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あれでお父さんとお母さんは付き合うことになったのだろう、とあたしは思っていた。
そんな単純でもないんだろうか。
確かに入江くんは、あたしがご飯を作ろうが(出来の違いとか言われても困るけど)、看病しようが(あたしが原因の風邪とか足のねん挫とか、本人にしたら厄病神みたいなものよね)、決してそれを機会にあたしと付き合うなどと決心をしてくれたことはなかった。
うん、だから計六年も片想いしてたのよね。
でもあのお父さんだし。
何となく、お母さんにころっとまいっちゃったんじゃないかって思ってる。
そうじゃなくたって、お父さんが他にもてたなんて話も聞かないから、そのうち付き合うようになったと思うんだけど。
お母さんって、あたしと一緒でガッツがあるし。
いくらお父さんだって、家まで看病にきてくれた人を追い返したなんてことないよね?
そして治ったお父さんは…きゃー、青春よね!
え?だって、今のあたしよりもお父さんたちってば年下なんだもん。
そう言えば入江くんが言ってたけど、お父さん、お母さんと知り合ってから随分と年がいってからの結婚だったみたいだし、あたしが生まれたのも思ったより遅かったわよね。
…だから、余計にお母さんに負担がかかったのかもしれないって、お父さんはちょっと後悔してた。
そりゃ、弟妹がいたらなって思うけど、あたしみたいなのがもう一人いても、お父さんたちも大変だったかもしれないし。
そんなことを考えていたら、あたしは見慣れたふぐ吉の前にいた。
花輪がいっぱいあって、祝開店とか書いてある。
どうやら、お父さんの店が開店したころに来たみたい。
ああ、また夢を見てるんだって思ったから、入江くんの姿を探したけど見つからない。
入江くんは、当直だったかな?
夢の中なので、現実のこととの記憶の境はあいまいで、この光景だってお父さんから見せてもらった写真の記憶を自分の中で再生してるだけかもしれないけど。
お祝いを言いたいけど、あたしにはこの世界のお金がない。
お祝いがてらに飲み食いするお金も、お祝いを渡すための贈り物を買うためのお金もない。
夢の中なんだから、ぽいっと出てこればいいのに。
この頃のお金は、今と違っていて、たとえあたしのポケットにお金が入っていたとしても、使えないかもしれなくて。そもそもあたしはこの頃のお札の柄をもう覚えていない。想像して出てくるのなら、きっとあたしの想像通りのものが出てきてしまうだろう。それでは偽札と間違われてしまうって、入江くんが前に言ってたから、あたしたちはひたすら夢から覚めるのを待っていたのだ。
こんなにも光景ははっきりしていて、感触もリアルで、思うことも考えることもそのままなのに、夢から覚めるとあたしたちはほとんど覚えてなかった。
ただ何となくほんわかとした気持ちや、ちょっとだけ寂しくて悲しい気持ちが残るだけだ。
あたしは、よかったね、お父さんとつぶやくだけで、どこに行く当てもない。
きっとお母さんはもう別のアパートの移ってしまっただろうし、もしかしたらお父さんと結婚してるのかも。
その辺の記憶もあまりはっきりしない。
だいたいあたしが小さかったせいで、お母さんとお父さんの出会いの話や、恋愛中のあれこれや、結婚するまでの話もちゃんと聞いていない。
今だったら、きっと根掘り葉掘り聞いてるんだろうけど。
もちろんお父さんがそんな話をあたしにまじまじと話してくれるわけでもなく。
むしろ入江くんがお父さんからお母さんとのなれそめの話を聞いてることが驚きだったわ。
秋田のおじさんに聞いたならば、きっとどうでもいい恥ずかしい話を山ほどした後で、それもう聞いたというような繰り返された話か、嘘か本当かわからないような大げさな話をしてくれるのだろう。
いつか入江くんのお義母さんたちのなれそめ話も聞きたいなぁ。
そんなことを歩道の端で考えていたら、いきなりふぐ吉の戸が開いて、お客さんと一緒にお母さんが出てきた。
「ありがとうございました」
そう言って丁寧に頭を下げた後で顔を上げたお母さんと、目が合ってびっくり。
「あら!」
そう言って、あたしの顔を見て駆け寄ってきたけど、あたしもどうしたらいいかわかんないよ。
「えーと」
すぐに名前が出てこないようだ。
どうしよう、そのままの名前言ってもいいのかな。
「お久しぶりです。…琴子です」
「ああ!そうそう、琴子さん!」
あたしの手を取ってぎゅっと握った。
「まさかお祝いに来てくれたの?」
「ちょっと通りかかったら…お店持ったんだなって思って…」
「さ、入って!」
「あ、でも、その、お金、ないんです…」
店の中に連れていかれる前に何とかそれだけは言った。
後で請求されても払えない。
漫画のように目をぱちくりとさせた後、お母さんは笑った。
「そんなの!あたしとしげさんの恩人ですもの」
「え、でも、やっぱり」
せっかくの祝いなのに、お金もお祝いも持ってない人間がそんなふぐ料理なんて。
自慢じゃないけど、お父さんのふぐ料理はそこそこ評判も良くて、小さい店だからそこまでの値段じゃないにしても、食材がふぐなだけにそれなりの値段はする。
しかも開店記念で値段を抑えめにしてあるはずだけど、それなのに払えなくて、開店から赤字を出させるようなことをしたくないんだけど。
ぐいぐいとそのまま店の中に連れていかれ、お父さんともご対面だ。
一階はちょっとした飲みにも使える席があり、奥と二階に座敷がある。
お父さんとはほんの少ししか顔を合わせた覚えはないから、どこかで見たかな?という顔をされた。
「あの、おかあ…悦子さ…」
「しげさん!この人、あたしの恩人なの!」
「おう!そりゃお礼しないと」
「そ、そんな、大それたことは…」
ひえぇ…逃げられない。
あたしは自分の両親と他人の振りをして向き合うことになった。
い、入江くーん…。
どうして今日に限っていないのよー。(当直だから)
あたしはどうしていいのかわからないまま、誘われるまま店の奥へ。
愛想よく近寄ってきたお父さん、若い…じゃなくて!
「あの、本当は通りかかっただけで、とてもふぐを食べられるようなお金は持ってないんです」
「何言ってんだ。恩人から金なんか取れないよ」
「いや、その恩人というのも…」
「いいえ、恩人よ。あたしを助けてくれたもの。そうよ、何だったら、しげさん、あたしがこの人のお代分働いて返すから」
「そんなこたぁ構わねぇよ。えっちゃんの恩人は、俺の恩人だ。たんと食っていきな」
「ありがとう、しげさん」
あたしは二人の仲よさげな様子にうれしくてなんだか目が潤んでくる。
目が潤みついでにだんだんと視界がぼやけて、はっきりしなくなる。
あともう少し。
あともう少しだけいさせて。
お父さんとお母さんと…。
気が付くと、あたしは一人ボロボロと泣きながらベッドの上で目が覚めた。
こんな時に入江くんがいてくれたらよかったのに。
どうしていないんだろう。
そう思いながらもあたしは涙を拭いて起き上がる。
…幸せな。
ただ幸せなお母さんでいてくれればいい。
お母さんは、本当に幸せだったんだろうか。
(2021/01/01)
To be continued.