ドクターNと秘密の部屋




どうしても相沢教授のことを思い出せなかった僕は、ナースステーションに戻ってから清水主任に聞いてみた。斗南にいる年数はどっちもどっちくらいだから、主任も知らないかな。
「相沢教授ですか…?うーん、聞いたことがあるような、ないような」
どっちなんだよ。
「もしかして、あの相沢教授?」
「あの、って?」
「伝説の教授だと聞いたことが」
主任も首を傾げてそれ以上は出てこない様子だ。
何だかなぁ。秘密だの伝説だの斗南は本当に変わったところだ。
あ、僕は斗南の出身じゃないんだよね。
かと言ってあの生意気な後輩に聞くのも悔しいし。
おお、そうだ。斗南の生き字引が一人いるじゃないか。
僕は時計を見ながらこの時間は多分ここだろうという見当をつけて行くことにしたのだった。

いつも院内をあちこち動き回るこの人は、大きな体を揺さぶるようにして歩いていた。
太いのに細井…というのはもっぱらの噂。
しかも名前は可憐な小百合ちゃん。
「細井師長、今日もお忙しそうですね」
「あら、先生。清水主任をいつも困らせているようですね」
「そうかなぁ。主任はいつも進んで厄介ごとを背負い込むタイプに見えるけど」
「そうかもしれませんね」
細井師長は笑って同意した。
「ところで、わざわざ声をかけたところを見ると、私に何か用事でしょうか」
「あ、ばれました?伝説の教授と言われる相沢教授を知っていますか」
「相沢教授ですか。伝説も何も、今も時々斗南にいらっしゃいますよ」
「え、ホント?」
「研究室に顔をお出しになることもありますから」
「どこの教授?」
「細胞分子化学…だったかしら。昔はもっと違う名前だった気がするけれど」
「…地味派手な…」
細胞内の生体高分子が何ちゃら…の地道な研究のあれだね。うまくいけば薬品の新規開発だとか派手な成果もありってところか。
まあ小難しいことはいいんだ。
ともかく、そういう分野の教授とは全く縁のない僕にとって、本当にそういう教授がいたということがわかっただけでも収穫ありだよ。
しかし、そうなると、何でそんなマイナーな教授とあの生意気な後輩が知り合いなんだ?
いったいどこをどうしたら接点があるんだよ。
こっちは臨床、あっちは研究。
あいつは最初から小児外科希望だったと聞いているから、研究医になるつもりはなかっただろうし。
「それなら、何で相沢教授と知り合いなんだろう」
僕のつぶやきを聞いた細井師長は眉を上げて僕を見た。
「どなたがお知り合いなんですか」
「ああ、僕の後輩、琴子ちゃんの旦那」
少し笑って細井師長は言った。
「まあ、お名前くらい呼んでもいいでしょうに」
「いいんだよ、僕以外はみんな口にするんだから」
「どうして知り合いなのかは、私にはわかりませんけれども」
「そうだよねぇ。いや、ありがとう、参考になったよ」
「いいえ、どういたしまして。専門棟でこれ以上騒ぎを起こさないでいてくだされば」
…それは、正確には僕じゃなくて琴子ちゃんなんだけどね。
細井師長に話を聞いた僕は、そのまままたオペ室に向かった。

下手な小細工なしに新人ちゃんにアタックだ!と向かったのだけど。
先ほど患者のところから戻ったはずの新人ちゃんは、どこにもいなかった。
全然会えないっていったいどんな因果だか。
何だかここまで来ると、誰かが仕組んでいるような気もしてきた。
「ヨシエちゃん、僕に何か隠してない?」
「何をですか」
オペ室の良心、主任のヨシエちゃんは、何をおっしゃいますと言いたげな顔で僕を見た。
「全然新人ちゃんに会えないんだけど」
「…単純に考えて、避けられているんでは?」
「えー、何でだよ、何もしてないのに」
「何かする気でいらっしゃるからでしょ」
「いや、何もしないって」
「ああ、そうそう、相沢教授、斗南に娘さんがいらっしゃるらしいわよ」
「え、どんな子?」
「さあ。それはちょっと…」
そう言ってヨシエちゃんは肩をすくめた。
とぼけているのか、本当に知らないのか。
ホント、僕の周りには本音を出さないタヌキのような人ばかりだ。
ちょっとした違和感を感じたのだけど、それを考えようとする前に白衣の中の院内用の携帯が鳴った。

「はい、に…」
『どこほっつき歩いているんですか。指示出しまだですよっ』

いつでも直球勝負の清水主任が電話の向こうで青筋を立てているのが目に見えるようだった。

(2014/11/12)


To be continued.

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