ドクターNと秘密の部屋




必要なときには現れて、秘密を暴きたいものには見えない聞いている分には便利な部屋。
専門棟のどこかにあるという秘密の部屋。
琴子ちゃんはすっかりだんなの浮気騒動は忘れて…というか丸め込まれて、秘密の部屋を探すことにシフト変更したようだ。
あいつは秘密の部屋の話を聞いたとき言ったという。
教授の部屋だって許可がないとは入れない、と。
つまり、あいつが消えたのはどこかの教授室ってことか。
この予想はあながち間違いではあるまい。
あそこには教授室が山ほどあって、在室中の教授はともかく、ほとんどいない教授も多い。
実質物置状態だったり、ゼミ室の代わりになっていたり、愛人との密会室…あ、いや、客人との面会室のようになっていたりもする。
もちろんどうやって使おうが教授の勝手なわけだが、問題はそこに入れる人間は限られているってことだ。
何せ専門棟。
以前は無尽蔵に誰でも入れる場所だったが、何年か前に盗難が相次いで、大事な研究内容もあったりするのでと今ではセキュリティを強化したわけだ。
職員でも普通の看護師なんて入れない。
だから琴子ちゃんは専門棟への扉が開くタイミングを狙っていたわけだし、新人ちゃんはあいつの後を歩いていたわけだ。
もしもあの生意気な後輩がどこかの教授室に消えていたと言うのなら、新人ちゃんは、いったいどこへ消えていたのだろう。
ふつうに考えれば二人一緒にいたというのが一番わかりやすいよね。
でも、と僕は考える。
あの日もその前も後輩の後を歩いていった新人ちゃんが、後輩と一緒に出てくることはなかった。
内緒の逢引きだから、時間をずらせているのだろうか。
でもそうすると専門棟の扉は開かない。
そして、僕は例の新人ちゃんと二人きりで話したことがないのに気づいた。
あいつとは話すのに僕とは話していないのか。
なんだかもやもやとするなぁ。
そこに何か秘密があるのではないかと思ってしまうのだった。

今度は別のアプローチが必要だと、僕は新人ちゃんを攻略することにした。
新人ちゃんが確実にいるのはいつなのか、それは勤務表を見れば一目瞭然。そして、その勤務表はヨシエちゃんに見せてもらえばオッケー。
というわけでヨシエちゃんに言ってみた。

「お断りいたします」

取り付く島もなく断られた。
うーむ、ここは勝手に見るというスキルを発動するか。
ステーションの片隅によく貼ってあるんだよね。
ところがオペ室のステーションというのは入りにくい。
オペ室というのはオペするために出入りするものであって、指示を出しに来たりはしないものだ。したがって普通のナースステーションと違って医師は滅多に入る機会がない。
医師に用があるのは、あくまで更衣室とオペ室だけだ。
見学の医師だってこんなところには来ない。
それでも僕は時々顔を出すのだけど、今日は断った張本人のヨシエちゃんが主のように座っている。
もしかして僕を警戒しているのだろうか。
仕方がないので、他のオペ室スタッフにでも見せてもらうしかないか。でもその口実はどうするか。
よくランチをするアケミちゃんに声をかけると、自分の勤務はしっかりメモってあるけど、他人の勤務は覚えてなさそうだ。そもそも勤務表なんて持ち歩かないし。まあ、普通そうだよね。
そこでさらに頼むとなると、私はダシなのねと面倒なことになりそうなので、手っ取り早くランチの約束だけして諦めた。
これでもオペ以外にもやることがたくさんな僕が、いつもオペ室に通うわけにもいかない。
これはまいったね。どうやって新人ちゃんを捕まえようか。

…とそこに、オペ前の説明に患者訪問に来た新人ちゃんを発見。
ラッキーとばかりに新人ちゃんが訪問を終えてオペ室に帰るタイミングを見計らうことにした。
先輩ナースもついてはいるけど、その辺はうまくやれるだろう。
ところが、ようやく声をかけられる段階になったその時、あろうことか新人ちゃんに声をかけたのはあの生意気な後輩だった!
「ちょっと待て!」
外科の廊下で思わずそう声をかけると、怪訝そうな顔で二人は振り向いた。
「おまえ、既婚者の身でそれはないだろう」
「…何の話ですか」
「琴子ちゃんという愛妻がいながら、なんということだ」
廊下は静まり返った。
「…浮気なの…?」
廊下の片隅から、ガーンと絵に描いたような琴子ちゃんがうるうるしている。
琴子ちゃんは全てにおいてあれこれと鈍いんだけど、何故かあいつのことに関してだけは妙に鋭かったりするんだ。
今回もすべてを言わないうちにこれだ。
「…してるように見えるか?」
生意気な後輩は落ち着き払ってそう言った。
見えるような見えないような。
僕の心の声が聞こえたかのように琴子ちゃんはじっと新人ちゃんと後輩を交互に見つめている。
ふと気づくと、周囲には外科病棟の患者さんたち。
琴子ちゃんの視線に合わせて新人ちゃんと後輩を見ている。
「…してないの?」
「おまえはどこまで俺を浮気者に仕立て上げたら気が済むんだ」
「じゃあ入江くん、いつもどこ行ってるのよっ」
患者さんたちはうんうんとうなずいている。
何だか一大劇場か何かの芝居を見ているようだ。
後輩はふうっと大きなため息をついて「相沢教授の部屋」とだけ答えた。
何を思ったのかそれを聞いた琴子ちゃんは「相沢教授と浮気?!」と叫んだ。
さすがにこれには周囲の患者さんたちものけぞる。
みんな一様に違う違うと首を振る。
「…琴子、続きは後で」
ゆらりと立ちこめる後輩から流れ出る何か。
怖い!怖いよ、おまえ。知ってたけど。
患者たちは後輩がいなくなるまで誰も動けず、言われた琴子ちゃんだけが「怒らせちゃった」とつぶやいた。さすが免疫ある人間は違うな。
いや、そんなことに感心している場合じゃない。
結局一緒に新人ちゃんも戻って行ってしまって、話すこともできなかった。
何かに呪われてるのか?!

「いや〜、今日の入江劇場はちょっといまいちだったな」
「いやいや、琴子ちゃんのあの相沢教授とのくだりはなかなかだったよ」

そんなふうに呑気に病室に戻っていく患者さんたち。
まあ、退屈な入院生活の娯楽の一つとみなされててもおかしくはないけどさ。
そしてただ一人、僕はふと気づいた。

相沢教授って、誰?

(2014/11/01)


To be continued.

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