Go to→40年前の世界




また夢を見た。
夢だと思うが、過去かもしれない。
夢じゃないかもしれないが、起きると現代なのでやっぱり夢かもしれない。
そんなふうに思ってしまうほど、その夢はいつもリアルだった。

「入江くん、起きて」
うたたねをしていた。
「どこだ、ここ」
琴子に起こされはしたものの、外で寝てしまうことなどほとんどないことを考えると、いったい俺はどうしてここでと辺りを見渡した。
「多分、お母さんのアパートだと思う。どうしてここにいるのか、あたしもよくわかんないんだけど、気が付いたらここにいたの」
「勝手にここにいたら、空き巣かなんかと間違われないか?」
「ううん。起きた時はお母さん、いたの」
「いつもみたいにお店に行ったみたい」
「…日課なんだな。そんなに外食する金あるのか?」
「お父さんが、どうにかしてるみたい。まだ恋人、ってわけじゃないみたいだけど」
そう言えば、いつの間にか店にいつも来てたって言ってたか。
「俺たちの立場はどうなってるんだ」
「よくわかんないけど、夢みたいだからそこまで考えなくてもいいかなって」
「…夢、ね」
この件について、初めて具体的にお互い夢を見ているんじゃないかという話になった。
起きてから、覚えているのはいつも俺だけ、と思っていたから、これは意外だった。
「おまえ、夢見てたこと、覚えてたか?」
「すぐ忘れちゃうんだもん、入江くんに話す前に」
ああ、そうか。
たいていは俺が起きるときには琴子はまだ夢の中で、起きて琴子が俺と顔を会わせる頃には時間が経っている。
その間に普通は夢の内容なんて起きた時はともかく、だんだんとあやふやになって忘れてしまうものだ。
「入江くんは、ちゃんと覚えてた?」
「…いや、俺も夢だと思ってるからあえてそんな話しようとも思わなかった」
「だよね。やっぱり、これ夢なんだよね。って、入江くんと夢の中で話すのも変だけど」
「夢だと思ってたら、本当にこの時代にトリップしてるかもな。そもそも二人して同じ夢見てる確率の方が少ない」
「それなら…それでもいい。あたし、お母さんのこと、もうあまり覚えてなかったから」
この世界で動くこともままならず、俺たちは部屋の中で悦子さんを待った。
このまま出かけて行っても、この時代のお金を持っているわけでもなく、交通システムも何もかも現代とは違う。
そもそもそんなに長時間滞在できるわけじゃないみたいだ。
おまけに訪れるたびに時間が微妙に進んでいる。

しばらくすると、外からガチャリと音がして部屋に悦子さんが入ってきた。
「起きたのね」
そう言って、俺たちに微笑んだ。
「なんだか、元気ない、みたい」
琴子がささやく。
そして、悦子さんは意味もなく部屋の中をうろうろした挙句、「どうしよう」と言った。
ここでどうしたと返さなければ琴子じゃない。
当然のように「どうかしたんですか」と問い返した。
「病気、らしいの」
「誰が?」
「しげさんが」
「…しげさん?」
俺は、そこでようやく思い至った。
ここで琴子にささやく。
「確か、琴子のお父さんが病気になって見舞いに行った話があった」
「そうなんだ。じゃ、行かないとね」
琴子は悦子さんに近寄ると、肩をがしっとつかんで言った。
「行きましょう、見舞い!」
「へ?」
悦子さんは「そ、そんな…」と言って顔を赤らめた後、「そうよね、しげさん一人暮らしだし」とこぶしを握った。
さすが琴子のお母さんだ。
「で、お父…じゃなかった、えっと、その、しげさんの家はわかる?」
「知ってるわ。お店のすぐ近くなの。一度家までついて…あわわ」
悦子さんは慌てたように口をつぐんだ。
…さすが琴子のお母さん。
そう言えば中学の頃に秋田で誰かの家の前で凍死寸前まで待ち伏せしてたとかも聞いたことがあったな。
琴子は一瞬…お母さんって…という顔をしたが、そこは親子。なんとなく通じるものがあったのか、二人して病気の時はお粥よね、と張り切っている。
ここは止めた方が本当はお義父さんのためになるんだろうが、ここで止めると琴子の両親が結婚に至るまでのエピソードとして重要な分かれ道かもしれないと思うと、止めることもできない。
琴子が作るお粥もひどいんだろうが(幸いなことにまだ味わっていない)、どう見ても料理上手には見えない悦子さんのお粥も、出来上がりは琴子と似たり寄ったりなような気がする。
「お母…じゃなかった…頑張って、しげさんのハートをゲットしてね」
「ありがとう!行ってくるわ」
そう言って気張った顔をして意気揚々と悦子さんは出ていった。
二人で閉まった扉をただ黙って見ていた。
「ねえ、これって大事なポイントよね」
「多分な」
そうじゃなければ、病気の時に壊滅的なお粥を食べさせられるお義父さんを思うと救われない。
「そっかぁ。そうだよね。あたし、お父さんとお母さんの出会いを見てるんだ。ちゃんと結婚するんだよね、この二人」
「そうじゃなきゃおまえが生まれないだろ」
「そりゃそうなんだろうけど」
それにしても、琴子の両親が結婚したのはきっともっと後なはずだ。
少なくとも琴子が生まれるのもずっと後のはずで、少なくともあと十五年はかかる計算だ。
随分とかかるな。
修業して一人立ちしてからだとすると、それくらいはかかるのか。
付き合い始めがいつなのか知らないが、一人前になる前に結婚してしまった俺としては、お義父さんが結婚に手放しで賛成していたわけじゃないことを思うと納得だ。
まさか学生の身で結婚するとは思っていなかっただろう。
ただ、同じ家に住んで、親公認で、どこまで我慢できたのかも今となっては俺自身もわからない。
「もしも将来、あたしたちの子どもがこんなふうに夢を見たら、なんて思うのかな」
「…ストーカー?」
「ちょ、入江くん」
琴子は顔を真っ赤にさせて慌てている。
「そういう入江くんだって、初対面は相当ひどいよ?」
そう言い返す琴子の後ろから、目覚まし時計の音が微かに聞こえる。
もう、夢が覚める。
この奇妙な夢も終わりになる。
そう思っていた。

起きて目覚ましを止める。
いつもは目覚ましが鳴る前に起きることも多いが、意外にぐっすり眠っていたようだ。
目覚ましとしては結構小さな音のせいか、琴子が起きた様子はない。
と言っても、盛大な目覚ましが鳴っていたとしても、起きる予定のない時間に琴子が目を覚ますことは滅多にない。
もっと言えば、起きる予定の時間になってもしっかりと起きてきたこともあまりない。
本人の名誉のために言うならば、ごくたまに張り切って起きてくるときもある。
健やかにまだ寝息を立てている琴子の頬をぐりぐりと摘まむ。
これでも起きないのが面白い。
もちもちとした頬を摘まむのを名残惜しいながらも離してベッドから下りる。
夢を見ていた。
ただそれだけのはずだった。

(2020/12/08)

To be continued.