ドクターNと秘密の部屋




その機会は突然やってきた。
生意気な後輩のオペ後の動向を探ろうとしていた僕は、最後の縫合を任せてさっさと更衣室へやってきた。
なに、縫合くらいは下の者の役目だし、悔しいことにあいつの縫合はきれいで早かったのだ。
あいつより先に更衣室を抜けられるくらいにならなければこの尾行は成立しない。
僕はいつもより手早く着替えとシャワーを済ませた。
そして、更衣室を出て、更衣室が見える一画に隠れてあいつの動向を観察することにした。
あいつは着替えもシャワーも早い。
ちゃんと洗わないと琴子ちゃんに嫌われるぞとかいう揶揄を言ったら、その後更衣室に閉じ込められたっけな…。
いや、ダメだ、そんなことを考えている場合ではなかった。
あいつはまだ濡れ髪のまま、タオルを肩に引っかけてガシガシと拭きながら出てきた。
そんな急いでどこへ行く。
白衣は手にしたまま、そのままオペ室を抜けて…。
そこへ例の新人ちゃんが駆け寄ってきた。
あいつに声をかけて…何!やっぱり噂は本当だったのか!
いや、待て、まだ早いぞ。
驚愕して焦る心を落ち着かせるため、深呼吸しながらも二人の後を追うことにした。
廊下を曲がって…その先は、専門棟!
ピッと扉のロックを開ける音がして、二人は専門棟に吸い込まれていった。
僕も後を追い、専門棟への扉にカードをかざしたが…。
うんともすんとも言わないどころか、扉のカードリーダーにはエラー表示が。
し、しまった。
このカードでは専門棟には入れなかったんだ。
先日カードをあいつに見事な握力でぐちゃぐちゃにされて、ただいま僕のカードは新しく再発行中。
この使い古しの外来者用カードを寄こした事務長め。
職員食堂で使えなかったと文句を言ったら、別のカードを渡してはくれたものの、またもや外来者用カードだったのだ。
くっそー。
僕は専門棟の扉の前で歯噛みをすることになった。
よし、カードを手に入れてリベンジだ!

次のオペ日、僕は新しく再発行してもらったカードを持って今度こそと待機していた。
今日の患者もオペ経過は順調だったから、あいつの後をつけるくらいの時間は問題ないとみた。これでもちゃんと患者のことは考えてるさ。
またもやあの生意気な後輩が専門棟の扉の向こうへ消えた。
僕もカードを持ってしばらくした後に専門棟への扉をくぐる。
今度はちゃんと扉も開いたし、気分よく足を進めた。
…とそのとき、突然もう一つの人影が現れた。

「何やってるんですか、見失っちゃいますよ」

目をぎらぎらさせた琴子ちゃんだった。
噂の真相を嫁自ら探りに来たわけだ。
「あ、ああ。わかったよ。それにしても琴子ちゃん、どうしてここが」
「あたしにだって聞く耳くらいあります!」
「噂を聞いたわけだ」
「だって、入江くん、いっつも何にもしゃべらないんだもの」
「…ああ」
僕は少しだけ同情する。
噂の主である生意気な後輩は、琴子ちゃんにも必要以上に言葉を言わない。
言わないのか、言わなくてもわかってると思うのか、どうでもいいと思ってるのか、そこのところはよくわからないが、少なくともこの嫁を前にしてしゃべらないでも済むと考えること自体頭がおかしいとしか思えない。
「だから言っただろう。あんなやつは見限って僕にしておいた方が…」
「あ、角曲がりましたよ」
くいっと引っ張られて、なすがまま後を追いかける。
あの角を曲がると、講義室と研究室がずらりと続く階だ。
急いで曲がったものの、そこにあの二人の姿はなく…。
「どこ行ったの?!」
琴子ちゃんの打ちひしがれた声が小さく響いた。
「こうなったら片っ端から行くわ」
え、おい、まさか。
ここは教授たちの研究室でもあるんだよ?
腕まくりをした琴子ちゃんは私服だったが、手前のところから順に扉という扉を開けにかかった。
鍵が閉まっているところはともかく、開けるところは全て開けまくっている。

「おい、なんだね、君は」

「うわっ、何か用ですか」

「あー、何だね、授業中なんだが」

「どちらさまでしょうか」

それぞれ怒号も疑問の声もお構いなしだ。
さすが琴子ちゃん…。
僕はと言うと、その行動力の恐れをなして止めることもできない。
これで見つかれば言うことなしだったのだが、この階の扉を開けまくって出た結論は、その扉の向こうには入江の姿もあの新人ちゃんの姿もなかったということだった。
どこへ消えた?
そばには、膝をついて今にも号泣しそうな琴子ちゃんの姿。
ここは慰めるべきだろう、うん。
「こと…」
「うわ――――――――ん、入江くんのバカ――――――!」
琴子ちゃんはそう泣き叫んで、僕を突き飛ばすと、専門棟の脇にある階段から走って行ってしまった。
そこからどうやって帰るつもりなのか知らないぞ。
突き飛ばされて眼鏡のすっ飛んだ僕は、漫画のようにメガネメガネと探しながら廊下をはっていたのだった。

(2014/10/12)


To be continued.