Go to→40年前の世界




何だか真っ白だった。
少しずつ目が慣れてくると、そこは町の中だった。
あたしは周りを見渡して、ここがどこなのか知ろうとした。
でも、記憶にあるどこの町ともわからなくて、がっくりきた。
そして、何でここにいるんだろうと。
周りを見渡した時に、いるかと思った入江くんもいない。
タイムスリップしたとか?
…夢の中なんだろうか。
そんな雰囲気だ。
町の中でざわざわとしているのに、どこか耳に遠い。
意識をしないと誰が何を話しているのかすら聞き取れなくなる。
そして、どこかで見た人が目の前の店から出てきて、のれんを出した。
「…あ、お父さん」
思ったよりも小さな声だったのは、かえってよかったのかもしれない。
入江くんがいたら何となく怒られそう。
小声になったのは、自分の声が自分でもよく聞こえなかったから。
のれんを引っかけて、大きく伸びをすると、店の中に戻っていった。
その後、すぐにちょこちょこと歩いてくる人がいた。
そうだ、この間も見た。
それは写真の中にあった若い頃のお母さんの姿だった。
記憶の中のお母さんは、いつもにこにこしていた。
お母さんと叫びだしたいのを我慢して見送ると、そのままお父さんのいる店に入っていった。
なんだ、もう知り合いになったんだ。
あたしは少しほっとした。
あまり覚えていないけど、あたしが余計なことをすると二人が出会わなくなっちゃうって聞いたから。
あれ?いつ聞いたんだっけ。
お母さんが出てくるまでどこかで待っていようかと思ったけど、コンビニもないし、どこかで休もうにも大型店がない。
のれんのかかっている店は、お父さんが結婚前に修行していた店なんだろう。
でもお父さんとお母さんって、そんな若い頃に知り合ってたんだと初めて知った。
あたしが聞いていたのは、お父さんが店を持つことになったから、付き合っていたお母さんと結婚した、と。
そうか、付き合う過程にはいろいろあったんだね。
まだ暗くならないうちにお母さんは出てきて、またどこかへと向かっていく。
どこに行くのかわからないけど、あたしも行き場所はなく、もしもタイムスリップしていたら、あたしの居場所はないことになる。
だって、お母さんとお父さんが結婚していないなら、あたしはまだ生まれてないってことよね。
いざとなったら、お母さんのところに泊めてもらおう。何とかうまく言えば大丈夫な気がする、お母さんだし。
そんなことを思いながら、あたしはお母さんの後をついて歩いた。
歩いているうちに、どこかのお店に入っていった。
というか、裏口?
あたしは気になって、お店の入口をそっとのぞいた。
何のお店だかもよくわからず、素っ気ないドアには○○工業とかいう札が張り付けてあるけど、工場ではないみたい。
そんなあたしの行動が不審だったのか、中から人が出てきて「何か用か」と聞かれた。
ちょっと小太りのおじさんは、あたしをじろっと見て「内職なら間に合ってるよ」と言った。
「な、内職?」
「何だ、内職の仕事を受けに来たんじゃないのか」
あたしの頭の中には、傘貼りをしたり(チガウ)、封筒を作ったり、花を作ったりする映像が浮かんだけど、それとお母さんが結びつかなくてしばらく戸惑った。
「用がないなら帰んな」
そう言って、目の前で扉をバタンと閉められた。
その勢いで後ろに下がると、転びそうになったのを誰かに抱きとめられた。
何気なく振り向くと、そこにいたのは。
「入江くん!」
「何やってんだ」
いつの間にか入江くんがいたのだ。
「いつ来たの?」
「…今だ」
これがあたしの夢なら、入江くんが都合よく出てくるのもうなずける。
「帰るのが遅かったからな」
入江くんはそう言う。
入江くんもこの夢には疑問を持っていて、タイムスリップしたのか、それとも本当に夢なのか、頭のいい入江くんでもわからないみたい。
でも今はそんなことを話し合っている場合じゃない。
「今はどうなってんだ?」
「えっとね、お母さんがお父さんの店に入って、店から出て、このなんとか工業の裏口に入っていったの。
働いてるのかと思ってのぞいたら、おじさんが出てきて」
「内職を希望してるのかと疑われたのか」
「うん、そう」
「で、お義母さんは?」
「まだ出てきていないはず」
「ここで働いてるのか?」
「わからない。結婚前のことはほとんど聞いたことなかったから」
そうしているうちに、お母さんが戻ってきた。
手に何か山ほど持っている。
「あれ、なんだろう」
「それこそ内職じゃないのか」
「内職かぁ」
山ほど抱えてよろよろと歩いていく。アパートに帰るのかな?
そう思っている間に目の前で転んだ。
…お母さん…。
思わず慌てて駆けよって、転んで落としたものを拾って渡そうとしたけど、どう考えても多すぎる。
仕方がないので一緒に持ってあげることにした。
入江くんは仕方がないなというように手伝ってくれた。
「わあ、そんな、ありがとうございます」
全く人を疑うこともなく(疑われても困るけど)、あたしと入江くんはお母さんと一緒にアパートへ向かったのだった。
「あ、ここです」
うん、知ってるけど。
そう思いながら、あたしたちが悪人だったらどうするんだろうと思ったけど、そういうところがきっとお母さんなんだろうなと思う。
「これ、いっぱいあるけど、内職か何かですか」
「ええ!なかなかお仕事見つからなくって…。紹介してもらったんだけど、まだちょっと慣れないの」
お母さんは恥ずかしそうにそう言った。
アパートの中に荷物を下ろして、どうしようかと思った時、お母さんは「ちょっと待って。せっかくだから、お茶でも飲んでいってください」と言ってくれた。
あたしは入江くんと顔を見合わせて、「では、少しだけ」と返事をした。
正直言うと、アパートは狭くて古い。
こじんまりとした部屋で、荷物はほとんどない。
小さなテーブルと内職の荷物。
あたしは落ち着かなくて、きょろきょろと見まわしていた。
入江くんはあたし以上に居心地が悪そう。
あたしと入江くんとお母さんが座ると、他に荷物もないのにそれだけで部屋はいっぱいだった。
お母さんは入江くんを見て顔を赤らめている。
うん、わかるよ、かっこいいもんね。
なんか不思議な気分。
お母さんなのに、あたしより若くって。
「…あ」
思わず声が出ちゃった。
部屋の片隅に、何だかぐちゃぐちゃな何かが。
「え?…あ、やだ」
慌てて隠そうとするお母さん。
でも見ちゃった。
あれ、多分内職の失敗したやつ、だよね。
…そう言えば、お母さん、結構不器用だった。
じゃあ、あたしの不器用さはやっぱりお母さんの遺伝なのか…。
入江くんはさほど驚いた様子もなく、すっと目をそらした。
「あの、おと…じゃなかった。えっと、料理屋さんの…」
なんて言っていいかわからなかったので、そこまで言って考えていると、お母さんはものすごく笑顔になって言った。
「そうそう、近くにね、おいしい料理屋さんがあるの。すごくおいしいの!よかったら行ってみて!」
「え?あ、はい」
「あ、お値段はちょっとだけ高いかも。でも、でもね、あたしにとっては、だから、あなたたちにはそれほど高くないかも。え、そんなに高いものばっかりじゃなくてね、安いものもあってお店の人もサービスすごくいいのよ」
顔を赤らめながらしゃべるお母さんは、ちょっとかわいい。
思わずあたしも笑顔になる。
きっとお父さんのこと思いだしてるんだろうね。
そして話すことがなくなってしまった。
ううん、話したいことならたくさんあった。
でも、それはあたしを知らないお母さんじゃない。
今のお母さんは、まだあたしを知らない。
今ここで、実はあなたの娘ですって言って、信じてくれるだろうか。
お母さんのことだから、なんとなく信じてくれそうな気もするけど、それをやってしまうと何となくまずい気もして…。
「じゃ、じゃあ、あたしたち、行きますね」
そう言ってあたしは立ち上がった。
入江くんと顔を見合わせると、入江くんもうなずいた。
「あ、お構いもしませんで」
お母さんもまたあたふたと立ち上がった。
なんかお母さんって、いつも慌ててる。
あたしはちょっと写真の中のお母さんを思い出して微笑んだ。
目の前にいるのに、変な感じだけどね。
そのままアパートを出る。
「よかったら、また来てくださいね」
見送られながら、あたしたちはどこへという目的もないまま、歩き出した。
お父さんの働いている料理屋へ行こうにも、今のお金を持っていない。
確か昔はお金の模様が違っていたのよね?
「ねえ、入江くん。お父さんのところに行っちゃ、だめだよね?」
振り返ると、入江くんがいなかった。
「入江くん?」
あたしは辺りを見回す。
くらりと目が回った気がした。
思わず目をつぶる。
自分が倒れたのか、そうでないのか、それすらもわからなくなった。


目が覚めてみると、随分と変な格好で寝ていた。
起き上がると髪がぼさぼさで、枕もずり落ちていて、入江くんはとっくに起きていなかった。
昨夜も遅かったはずなのに、朝も早くて、大変そう。
あたしは時間を確認すると、えいやっと起き上がった。
鏡が目に入り、髪のぼさぼさ具合を見てうわあと声を上げてしまった。
これは寝癖直すの大変そう。
鏡の中の自分を見て、ふと思った。
あたしは、お母さんの顔に似てるんだろうか。
お母さんは…。
今、何か引っかかったのだけど、思い出せない。
カチャリとドアが開いた。
「行ってくる」
「早い!」
「外来の前に病棟回ってくるから」
「うん。あ、おはよう」
「…遅刻するなよ」
入江くんはそう言って笑った。
「大丈夫!あ、行ってらっしゃい!」
入江くんを見送ると、あたしもベッドから降りた。
でもふと考えた。
お母さんは、今のあたしを見たら、どう思うだろう。
ちょっとは自慢に思ってくれるだろうか。
考えても出ない答えを、あたしはいつまでも考えていた。

(2020/10/19)


To be continued.