく。この後滅菌すればオペセットの出来上がりというわけだ。
「あら、そんな噂ありましたかしら」
「あったらしいんだよ。この僕はそんな噂を知らずにいたなんてうかつだったよ」
「でもあれでしょ。ほら、入江先生は奥さん一筋の方だから」
「皆がそう思うところに落とし穴があったんじゃないかな」
「そうですかねぇ。私はそんなふうには思えませんけど」
「そりゃヨシエちゃんが自分のところの新人ちゃんを信じたいのはわかるけど」
「んー、というよりも入江先生を信用しておりますもの」
「あれ、新人ちゃんの立場は?」
「あら、今どきの子は私にもよくわからなくて」
「ということは、新人ちゃんのプライベートまでは知らないってことだから、やはり何かあってもおかしくないということにならないかい」
「ですから、そこは入江先生を信用しておりますので、ちゃら、ですわね」
「ちぇ、なんだよ。ヨシエちゃんは俺のことはちーっとも信用していないって言うくせに」
「まあ、日ごろの行いですわね。先生はオペの時はともかくプライベートでは全く信用がありませんからね」
「ひどいなー」
ヨシエちゃんは、ほほほほと笑いながら僕に向かってクーパー(医療用はさみ)の切れ具合を確かめるようにじょきじょきと動かした。
それを見ていたら、なんだか自分の大事なものをちょん切られそうな気分になって、ヨシエちゃんの前から逃げ出したのだった。

オペ室の情報網の源のヨシエちゃんがしらを切るということは、やはり何かあるのかもしれない思いつつ、今度のオペの後にはこっそりあいつの後ろをついて行ってやろうと考えた。
…と思ったんだけどさ、やはりオペ着は着替えなくちゃいけないし、病室に運ばれた患者のところにもすぐに顔出さないといけないことを考えると、なかなか難しいものなんだよね。
いや、その難しい合間を縫ってあいつはいったい何をやっていたんだ。
この間の手術は助手として駆り出されただけだったから、オペ後のことは全部別の奴が担当したから余裕があったわけだ。
次のオペ日と言えば…来週か。
来週までこの噂の出所もよく調べておかないとな。
さて、あとはどこを巡ったものか。
とりあえずあとはICU(集中治療室)にでも行ってみるか。
もう一度あの研修医を捕まえて、どこで見失ったかというのを聞く必要があるかもしれないな。
え、何でそんなに執着するのかって?
あの生意気な後輩の弱みを握ることはそりゃ大事なことなんだよ。
え、仕事しろって?
してるじゃないか。あちこちちゃんと巡って情報収集したりするついでにそこに入院している担当患者もちゃんと診るってわけさ。
ん?何で患者の様子がついでかだって?
いや、一応これは後輩であるあいつの仕事でもあるから、僕はちょっと監督程度に見に行くだけで済むからだよ。
おっと電話だ。
院内用の携帯電話を白衣のポケットから取り出して出ると、呑気な研修医殿だった。
何やら外科病棟の患者さんのドレーンが抜けそうだとか。
「どうしたらって…仕方がないなぁ。今行くよ」
仕方なくICUは今は諦めることにする。
「へ?合コン?何言ってるんだ。まともな仕事ができてからに決まってるじゃないか」
まったく何を考えているんだ。
僕は外科病棟へ戻ることにした。
全くうれしくないことに、時間は日勤と夜勤の交代のタイミングだ。
誰かうまく処置についてくれるナースがいてくれると助かるんだが…。

そんなことを思いながら外科病棟へ出向くと、例の研修医はさっさと別の病棟に呼ばれていなくなってしまっていて、案の定ナースは声をかけても誰もついてくれなかった。
ああ、そうだよな、早く帰りたいよな、ふん。
そもそも電話してきた研修医が付くべきだろっ。
せめてもの意趣返しに通りかかった生意気な後輩に助手につかせた。
胸からぶら下がるIDカードが邪魔だったので、外してワゴンの上に置いた。
うん、僕は確かに置いたんだ。
そして処置を終えてそのワゴンを先に生意気な後輩にナースステーションまで持って行かせた。
…ところがその後で、まさか僕のIDカードがあんな運命をたどることになろうとは…。

(2014/10/03)


To be continued.